“未来を諦めなければ、どんなコトも力になる。あの日僕等はそう、学んだ。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
四:フレンド・シップ
 
 
 
 
 
 
 

 バダップという人間を、カノンは事が起こる前から知っていた。一般家庭育

ちで軍とも政府とも無関係のカノンが認知するほど、彼は有名人だったので

ある。

 未来の軍部を担う者達を育てる士官学校、王牙学園。その歴史はまだ浅いが、

卒業生は皆優秀で、多くが一流の軍人として輩出されている。

 その王牙学園の中でもずば抜けた天才児−−バダップ=スリード。

 本来ならば訓練期間中の士官学校生が前線に立つ事はない。よほど大きな戦争

やテロが起きて人手が足りなくなった場合はその限りでも無いらしいが−−今

はちまちまとした紛争やテロに悩まされているくらいだ(いや、それとてここ数

十年で治安が悪化した結果ではあるのだが)。

 バダップはその、例外中の例外だった。軍事に明るくないカノンですら分かる。

士官学校生にも関わらず、その年で前線に出され、尚且つ中尉という地位も与え

られ。おまけのおまけには小隊長まで任された少年兵。

 そのルックスもあって−−世界を救う英雄、だなんて持て囃す連中も中にはい

る。本人からすれば迷惑極まりない事だろうが。

 

−−TVに出てきた事もあったけど。いつもお堅い口調で…ろくに表情も変えなく

て。完璧ってこういう奴を言うんだろうなって、思ってた。

 

 実際彼はその成績、武功、共に完璧と呼んで差し支えないものだった。少なく

ともカノンにはそう見えたものだ。強いて言うなら−−表現が悪いのは承知して

いるが−−鉄面皮。感情の無い人形に見えてしまうのが欠点と言えなくも無かっ

た。持て囃す連中がいる一方、戦闘人形だと揶揄する連中がいるのも事実だった。

 あの一件が無ければ、一生話す機会も無かっただろう。特別憧れていた訳でも

ない。しかし別世界の人間だったのは間違いない。それが面と向かって話す機会

を得るなんて−−人生分からないものだと思う。

「円堂カノン、その本はこっちに入れろ」

「え、何で」

「アルファベット順を無視するのは気持ち悪い」

「なるほど」

 今、カノンはバダップと共に書庫にいた。半ば成り行きで、ゴミ屋敷と化した

キラード博士の研究所を隅々まで掃除する事になってしまったせいである。

 この惨状はあまりに耐え難い、片付けるぞ−−と。バダップに言われた時は本

気で気が遠くなったものである。確かにカノンも必要性は感じていたが、この広

い屋敷を片付けるのに一体どれほどかかるのか。

 第一。突然訪問してきて無断で侵入してきて(まあこちらにも非はあったにせ

よ)、あまりに不躾すぎやしないか。一体何の用件だったのやら。

 と、最初はやや不機嫌になっていたカノンだったが。掃除を進めるうちに見方

を改めた。バダップは掃除のスピードすら神業的だったのである。早い、という

より素晴らしく手際が良いのだ。予想よりずっと早くゴールは見えてきていた。

「ば、バダップ君!これ分別とか絶対無ry

「今まで放置していた貴方が悪い」

「ふぐっ!」

 遠くで絶叫したキラード博士は、バダップにばっさり切られて声を詰まらせ

る。自業自得だ。博士には良い薬になるだろう、とカノンも助ける気はゼロであ

る。

 棚の埃を払いつつ、要領よく積み上げた本を並べていくバダップ。完璧な人は

家事をやらせても完璧なんだなぁ、とやや場違いな感想を抱いてしまう。

 

「ところで…バダップ」

 

 紙屑をまとめたゴミ袋を縛りつつ、カノンは尋ねる。

 

「何で俺の事、フルネームで呼ぶのさ?」

 

 さりげなく気になっていた。周りの家族や友達の多くは自分を“カノン”か“円

堂”と呼ぶ。偶に変なアダ名をつけてくる奴はいるがまぁ、それは置いといて。

 わざわざ長ったらしく、フルネームで自分を呼ぶ人間をカノンは他に知らな

い。嫌なわけではないけれど−−正直、バリバリに違和感がある。

 バダップは少しばかり手を止めて、考えこむ仕草をした。

「…深い意味があるわけじゃない、ただ」

「ただ?」

「…不適切、というだけだ」

 不適切?何が?カノンは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

 さっきまでの会話で段々とバダップの性格を把握しつつあった。試合の時は闘

争心をたぎらせていたから分からなかったが−−この少年は基本的に無口、なの

だ。必要最低限しか喋らない。寧ろ時として必要最低限の事も足りない。そのせ

いか天然、とすら呼べるような奇妙な発言が偶にある。

 今の言葉ならまず“何が”不適切だと思うか、主語が必要不可欠ではないか。

よもや省いてしまっている自覚もないのだろうか。

 

「えっと…何が?」

 

 こんな事、普通は訊かれるまでもなく分かるだろうに。一瞬きょとんとした顔

になったバダップを、不覚にも可愛いと思ってしまった。

 まったく、そんな顔をしていたらとても一騎当千の兵士には見えない。

「何がって…呼び名の話だろう。名字で呼ぶのも名前で呼ぶのも相応しくないと

思うゆえ、消去法でフルネームにしているだけだ」

「何で相応しくないの」

「…お前は疑問ばっかりだな」

「興味津々なお年頃なもんでー。…ってかお前に訊きたい事がたくさんあるんだ

もん。いいじゃんか別に」

「……」

 沈黙するバダップ。多分カノンの言葉の意味を彼なりに吟味しているんだろう

なあ、と思う。こんなに誰かに、真正面から−−敵意ではない感情を向けられた

事は無いのかもしれない。いや、彼ほどの有名人なら好意も多々受けてきただろ

うが。それが好意だと、気付く事も出来ずに生きてきたのだとしたら。

 そう思って−−悲しくなった。齢十四歳の中尉。特殊部隊・オーガ小隊隊長。

人の死を、血を、叫びを、間近で見てきた少年。その人生が如何様なものであっ

たかなど、カノンには想像すらつかない。想像するにはあまりに自分は幸せすぎ

た。

 

「…円堂、と名字で呼ぶと」

 

 やがてバダップの手が再び動き始める。本の場所を入れ替え、確認しながら答

える。

 

「思い出すのはお前じゃない。お前の曾祖父…円堂守の方だ。それほどまで円堂

の名を聴かされ続けてきた。憎むべき、倒すべき敵だと」

 

 倒すべき、敵。カノンはあの試合の様子を思い出していた。大人達に刷り込ま

れるまま、植え付けられるまま−−憎悪の眼で円堂を見ていたバダップ。そして、

オーガのメンバー達。

 あの試合を得て、彼の認識がどう変わったかは分からないけれど。今のバダッ

プの瞳からは、あの時満ち満ちていた黒い感情は読み取れなかった。

 

「だが下の名前も駄目だ。…親しくもない相手を名前で呼び捨てるなど非常識で

マナー違反だろう。だから自分が呼び捨てられるのは構わないが…他人を呼ぶ時

は気をつけている」

 

 カノンはバダップを見た。相変わらず、何の色も浮かんでいない横顔。淡々と

した声、動き。だから、思った。

 彼は感情を持たないのではなくて。敢えて殺してきたのではないかと。

 

「…構わないと思うなあ、俺は」

 

 だからカノンは努めて明るく言った。そうでなければ悲しくて声が震えてしま

いそうだったから。

 

「俺は全然、構わないよ。だって」

 

 親しくない、とバダップは言ったけど。昨日までは自分もそう思っていたけど。

 今は。今なら言ってもいいじゃないか。だって。

 

 

 

「俺達もう、友達じゃん!」

 

 

 

 バダップは目を見開いて自分を見た。意外すぎて何を言っているか分からな

い、そんな顔だった。やっぱり哀しい、とカノンは思ったが傷つく事は無かった。

充分に予想の範疇だったから。

 

「ひいじいちゃんのノートにさ、書いてあったんだ。サッカー好きな奴に悪い奴

はいない。最初は敵同士でも、全力で試合やって、ぶつかって…終わったらみん

な友達なんだって」

 

 勝って笑って、負けて泣いて。時にはみんなで勝って泣こうぜ。

 そうやってみんな友達に、仲間に、兄弟になる。みんなで幸せになれる。みん

なを幸せに出来る。

 だから−−サッカーは楽しい。サッカーは素晴らしいのだと。

「“サッカーやろうぜ!”ってさ。悪魔の呪文だってお前言っただろ」

「…ああ」

 呪いの言葉。円堂守は悪魔だと−−そう恐れたくなる気持ちが、実はカノンに

も分からないではない。カノンはサッカーが大好きで、曾祖父を心から尊敬して

いるけれど。その上で−−あまりのかの人の影響力の強さに空恐ろしいと感じた

事も事実だった。

 それほどまでに円堂守の言葉には力があった。光があった。誰もが魅了され、

引き上げられるものがあった。まるで魔法のように。

 

「ひいじいちゃんは凄いよ。怖いくらい、凄い。でもそれは…その言葉は。聴く

人間によって百も二百も姿を変えるものだと思う」

 

 呪いだと、そう決めつけて聴けば全ては黒き魔法に塗りつぶされてしまうだろ

う。でも、誰かを救う為のものだと信じて聴けば、世界は180°姿を変える。

 

「俺、思うんだ。ひいじいちゃんの“サッカーやろうぜ”、は…みんなトモダチ

になって、みんなで幸せになろうぜって意味なんだって。だからその為に幸せな

サッカーをやりたいって願ってるから…みんながひいじいちゃんのサッカーに

惹かれたんじゃないかなって」

 

 八十年前の彼を見て思ったのだ。自分もああなりたい。円堂の名を継ぐ者とし

て恥じない存在に、皆を幸せにできるサッカーをする人間に、なりたいと。

 だから自分は、円堂守を信じる。円堂の信じたものを、信じる。

 

「俺達は自分のゼンブをぶつけて戦ったんだ。本気のサッカーをやって決着をつ

けたんだ。だからもう…友達。そうだろ?」

 

 ニカッと笑ってみせるカノン。バダップは眼を丸くして、まじまじとそんな自

分を見ていた。

 届けばいい。血と硝煙の匂いの中で凍てついた彼の心にも響けばいい。今は自

分の一方的な友情でも構わない。自分達はあの試合を通して、全てではなくとも

何かは分かり合えた筈だ。ならばそれで充分ではないか。

 少なくとも自分は彼を友達だと思っている。大事なサッカー仲間の一人だと認

めている。ならばこれ以上の真実はあるまい。

 

「友達…か」

 

 よく分からない、とバダップは言った。戸惑っているのだろう。しかしそれは

カノンを拒絶する言葉では無かった。

「今は考えとけばいいじゃん。…ま、そんな訳で。友達が親しくない相手なわけ

じゃないでしょ。だから名前で呼んでよ。カノンって、呼び捨てでいいから!そ

の代わりバダップの事もバダップって呼ぶし!!

「名前…」

 バダップは顎に手を当てて少しばかり迷い−−やがて少し小さな声で、それを

呟いた。

「…カノン」

「そうそう!それでいいって!」

 ただ名前を呼んで貰えただけだ。しかしそれでもカノンは嬉しかった。目に見

えて近付く距離が嬉しい。ああ、オーガの他面子もここにいれば良かったのに。

 

「…まあ……悪くないか」

 

 やがてバダップが少し照れたように笑った。ああ、彼にもこんな顔が出来るの

か。今日は素敵な発見がいっぱいだ。

 

「よし!さっさと片付けようぜ!」

 

 何故だろう。嫌でたまらなかった掃除さえ、いつの間にか楽しくて仕方なくな

っている自分がいる。

 
 
 
 
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友情、一つ。