“傷だらけになった先で掴んだ未来にこそ、きっと価値はあるんだろう。” ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 十:アヴェ・マリア最初から立ち聞きするつもりだった訳じゃないんだ、と。カノンは自分自 身に対し、必死で言い訳する。そんな事をしても誰が聞くわけでもないし、 意味があるとも思えないのに。いつものようにキラード博士の研究所に遊びにきて。最近聞いたばかりの 声が研究室から漏れてきたので−−つい、ドアの隙間を開けて覗き込んでし まったのだ。時間を超えられる電話がある。それもキラード博士しか持っていない貴重 なもの。それは知っていたが、カノンは使おうと思った事はないし、そもそ もキラードに使用禁止だと言われていた。だから電話をバダップが使い、キ ラードが許可を出した事に純粋に驚いた。過去で、バダップが話すような人物といえば、一人くらいしか思い当たら ない。そう思ったら余計下世話な興味が湧いてきて、歯止めがきかなくなっ た。「今日は…礼を言いたくて、電話した」会話の全てが聞こえた訳ではないし、きっとバダップもカノンの立ち聞き に気付いていただろう。「もう二度と逢う事も無いだろう。だから…せめて」だが、聞くべきでは無かったのかもしれない。カノンは後悔して、しかし 足は凍りついたように動かなかった。『もしかしたらまた…俺の大事な誰かに、危機が迫る時があるかもしれな い。もしかしたらそれはお前の大事な誰かでもあるかもしれない。…お前が 俺を友達だと思ってるなら、頼みを聴いてくれるか』思い出したのは、昨日のバダップの言葉。ミッションに失敗したオーガは 大丈夫なのかとカノンは尋ねた。しかし彼はその問いには答えてくれなかっ た。『いつか、その時が来たら』彼もまた自分を友達だと認めてくれたのかもしれない。そうだとしたら嬉 しい。嬉しいけれど。『助けてくれるか。例えそれが、この世界のお前の曾祖父でなくとも。お前 のかつての敵だとしても』いつかって、その時って?あの時点でそう訊きたかった。彼がこの先にど んな未来を予見しているのか、何を描いているのかが全く見えない。なのに そんな頼まれ事など−−一体どうしろというのだ。 不安が明確な形になってカノンにのしかかる。ミッションに失敗した事で彼は、彼らは何かの罰を受けたのだろうか?あ るいはこれから受けるのだろうか?それは誰にも話したくない−−あるい は話してはならないものだとでも?こんな時思い知らされる。自分が凡人で、軍人でも何でもない一般人に過 ぎない事を。それは幸せな事だと分かっている。だけどもう少しだけでも彼らに近い場 所にいたら、せめてその身に起きている事を想像するくらいは出来ただろう に。「バダップ君、時間です。接続を終了します」 キラードの声に我に返った。どうやら電話が終わったらしい。「短い時間でしたが…話したい事は話せましたか?」「ああ」「なら良かったです。いろいろやった甲斐ありましたよ」二人の声はどちらも穏やかなものだった。不意にカノンは思う。キラード は一体何処まで知っているのだろうか、と。カノンには使うなと言った電話 まで貸して、自分達が出逢った“円堂守”の平行世界をわざわざ探し当てて。自分には知らない事も、博士は知っているのかもしれない。あるいは悟っ ているのだろうか。バダップがどんな覚悟を決めてそこにいるのかを。「時に……そこに隠れている円堂カノン。いつまでそこに突っ立っている気 なんだ?」急に名前を呼ばれ、思わずぎくりとする。バレているのは百も承知だった が、なんとなく出ていくタイミングを逃していたのも確かだった。「ご、ごめんバダップ。なんか出て行き辛くてさ。…ところで」もういい、どうせ立ち聞きが知られているなら開き直って訊いてしまえ。 そう決めたらカノンは早かった。「さっきの電話の相手って、ひいじいちゃんだよね?どうして電話したの?」「どうして、とは?」「あー…」 しまった、この尋ね方はよろしく無かったか。この短期間でバダップのボケっぷりと対処方を把握し始めているカノン である。「どうしてひいじいちゃんに電話したくなったの?それに営倉入りって本 当?」バダップは沈黙する。彼のこの間は、言うか言うまいかより言葉を選んで の間だろう。なまじ頭が良いから、何につけても最良の選択ばかり考えてし まう。そのくせ他人からすれば適切とは言い難いものであったりする。これ も昨日今日で分かった事だ。まだまだ距離は遠いけれど。本当はまだまだ友達と呼べる間柄ではないだ ろうと第三者が見れば言うかもしれないけれど。カノンは思うのである。バダップは自分の友達だ。サッカーをやって彼と も友達になれたのだ。自分がそう思うのだから友達に決まってる。誰にも文 句は言わせない。 だから。その友達を心配して何が悪いのか。それはきっと当たり前の事だ。「…そうだな」 じっ、とカノンの眼を見据えて、バダップは口を開く。「悔いを残したくなかったのかもしれない。万が一、なんて。今まで考えた 事も無かったが」 万が一?と。つい鸚鵡返しに訊いたカノンに、バダップは肯く。「最期になるかもしれないから。だから…約束が欲しかったのかもしれな い。そうすれば、帰って来れる気がして」 最期。最期って−−何?その不吉な言葉に凍りつくカノン。するとそれを見越してか、バダップが 小さく笑みを浮かべて近くのソファーを指さした。座ったらどうだ、の意だ ろう。お言葉に甘える事にする。正直、奇妙な畏れが全身を巡って、今にも膝から力が抜けてしまいそうだ ったから。「…オーガは罰を受けて…営倉に入るんだよな?」営倉−−というのが軍隊の牢屋みたいなものらしい、という話は聞いた事 がある。「それが何で…これから死ぬみたいな話になるんだ?」これは己の直感に近い推測。バダップは嘘を吐いていないのかもしれな い。だが、何もかも語っているかと思えば違う気がする。元々言葉の少ない、足りないが目立つ彼だけど。円堂に語る際は、意図的 に言葉を減らしたように見えたのだ。根拠は無かった。しかし今、バダップ が言った一言で不安は色濃いものとなった。最期、なんて。それではまるで−−これから生還の望みの無い戦場に赴く ようではないか。「……やはり、似ているな」「え?」 沈黙の後、バダップは小さく息を吐いて言った。「似ている、というより…同じだ。お前と、円堂守は。お前達の前では、何 かを偽れる自信がない」どんな嘘を吐いても見破られてしまう、というより。嘘を吐く事そのもの が罪深いように思えてしまう。バダップはそう続ける。曾祖父と、同じ。その言葉はカノンにとって静かな驚きだった。確かに八 十年前の曾祖父を見れば、いかに顔立ちがそっくりはは見て取れるだろう。 だが、バダップがそういう意味で語っていないのはカノンにも分かる。形にはならない、何か。ある者はそれを信念と呼び、ある者は魂と呼ぶの だろう。きっとバダップにもうまく説明出来ないものなのだ。驚きにかき消されつつ、確かな歓喜が胸の奥に満ちる。円堂守の強さは、 カノンには遥か雲の上のものだった。伝説に等しいかの人と自分では、比較 する事もおこがましいと思っていたのに。自分はかの人に少しでも近付けているのか。少なくともバダップがかの人 と自分に同じものを感じてくれる程度には。だとしたら−−嬉しくない筈 が、ない。「俺は、嘘は吐いていない。オーガ小隊は一定期間営倉入りになる。これは 本当だ。ただし…」「ただし?」「その期間やその後の処遇は…俺の働き次第になると言っていい」どういう意味だろう。カノンは無意識にキラードを見て−−彼がサングラ スごしでも分かるほど、苦々しい表情を浮かべている事に気付く。 彼は、悟ったのか。バダップの言う処罰の意味が、彼の言葉が。「明後日から、俺は僻地に発つ。単独のミッションだ。詳しい内容は機密ゆ え語れないが……安全な仕事とは、言い難いな」多分、言葉を選びに選んでそう言ったのだろう。選び間違えればカノンに どれだけ負い目を背負わせるか、心配をかけるか分かっていたから。だが。もしそうならその試みは失敗している、とカノンは思う。理解して しまったから。安全ではない−−なんて、そんな次元の話ではないのだ。き っと命に関わるような、危険極まりないミッション。少なくともバダップが “最期”かもしれないと思うくらいには。「俺、が…」 やっと絞り出した声は、掠れきっていて。「俺が、君達の作戦を邪魔したから…?だから、そんな目に遭わなくちゃい けなくなったの…?」 情けないなぁと、心の中でもう一人の自分が嗤った。何故一番最初の段階で予想出来なかったのか。仮に分かっていたところで 自分は同じ道を選んだのだろうけど。それでも−−腹を括る事は出来た筈だ。自分のした結果に責任を持つ覚悟 くらい、決められた筈なのに。薄々勘づいた後も、目を逸らしていた。きっと大丈夫だろうと信じるフリ して、考えないようにしていた。逃げていたのだ。間接的にとはいえ自分が−−誰かの未来を壊したかもしれない。そう考え るだけで怖くて、恐ろしくて。なんて酷い人間だろう。「…結果としてはそうだが……カノン」 バダップは事実を否定しなかった。その上で。「お前のやった事は、間違っていない。寧ろ誇るべき事だ。何故なら」 カノンの行いを、肯定した。「お前のやった事で、救われた者が確かにいる。少なくともあの世界の円堂 守は救われた。そして…俺達も」カノンは無意識に俯いていた顔を、上げる。目があった先。バダップはと ても優しい顔をしていた。一見すればいつもと変わらぬ無表情なのだけど− −全体に纏う雰囲気が、柔らかいものになっていた。ああ、そうか、と思う。彼も何かを吹っ切って、乗り越えて此処にいるの かと。「この世界に絶対的な正義も悪も無い。誰かが正しいと思う事が、別の誰か にとっては悪かもしれない。それがぶつかり合う事で人は争い、傷つけあう」「…うん」「けれどそれもまた、意味ある事だと思う。いつか分かり合い、より良い未 来を築いていく為ならば」己が正しいと信じてやった事で、涙を流した人がいたかもしれない。自分 達はそれを覚悟して生きていくべきなのだろう。「サッカーと…一緒だなぁ」「そういう事だ」 試合が終わればみんな仲間だ。そして勝者は敗者の傷を背負って上にいく。 同じだと、カノンは思った。「あー…なんかサッカーしたくなっちゃった!」ソファーにひっくり返って足をばたばた。やっぱり自分はサッカー中毒で サッカー馬鹿だ。子供だな、とバダップに苦笑される。「何なら皆を誘ってもいいが」「マジ!?」 終わりの見えた世界。それでも輝いていた一瞬があった。 自分達は確かに繋がっていたのだ。 サッカーという名の、絆で。NEXT |
嗚呼、我が聖母。