“数多の試練を乗り越えたと思った先、待っていたのがあまりに悲劇的な 結末でも。” ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 十三:レッド・カード暗雲は、時間を追うごとに大きくなっていく。バダップと電話をした翌日。 部活の為にグラウンドに出ようと、自らの下駄箱を開けて−−円堂はため息 をついた。「悪趣味すぎるだろ…マジで」下駄箱の中が、刃物でズタズタにされていた。買ったばかりのホワイトシ ューズの無惨な有り様に、もはや頭痛すら起きない。妙な事が始まったのは昨日からだった。昨日家に帰ると、郵便受けの中身 が全て破かれていた。幸い重要な書類などは入っていなかったが、夕刊や友 達からの手紙までビリビリにされてしまっていたのには怒りを感じた。その後はツイてないことのオンパレードである。翌朝の通学路では、頭上 からペットボトルが落ちてきて危うく当たるところだったし、下駄箱には血 のついた花がいっぱいに入れられていた。授業中は何も起こらなかったが、休み時間に外に出れば、校舎裏で木材が 倒れかかってきて潰されかけ、九死に一生。そして今がこの現状である。−−やっぱり俺…誰かに怨まれてんのか?嫌がらせの中身よりも、その事実の方が円堂はショックだった。今まで自 分は自分なりに正しいと信じたことをしてきたつもりだし、そもそもそこま での憎悪を買うほど大きな事にも関わっていない。確かに影山の一件がある にはあるが−−もはや終わった事だと油断していた自分が確かにいる。「!?円堂、それは…」 「あ、鬼道」そこに、鬼道が通りかかった。彼は日直なので遅れていたのである。円堂 の手にしているシューズの有様に、目を見開いているのがゴーグルごしでも 分かった。「悪いんだけどさ、鬼道。予備の靴あったら貸してくんないかな。これじゃ 帰れないし」「それは構わないが…」鬼道は迷わずバッグの中からもう一足を出してくれた。万が一の為必ず予 備を持ち歩くあたり、彼の几帳面さが伺える。あるいはこういった事は経験済みなのかもしれない。帝国の元主将であ る、彼は。「いくらなんでも悪質だし、何故お前なんだ?俺も他のメンバーは何ともな いのに」鬼道には、今朝までに起きた事も全て話してあった。ゆえにこの発言だ。 無論シューズを切り刻まれた時点で嫌がらせの域は超えているが、ペットボ トルを落としたり木材を倒すだなんて一歩間違えば大怪我だ。当たりどころ が悪ければ死んでいたかもしれない。もし起きたのがペットボトルだけならば単なる事故で片付けられただろ う。だがその前後の事を思えば偶然とは考えにくい。「俺が雷門のキャプテンだから…とか?」「もしそれが理由なら、他チーム関係者の逆恨みが濃厚だが」鬼道も自分の下駄箱から靴を出す。予想通り、彼のところに嫌がらせはい ってないらしい。円堂だけなのだ、これは。「度を過ぎている。これではまるでお前を精神的に追い詰めたり…殺すのが 目的みたいじゃないか」そんなまさかぁ、と円堂は明るく返そうとした。しかし、出来なかったの だ。昨日自分の後をつけてきた何者かの−−あまりにも明白な殺意に満ちた 視線を思い出したからだ。そういえばあの後も、何度も誰かに見られている気がして背後を振り返っ た円堂。学校でも家でもついて回るその視線。その度に誰もいないのを確認 して安堵の溜め息をついていたが−−。姿は見えなくても。本当は誰かがいたのかもしれない。矛盾した表現と分 かっているが、どうにもそんな気がしてならない。「…今朝お前の下駄箱に入れられていた植物だが」 鬼道は苦い表情で言う。「糸杉と弟切草。そして彼岸花。見ての通りどれも縁起が悪いぞ」彼いわく。糸杉の花言葉は“死”。弟切草は“復讐”。彼岸花は“悲しい 思い出”だそうだ。その時点で既にありありと殺意が滲み出ているではない か。しかし、最後の彼岸花は少々引っかかる。悲しい思い出−−という事はひ ょっとして、自分も知っている相手なのだろうか。あちらが単独犯か複数犯 かも分からないが。「残る可能性…。やっぱり影山…なのかな」 円堂が呟くとすぐに鬼道は、違うと思う、と否定した。「あの人が絡んで来るなら…俺に何の実害もないとは思えない」「そりゃ、お前は元々あいつの下にいたけど…」「違う」 首を振る鬼道。「そうじゃないんだ…円堂」何に対しての否定か、すぐには分からなかった。やがて、円堂は自らが言 った“理由”が違っているのだと理解する。 鬼道の横顔は苦悩にまみれていた−−見ている側が苦しくなるほど。「お前は理解出来なくていい。寧ろ理解出来ちゃいけない。俺と影山の関係 がどんなものだったかなんて」 暗く、悔恨に満ちた声に、円堂は何も言えなくなる。「あいつと俺は…永遠に“歪んだ親子”のままなんだ。あいつが死んでも、 俺が死んでも…逃げられない。だから……分かる。あいつは確かに“円堂” の名を憎んでいるが」もしかして自分はとんでもない地雷を踏んでしまったのかもしれない。だ が円堂がフリーズから溶けた時は既に鬼道は背を向けて歩き出していた。 細い背中に、罪と哀愁を背負って。「それを俺に…当てつけない筈がない。脅さない訳もない」これ以上訊くな、とその背が語っていた。だから円堂も、少なくとも今は 訊かない事にした。彼らの闇を伺い知るにはあまりに円堂は潔癖で、幸福す ぎた。いつか彼が話していいと思った時、その気持ちの整理がついた時、聴けば いい。深く突き入れるべき日が来るとしてもそれは今ではない。心なしか早足の彼を追うようにして、円堂は部室に向かう。未だに雷門の 部室はグラウンドの隅にこじんまり存在している。改築すべきではという話 もあったが、メンバーの愛着もあってそのままになっている。その部室が−−妙に慌ただしい。窓が割れているのに気付き、円堂と鬼道 は顔を見合わせた。まさか、と。同じ事を思った筈だ。「キャプテン!鬼道さん!」二人の姿を見つけて、小林が叫ぶ。血相を変えて走ってきた彼に、何があ ったんだと尋ねる円堂。「説明するより見て貰った方が早いです!」「ちょ、おい少林!」いつも先輩に対し礼儀正しい彼らしからぬ強引さで腕を引っ張られる。よ ほど焦っているようだ。そのままドアが開け放たれた部室の前に立たされて −−絶句した。「なっ…!」部室の中は−−滅茶苦茶だった。ロッカーは倒されて中の本や私物が散ら ばり、ファイルや日誌はズタズタに引き裂かれて紙屑の山となっている。壁 には山のように刃物の傷がつけられ、蹴り飛ばされたのか棚はへこんで、板 の一部が外れていた。机も椅子も床も。折れ曲がっているか傷だらけになっているかで、とでも 原型を留めていない。洗濯機や乾燥機もパネルが壊されており、もはや使え そうになかった。「さっき来てみたらこんな有様で…朝まで何とも無かったのに」秋が涙を浮かべて言う。その隣では鼻を啜りながらも、目金と春奈が懸命 に片付けをしていた。「酷い…酷いよ。誰がこんなこと…」円堂の顔から血の気が引いていく。同一犯、という単語が頭の中をよぎっ ていった。考えたくない。考えたくはないが、でも。「倉庫の方も滅茶苦茶だぜ。無傷なのはサッカーボールだけだな」倉庫から顔を出したのは、忌々しさを隠しもしない染岡。その隣には苦い 顔の豪炎寺と影野がいる。「この学校…グラウンドまでは部外者も入って来れるのよね。迂闊だった わ」なんとかまだ使えそうなファイルを抱えた夏未が、溜め息を吐きながら言 う。彼女はどうやら部外者だと決め込んでいるらしい。まあこんな真似をす る人間が雷門の生徒だとは考えたくないのも確かだが。「何故か金品の類に手はつけられていないけど…電化製品も私物も壊され てる。悪戯じゃ済まないわよ。防犯カメラで確認して、警察に届ける事にす るわ。幸いフットボールフロンティアも終わったし」「防犯カメラぁ?そんなもん何処に…」「あら、知らなかったの?小型だけど校舎中に設置されてるわよ?」思わず脱力。セキュリティーに甘さがあったとはいえさすが私立、さすが 雷門財閥と言うべきか。うっかり盗聴器もご一緒してそうで怖い。 ちょっと確認してくるわ、と夏未はそのまま校舎の方へ歩いていった。「警察沙汰…マジかよ」半田がうんざり顔で言う。そういえば前に、警察が苦手だと話していた事 があったような。堅物で、気を使わなければならないイメージで嫌なのだ、 とも。だがここまで来ると、自分達だけで解決とはいかないだろう。自分も腹を 括るしかない。「実は…俺、みんなに話さなきゃいけない事があってさ」円堂は、昨日からの出来事を皆に話した。途端にメンバーに広がる動揺。 この騒ぎが円堂を狙っての事かもしれない−−そう分かっても、誰も円堂を 責める者はいなかった。「いいいい…一体誰がこんなななな」「壁山、落ち着け」「おおお落ち着いてられる訳ないッすよ!トイレ行って来るっす−−!」ビビりまくった壁山は、いつもの鈍足もなんのその、凄まじいスピードで 校舎の方へ駆けていった。あれが火事場の馬鹿力というヤツか、とどこか現 実逃避気味に思う。「みんなの財布や時計が無事…って事は、物取りの犯行じゃないな」床に落ちていた小さな赤い小銭入れを拾い上げて、豪炎寺が言う。それは 彼が万が一の為にとロッカーに入れていたものだ。金額は精々千円程度しか 入ってないが、明らかに財布と分かるものである。いくら額が少ないとはい え、残していくのは不自然だ。それにこの、まるで嵐が吹き荒れたかのような惨状。物色したのではない、 最初から壊して、傷つけて、使えなくするのが目的のような。「私怨でしょ…どう見ても」「だよな。力任せに大暴れしたって感じだ」マックスと半田が指差したのはドアだ。開け放たれているように見えたそ れは、歪んで閉まらなくなった、が正しかったと気付く。掛け金が弾け飛び、 真ん中が大きくへこんでいた。力任せに鍵のかかったドアを破ったのだと知 り、ぞっとさせられる。円堂は想像した。怒りのままドアを破壊し、ガラスを割って回り、部屋の 中を無作為に斬りつける加害者の姿を。きっと鬼のような形相で罵りの言葉 を吐き散らかしていた事だろう。だが、その顔がまったく浮かんでこない。そこまで憎まれる覚えがない。恨みなんていつの間にか買っているものか もしれないが−−それでも。 ♪〜♪♪〜その時、場違いに明るいメロディーが流れ出してきた。円堂の携帯の着信 音だ。ディスプレイには“雷門夏未”の文字が。『円堂君。みんなまだ、部室にいるわね?』 円堂が出ると、夏未は開口一番にそう言った。心なし堅い声で。『大至急、理事長室まで来て頂戴。いい?大至急よ』「ど、どうしたんだよ夏未」防犯カメラに、一体何が映っていたというのか。頭の中で警鐘が、煩いま でに鳴っている。夏未が言った。『警察に連絡する訳にはいかなくなったわ』 NEXT |
赤、警告。