“何度も転んで、もう一回、もう一回、次こそはって手を伸ばして。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 九:ファイナル・ヘブン
バダップは考える。一台の電話を前にして。 何が正しいのかなんて今でも分からない事だった。今まで、当たり前のように 信じてきたモノが間違っていたかもなんて−−思ってもみなかったから。 だから今、考えている。時間が許す限り、そして生きている限り。少しでも人 生に悔いを残さない為に、自分についてきてくれた仲間達に報いる為に。
−−結論は、出ない。
バダップは心の中で呟く。
−−だがこれは…誰に指図されたわけでもなく、俺の意志で決めた事だ。
オペレーション・サンダーブレイクを妨害し。過去にカノンを送ったのがキラ ード博士である事はもはや間違いない。しかしバダップはそれを、上の誰にも報 告しなかった。無論ヒビキにもバウゼンにもだ。 正解など誰にも分からない。もしかしたら誰もが正しくて、同時に間違ってい るかもしれない。でも。 もし−−もしも。本当に未来の為になるのがどちらかと言われたならば−−き っとキラードのした事は、正しかったのだろう。 ならば。 その力を、潰す必要はない。寧ろ潰してはならない。いつかこの国を背負って 立つのが自分ではないとしても。
「バダップ君」
電話−−という名にしては巨大な機械の横。忙しなくキーボードを叩いていた 指を止めて、キラードが顔を上げる。 「お待たせしました。セッティング、完了です」 「恩に着る」 「いいえ。お気になさらず」 バダップは今、再びキラード博士の研究所にいる。よもや自分が二度までも学 園を脱走する事になろうとは思ってもみなかった事だ。 本当の事を。本当の彼らを知りたくて、キラードとカノンに会いに来た。そ れはもしかしたら−−もしかしたら残りの人生が僅かばかりかもしれない自分が、 気持ちに整理をつける意味もあったかもしれない。 そして、決断を。 未来を繋ぐ為の−−護る為の。
「繋げる時間はそう長くありません」
キラードはモニターを覗いて告げる。
「長くて十分。短ければ三分。急に通話が切れる可能性もありますので、ご容赦 下さいね」
今日バダップが此処に来た理由。それは、電話を借りる為であった。勿論、普 通の電話ではない。時間を越えて繋ぐ事の出来る、いわば開発者のキラード博士 の専売特許的代物であった。 未来の人間を直接過去に飛ばすのではなく、声だけを過去の電話線に繋ぐ。タ イムワープに比べれば干渉度は低く、第三者に気付かれにくいのが強みだそうだ。 ましてや、話が出来るのが精々十分程度であれば。
−−最期になるかもしれない。もう二度と逢う事もあるまい。…だったら。
せめて今の自分の素直な考えを、彼に伝えておきたいと思ったのだ。そう、自 分が出逢った円堂守−−今やこの世界に繋がらぬ、パラレルワールドの世界の住 人となってしまった彼に。 既にあの円堂は、自分達の過去の人ではない。しかしキラード博士ならば、円 堂カノンを飛ばしたあの日の記録を照合し、波形を辿る事で、あの円堂とコンタ クトを取る事が可能なのである。まったく恐れ入った技術だ。
−−謝る事は出来ない。例えまた出逢えたとしても、それはきっとない。
あの日のバダップが信じていたもの。確かに正義だと考えていたこと。結果と してそれが過ちだったとしても、そう信じて戦った己を否定する事は出来ない。 何故ならそれは己を信じてくれた仲間達をも否定する事になるからだ。 だから、謝罪は出来ない。それはただ身勝手なだけ。自分が楽になりたいだけ の行為だ。少なからず罪の意識を感じるならば、そこからの解放など望んではな らない。
−−でも。礼を言う事は…出来る。
あの日引き裂かれた時間。言えなかった事を、今度こそ言えるように。 もう二度と、後悔しない為に。
「接続、開始します」
キラードの声と共に、機械が音を立てて動き出した。設定された周波数、ナン バリングされた一つの世界に向けて、発信される電波。バダップにとってはつい 一昨日の事でも、彼らは今や時間を越えてさえも巡り会えない存在だ。その壁を今、 電波がどこまでも越えていく。 不意に気配を感じて振り向く。昨日整理したばかりの、まだ綺麗な研究室。その、 廊下に続く茶色のドアの向こう。 多分、カノンだろう。現役軍人の自分を相手に盗み聞きがバレないとでも思っ たのか。息を殺し、どぎまぎしながらこちらを窺っているのが手に取るように分 かる。いっそ微笑ましいほどに。 だが、バダップは特に声をかける事も、彼を追い出す事もしなかった。分かっ ていたからだ。彼がそんな真似をしているのも、全ては自分を心配してゆえがと いう事を。 受話器の向こうの音が変わった。ぐわん、と一瞬大きく耳なりがしたかと思うと、 昔懐かしい呼び出しのコール音が響き始める。 目を閉じて、バダップは相手が出るのを待った。少しだけ、ほんの少しだけ、 柄にもなく緊張している自分がいる。
『…もしもし?』
相手が出た。繋いだ時間軸はフットボールフロンティアの翌日、その午後十時。 この時間ならば、家人は円堂本人と母親だけであり、母親は家事で忙しいので本 人が出る確率が極めて高い。 また、フットボールフロンティア決勝から数日間は、円堂の周囲も平穏だ。 円堂守を語る上で欠かせない大きな出来事。その一つがエイリア学園の連続中 学校破壊事件、後に語られる吉良事変である。この事件が起こるタイミングが不 確定であり、ある平行世界では決勝当日に発生するというデータもあるが−−少 なくともバダップの世界においては、五日ほどの間があった筈である。 余裕を持って話をするなら、これ以上無いタイミングだ。
「……円堂守、か?」
念の為確認を取る。相手が一瞬、息を呑む気配があった。自分と円堂が出逢っ たのはたった一度。直接会話を交わしたのは試合中と試合後に数えるばかり。 名乗らなければ、きっと向こうは分からないだろうと思っていた。だけど。
『……………バダップ?』
長い間の後。疑問符つきとはいえ、相手−−円堂が自分の名を呼んだ。
『え、ええ!?バダップだよな!?一体どうやって電話…えー!?』
その明らかな驚きぶりに、分かりやすい反応につい苦笑してしまう。まったく 彼らしい、しかし当たり前の反応だ。
「詳しくは割愛するが。円堂カノンが使用したシステムを借りて通話している。 こちらには時間を越えて会話が可能がな電話も発明されているんだ。お前達の時 代には無かっただろうがな」
喋ってから、少々言葉を選び間違えたかなと思った。雷門中は極めて偏差値の 高い私立校だが、円堂守自身の成績は超低空飛行だったとあった筈だ。難しい単 語は通じないのではないか。 しかしそれは杞憂だったらしい。話は通じたようで、未来って凄ぇのなー!と 感心して返される。
「今日は…礼を言いたくて、電話した」
本当は直接言いたかったけれど。 それはきっともう、無理だから。
「もう二度と逢う事も無いだろう。だから…せめて」
せめて。伝えておきたい事だけでも。
『もう二度と逢えないって…どうしてだよ?また時間飛んでこればいいじゃんか』
円堂が困惑して言う。まったく簡単に言ってくれる。未来人がタイムワープす る事により起きるバタフライ効果、その危険性をまったく分かっていないのか。 あるいはそもそも知らないのか。 まあ円堂に関わってしまえば、全ての効果が打ち消されてしまうのだけど。 「時間を越えれば、僅かでも必ず歴史が変わる。本来ならばそれたタブーだ。我 々のミッションは特例中の特例、実際政府の認可が降りた行為でもない」 『そうなのか…』 「それに」 言うべきか言わざるべきか。少しだけ悩んで、バダップは続ける。
「我々は…ミッションに失敗した罰で、現在謹慎処分中だ。チームは近く営倉入 りが決まっている。この電話も学園を抜け出して秘密裏にかけているんだ」
嘘は吐いていない、と思う。ただ“営倉入り”が自分以外のオーガメンバーだ というだけ。 『ミッション失敗って…試合に負けただけじゃないか』 「それが我々の軍の方針。第一、軍規違反を犯した者が罰されるのは当然だろう」 口にしてから、本当は少し違うけれど、と心の中で訂正を入れる。ミッション 失敗は軍規違反とは違う。ただ一つ、暗黙の了解に反した事は間違いないのだ。 つまり。提督が厭うサッカーを−−楽しむなかれ。円堂守の悪しき呪文に掛か るなかれ。軍の方針を疑うなかれ。 これらも正確に文面で規定されている事ではない。だがもはやヒビキ派からす れば書くまでもない常識であり絶対的命題であった筈。自分達はその全てを破っ てしまった。そういう意味では、罰を受けてもおかしくはない。 実際円堂に出会って実感した。彼の言葉には力がある。魔法と呼んでも差し支 えない。彼の祖父が“希望の魔術師”と裏で呼ばれていたように、孫の彼も紛れ もない“浄罪の魔術師”であった。自分達もまたその魔法に囚われてしまったの かもしれない。 でも今。それでも構わないと思っている。彼は代わりに、別の魔法から自分達 を解放してくれたのだから。
「円堂。あの時俺は、任務という使命感だけでサッカーだけでしていた。サッカ ーとは、敵の戦意を殺ぎ潰す為の、スポーツの形をとった戦闘だと」
サッカーは楽しいものだと言う円堂。しかしバダップはサッカーが楽しいだな んて思った事は一度も無かった。ただ淡々と敵の心を殺せばいい、戦闘不能に追 い込めばいい。それが自分に課せられた役目だと、そう思っていた。 それなのに。 あの試合で−−気付けば熱中していた。任務ではなく、円堂の心を折ろうと意 地になった。己は間違っているかもしれない、そんな予感に抵抗する自分がいた。
「あの試合も、楽しいものではなかった。でも…お前達と戦って、思った。いつか」
自分はとても不幸だったかもしれないなんて。気付いた時は衝撃的で、恐怖で。 しかし。己の世界にかかっていた黒い霧が晴れたのを、確かに感じたのだ。
「いつかお前達と、楽しいサッカーがしたい、と」
それはけして、叶わない願いだけど。
『…じゃあ、すればいいじゃないか』
円堂は言った。事情を理解して尚あっさりと。
『お前も色々大変みたいだけどさ。願い続ければ可能性はゼロじゃないだろ』
だから、と彼は続ける。
『サッカー、やろうぜ!どんな世界だって、最後に勝つのは諦めない奴なんだか らさ!!』
そうだな、とバダップは思う。諦めない事が力になる。可能性を引き寄せる。 彼らは身を以て証明してみせた。
「ありがとう…円堂守」
勇気があれば未来さえ変えられる。絶望さえ打ち砕ける。円堂はそう教えてく れたから。 自分も諦めまい。生きる事を、未来を。
「また、サッカーをしよう」
円堂が笑ったのが電話ごしでも分かった。だから。
『ああ!約束だ!!』
バダップも、笑った。
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最期、天国。