“その上で今、君に問いたい。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 十四:リベンジャー・エム
理事長室には、夏未と理事長の二人だけだった。最初は全員を伴って行こ うとしていた円堂だったが、人数が多いのと片付けが終わってないのとで、 一部だけを連れてきていた。円堂以外のメンバーは秋、豪炎寺、鬼道、染岡 である。
「夏未…警察に言えないって、何でだ?」
理事長机の上にはパソコン。理事長が座ってそれを操作し、画面を覗きこ んでいた夏未は顔を上げないまま答える。 「防犯カメラに映っていたのよ…見覚えがある人物がね」 「雷門の生徒か?」 「違うわ」 カチカチとマウスを操作する音。ディスプレイを目で追っていた夏未は、 やっぱり見間違いじゃないわ、と溜め息をついた。
「見て。貴方達全員、知っている人間の筈よ」
くるり、とこちら側に向けられた画面。そこに表示された窓の中には、ク ローズアップされた防犯カメラの画像が映っている。部屋の入口からでは遠 くてよく見えない。元よりカメラの画質は良くないのだ。 近付いて目を凝らした円堂は−−驚愕した。
「こ、こいつ…オーガの…!?」
映像は部室の外に設置された防犯カメラのものだった。部室から出てく る、一つの人影が映っている。 濃い緑色の軍服。左右に結った紺色の髪。少女めいた顔立ちの、華奢な少 年。 間違いない。なんせ一昨日戦ったばかりだ。バダップともう一人と、スリ ートップを組んでいたFW。まさか、どうして彼が現代に?しかも雷門の部 室に? 理事長がパソコンを操作する。窓が開かれ、映像が再生された。
「フットボールフロンティアの登録名簿に、名前だけだが記録が残ってい た。王牙学園のFW、ミストレーネ・カルス。通称ミストレ…とは彼らと試 合した者の証言だが」
理事長の言葉を聞きながら、円堂は画面を凝視する。映像は、ミストレが 部室のドアを蹴り壊すところから始まっていた。彼は周囲を見回し、ナック ルを装着して部室に入っていく。 直後、中からガラスが割られたのが見えた。破片が派手に外まで飛んでい く。 「中の様子を映した映像もあるが…見ない事を勧める」 「何で…ですか」 「見たらトラウマになるぞ。…それくらい、部室を破壊して回る彼の姿は鬼 気迫るものがあった」 ごくり、と唾を飲み込んだのは自分だったか他の誰かだったか。
「…少なくとも彼が部室を荒らしたのは確定的だわ。そして高い確率で、円 堂君への嫌がらせもね」
夏未が目で合図すると、理事長も黙って頷いた。メディアプレーヤーを呼 び出し、音声を再生する。 パソコンから流れてきたのは−−耳を塞ぎたくなるような罵声と破壊音 だった。声変わり前の、まだ高い少年の声。紛れもなくミストレのもの。彼 はひたすら叫び、喚きながら破壊活動を繰り広げているのだ。 その中で、拾ったいくつかの言葉。
『殺してやる…殺してやる殺してやる殺してやるッ!お前さえ…お前らさ えいなければバダップは…あいつはぁッ!!』
憎悪。もはや黒とすら呼べないほど暗く、深く、淀みきった闇。殺意に満 ちたその声に円堂は戦慄し−−胸の奥を締め上げられるような感覚を覚え た。 昔ドラマで見た愛憎劇。役者が演じる憎しみに満ちた女の声、殺意を叫ぶ 男の声。だがそのどれもがミストレのこの声とは比べものにならないほどチ ンケで、安っぽいものだったのだと気付く。 想像もしていなかった。人間が、こんな声を出せるだなんて。 「あいつ…暴走しているようだが、見るとこは見てるな。防犯カメラも盗聴 機にも気付いていて、あえて残してる」 「…ああ」 画面の中、ミストレが部室から出てきた。よく見るとその右手の甲が切れ て血が伝っている。フェードアウト直前、ミストレは明らかにカメラの方を 向いて−−。
『−−−。』
何事かを呟き、立ち去った。
「今の言葉も、盗聴機が拾ってるわ」
夏未が言うより早く、理事長の手が動いていた。雑音混じりの声が、部屋 いっぱいに広がる。
『もうどうなろうと構うもんか…。殺してやるよ、円堂守』
先程のような激しい声ではなかった。しかし冷たく、重たい憎悪の声。ミ ストレは本気で自分を憎んでいるのだ−−円堂の背筋が冷たくなっていく。 「マジで盗聴機まで仕掛けてたとはよ…いいのか夏未お嬢様?」 「あら、特権でしょ?公にバレなきゃいいのよ。それに今回はそのおかげで 助かったんじゃなくて?」 染岡の言葉に、しれっと返す夏未。相手が悪いと悟ってか、染岡もこれ以 上の事は言わなかった。 ともかくだ。確かにこれでは、警察に言うわけにもいくまい。相手はミス トレ、未来の人間だ。到底信じて貰えるとは思えないし、信じて貰えたとこ ろで捕まえようがない。こちらには時間を渡る手段などありはしないのだか ら。
「問題は…どうしてミストレが殺したいほど円堂を憎んでるのか…だな」
豪炎寺の言葉に、全員が唸る。 唯一のヒントはミストレが口走った言葉のみ。『お前らさえいなければバ ダップは…』と、残念ながらそれ以上の事は分かりそうにない。お前、が指 すものが円堂であり、お前ら、が雷門イレブンであるという予想は立つが。
「奴らが自在に時間を渡れるとすれば…」
やがて鬼道が口を開く。 「こちらの感覚とあちらの経過した時間が大きく異なっている可能性があ る」 「どういう意味だ、鬼道?」 経過した時間?意味が分からず説明を求める円堂。
「フットボールフロンティア決勝から、俺達は二日しか経っていない。だが このミストレは、一週間とか一年とか…それくらい後の時間軸から飛んでき ている可能性がある」
つまりだ、と鬼道は続ける。
「その一週間ないし一年のタイムラグの間に…奴らに何かが起きたのかも しれない。いや、そもそもバダップの電話の件があるから、フットボールフ ロンティア決勝直後でもおかしくはない」
残念ながら円堂の理解の範疇を超えていたが−−これだけは分かった。オ ーガに、バダップに、何かがあった。それが円堂のせいだと思って−−ミス トレは自分を恨んでいる。 ではこの“何か”とは何か。
「バダップは…電話で言ってた。任務失敗の責を負ってオーガのメンバーは 営倉入りになったって」
何かあったとしたらその処罰に絡む事ではないだろうか。あのミストレが いつの時間から来たか分からない以上、名言は出来ないが−−。 最悪の想定が脳裏をよぎる。もしかしたらバダップは、もう。 この世にいないのではないか、と。
「…営倉入り、と一言で言っても…それが全てじゃ無かったかもしれない な」
苦々しい顔の豪炎寺に、鬼道も頷く。 「いずれにせよ…憶測だけでモノを言っても解決しないし、何よりこのまま にしておく訳にはいかない。ミストレを捕まえて訊き出すしかないだろう」 「マジかよ」 「この様子だと、近いうち奴は本気で円堂を殺しに来る。そして警察がアテ に出来ないなら、俺達だけでなんとかする他ない」 しん、と。冷たく重い沈黙。 誰もが今置かれている状況のまずさを把握し、青ざめている。円堂も例外 ではない−−寧ろ皆より蒼白になっているかもしれない。 相手は一人。それも自分達と同い年くらいの子供。とはいえ、軍人。武力 のエキスパートだ。ただの一般人である自分達に勝ち目があるのか。
−−…いや。勝ち目、なんて。らしくない事考えるなよ、俺。
パン、と突然両手で頬を叩いた円堂を、皆が目を丸くして見つめる。
「やるしかないんだ、腹括ろうぜ!」
そうだ。いつも自分は、自分達は負ける事など考えなかった。どんなに勝 ち目の薄い試合だと揶揄されようと全力で立ち向かい、打ち勝ってきた。そ うだ、サッカーと同じだと思えばいい。負けるかもしれないと気持ちが挫け た時、運命は決まってしまうのだから。 「あいつは俺を狙ってくるんだろ?だったらおびき寄せるのは簡単だ」 「囮になる気!?」 危なすぎるよ!と叫ぶ秋に、円堂はニカッと笑ってみせる。
「大丈夫!あんな凄いサッカーが出来るんだ…あいつだって本当はサッカ ーが好きな筈なんだ」
サッカーを否定していたオーガ。憎しみに溺れているミストレ。しかしそ の彼は何故か、サッカーボールだけは傷つけていかなかった。きっとそこに、 鍵がある筈だ。
「話せば通じるさ。サッカー好きな奴に、悪い奴はいない!」
怖くないと言えば嘘になる。だが信念を口に出して宣言した途端、胸の奥 につかえていたモノが抜けていくのを感じた。きっと何とかなる、何故か自 信を持ってそう言える。 それに、何より知りたいと思ったのだ。彼の本心を。真実を。そうでなく してはどうして彼らを救えるだろう。
「最初は敵同士でも、全力で試合やって、ぶつかって…終わったらみんな友 達だ。だからバダップもミストレも、もう俺達の友達だろ!」
あのフィールドの上。撤退の光に照らされた、バダップの最後の顔を思い 出す。ポーカーフェイスの彼はその瞬間まで、笑顔らしい笑顔を見せてはく れなかったけれど。
『俺達はお前の言う勇気を見失っていたのかもしれない…』
きっと通じ合えたものがあった筈だ。だって彼は円堂の差し出した手を握 ろうとした。結局届かなかった手だったけれど、心と心で確かに自分達は繋 がれた。
『円堂守よ、未来は…俺達が進むべき未来は…』
お前達の勇気で、きっと見つかるさ。あの日円堂はそう返した。あの後彼 らにどんな運命が待ち受けていたにせよ−−見つかったものだってあった 筈。自分はそう、信じたい。 「…そうだな。俺達のキャプテンはそういう奴だ」 「楽天的だよなぁ、相手は軍人だってのによ」 豪炎寺と染岡が苦笑する。呆れた顔はしているが、それが了解の意である のは明白だった。
「相手は一人。そして円堂への憎しみで、冷静さを欠く可能性がある。…突 ける隙があるとすればそこだな」
そして鬼道まで話に乗ってしまえば、秋も夏未もなんだかんだで止められ なくなる。それが雷門イレブンの平時だった。 「これも王牙学園と戦った他選手の情報だが。ミストレーネは随分とフェミ ニストらしい」 「女の子が相手なら甘くなるかもって事だね?」 「お、おいおい、秋。お前も参戦する気か?」 「勿論」 理事長の言葉に、即座に反応する秋。慌てる円堂をよそに、彼女はすっぱ りと言い切った。
「私だって雷門の一員だよ。仲間のピンチはみんなで切り抜ける。そうでし ょ?」
まったく恐れ入る。可愛い顔してなんとまあ肝が据わっている事。とんで もない女の子だとつくづく思う円堂である。 「部室に戻るぞ。さっさと作戦会議だ。実行するなら出来る限り早い方が良 い。相手も気長じゃなさそうだからな」 「そうね」 夏未がテキパキとパソコンと資料を纏める。手を出す気なのは秋だけでは ないらしい。やがて鬼道が皆を見回して言った。
「さあ、ミーティングを始めるか」
異論がある者などいよう筈もない。イエッサ!と円堂は見よう見まねで敬 礼した。
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復讐者、M。