“どんな小さな事も明日への糧になる、彼にそう、教えられたもんね。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 三:フライ・ハイ
カノンが雷門イレブンの危機を救った、その翌日。思う事あってキラード博士 の研究所を訪ねたカノンは、危うく大量の本に埋もれて圧死しかけた。 持ち前の反射神経に、今日ほど感謝したいと思った日はない。だってそうだろ う、まさか玄関のドアを開けた途端、本の雪崩が襲ってくるだなんて−−一体誰 が想像するだろうか。 「ちょっと…キラード博士!?」 呼び鈴と一緒に叫べば、なんですかぁー!という声がやけに遠くから聞こえ る。一体博士はどこにいるのやら。広すぎる研究所を心底恨んだ。 「なんですか、じゃないです!これじゃあ中に入れないじゃないですかー!」 「あーすみませんー!どりあえず窓からでもどうぞー」 「…警備システム、ちゃんと解除してあるんでしょうねー!?」 「多分ー大丈夫ですー」 「……」 叫びながらの会話は疲れる。本当に疲れる。カノンは諦めて、入れそうな窓を 探した。もしブザーが鳴っても自分は悪くないんだし、警備会社が飛んできても キラードのせいだし、と思いながら。 近場の窓は四つ中三つが開かなかった。これはもう本格的に怒っていいかもし れない。自分も掃除や片付けが得意な方ではないが、それでもキラードに比べた ら百倍は綺麗好きと言えるだろう。衛生面で問題ありすぎるこの場所に、堪忍袋 の尾も切れかけている。まあ、こんな場所を好き好んで訪れる自分も自分だが。 半ばゴミ屋敷と化した寝室を抜け、廊下で足元を黒い物体が通り過ぎた気がす るのを見なかった事にし、漸く辿り着いた居間。 「おはよーございます、カノン君」 ああ、もはや居間ですらなくなっている。 「…お早うって時間でもないですけどね……」 キラード博士の左手に朝食のパン、右手に万年筆、テーブルの上に資料の山。 床にはインスタントラーメンの袋にお菓子の包み紙、さらにはジェッターにかけ られて細切れになった紙屑やらキャップの吹っ飛んでいるペンやら−−etc. 昨日訪れた時より悪化している気がするのは、気のせいではあるまい。 「博士…散らかした挙げ句昨日もお風呂入らなかったでしょ」 「お風呂どころか寝てません。徹夜です」 隠す事もなく(実際隠しようもないだろう)どキッパリ言い切るキラード。 「私生活にかまけてる余裕ゼロだったんで。昨日の騒動のせいで政府も超ゴタゴ タなんです」 余裕ゼロじゃなくてもアンタの私生活は変わらないだろ、とカノンは心の中で 突っ込む。まったく、不健康人間まっしぐらだ。 「政府も鬼です悪魔です。私を過労死させる気なんです!聴いて下さいよカノン 君!!」 「あー、ハイハイ」 呆れ果てているカノンをよそに、キラードはテンションを上げて話を続ける。 「昨日の一件にて、オーガに指示を出していたのはドレイス=バウゼン大佐であ る事が分かりました。バウゼン大佐はヒビキ提督の直属の部下です。が…残念な がらヒビキ提督が直接関わっていたという物理的証拠が何も上がってません。バ ウゼン大佐も叩き上げですからね、政府の誘導尋問にも簡単に引っかかってくれ ないらしくて」 バウゼン大佐−−カノンからすれば“誰それ”な世界だが。大佐、という地位 がどれほどのものかはおおよそ想像がつく。確かあと一個昇進すれば将軍職では なかったか。 叩き上げ−−つまり一兵卒などの前線から上がってきた者なら。当然戦場も経 験しているし訓練も相応にこなしてきただろう。一筋縄でいかないのも頷ける。 「まぁ詳しくは省略しますが。政府の派閥争いは今非常に面倒な事になってまし て。証拠を掴んでさっさとヒビキ提督を失脚させたいな〜っていうお偉方もいら っしゃる訳です」 「ものすごい端折り方しましたね今」 「だって言っちゃいけないお約束ですもん。第一細かく説明したって君、理解で きます?」 「否定はしませんけど」 「でしょ。で、なんとなく想像つくかとは思いますが。時空位相に現れた異常を 解析して始末をつけるよう私に命じたのが、その反ヒビキ派なわけです」 そういう事か。カノンは大まかにだが理解する。 タイムワープ技術が浸透して早数十年。一時期多発した歴史犯罪のせいで、政 府の権威が地に落ちたのは記憶に新しい。その後の規制や法改正が功を成して、 治安と共にある程度の信用も持ち直したものの−−二度と歴史に絡んだ騒ぎは 御免だと誰もが思っていた筈だ。 が、話を聞くにそのヒビキ提督とやらは違うようで。国を良くしていくには歴 史介入も辞さないという革新派であるらしい。今の政府の信用をなんとか保ちた い保守派からすれば邪魔者以外の何者でもない。 「ヒビキ提督が実際関与したかどうかは分かりません。しかし真実がどうであ れ、彼が保守派にとって厄介な思想の持ち主である事は事実。本当ならよし、喩 え言いがかりだとしてもヒビキ提督の名前に傷がつけば問題なし」 早口に喋りながらも、キラードの手は休まず動いている。こういう所は器用な くせに何故家事だけは壊滅的なのか。 それにしても−−大人の世界は面倒で怖い、とカノンは思う。八十年前の世界 で、オーガのやろうとした事はあまりに強引だ。曾祖父にサッカーを無理矢理棄 てさせて未来を変えようなんて間違っている。あの計画を命じたのがヒビキだと いうなら、当然カノンが賛同出来る筈もない。 だけど。それがまだ確定した訳でもないのに−−邪魔だからという理由で犯人 と決めつけ、政治的に排除しようだなんて。汚すぎやしないか。 そう思うのも自分が子供で、綺麗な世界しか知らないような幸せな人生を送っ てきたせいかもしれないけれど。 「騒ぎを大きくしない為に…そしてヒビキ提督を追いやる為に。タイムワープマ シンを使用する認可が下りたって訳ですか」 「そういう事です。…私自身は正直、醜い政府の派閥争いに興味はありませんが ね。あるべき歴史を無理矢理ねじ曲げようとする輩を放置する訳にはいきません でしたから」 何より、とキラードは笑って続ける。 「カノン君が消えてしまうような事態には、絶対したくありませんでしたから ね」 カノンは思う。自分は成り行きのようにこの研究所に出入りして、キラードと 交流を結んでいるだけで。彼の政治的立場も研究者としての正体も知らないし、 片付けの下手さといい強引さといい人間的には大きく問題のある人物と分かっ ているけれど。 こういう所があるから。“友達”と認めた相手は子供だろうと対等に向き合い、 とことん大切にする人だから。結局嫌いになれないし、世話を焼いてしまうので ある。 「話を戻しますが、カノン君」 キラードはパソコンを引っ張り出し、電源を入れる。 「政府は昨日の一件、なんとかしてヒビキ提督が黒幕である物理的証拠を掴みた いんです。でもあの人の地位ってばハンパじゃないですから、公に捜査するには 限度がありまして」 はぁ、と大仰にため息をつく博士。 「ぶっちゃけ警察も圧力かけられちゃって身動きとれないんです。だからー私み たいなのにまでお鉢が回ってくる訳ですよ。あちらさんに悟られず歴史を解析で きるの、私くらいしかいないですし」 だから徹夜で死にそうになっているのだ−−と。長ったらしい説明だったがこ こで漸く話が最初に戻ったようだ。 お疲れ様、とは思う。思うけど。だからって不衛生にしていい理由にゃならな いだろ、とカノンは思う。 「…ん?」 ふと引っかかりを覚えて、首を傾げるカノン。 「悟られずに解析…て。そういや昨日の件も、向こうに気付かれるまで随分間が あった感ありましたけど。博士ってばひょっとして、タイムワープの研究に関し て滅茶苦茶凄い人だったりとか…」 「当然だろう。エルゼス=キラードはタイムワープマシンの発明者だぞ。誰より 詳しいに決まってる」 「開発者ぁ!?それってマジですか博士…て…」 突然背後からかけられた第三者の声に、うっかり普通の反応を返してしまい− −直後、ぎょっとして振り返った。 「え、えぇっ!?ば、バダップ=スリードぉ!?」 すぐ後ろに。バダップが立っていた。いつもの深緑の軍服を纏い、いつもの無 表情で。 カノンは混乱する。此処はキラード博士の研究所で、自分はキラード博士とず っと喋っていて。どうして彼が此処にいるのだ、そもそもいつからそこにいたの か。 よもやキラードが招いたのかと思い見れば、そのキラードも口をあんぐり開け て固まっている。どうやら自分と同じく、ほんのついさっきまで彼の存在を認知 していなかったらしい。悟られなかったバダップが凄いのか、気付かなかった自 分達が間抜けなのか、あるいはその両方か。 「捜査やミッション以外で、人様の家に許可なく踏み入る事は避けたかったんだ が」 バダップは淡々と、しかし声に呆れを滲ませて言った。 「玄関のドアは開いたまま、本の土砂崩れで埋まっているし」 「う…」 「呼び鈴を連打しても応答は無いし」 「うう…」 「玄関から入れもしないゆえ困っていたら窓が開いている上防犯装置も解除さ れていたので」 「ううう…」 「ゴミ屋敷に好んで入りたくは無かったが、用があったので失礼した」 「ゴミ屋敷…」 ああまったくその通りですが、とうなだれるカノン。キラードは机に突っ伏し て死亡している。さしもの彼も反省してくれたと信じたい。 しかも。しかもだ。 「あの…さっきまでの俺達の話、どこまで聞いてた…?」 恐る恐る尋ねるカノンに、バダップはあっさりと言い放った。 「政府が博士を過労死させたいらしい、というところから」 「うわああ全部じゃん!!」 ああ、死亡フラグ。冷や汗だらだらで顔を見合わせるカノンとキラード。ヒビ キ提督が真に黒幕かどうかはともかくとしても−−バウゼン教官がオーガの直 属の部下であった事は間違いないわけで。 ひょっとしたら自分達はよりによって一番まずい人に、とんでもない話を聞か れてしまったのではあるまいか。 パニックになりかけるカノンを見、バダップは一つ溜息をついた。 「油断しすぎだ。此処が戦場だったら終わってたぞ。一部始終、上に報告させて 貰う…と、昨日までの俺なら言っただろうがな」 「え?」 目をぱちくりさせるカノンに、バダップは続ける。 「今の俺は…誰の味方でもない。ヒビキ提督やバウゼン教官の事は尊敬している が、あの方々の考え全てが正しいとも思っていない。…お前達自身に政治的目的 があるわけでもないなら…特に放置しても問題はあるまい」 目を見開く。カノンは驚いていた−−純粋に。語るバダップの眼があまりに穏 やかで、静かなものだったから。あの試合の時にあったような、瞳の奥の荒々し い炎は見えない。 まるで何かを悟り、静かな決意を固めたような−−そんな眼だった。 「その代わりと言っちゃなんだが。幾つか質問したい事がある。…でもその前に」 足元の缶を蹴り上げて。バダップは心底呆れ果てた顔で言ったのだった。 「このゴミ屋敷をなんとかするのが先だな。気分が悪くなりそうだ」
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飛べ、高く。