“逃げる事や泣く事は弱さだと思ってた。だからずっと自分を殺してきたけど。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
七:パーティー・ナイト
 
 
 
 
 
 
 

 ミストレは、エスカバが予想していたほど不機嫌ではなかった。無論風呂上が

りに外出(彼にとっては部屋から出るのも外出だ)を請われていい気分では無か

っただろうが。その理由を聞いて驚きと興味が勝ったらしい。

 

「あのバダップが自分から?何それ、明日はスコールでも降るんじゃないの」

 

 奇しくも自分とほぼ同じ感想に、エスカバは苦笑する他無かった。

 ミストレと、部屋でやはりレポートを前にゾンビ化してたドラッヘを連れ、エ

スカバはサンダユウの部屋へと戻った。この時ミストレがやれ髪を乾かすだのセ

ットし直すだの化粧してないだの騒ぎ、多少時間がかかってしまったのは事実だ

が。

 自分達が戻った時には既に、バダップの料理は完成していたのだった。

「俺さー実は豪華なフルコースよりも普通の家庭料理のがずっと好きでさー」

「はいはい。ま、フルコースは味が濃かったり油っぽいのも多いからね。…サン

ダユウ、喋りながら手動かさないとなくなるよ」

「おっといけね。…まぁとにかくだ、有難ぇんだよなあこういうの」

「確かに。意外と飽きないしね」

 サンダユウとミストレは喋りながら、盛り付けられた料理を自分の皿にキープ

していく。

 どうやらバダップは中華の気分だったらしい。春巻きにチマキ、餃子にラーメ

ン、チャーハンに麻婆豆腐。ついでにポテトサラダ。けして難易度の高い料理で

はないがこれだけの量をこんな短時間で作ってしまうとは。しかもどれも、オー

ソドックスながら中学生男子の人気メニューばかりだ。

 

−−相変わらず…何につけても完璧だなオイ。

 

 エスカバも自分の分をよそいながら思う。そのまま餃子をラー油入りの醤油に

つけてパクリ。

 

−−…マジで美味ぇし。

 

 自分とミストレは、早々に課題を終わらせたので昼食は抜いていない。しかし

いつもながらの不味い食堂だったのは間違いなく、時間的にも空腹を覚えていた

のは確かだった。

 思うところがなければ普通に感激していただろう。バダップの手料理など滅多

に食べられものではない。

「なぁ…バダップよ、その…」

「エスカバ」

 ミッションについてなんだが、と言いかけて。またしても本人に遮られる。ま

たかよ、とうんざりしつつ、何だと返事をするエスカバ。

「俺は今…認めたくはないが二つばかり大きなミスをした気がしている」

「ミスだぁ?お前がかよ」

 一体何の話やら。じっと皆の様子を見つめるバダップの横顔は相変わらずのポ

ーカーフェイスであり、口調は至って真面目だ。

「ミスその一。…料理の量が圧倒的に足りない予感がしている」

「うわあああっダイッコてめぇ!!

 気がついたエスカバは叫んでいた。いつの間にか目の前からラーメンが消えて

いる。見ればダイッコが大きな器からそのまま汁を啜っていた。それもムカつく

ほど幸せそうな顔で。

 少し油断しただけですぐこれだ。まだ一杯しか食べてなかったのにちくしょ

ー!と内心かなり悔しがる。

 

「ミスその二」

 

 ちらり、とバダップは呆れた目でテーブルの向こう側を見る。

 

「一人一人の分を均等に、予め皿に盛り分けておくべきだった。そうすればこの

惨状は免れられたと推測される」

 

 ああ、確かに。エスカバも頭を抱えたくなった。テーブルの反対側がいつの間

にか戦場になっている。皿を盾に箸を武器に残った最後の餃子を奪い合うのは、

王牙学園最強の特殊部隊、チーム・オーガ−−の面影も無い面々。

「だからコレは俺がキープしてたんだってば!」

「んなの誰が決めたよ、早い者勝ちだろが!!

「ってか俺まだ一個も食べてねぇっ」

「知るかそんなの!!隙ありっ!!

「うわああジニスキーこのヤロー!!

「イタイイタイイタイイタイ髪引っ張んな!」

「ぎゃあっ箸がっ箸がっ!!

「俺まだ食べたりない〜」

「どんだけ食う気だよ、少しは遠慮とか自重とか知りやがれっ」

「そんなもんあったら俺のアイデンティティに関わるっ」

「どんなアイデンティティだよ!あああオレの皿から盗みやがったコイツ!!

「足踏むな手引っ張るな必殺技出すなー!!ぎゃあああっ!!

 どたんばたんどったん。

 たかがごはん、されどごはん。誰も彼もが血眼になって餃子を取り合いバトル

を繰り広げている。ああ、まさかミストレまで便乗するだなんて思ってなかった。

確かに彼は華奢な見た目に反しかなり大食いな部類だが(なのに太る気配がない

とかどんな体質だ)。

 

「下手な戦場より最前線だなオイ…隣から苦情来る前にやめとけって」

 

 一応言ってみるが誰も聞いちゃいない。さらにはバダップが、多分もう遅いと

思う、と呟いて。

 

 ばったん。

 

 ドアが勢い良く開け放たれた。

 

 

 

「コラァァ!!うっせぇぞサンダユウ!!静かにしやがれっ!!

 

 

 

 青筋を立てた先輩登場。ああ、結局鍵閉めてないや、とエスカバは既に現実逃

避を始めている。名指しされたサンダユウはスライディング土下座で平謝りだ。

 

「ってか何で俺!?何で俺が代表みたく叱られてんの!?

 

 先輩が帰った後、涙目で訴えるサンダユウ。しかしミストレの反応は冷たい。

「だってここ君の部屋じゃない」

「そうだけど!理不尽!!

「じゃ、代わりにバダップに謝れって?隊長だから謝れって?」

「いやすみませんそうは言ってませんミストレーネ様怖いですって分かってる

けど何か凄く切ねぇっ!!

 そうこうしている間に、餃子の最後の一個はドラッヘに食われていた。気付い

たブボーとゲボーがあー!とハモった叫びを上げる。

 

「先輩の言う通りだな、お前達はもう少し静かにするべきだ」

 

 やがて場を収束させるようにバダップが言う。

「これ以上騒いだら騒いだ者から順に部屋から放り出すぞ」

「え、ここ俺の部屋であってバダップの部屋じゃないんだけど俺も追い出されち

ゃうの?」

「サンダユウ…悪い事言わないからお前もう黙ってた方がいいわ」

 見かねてエスカバはストップをかける。頭どころか胃痛までしてきた。ツッコ

ミ気質に生まれた事を恨みたくなる。

 バダップの言葉もあり、さっきよりは比較的−−あくまで当社比的な意味だが

−−静かに食事が再開された。エスカバもさっきまでの教訓を生かし、せめて春

巻きとチャーハンだけでもと皿にキープしていく。

「因みに食べ終わって片付けたら課題の続きをやるぞ。終わらない限り眠れない

と思え」

「うへぇ…やめてくれ、せっかく美味い飯なんだからー」

 バダップの言に、げんなりした顔でイッカスが言う。ふとエスカバは気になっ

てバダップの手元を見た。仲間達の殆どが山盛りに料理をキープしているのに対

し、バダップ自身は少しばかりしかよそっていない。

 

「お前、ちゃんと食ってるか?早く取らねぇとなくなっちまうぞ」

 

 元々バダップはかなりの小食だ。だから痩せたままなんじゃないかといつも思

うが、どうやら少し食べるともう胃が受けつけなくなる質らしい。

 しかしそれにしたって今日は少なすぎやしないか。

 

「必要量は摂取している。問題はない」

 

 それに、とバダップは続ける。

 

「皆が食べているのを見ている方が、楽しい」

 

 楽しい、なんて。バダップの口からは滅多に出ない言葉に、エスカバはまじま

じと彼を見てしまう。

 その横顔は穏やかだった。まるで嵐が来る前の海のように。

 

 

 

 

 

 

 

 食事後のレポート退治は、思ったよりずっと早く終わった。自分達スリートッ

プが揃って皆に教えて回ったのもあるが。一番はやはり、バダップの力によると

ころが大きいと思う。

 悔しいが彼は天才型だ。それも、努力を怠らない天才。思い上がらず卑屈にも

なりすぎない理想的な天才だ。だから偶に出る天然発言を棚上げすれば、人に教

えるのも下手ではない。寧ろ、上手い。

 ミストレは事あるごとに湧き上がる己の劣等感と、全力で戦わなければならな

かった。かつてはバダップを恨んでいたが、今は自分を恨んでいる。いちいち醜

い感情を思い出す自分の弱さが恨めしくて仕方なかった。

 バダップはメンバーの性格も性質も、ゼロコンマレベルで把握している。その

上で出す指示はいつも的確で、抜かりが無かった。レポート課題に関してもそれ

は変わらない。

 

−−オレだって才能が無いわけじゃない。自惚れじゃくて客観的に見てもそう思

う。

 

 だけど、と。ミストレは小さく唇を噛み締める。

 

−−オレは…バダップほど努力出来ない。努力する天才には、どうやって勝てば

いいんだろうな…。

 

 散らばった紙やシャーペンの芯を片付けながら、思う。これ以上考えこんでは

いけないと分かっていた。考えれば考えるほどドツボにハマる、抜け出せなくな

る。それはけして良い事ではない。

 

「そういえば」

 

 ふと思い出したようにジニスキーが口を開く。

 

「久々に都庁前で花火大会やるらしいな今日。すっげえ久々だってクラスの奴が

騒いでた」

 

 花火。五十年くらい前までは頻繁に行われていたらしいと聞いた事がある。政

府の要人が巻き込まれる大きな事故が起きて、一時から殆ど実施されなくなった

のだ。だから稀に見れる花火を楽しみにする国民は多い。

 ミストレも、花火は嫌いじゃない。寧ろ好きだった。綺麗なものを嫌う理由がどこにあるだろう。

「都庁の花火ってもはや伝説レベルっしょ。ミッ●ー型とかもバンバン上がるら

しいし」

「うあ〜見に行きてぇなぁ」

「無理。俺ら謹慎中」

「そーでした。ちくしょ、タイミング悪ぃぜ」

 悔しげにサンダユウとダイッコが喋る。一人二人なら、バダップと同じ手で抜

け出せなくもないだろう。しかしこの大人数では少々厳しい。

 

「見れなくはないぞ」

 

 移動させた机を戻しながらバダップが言う。

 

「屋上だ。平日なら鍵もかかってないだろう。多少距離はあるが問題ない筈だ」

 

 なるほど、と一同は顔を見合わせる。休日祝日は鍵のかかっている屋上も、平

日の今日なら開いている。同じ事を考える生徒も多そうだが、高さは申し分ない。

王牙学園の建物は十階建てだ。

 

「八時開始だろ。天気大丈夫か」

 

 ザゴメルの言葉に、ブボーとゲボーが同時に窓に走る。そして、微妙だ、微妙

だな、と言い合っている。ミストレもさりげなく外を覗けば、空はどんよりと曇

っていた。

 朝見た、今日の天気予報を思い出す。一日を通して晴れ時々曇り。夜は所によ

り雨になるでしょう、だったような。降水確率、50%。

「文字通り、運を天に任す…だなぁ」

「いや、そこで上手い事言われても」

 ミストレの呟きを拾って、イッカスが苦笑いする。内容もそうだが、感情がそ

のまま声に現れていたせいだろう。せっかくの花火が中止になったらガッカリす

るのはミストレも同じだ。

 

「雨が降ったら無理だが」

 

 バダップが目を細め、外を眺める。

 

「もし降らなかったら…みんなで見に行くのも悪くないな」

 

 その声が少し、ほんの少し切なげで−−ミストレは胸が痛くなった。知らない

者と知った者。置いていく者と待つ者。果たして本当に不幸なのはどちらだった

のだろう。

 
 
 
 
NEXT
 

 

宴会、聖夜。