“未練は、ありませんか?”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
十七:ロスト・スマイル
 
 
 
 
 
 
 
 大人達の思惑が交錯する。
 悲しい未来と、屍の上の世界で。
 
 
 
−−西暦2090
 
 
 
「平行世界乱立論」
 
 会議室に、ヒビキの重い声が響く。
 
「数年前にエルゼス・キラード博士が提唱したものだ。当時は誰もが夢物語
だと笑った…私も含めてな」
 
 広い会議室には今、ヒビキの他にバウゼンしかいない。ヒビキの場所から
はバウゼンの表情はよく見えなかったが、きっと普段通りのポーカーフェイ
スなのだろうと思う。
 彼が何を思って、自らの部下を死地に送ったかは分からない。何も思わな
かった筈はあるまい。それでも感情を表に出さず忠実に上官の命を守ったの
は素直に賞賛すべきと思う。まさに軍人の鑑だ。
 
「しかし皮肉にも、今回実行したオペレーション・サンダーブレイクによっ
て証明されてしまった。平行世界は存在し、また円堂守は絶対的確定要素で
あると」
 
 円堂守に関わった出来事は全てパラレルワールドになってしまう。よって
彼と彼の周りの歴史はけして変える事が出来ない。最初からオペレーション
そのものが無意味だったのである。
「我々の世界から円堂の影響力を排除する事は出来ない。だが。キラードの
理論が正しければ、もう一つ可能性が出てくる」 
「鏡面夢…ですか?」
「さすがだなバウゼン大佐。その通りだ」
 察しの良いバウゼンに笑みが零れる。
 鏡面夢−−これもキラードが提唱した平行世界乱立論の中にあった単語
だ。
 異なるパラレルワールド同士は基本的に干渉し合う事がない。しかし、通
常の異世界と違うのは、元は同じ人間と同じ世界であった事である。これを、
魂が同じ存在、とキラードは表現していた。
 魂が同じ存在は、パラレルワールドにいても根っこの部分で繋がっている
という。だからもし、別の平行世界で何か大きな変事があった場合、稀に他
の平行世界の人間に影響が出るのだそうだ。
 その一つが、鏡面夢。
 例えばAという人物の世界のパラレルワールドの存在、A’が、何かの事
故で死んだとする。すると平穏無事に生活している筈のAが、夢でその光景
を見る事があるのだという。
 
「ミストレーネ・カルス小尉を、オーガが戦った“円堂守”の世界に送る許
可を出したのは…その為だ」
 
 オペレーション・サンダーブレイクの前段階で、ヒビキが最初に考えたの
が円堂守の殺害だった。だが後々の悪影響があまりに無視出来ないレベルと
の試算結果が出た為中止されたのだ。そこまで円堂の存在は世界に深く根を
張っていたのである。
 しかし皮肉にも。円堂が絶対的確定要素と分かり、自分達本来の過去はけ
して操作できないと分かってしまった。裏を返せばあの円堂守が死んだとこ
ろで、歴史にはなんの悪影響も出なくなったのである。
 ならば。円堂を殺しても無意味か?−−否。
 あれほど強大な存在だ。パラレルワールドの円堂が齢十四で歴史から姿を
消したとなれば−−自分達の世界にもなんらかの影響を与える事が出来る
のではないか?
 だからヒビキはミストレの提案を呑み、軍の機材で彼をタイムワープさせ
たのだ。復讐心からミストレが円堂を殺害し、パラレルワールドを掻き回し
てくれる事を期待して。
 
「…もしやヒビキ提督は」
 
 少し考えこんで、バウゼンが口を開く。
 
「ここまで計算した上で…バダップ=スリード大尉にオペレーション・シル
バーブレッドを任せたのですか?」
 
 オペレーション・シルバーブレッド−−テロ組織のレッド・マリア纖滅任
務。確かにあれはヒビキが提案し、バウゼンから実行役をバダップに任命す
るよう命じたものだった。
「いや。予想はしていたが、ここまで狙っていたわけじゃあない。お前も薄々
気付いていただろうが…バダップが生きて帰って来た事がまず奇跡的なの
だ」
「…そうですね」
 バダップなら、可能性はゼロではないと思っていた。しかしまさか本当に
たった一人でレッド・マリアを壊滅させてくるとは。どうやらその為に相当、
彼らしからぬ手段を使ったようだが。
 正直なところ。あの任務は、バダップ及びオーガを処分する口実として与
えたようなものだった。少なくともヒビキ以外の上層部はそうだった筈だ。
それほどまでに彼らは円堂守の影響力を畏れた。円堂の呪いにかかったバダ
ップ達がいつ反旗を翻すかと怯えていたのである。
 バダップが任務に失敗して死ねば、そのままオーガの他メンバーを処分す
る大義名分が立つ。無論公に始末する訳にはいかないが、バダップと同じよ
うに無茶なミッションに放り込んでやれば済む事だ。
 それが−−まさかのまさかでバダップが生還し。上層部は大荒れになっ
た。これで当分、オーガの処分を先送りする羽目になったのだから。まあ、
結果的にミストレの復讐心という、意外な効果はあったのだけど。
 それに、生きて帰ったとはいえ、その代償はあまりに大きなものだった。
バダップはもう、軍の脅威にはなるまい。あれほどの逸材が使いものになら
なくなったのが残念ではあるが。
 
「我々はひとまず見守ればいい。我々を愚弄したあの円堂守の無惨な最期を
…な」
 
 円堂を憎んでいるのは−−何もミストレだけではない。方向性は違えどヒ
ビキも同じだった。
 己の曾祖父と祖父。円堂の為に力を尽くした者の末路を、父から嫌という
ほど聞かされてきた。円堂の名を冠する者は悉く自分達に恩を仇で返してき
た。卑怯者で、呪わしい存在。特に−−始まりの人である円堂大介と円堂守
は。
 
−−思い知るがいい、円堂守。
 
 ヒビキはぐっと膝の上で手を握りしめる。確かに円堂には力があっただろ
う。魔法があっただろう。しかし−−彼はあまりに周囲を巻き込みすぎた。
その絶大すぎる影響力で。
 
−−お前のサッカーで、不幸になった人間もいるのだ。
 
 思い知って、無様に死ねばいい。
 所詮サッカーなどで、誰かを幸せにする事などできやしないのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 そして時間は、再び現代へ。
 
 
 
−−西暦2010
 
 
 
 ギリギリ、と。奥歯を噛み締める音が聞こえてしまいそうだった。それで
もミストレは力を弱める事が出来なかった。
 悔しくて悔しくて、肉らしくて憎らしくて。感情が飽和して、目の前が真
っ赤に点滅している。まるでシグナルのように。
 
「見当違い…だって?」
 
 目の前に立つエスカバを、射殺さんばかりに睨みつける。この時ばかりは
地面に転がる雷門イレブンも、さっきまでトドメを刺さんとしていた円堂守
さえ見えていなかった。
 ただエスカバだけを、見ていた。
 
「言ってみろよエスカバ。何が間違ってるって?え?俺のしようとしている
事がどう違ってるって言うんだ?」
 
 鉄臭い味が広がる。うっかり唇を噛みきったようで、顎下を生ぬるいもの
が伝うのが分かった。
 それでもミストレは止まらなかった。
 
「こいつらさえ…円堂守さえいなけりゃ!あんな試合なんかしなければ!!
バダップがあんな…あんな風に壊される事なんて無かったのに…!!
 
 壊される。その単語に、徐々にダメージから立ち直りつつある雷門イレブ
ンが息を呑むのが分かった。
 
「…再三になるが、ミストレ、エスカバ」
 
 ふらつきながらも立ち上がり、豪炎寺が訊いてきた。
 
「お前達に…一体何があったんだ。バダップはどうなったんだ」
 
 沈黙が、落ちる。そもそもミストレに答える気は無かったが、エスカバは
どうやら違ったようだ。血の気が引いた顔で俯き、唇を噛みしめている。何
度か言葉を発しかけるも、音にならないようだった。額には脂汗さえ浮かん
でいる。
 きっと。思い出してしまったのだ−−あの時見たバダップの姿を。そうな
る原因を作ったあのおぞましい映像を。軍人として鍛えられている筈の自分
達でさえトラウマになるほど酷いものだった。深すぎる、傷。刻まれたのは
バダップ本人だけではない−−あれを見てしまったオーガのメンバー全員
だ。
 
「それは、俺から話すよ…豪炎寺さん」
 
 そこに、新たに現れた少年−−円堂カノン。ミストレは舌打ちし、同時に
理解する。こいつがエスカバをこの時代に送ってきたのだ。こいつと、キラ
ードが。
 まったく余計な真似をしてくれる。
「俺は…実際の様子は見てない。話を聞いただけ。だから…話す事も、出来
る」
「どういう意味なんだ、カノン」
「…俺もね、初めて知った事なんだ」
 尋ねる円堂を見、カノンは悲しげに眼を伏せた。
 
「本当に深い心の傷は…口にするだけで死にそうになるんだって。……俺に
話してくれた時のエスカバの姿を見て…そう思ったよ」
 
 そしてカノンは語り出す。ミストレが知るより、遙かに簡略した言葉で。
 
「ミッション失敗の責任を負って、オーガは営倉入りになった。ここまでは
ひいじいちゃんも知ってると思う。でもこの話には続きがあるんだ」
 
 それでもミストレが全てを思い出すには充分で、うっかり吐きそうにな
り、口元を押さえる。
「正確には、営倉入りになったのはバダップ以外のオーガメンバー。バダッ
プはみんなが収容されている間、単独ミッションを任されたんだ。結果次第
で今後のオーガの扱いが変わってくる…そんなミッション。中にはオーガ全
員を処刑しろなんて過激な意見もあったみたいだから」
「しょ、処刑!?殺すって事かよ…一回失敗しただけじゃねぇか!!
「それが普通の感覚だよね。俺もそう思う」
 だけど軍の人達はそうじゃなかったんだ、とカノン。
 
「だからバダップは…どんなに無茶な任務でも受けるしか無かったんだと
思う。そうじゃなければ、仲間を守れないから」
 
 オペレーション・シルバーブレッド。その名の通り銀の弾丸−−半ば特攻
のような、無謀極まりない作戦だった。しかしミストレはその作戦名すら、
全てが終わるまで知らなくて。
 
「任務内容は…あるテロ組織を壊滅させ、必要な資料を持ち帰ること。バダ
ップはそのテロ組織…およそ千人をたった一人で纖滅させた。任務を成功さ
せたんだ」
 
 千人を一人で殺し尽くしたバダップ。まさしく一騎当千の強さを持つ彼だ
からこそ出来た事なのだろう。
 
「だけど…その代償は大きかった。バダップは生きて帰ってきたけど…“そ
れだけ”だったんだ。身体も心もボロボロに壊されていた。一度捕虜になっ
て酷い拷問されて…そのせいで」
 
 拷問。言葉にしてしまえばたった漢字二文字だ。カノンがどこまで知って
いるか分からないが、多分エスカバも詳しいところまでは語れなかっただろ
う。
 ミストレは、知っている。バダップは失敗して捕虜になったのではない。
そうしなければ完遂できない任務だったからわざと捕まったのだ。
 それで自分がとんな目に遭わされるか、分からなかった筈がないのに。
 
「バダップは恥も誇りも捨てて戦ったんだ…俺達を、守る為に…ッ!」
 
 血を吐くような声でエスカバが言う。
 
「もうバダップは…歩く事も喋る事も出来なくなっちまった…!!
 
 ミストレの記憶の中。振り払い、忘れようと努めたが−−無理だった。
 バダップが笑っている。
 もう二度と、見れない笑顔で。
 
 
 
NEXT
 

 

失われた、笑顔。