“一生に一度も逃げないで、強くなれた人間なんかいない。当たり前だよね。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 八:ビューティフル・ワールド
天気は良い方に転がってくれたようだ。少なくとも曇りだろうと予想していた 面々は、思わぬ快晴に顔を綻ばせている。ミストレも例外ではない。 世界を代表する先進国。その中でもさらに大都会と呼ばれるこの街は、眠らな い事で有名である。オフィスビルの殆どが深夜でも明かりがついたままで、歓楽 街に至っては人が絶える事がない。 常に明かりの消えない都会では、星を探すのも困難だった。田舎の天然プラネ タリウムには感激した。月も星も、ミストレの好む“美しいもの”の基準に充分 当てはまるもの。だから少々残念なのだ、この街で星があまり見えない事は。 だが今日は。よほど空気が澄んでいるのか、いつもよりハッキリと星空を拝む 事が出来た。滅多にない事−−ああ今日は、滅多にない事だらけだ。
「やっぱ混み混みだなぁ…」
八時ちょっと前。屋上は生徒でごった返していた。謹慎処分をくらってる生徒 などオーガを含め僅かなものだろうが、やはり手近な場所から見たいのが心理だ ろう。 男子生徒に女子生徒、さらには教員までもが集まってきている。これでは星は よく見えても肝心の花火は怪しい。 「ザゴメルー」 「ザゴメルってばー」 「あーはいはい、言うと思ったぜこのチビどもが」 ザゴメルが呆れ半分苦笑半分で、せがむブボーとゲボーを両肩に乗っけてやる。 好位置をキープした二人はまるで幼子のようにはしゃいだ。 「うわぁズリーの」 「諦めろ、子供の特権だ」 「いや、あれで俺らと年変わんねーから。子供っつーよりチビの特権だな」 悔しげながらも、喋るイッカスとドラッヘはどこか楽しげだ。まるで小さな子 供を見守るかのような微笑ましさを彼らも感じているのだろう。 優秀ながらも年よりずっと幼い双子は、殺伐としがちな小隊の癒しになってい た。
「人垣すげー。どうするよコレ」
意見を求めるようにこちらを見てくるエスカバに、ミストレはニヤリと笑って みせた。実はこっそり、秘策があったりするのである。
「任せてみ。…カリナ、サザン」
ミストレはちょいちょいっと近くにいた女の子に手招きした。彼女達はミスト レに呼ばれるやいなや、喜色満面で走り寄ってきた。 EクラスのカリナとBクラスのサザン。どちらもそれなりに優秀な士官候補生 だが−−中身はミーハーな民間人の女子と変わらない。イケメンとオシャレとハ ヤリが命。気がつくといつもミストレについて回っている−−追っかけ、あるい は親衛隊といったもののリーダー各だった。
「ミストレ様、あたくし達に何かご用意ですの?」
派手に着飾ったお嬢様のカリナに、ミストレは微笑んでみせる。彼女達が黄色 い声を上げ、大人達が天使だと誉め讃える笑みだ。自分の容姿レベルの高さもまた、 ミストレの計算内だった。 予想通り、カリナは真っ赤になって気を失いかけている。 「君達に頼みがあるんだけど、いいかな?」 「あ、あたし達に出来る事なら何でもっ!」 カリナを押しのけるようにして叫んだのは、学生らしからぬバッチリメイクの サザンだ。あまりに少女漫画のような“恋する乙女の必死”さを見せる彼女に、 毒吐きなミストレも失笑したくなる。 追っかけとストーカーは紙一重だ。対象が迷惑を被るんならどっちも変わらな い、というのがミストレの考えである。勝手に自分に憧れて騒ぎ立てつきまとう 彼女達が、ミストレは正直うざったくて仕方なかった。しかし、利用価値が無い かといえばけしてそんな事は無く。
「オーガのみんなで花火見たいんだけど。この人混みだからね、ちょっと困って たんだ」
最低男と言いたければ言え。これもれっきとした策略だ。ミストレは心中で開 き直る。
「何とか、見れるようにしてくれないかな。君達になら、出来るよね?」
トドメスマイル、炸裂。少女二人は頭から湯気が出そうなほど真っ赤になって、 はい!と裏返った声を上げた。そのまま回れ右をして。 「ミストレ様親衛隊の諸君、出番ですわよ!」 「ミストレ様とオーガの皆様が花火をご所望よ!!道を開けさせて頂戴!!」 彼女達が声を張り上げた途端、何人もの女子達が反応し、敬礼した。
「イエス、サー!!」
もはやこれは一小隊レベルの統率力・連携力だろうといつ見ても思う。カリナ とサザンの声に完璧に答えた少女達(中には明らかに大人とか男とかも混じって いるが見なかった事にしよう)は、力技で人垣をどかし始めた。 中には“道開けないとぶっ殺す”オーラを振り撒いている者達もいて−−一部 の生徒や教師が真っ青になって逃げていく。 騒ぎはほんの数分だった。
「さぁ、どうぞミストレ様っ!」
やがて屋上にはオーガメンバー分の特等席ががっぽり開き−−エスカバとサン ダユウが引きつった顔を見合わせた。 「なんつーか…親衛隊って怖え。女ってマジ怖え。寧ろ俺はお前が怖え」 「でしょ。だから敵に回さない事を全力で勧めるよ」 「……ああ」 凄絶に微笑んでやれば、エスカバはげっそりとした顔になる。ちょっと悪戯が 過ぎただろうか。これくらい軽く流せばいいのに、相変わらずの真面目っぷりだ。 ちなみに、オーガは小隊自体で人気が高い。こっそりファンクラブがあるのも 知っている。 また、表沙汰にはなっていないが、個人個人の親衛隊もある。ミストレの親衛 隊は過激ゆえ目立つが、目立たずとも彼らはひっそりと存在するのである。エス カバも例外ではないのだ。 因みに一番規模が大きいのは隊長のバダップである。リーダーが教師らしいと 専ら噂で、活動人数は四桁に上るとかなんとか。まったく恐ろしい話だ。 エスカバにも教えてやろうか、と少々意地悪な事を思う。彼はまさか自分にフ ァンクラブがあるなんて想像もしてないに違いない。ましてや男も結構混じって ます、なんて言ったらまず卒倒するだろう。 「いつの間にか場所が空いたな」 「バダップお前、今の見てなかったのか?それとも天然でスルーしてんのか?」 「エスカバ、バダップにそういうツッコミはするだけ無駄だから。そこの天然馬 鹿は脳内構造からしておかしいもの」 「これで花火が見れそうだ」 「そしてオレ達の言葉をまとめて無視、と」 「…よーく分かったよミストレ…」 いつの間にか漫才のような会話になっている自分とエスカバ。誰かさんが素晴 らしいボケをかましてくれるせいと、エスカバが見た目によらず生真面目にツッ コミに走るせいだ。いやまあ、これが平常と言えばそれまでだけども。 腕時計を確認する。このハイテクなご時世に、電波式じゃない旧い型の腕時計 をミストレは好んでいた。デザイン上の好みもあるし、わざと時間を進めておき たいのもある。今つけているこの青い時計も、五分ばかり進めてあった。 時計はそろそろ八時五分を指す。実際の時間はマイナス五分だから、もうそろ そろ始まる筈−−。
「あ!」
ブボーが目を輝かせて夜空を指差した。パァン!と一つ、景気良く上がった大 きな花火。それが始まりの合図。次々と赤、青、黄、緑、ピンク、紫−−色とり どりの華が夜空に咲いて、散っていく。
「あー…そうだ」
ミストレはある事を思い出して、残念な声を上げた。
「しまった。花火と言えば昔懐かし浴衣じゃん。前の花火の時、次こそ絶対浴衣 来てやるって思ったのに!」
前の時−−ずっと昔の事だ。まだ幼いミストレは両親に手を引かれて花火を見 に行った。絵になるからとおさがりの浴衣を着せられ、最初は嫌がっていたもの の−−誉められ続けるうち満更でもなくなった。 ああ、あの時からだっけ。自分がこんなにも顔に、美しさに固執するようにな ったのは。
−−美しいモノは、好き。大好きだ。
だけど、と。心の中で呟く。
−−今は、知ってる。本当の美しさは…見た目で決まるものじゃない。
力ではない。武器でも権力でも、ましてや暴力などではけして築き上げられぬ もの。 本当の意味での、強さ。心の強さを、絶望を前にして尚立ち向かう勇気を持つ 者こそが、真の美を誇る事が出来るのだ。 それこそが今のミストレの最終目標だった。完璧になってやる。ただでさえ容 姿に恵まれた自分が中身まで磨き上げられたら、もう非のうちどころが無いでは ないか。 その為にはもう何一つ驕るまい。思い上がるまい。努力だって怠るまい。
−−いつか君に…バダップに追いつく為に。追い越す為にね。
「浴衣か…」
そんなミストレの視線に気付いてか気付かずか、バダップが思いを馳せるよう に呟く。 「八十年前までは祭で頻繁に見られたらしいが。七十年前には相当減っていたと データにあったな」 「あの十年がこの国の最初の転機だったらしいからな。フィフスセクターの支配、 必殺技の戦闘特化研究…」 資料を思い出したのだろう、エスカバが苦い顔になる。
「多分、あの頃あたりからなんだろうな。サッカーが…勇気ってヤツを忘れて、 変わっちまったのは」
三回連続で、パタパタと火薬が鳴った。空に打ち上げられた華は、かのミッ● ーマウスの形になって開く。ザゴメルの肩の上で、双子が歓声を上げた。
「…確かに。俺達も、この国も…大事な事を見失って、変わってしまったんだろう」
よく通るバダップの声が、空間を静かに統べる。気付けば耳を傾けてしまう魔力。 それがミストレが唯一認めた存在だった。 「だが。変わってしまったなら…もう一度変えられる。何度だって変えられる。 俺達に、勇気さえあるのなら」 「…そうだね」 どんな値打ちがあるかも分からない世界だけど。ほんの一握り、護りたいモノ があるから誰もが此処にいる。必死でこの国の、皆の、自分の未来を考えている。 もう一回。もう一回。また駄目かもしれないと恐れながらも、明日に手を伸ばす。 素敵な明日を願っている。幸せになる為に。幸せにする為に。
「これからやる事はたくさんある。でもそれもまた…幸せな事だ。そうだろう? ミストレ、エスカバ」
夜空を飾る黄色の花火。まるで蒲公英のようだった。黄色は幸せの色だと、誰 かが言っていたのを思い出す。そしてバダップの言葉を噛み締める。 やる事はたくさんある。それはつまり自分達にならやれる事があるという事。 必要とされて、幸せでない筈がない。
「…永遠なんか、いらない。命も、若さも、幸せさえも」
だからミストレは口を開いた。彼らにどうしても伝えたかったのだ−−この感 情を。想いを。
「だってさ。捕まえられないくらい短くて、儚いからこそ美しいんじゃないか。 花火も…人生も」
やるべき事は多いけれど。限られた時間で成し遂げるからこそ意味があるのだ。
「そうだ、ミストレ」
後になってミストレは思うのである。花火の彩る夜空の下。本当に“美しかっ た”バダップを、彼の言葉を。自分は一生忘れる事は無いのだろう、と。
「大事なのは長く生きる事じゃない。短い人生で、どれだけ多くの証を遺せるか だ」
バダップは微笑んでいた。 自分達は、笑っていた。
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美しき、この世界。