“昔聞いた言葉がある。世界で一番貴いのは、負けない強さじゃないと。”
ブレイブ・ハート
〜戦士よ、誇り高くあれ〜
十一:ワールズ・エンド
出撃命令が出てから、三日。あっという間の三日間だった。それはバダッ
プが必死で僅かな時間にやりたい事全てを詰め込んだのが大きいだろう。
最期にしたくない、でも最期になるかもしれないから。目に映る全てに別れ
を告げてきた−−悔いを残す事の無いように。
仲間達には結局殆ど何も告げていない。汚名返上の為の極秘ミッションだ
と言っただけだ。嘘ではない。しかし例え極秘任務で無かったとしても、自
分は語らなかっただろうなと思う。
反政府テロ組織・レッドマリア。構成人数およそ千人。本拠地にいない、
世界各地に散らばっているであろうサブメンバーを含めれば、さらに数百人
上乗せされると予想されている。
バダップの任務はこの本拠地を壊滅させ、機密を盗むか、無理でも廃棄し
てくる事。つまり、たった一人で少なくとも千人以上を戰滅しなければなら
ないのである。
命の保証などある筈もなく、生きて帰れたところで五体満足で戻れるとは
到底思えない。捕まったら死ぬより惨い拷問にかけられ、延々となぶられ続
けるかもしれない。
成功確率は客観的に見て5パーセント。それでもバダップは任務を受ける
と決めた−−仲間達を、オーガを護る為に。
−−今頃あいつらは営倉か…。
レッドマリアの本拠地近く。施設を一望できる丘の上に身を潜めながら、
バダップは思いを馳せる。
−−営倉から見る空も、きっと同じ色なんだろう。
見上げた空は青く、澄み渡っている。この色を、忘れないよう目に焼き付
けておこうと思った。全てが終わった時、この瞳はもう光を映していないか
もしれないから。
事前の情報に基づき、予め作戦は決めてある。レッドマリアのボス、アル
フレッド=シュタール。鍛え上げられた剛腕と、米軍時代に築いた人脈・情
報網を使ってのし上がった元・陸軍小佐。粗暴な見た目と裏腹に切れ者で仲
間内の信頼も厚いという。
だがこの男にも弱点はある。一つは自信過剰になりやすく、一度見下した
相手に油断しがちな傾向にある事。もう一つは−−子供に対する歪んだ趣
向。男女問わず子供をいたぶり、慰みものにするのが好きだというサディス
トらしい。
いくらバダップといえど、武装した千人余りに真正面から挑んでいっても
勝ち目は薄い。ならばアルフレッドが持つこれらの弱点をうまく利用して、
一網打尽にする他ない。
−−この身体が壊れても…心が砕けても。俺は、諦めない。
トン、と。胸に手を当てて、バダップは一人誓いを立てた。
−−戦う勇気があれば。未来だって、変えていける。
諦めない。絶対に諦めるものか。円堂守なら、円堂カノンならきっとそう
言うから。
−−絶望を、打ち破る。
バダップはすっと立ち上がり、兵器用として開発されたサッカーボールを
取り出した。そして大きく足を振り上げ−−。
「デス・スピアー!!」
思い切り渾身の一撃を叩き込んだ。眼下にあるレッドマリアの本拠地に向
けて。
“「幸せになる方法が分からない」
そう言って君は悲しく微笑んだ
「死にたくないけど生きるのが辛い」
そう言って彼は瞳を閉じた”
「何だ、その歌?」
営倉の壁ごしに聞こえた歌声。すぐにミストレだと分かり、エスカバは声
をかけた。
コンクリートの無機質な牢。いくら軽営倉とはいえ、些かこの場所は問題
がありすぎだと思う。私物も一部を除き持ち込み可、ボロボロとはいえ風呂
もトイレもベッドも一部屋に一つずつあり、テレビも一部ながら映る。おま
けに壁が薄くて隣の話が筒抜けだ。これで罰になっているのだろうか。
「やっぱり丸聞こえみたいだね、此処」
同じ事をミストレも思ったのだろう、ため息混じりに返される。
「まぁ…これもバダップが戻って来るまでの仮の処置だからなんだろうけど」
「だな。…戻って来なかったら、どうなるんだろうな」
「それは言っちゃ駄目だよ、エスカバ」
「……悪ィ」
バダップが生きて帰ってくる保証は何処にもない。自分達は詳細を何も知
らないけれど、任務を成功させる確率だってきっと高くない。
それでも、今自分達に出来る事は信じて待つ、それだけなのだ。彼が生還
する事を、少しでも傷が浅く済んでいる事を。同時にそうでなかった場合の
覚悟も、決めておかなくてはならないけれど。
「さっきの歌ね。…バダップに教わったんだ」
ミストレが身じろぐ気配。顔は見えないが、今彼がどんな眼をしているか
想像できる気がした。
「悲しい曲調に聞こえるけど。本当は…絶望に立ち向かっていく歌なんだっ
て。どんな残酷な世界でも、カミサマなんかいないって分かっていても…生
きて戦うと決めた時、歌うんだって」
悲しくて、怖くて、不安で。それでもミストレは今、気丈に未来を見つめ
ているのだろう。バダップがそうだったように。
「…そうか」
エスカバは考える。冷たい床の上に座り込んで、鉄格子の狭い窓から青空
を見上げて。
自分は結局知りたい事を知れなかったけれど。結局バダップの運命も自分
の運命も変える事が出来なかったけれど。
これも試練だというなら−−考えたい。今此処に在る意味と、乗り越える
方法を。
ミストレがまた歌い出すのが聞こえて、エスカバは一人眼を閉じた。ボー
イソプラノの綺麗な歌声が、石の天井に染みていった。
“世界はとても残酷なのでしょう
積み重ねては 崩れていく
おやすみ どうか優しい夢を
現をまた歩き出せるように
おはよう 目を醒ました時には
きっと明日が来ている事を 祈って”
オーガのメンバーには、それぞれ得意な武器や戦術がある。サッカーでも
戦場でもそれは同じ。
例えばエスカバはアーミーナイフや仕込み刃などでの接近戦を得意とす
る。同じく接近特化なのがミストレだったが、彼は華奢な見た目と裏腹にナ
ックルを装備しての肉弾戦を好んでいた。
そしてバダップはといえば。得意なのは銃。他の武器が使えないわけでは
ないが、殊に銃関係のエキスパートと言っていい。自分で語るのも何だが、
ポケットピストルからライフルに至るまで何でもござれである。近距離〜遠
距離まで幅広く戦える己の特性を、バダップは充分に理解していた。
「敵襲だ!」
「地獄の射手(ヘル・ガンナー)…バダップ=スリードか!」
「殺せ!!」
テロリスト達が喚く。その端から、次々頭から血飛沫を上げて倒れていく。
バダップの操る銃の名はヘル・ブレイズX型。銃の中でも小型だが一度に十
二発も装弾でき、小回りがきき跳弾も狙いやすい優れものだ。国産のこの銃
は、バダップが幼少時から愛用しているものの一つだった。
次々湧いてくる、こいつらは下っ端。しかしいかんせん数が多い。よって
一人に一発使っていては勿体無い。
目の前の男の心臓を撃ち抜いた弾は貫通して、向こう側の男の頭蓋を砕い
た。さらに反対の手で撃った弾は狭い通路を跳ね回り、数人の男達の頸動脈
を抉り裂いた。
反政府の者達はバダップをこう呼ぶ。地獄の射手、ヘル・ガンナー。国の
英雄にして具現化した恐怖。幼き大量殺戮者だと。
畏れる者達の血で真っ赤に染まった廊下を、バダップは悠然と歩く。銃に
次の弾を込めながら、無意識にあの歌を口ずさみながら。
“神様なんていない
だって私達は平等なんかじゃない
悩みながら 迷いながら 誰もが
それでも生きようとするんだろう”
「最近考え事が多いですね、カノン君は」
研究所の窓辺。ぼんやりとソファーに座り、外を見ていたら博士そう声を
かけられた。カノンは苦笑して肩を竦める。物思いに耽る時間の長さ。自覚
が無かった訳ではない。
「バダップ君達の事ですか?」
「んー…それもあるけど」
差し出されたマグカップを受け取り、カノンは答える。
「もうちょっと、哲学的な事…かな」
一昨日、バダップと話してからずっと考えているのである。正しい事とは、
間違っている事とは一体何なんだろうと。
「人の善悪の基準なんて、人の数ほどあるのに。そんな事にもずっと気付か
なかったんですよね…俺」
小さな頃大好きだった戦隊ヒーロー。もしくは近所の女の子が好きだった
美少女戦士。テレビの中で彼ら彼女らは当たり前のように自らを正義と自称
していて、自分達も当たり前のように受け入れていた。彼らの正義は万人の
正義であり、彼らと敵対した悪は万人にとっての悪だと思い込んでいたの
だ。
つまり。悪い事をしている奴らは、自分達が悪だと自覚した上で行ってい
るに違いない。だから倒されて然るべきなのだ−−と。
だけど。実際の世界はそんな単純で甘いものではない。
戦争はどちらも自らこそ正義であり相手が悪だと主張する。もし善悪の概
念が本当に画一的ならば、既にそこに矛盾が発生してしまう。何故そんな事
が起きるか?当然だ、絶対的な正義なんてものは幻で、実際その概念は人の
数に等しく存在するのだから。
自分にとって正しい事が、誰かにとっては間違いかもしれない。カノンが
間違っていると信じているオーガの黒幕達も、きっと自らこそ正しいと信じ
ていただろうし、邪魔をしたカノンこそ悪だと考えた事だろう。
必要なのは。そういった考えの違いを認めて、受け入れた上で、互いの為
になる最良の道を探す事ではないか。自らが正義だなんて驕らず、相手を悪
だなどと決めつけて最初から排除しようとせずに。
無論それは綺麗事で理想論だ。通じない場面は山ほどあるし、奪い奪われ
てを繰り返す戦場においては語りようのない理屈と分かっている。
だが。それでも自分は。
「俺が正しいと信じてやった事で、バダップ達が傷つく事になった。これも
一つの現実で…俺はその結果にちゃんと責任を持たなくちゃいけないんだ
なって」
後悔ばかりでは前に進めない。しかし後悔があってこそ人は大きくなって
いける。進化していける。円堂守がそうであったように。
「…難しく考えすぎてもいけないと思いますよ、カノン君」
穏やかに、諭すようにキラードは言い、カノンの隣に腰掛けた。
「私達は誰かからは悪だと糾弾されるでしょう。憎まれるでしょう。確かに
その事実を否定してはなりませんが…自分が過去正しいと信じた気持ちま
でもを否定してもいけません。そこで揺らいだら、彼らが何の為に傷を受け
たか、分からなくなってしまいますから」
「……うん」
空が青い。今頃バダップは戦場で、オーガの他メンバー達は営倉だろう。
どんな場所からでも、見える空の色は同じだろうか。
願わくば自分達皆の願いが、叶いますように。悲しいばかりの未来であり
ませぬように。カノンは祈るように手を握りしめた。
“おやすみ どうか優しい夢を
おはよう 目を覚ました時には
きっと夜明けが輝いてる事を祈って
おやすみ 流れ星に願おう
今度はこの手を離さないから
おはよう 悪い夢は終わるよ
きっと僕等の幸せな明日が 来るから”
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