“君は、今日まで幸せでしたか?”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 十五:トラジック・ソルジャーズ
円堂達がミストレ対策を講じている頃。未来でも一つ、動きがあった。
−−西暦2090年。
何故こんな事になってしまったのか?考えもキリが無い事は、エスカバ自 身が一番よく分かっている。誰一人悪くなかったとも言えるし、誰もが悪か ったとも言える。確かなのは既に、状況が余談を赦さぬところまで来ている という事だ。
「随分とまぁ…穏やかじゃないですね」
デスクチェアに腰掛けたキラード博士は、ため息混じりに言った。
「とりあえず落ち着いて下さい。でないと、YESともNOとも答えられません」
楽天的ですらあるその態度に、エスカバは心底イラつかせられた。分かっ ている。こんな風に感情を揺らしたって何も解決しない事は。 だがキラードの方にも問題はあるだろう。ドアの前で固まっているカノン は顔面蒼白だ。あちらの方が余程普通の反応ではないか。 少なくとも今の博士は、後頭部に銃口を押し当てられて、脅されている人 間には見えない。 「あんたの方こそ、落ち着きすぎじゃねぇの?このまま俺が引き金引きゃ、 一発で終わっちまうぜ?」 「そうでしょうね。ま、残念ながら恨まれるのは慣れてますし」 恨まれるのは慣れている。その言葉に、エスカバはこの男の生い立ちを思 い出した。資料にあった筈だ。この男の先祖が−−影山零治が何をしたか。 正確には、影山に子供はなく、キラードがそのまま影山の血統であるわけ ではない。しかし影山が死んでから八十年近く経った今でも恨みを募らせる 者がおり、遠縁だというだけで彼がいわれのない差別や憎しみを受けてきた のは事実だった。
「それに、君は本気で撃つ気はないでしょう」
ちらり、と横目でエスカバの手元を見るキラード。
「ヘル・ブレイズW型。確かバダップ君はX型愛用でしたね。W型はX型比 べ一発の威力は大きく貫通性に優れていますが、口径が大きくて反動が凄 く、さらにX型の半分しか装填できません」
にっ、と口の端を持ち上げる男。 「W型を片手で撃つのは自殺行為。小柄な貴方ではまず反動で吹っ飛ぶでし ょうし、手首の脱臼は免れられません。オーガの副官である貴方がそんな初 歩知識を知らないとも思えません。本当に撃つ気なら、最初から両手でがっ ちり構えてますよ」 「…流石だな」 予想以上の切り返しに、素直に感嘆の意を示した。どうやら自分が相手に しているこの男は、データ以上の大物らしい。試す意味も含めて、わざわざ 扱いにくいヘル・ブレイズW型を持ってきた甲斐あったという事だ。 エスカバが銃を下ろすと、向こうでカノンが安堵のため息を漏らした。こ の空間で一番プレッシャーを感じていたのが彼だったのは間違いない。
「まだるっこしいのは苦手だ。いきなりだが本題に入らせて貰う」
今日。エスカバがキラードを訪ねたのは他でもない、緊急でタイムワープ を行う必要が出た為だ。
「場合によっては…今度は本気であんた達を脅さなくちゃならねぇ」
そして軍のマシンは使えない。今から自分がしようとしている事は、軍の 意向に反する事だからだ。奴らを言いくるめて軍から許可を出させたミスト レには脱帽としか言いようがない。 「俺がしようとしてる事も、ミストレがしようとしてる事も。実際は誰の得 にもならねぇ自己満足だ」 「ミストレ君…?彼が何か…」 「あいつは」 話せば彼らはどんな顔をするか。分かるような気もしたし分からない気も した。だがエスカバは既に、手段を選ばない決意をしていた。
「あいつは…ミストレは。円堂守を殺す気だ」
例え誰が反対しても、これは自分がやらねばならない事。 ミストレを、止める。 そうでなければ自分達も−−誰よりバダップが浮かばれない。
「ひいじいちゃんを…!?な、何で!?」
思わず飛んできたカノンに、エスカバは険しい目線を送る。
「憎いから。それ以外に理由はねぇよ」
ミストレが殺したいのは、自分達の本来の過去の円堂守ではない。今やパ ラレルワールドの住人となった−−自分達が戦った、あの円堂守だ。
「ミストレは…思っちまったんだろうよ。全部全部、円堂守のせいだと。奴 に出逢わなきゃ、奴と試合しなけりゃこんな事にはならなかったってな」
その気持ちが、分からない訳じゃない。エスカバとて理不尽さは感じてい る。あらゆる全てに憤りを投げつけたい瞬間が確かにある。しかし、それで も。 円堂守を憎むのはお門違いで−−それによって結局傷つくのは他でもな い、ミストレ自身だという事も分かっている。
「ミストレを、止めたい。力を貸せ、キラード博士に円堂カノン」
もうたくさんだ。これ以上−−血が流れるのも、涙が流れるのも。 悲劇は、終わらせなければならない。 この世界が彼らにとって、悲しいだけの未来とならないように。
再び、時は現代へ還る。 エスカバの危惧が現実のものとなる、その瞬間へ。
−−西暦2010年。
今まで考えた事も無かったな、と思う。その考えた事も無かった事を今、 必死で考えようとしている。
−−誰かを殺したいほど憎む気持ち…かぁ。
雷門中の校舎裏。既に殆どの部活が終わった時間帯、人影もまばらで声も 少ない。そんな場所に今、円堂はたった一人でいる。らしくもない思索に耽 りながら。
−−そんなの…テレビの中とか、非現実の中の事だと思ってた。
ミストレは自分を憎んでいると言う。文字通り殺したいほどに。その感情 をそのまま具現化したのが、部室のあの有り様だった。 犯行の様子は全て防犯カメラに収められていた。あの惨状が凶器によるも のではなく−−全て素手と蹴りのみで行われたという事も。 あの少女のように細い身体の何処に、そんなパワーがあったのだろう。円 堂は想像した。あの優しげな顔立ちが修羅に染まり、次々部室を殴り、蹴り 壊していく様を。だがそのビジョンさえ朧気にしか浮かんでこない。全ては あまりにも円堂の想像を超えた出来事だった。 金具が弾け飛んだ鉄のドア。 大きく歪みんだロッカー。 ズタズタになった資料やファイル。 へこんだ壁に床、叩き折られていた机に椅子。 そして粉々になった窓ガラス。
−−僅かだけど血がついてた。脅迫状代わりに、俺の下駄箱に入れられてた 花にも。
血塗れになっても、その痛みを忘れるほどの激情。まるで地獄に燃え盛る 炎のよう。どれほどの憎しみに堕ちれば、人は本当の“鬼”になれるのだろ う。彼の所属する部隊の名の通り−−ミストレもそうなってしまったのだろ うか。 下駄箱の中の花、その意味を今一度考えてみる。 糸杉は“死”。弟切草は“復讐”。ここまではいい。だが彼岸花の“悲し い思い出”というのがどうにも引っかかる。彼はは何を指して、その花を選 んだのか。一体何を悲しんでいるというのか。
「…これ以上は本人に訊くしかない…か」
腹を括り、円堂は−−キッと前を見据えた。
「いるんだろ…ミストレ。出てこいよ」
ざわり、と空気が動いた。あるいは密度を増したというべきか。それほど までに、少年兵の存在感は大きなものだった。
「へぇ…怯えて逃げ回るのを見て、嗤ってやるつもりだったのに。意外に腹 が据わってるんだね。ちょっとだけ見直したよ」
木陰から姿を現したミストレは、カメラで見たのと同じ濃い緑の軍服姿だ った。フットボールフロンティア決勝戦で、最初に姿を現した時の服。ひょ っとしてあれが王牙学園の制服だったりするのだろうか。 だとしたら−−趣味が悪いとしか言いようがない。まだ幼い彼らに、戦闘 マシーンであれと、暗示をかけているかのようで。
「それとも…真正面から戦って、俺に勝てると思ってる?囮になって出てき たところを捕まえてやれば終わりになる…とか?」
唾を飲む音が聞こえてしまいそうだ。ゆっくり歩いてくるミストレに、円 堂は気圧されないよう必死で自制しなければならなかった。彼の言った事の 半分が図星だったからではない。
−−なんて…プレッシャーだ…!
とんでもない威圧感。あの試合の時には感じなかった事だ。少女のように 愛らしい顔が、華奢な身体が、まるで巨大な怪物か何かのように思える。た だ立っているだけで、歩いてくるだけで膝をついてしまいそうな、凄まじい 殺気。 これが軍人。幾多もの戦場を戦い、血で血を洗う死線を潜り抜けてきた者 のオーラなのか。−−いや、遠回しな表現はよそう。彼が子供とはいえ、兵 士である以上紛れもない事だ。 円堂は恐怖した。その恐怖をギリギリのところで押し殺していた。初めて 対峙する、“人殺し”の眼に。
「…教えてくれないか、ミストレ」
気圧されたら、その時点で敗北が決まる。そしてこの場合の敗北は、高い 確率での死。
「俺はあの試合で…お前達とは少しでも分かり合えた筈だって信じてる。そ してあの時のお前達は任務の為だけにサッカーをして…個人の感情で俺を 恨んでた訳じゃない。そうだろう?」
ミストレは沈黙している。それを肯定と受け取り、円堂は続けた。
「それが…どうして。どうして俺を殺そうとするんだ。未来に還った後、お 前達に何があった?バダップは…どうなったんだ?」
長い間があった。ひょっとしたらそれはほんの数秒の事だったかもしれな いが、円堂には凄まじく長く感じられた。 それは、不意に。
「ふふっ…」
凍った微笑を浮かべていたミストレの口の端が僅かに持ち上がり−−次 の瞬間嗤いとなって場を支配した。
「ふふふっ…あははははははっ!!」
高々と嗤い声を上げるミストレ。狂った嘲笑。音が木々の葉を揺らし、風 に成り、空を揺らし、地面を鳴らす。円堂は耳を塞ぎたい衝動を必死で抑え なければならなかった。それほどまでに彼の声は悲しく、畏ろしいものだっ た。
「あははぁっ…そんなに知りたいんだ?」
やがて声を収めたミストレは、凄絶なまでに美しい笑みを浮かべた。
「じゃあ…教えてアゲナイ。訳も分からないままあの世に堕ちるといいよ」
チャキン、と鋏で布を切るような音がした。ミストレが軍用ナイフのカバ ーを外した音だ。磨き上げられた刃物に夕焼けが反射して光る。円堂の頬を 冷や汗が伝った。
「安心した?サイレンサー付きの銃なんていくらでもあるけどさ、俺はあん ま射撃の成績良くなくて。因みにに銃のエキスパートなのはバダップ。ナイ フはエスカバ。俺は肉弾戦が一番得意だけど…まあ、こっちのが早いから」
ペラペラと喋りながらも、彼は一切の隙を見せない。最初から逃げるつも りも無かったが−−もう円堂は此処から逃げられないだろう。彼も間違いな く、ケリをつける気だ。 円堂は身構える。殺される訳にはいかない。だからこそ自分はこうして、 彼と対峙する事を選んだのだから。
「楽に死ねると思わないでね。浄罪の魔術師……円堂、守!!」
その声が、合図。ミストレは素早く大地を蹴り、円堂に踊りかかってきた。
NEXT
|
悲劇の、戦士達。