“何かは変わったかも、なんて。今更遅いのだとしても。” ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 一:パラレル・ワールド
円堂守が絶対的確定要素?
意味を図りかねて、ミストレは首を傾げる。それが分かったのだろう、エスカバは頭をガシガシ掻きながら、あー、と声を出した。
「つまりだな。…俺達が過去に干渉した事で、多少なりに歴史の変化はあった筈、だろ」
「そりゃぁね」
自分達に円堂カノン。八十年後の世界の人間が干渉した時点で、様々な事象が変化している筈だ。例えばフットボールフロンティア。雷門優勝という事実は覆せなかったが、決勝を戦ったのは世宇子ではなく王牙学園である。王牙自体があの時代には存在しない筈なのだからそれだけでもう大きく歴史は改変されている。
世宇子と雷門が戦わなかった事で、本来存在した筈のドラマやイベントが発生しなくなったという事もあるだろう。他にも細々とした変化が随所に見られるに違いない。
「…ねぇんだよ」
「え?」
「変わった筈なのに変わってねぇんだ。見ろ!」
ばん、とエスカバが机に叩きつけたのは一つの資料。普段とフォーマットが違う、という事は読後破棄必須。先に目を通したバダップが眉を顰めた。
「何だこれは…?」
見てみろ、と渡されたそれを手に取り−−ミストレは絶句する。
それは八十年前に行われたフットボールフロンティアに関する記録だった。出場校名簿、対戦成績、シュート本数から支配率に至るまで事細かに記載されている。
だが。
自分達が歴史に介入した筈だというのに−−“記録上の史実が何一つ変わっていない”。出場校名簿に王牙学園の名前はない。決勝を戦ったチームは雷門と世宇子のまま。当然雷門に未来からの助っ人が来た痕跡なんてのもない。
つまり。過去に起きた事実そのものに−−変化が起きていないのだ。
「そんな…馬鹿な!?オレ達は確かに過去に飛んだ!雷門と戦った!ミッションに失敗したとはいえその事実は確かだろ!?」
叫ぶミストレの横で、一人思案していたバダップが−−やがて苦い表情で口を開いた。
「多次元世界説…いや、平行世界乱立論と言うべきか…」
「なに…?」
平行世界。聞いたことのあるキーワードだ。確か数年前、エルゼス・キラード博士が発表した論文にあった筈。時間の流れに干渉するミッション−−オペレーション・サンダーブレイクを実行するにあたって、必須事項として叩き込まれていた。有り得る可能性の一つとして。
「俺達が関わった過去が…俺達の今に繋がらなくなった。パラレルワールドって事だ」
渋面のエスカバ。
多次元世界説−−それは自分達の今生きている世界の他に、様々なパラレルワールドが連立・乱立しているという説。例えばミストレが道に迷った時、実際は左を選んだとして。すると右を選んだパターンの世界が、必ず異世界として存在するというのである。
異世界に。自分と同じ顔、同じ名前、同じ魂を持ちながら−−違う人生を歩んだ別の自分がいる。しかし世界ごとに干渉する事はなく、本来はその世界の存在すら気付く事はない−−そんな論文だった。
時間への干渉は基本的タブーとされている。歴史が変われば、生き長らえる筈の人物が早死にしたり、生まれる筈の人間が生まれない可能性も出て来るからだ。実際過去のミッションでは現在に大きな影響が出てしまった事例もあるとかで。今回もその特例中の特例だったのだ。
なのに。何も変わっていない。
それはつまり自分達の関わったあの“八十年前”が、自分達の過去ではなくなってしまった事を意味する。あの“八十年前”の世界は、自分達の今いる未来とは別の未来へ繋がるパラレルワールドになってしまったのだ。一体、何故?
「前例が無い事態だが…論文にあった言葉を借りるなら、これも“円堂守”が絶対的確定要素だからという事で説明がついてしまうんだ」
「…なるほどね」
ミストレも漸く頭が冷えてきた。しかし同時に、肝も冷えた。あのありきたりに見える少年−−しかし周囲に多大な影響力を与える才能を持った彼−−がどれほど特異な存在か理解した為である。
絶対的確定要素。つまり−−異世界の干渉を受け付けぬ不変の存在。それに関わると、未来から歴史を弄ろうとしても全て無に帰してしまう−−非常にレアな人物。希に発生するのだという事はキラード博士の論文にもあった事だ。
その人物に干渉した“過去”は全てパラレルワールド化してしまう。その人物の関わった過去は歴史の上で絶対的な要素として存在し、未来への影響を与えない。円堂守がまさしくそれだというのだ。
つまりもし、仮に過去の世界で彼を殺害したとしても−−彼をこの八十年後の世界の歴史から抹消する事はできない。彼が死んだ世界は必ず平行世界になってしまうのだから。
「つまり」
ミストレは唸るように言った。認めたくない事だが認めざるおえなかった。
「オペレーション・サンダーブレイクは…最初から無意味な作戦だったって事か」
円堂守に関わる過去は絶対に変える事が出来ない。きっとあのミッションを成功させ、雷門のフットボールフロンティア優勝を阻止したところで−−自分達の現在に影響を与える事は無かったのだろう。
「はは…なぁんだ。オレ達の努力も…やった事も全部、最初からムダだったわけね」
正直−−ショックが大きかった。この作戦に関われると、選ばれたと知って心から喜んだ日を思い出す。嬉しかった。副隊長という立場は不本意だったが、隊長がバダップならば構わないとすら思った。彼は唯一ミストレが自分より上と認めた存在だったからだ。
だから。
毎日血反吐を吐き、傷だらけになり時に深刻な怪我を負いながらも−−訓練をこなしてこれたのは。必ずその全てが報われる筈と信じていたからだ。このミッションをこなす事で、必ずや国や友の役に立てる筈だと。
なのに−−その全てが前提から無意味だったというなら。自分達は今日まで何のために這いつくばるような努力をしてきたというのだろう?
「…ムダじゃ、ない」
重苦しい沈黙を破ったのは、バダップだった。
「俺は言ったな、ミストレ。円堂守に出逢った事を後悔していないと。…この事実を知っても変わらない。俺は、無意味な事など一つも無いと思っている」
ミストレが、エスカバが顔を上げる。そして同時に目を見開いた。バダップが−−笑っていた。あの鉄面皮と散々揶揄されてきた男が。微かで儚い笑みがったが−−確かに微笑んでこちらを見ているのだ。
「過去は変わらなかったとしても。俺達は……変われただろう。だったら、ムダなんかじゃない。必ず未来に繋がっていく。…違うか?」
未来に、繋がる。その言葉が緩やかに胸の奥を揺さぶった。ある人はきっと全て無駄だったと言うだろう。他にもそう言う人は大勢いるだろう。でも今は。
バダップのその言葉を信じてみたいと、ミストレは思ったのだ。
「勇気があれば未来さえ変えていける。…そうだね。それが分かったのは円堂守のおかげで…知る事が出来たオレ達は幸せなのかもしれないね」
これから考えていけばいい。考えて考えて、それでも無意味としか思えなかったらその時はその時だ。
生きている限り考え続ける事が出来る。それは義務であり、同時に権利でもある。
「そういえば…助っ人を連れてきたあの円堂カノンとやら」
思い出した、というようにエスカバが言う。
「円堂の曾孫だとか言ってたけど、ガチらしいな。調べたらするするデータ出てきたぞ。所詮一般人だ」
「一般人とはいえ個人情報が簡単に漏れてるようじゃ世も末だな」
「だな」
このご時世、戸籍から企業名簿に至るまで全て政府のマザーコンピューターで管理されている。出生率や死亡率もリアルタイムで把握されている筈だ。
八十年前、高齢者の死亡届けを出さず年金を不正に受け取っていた事例が大量に発覚した時期があったらしい。が、今ではそんな事は有り得ない。一日でも消息不明や周囲に奇妙な動きがあった場合、すぐにモニターされ担当者が出向く。良く言えば管理、悪く言えば監視されているような生活がこの国では当たり前だった。
ただし。そのセキュリティーには結構穴がある。ガッチリと守られているのは一部要人のみと言っていい。一般人のデータを覗く事など、ちょっとしたハッキング技術ですぐ出来てしまう事だった。
「円堂カノン…か。確かに円堂守によく似てた」
あの大きな黒目がちの瞳。ついでに声、もっと言えば中身に至るまで。若干カノンより円堂守の方が大人びた印象はあるが−−それもまた貫禄なのか。
そういえば彼は一体どのようにして過去に飛んだのだろう。時間旅行技術が確立して早十数年。しかし歴史犯罪が増加した事により、民間人のタイムワープは大きく制限されている。今は政府が研究目的に使う事があるくらいだ。自分達のオペレーション・サンダーブレイクも−−平たく言えば政府の認可を取ってない犯罪行為である。
ミストレがそのまま疑問を口にすると、バダップが頷いて言った。
「タイムワープマシンはとんでもなく高額だ。一般人が持てるような代物じゃない。ましてや企業に至るまで、民間規制法が施行された時検査で没収された筈だが」
誰かがタイムワープを行えば必ず計器に異常が出る。つまりこっそり使ったところですぐバレる。使わないで持っていたところでただの宝の持ち腐れだ。
「持っているとすれば政府か、政府から特別に認可の下りている一部財閥と研究機関くらいだろう」
が、使用者も相当レベルの技術者だった筈だ、とバダップは告げる。
「連中が軍と同じタイミングでタイムワープを行ったにも関わらずだ。軍は円堂カノンの姿を視認するまで、介入者の存在に気付けなかった。つまり…計器異常を悟られないよう、カモフラージュしてきたわけだ」
「出来るのか、そんな事」
「一人だけ心当たりがある」
資料の上。ある名前を、彼は指差した。ミストレとエスカバは顔を見合わせる。繋がったのだ−−全ての疑問が。
「タイムワープマシン開発者、エルゼス=キラード博士。彼が円堂カノンを過去に送った張本人だろう」
なるほど−−開発者なら出来るかもしれない。確実に察知される筈の時間の波を偽装する事も、いち早く軍の作戦に気付いて妨害者を用意する事も。
彼がサッカーに関わっているという話は聞いた事がない。だがもしこの推測が正しければ、彼もまたヒビキ提督の忌む“享楽的サッカー主義者”という事になる。
「報告…した方がいいんじゃねぇの、これ」
「オレ達より先に、上のお偉方が気付いていそうなもんだけどね…」
面倒な事になった。ミストレがため息をついた時だ。
『王牙学園二年、オーガ小隊隊長バダップ=スリード中尉。至急、第三会議室へ来られたし。繰り返す…』
バダップを呼び出す放送が入った。このタイミングで彼を呼び出すという事は−−三人の間に緊張が走る。
嫌な予感がしてならない。ミストレはバダップを見た。彼は何も言わない。黙って、頷くに留
めた。
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