“オレ達の世界はとても狭いものだった。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
二十:ラスト・エデン
 
 
 
 
 
 
 
 時代はまた未来へと。
 この世界で一つ、大きな変革が起きようとしている事をまだ誰も知らない
−−。
 
 
 
−−西暦2090年。
 
 
 
 あてられては駄目だ、とバウゼンは思った。
 円堂守という名の光を、見つめすぎてはならない。彼は断罪の魔術師であ
り浄罪の魔術師。そう呼ばれるほど言葉に力を持っている。自分達ですら惹
きつけられそうになるほどに。
 かのギリシャ神話。太陽に焦がれすぎたイカロスは翼を溶かされて大地に
堕ちた。円堂守も同じ。彼に近付きすぎればやがてその光に焼き尽くされて
惨めに消えるだけだ。
 それは、恐怖。
 その言葉に耳を傾けてはならない。さすれば疑ってしまう。己の正義を、
己のしてきた全てを。間違っているかもしれないなんて−−そう思ってしま
う。
 それは赦されぬ事だ。今更迷ったら、何の為に苦肉の決断をしたか分から
なくなってしまう。何の為に部下を死地に送ったか分からなくなってしま
う。
 もはや後戻りなど出来はしない。だったらもう、信じて突き進むしか道は
無い。
 
「カルス小尉は…失敗したようだな」
 
 暗い会議室。モニターに映し出されたのは、泣きじゃくるミストレと彼を
抱きしめるエスカバ。周りを囲む雷門イレブンが映っている。
 
「普通に闘えば…いくらバメル准尉の妨害があったとして負ける事など無
かった筈」
 
 ヒビキは淡々と事実を告げる。そう、エスカバがミストレを止めに来る事
は計算外だった。しかしあのままいけばエスカバを振り切ってでもミストレ
は円堂を殺せた筈である。
 それが出来なくなったのは。
 
「円堂守。浄罪の魔術師たる奴の声に耳を貸してしまったからだ。力たる言
葉を放ち、他者に呪いをかける…魔術師の言葉を聴いてはならぬと、口を酸
っぱくして教えたというのに」
 
 円堂守は武力という意味では限り無く無力な存在だ。いや、正確には曲が
りなりサッカーを嗜むゆえ、普通の喧嘩ならば強いかもしれないが−−武力
を持った軍人相手に通用するとは思えない。
 しかし彼は代わりにとてつもない武器を持っている。それが、言葉。本人
も気付かぬ魔術師としての才。現代の魔法とは箒で空を飛ぶ事でも黒猫と話
す事でもない、力ある言葉で他者を扇動し操る者を言うのだ。
 その言葉で、魔法で。限り無く人を魅了し、同胞を増やしていく。どんな
強大な敵すらも言葉の力で無力化させてしまう。あまりにも畏ろしい力だ。
 
「当初はバダップ=スリードだけを“処分”すれば、オーガの他メンバーは
どうにかなると思っていた。スリード大尉は生還したものの既に無力化して
おり、カルス小尉も円堂への憎しみをたぎらせてくれたのは良い兆候だっ
た。しかし…」
 
 その次のヒビキの言葉は容易く想定できた。だからバウゼンは先んじて口
を開いた。
「どうやらカルス小尉とバメル准尉も処理対象。そしてこの二人が円堂に引
きずられたとなればもはや他メンバーも時間の問題…そういう事ですね」
「その通りだ、バウゼン大佐」
 オーガ全員を、何らかの形で処分せざる負えなくなった。理解したバウゼ
ンは、益々暗い気持ちになる。
 彼らは本当に優秀な、王牙学園の誇りと言っても過言でない生徒達だっ
た。軍人としても数々の武功を上げ、多くの民間人や同胞を救い。バウゼン
なりに可愛がってきたつもりであり、愛しくない筈も無かった。
 それがまさか−−こんな結末になるだなんて。
 円堂守さえいなければ。いや、オペレーション・サンダーブレイクに彼ら
を使ったりしなければ。こんな結果にはならなかっただろうに。
「だが…上層部も私も、やや考えを変え始めているのだ、バウゼン大佐」
「…え?」
 だからヒビキのそんな言葉は、予想だにしていなかったものだった。てっ
きりメンバー全員をバダップと同じように生還の望みのない戦地に送って、
処分してしまうのかと思っていたのに。
 
「オーガの力は、完全に失ってしまうには惜しい。奴らに再びサッカーと円
堂守を否定し憎悪させる事が出来れば…奴らを完全に処分する必要もなく
なる」
 
 ヒビキは机の前で腕を組み、じっとバウゼンの眼を見た。
 
「どうやら奴らはこの時代に飛んでくるつもりらしい。無力化したスリード
大尉が思わぬ餌になったな」
 
 餌。その表現に、湧き上がる嫌悪感を抑えるバウゼン。バダップに直接任
務を言い渡したのは確かに自分だ。だがそれはけして望んだ事では、なかっ
た。
 意に反する命だとしても、上官に逆らってはならない。ヒビキがこの国の
行く末を案じてやっている事だと分かっているから余計にだ。容易く反抗心
を見せるには、あまりにバウゼンは長く軍人として生きすぎていた。
「この時代にやってきた雷門と円堂カノン、カルス小尉とバメル准尉。奴ら
には徹底的に絶望を味わって貰うとしよう。それで奴らがサッカーを否定す
れば、少なくともオーガ全員を処刑せずにすむ」
「と…すると」
「イービル・ダイス…奴らを使う」
 はっとしてバウゼンはヒビキを見る。イービル・ダイス−−悪の賽子。そ
の名が示すモノが何なのか、バウゼンはよく知っていた。
 なんせ彼らを探し当てたのは自分なのだから。
 
「平行世界は乱立する。それが確かめられてから、私はお前達に命じた。我々
以外の世界に干渉し、あらゆる可能性を調査せよと」
 
 平行世界は、一人一人の選択ごとに無数存在する。そして人の運命は賽子
のようなもの。仮に一の目を最悪の不幸、六の目を最高の幸福としよう。振
って一の目を引いた世界と六の目を引いた世界では、その後の運命も大きく
変わるに違いない。
 中には運良く六の目ばかり引き続けた世界もあれば、一ばかりの世界もあ
るだろう。
 そんな数多の可能性の中。とんでもなく低い確率で生まれる、極めて希有
な世界。四苦八苦の末バウゼンはその世界を発見し、そして−−彼らを、ス
カウトした。
 王牙学園とこの世界を守る、切り札の一つとして。
「奴等は我々にとって奇跡に等しい存在だ。扱い易くはないが望みは一致し
ている。サッカーに絶望し、サッカーを破壊の道具とし、サッカーでサッカ
ーを否定てきる悪の子供達…。雷門にぶつけるには打ってつけだと思わない
か?」
「…確かに」
 円堂やミストレ達にサッカーを否定させるのに、これほど相応しい相手は
いまい。そしてうまくいけば、自分はミストレ達を処分せずに済む。
 反対する理由があろう筈もない。
 
「私も覚悟を決めよう。…この試合を、全国ネットで流す」
 
 ヒビキは立ち上がり、ひしと前を見据えた。バウゼンは驚愕のあまり声も
出ない。イービル・ダイスの素性などすぐ知れる。軍が禁止されたタイムワ
ープを乱用している事も明るみに出てしまう。
 それは、即ち。
 
「ヒビキ提督…貴方は自らの失脚も覚悟の上で…!?
 
 自分の地位も名誉も全て捨てる覚悟で。雷門とイービル・ダイスに試合を
させるというのか。
 
「それが…この国の為になる」
 
 ヒビキは言い切った。何の躊躇いもなく、ハッキリと。
 
「今でも尚円堂の名を神聖化する者は多い。エレメンタルサッカーを嗜む者
達の大半にとって円堂守は伝説の存在。その円堂が絶望し、サッカーを否定
する様を見れば…必ずや今の子供達の目を覚ます事が出来る」
 
 バウゼンは跪いていた。なんという男だ。今まで理不尽に思う事も多々あ
ったが−−今、彼について来て良かったと心から思う。
 自分が思っていたより遙かに彼は偉大だった。彼は必ず世界を変えてくれ
るだろう。雄々しく、猛々しく、力に満ちた素晴らしい国へと。
 
「サー、イエス、サー!」
 
 何者にも彼の覇道を阻ませてはならない。ならば自分も全力を尽くそう。
いつかヒビキと共に、全てを失う事になっても。
 
 
 
 
 
 
 
 初めて見る未来の世界に、円堂は感激しっぱなしだった。
「すっげぇ…マジすっげぇ!」
「さっきからそればっかだなおい」
 目をきらきらさせて叫ぶ円堂に、染岡の苦笑混じりの声が飛ぶ。だがそん
な彼も、あまりにハイテクな未来都市に興味津々のようだった。
 ソリットビジョンを最大限に活用した立体広告。
 屋外でさえ例外なく動くストリートの床。
 そして太陽エネルギーをフル活用したソーラーカーに、最新のセキュリテ
ィーを搭載したオフィスビル群−−。人々が扱う携帯電話らしき物体も明ら
かに小さくなり、デザインが一新されている。
 たった八十年。しかしされど八十年である事を実感させられる。主にコス
ト面が課題だったソーラーエネルギーの有効活用が進んでいる。何もかもが
3Dになっている液晶画面。ざっと気付いただけでこれなのだ。もっと凄い
モノがたくさんあるに違いない−−そう思えば落ち着いていられる筈も無
かった。
 バダップを助ける為に、自分にも出来る事を探したい。だから自分達を未
来へ飛ばして欲しい。円堂の願いを、カノンは快く聞き入れてくれた。ただ
し、人数と時間の制限付きだが。
 円堂と鬼道と風丸。豪炎寺と染岡と壁山。雷門からはこの六人が未来への
渡航を許可された。本当は全員が志願したかったに違いないが、あちらもあ
ちらでやる事があるし、致し方ない事である。
 
「タイムワープを勝手にやった事がバレたらマズいんだ。今回は政府の認可
なしでやっちゃってるから」
 
 増してや過去の人間を連れてくるなんて問題外だろうし、とカノンは言
う。
「だから絶対、自分達が八十年前の人間だってバレないようにしてね。それ
に時間も…日没までが限界だと思っといて」
「分かったよ」
 本当は一日かけて観光していきたいが、遊びにきたわけではないし、本来
なら知る由もない事に手を出そうとしているのだ。これくらいの制約は仕方
ない。
 
「…とりあえず…だ。お前らをバダップに逢わせる」
 
 エスカバが堅い面持ちで言う。
 
「今のあいつの姿を見て…それでも何とかできるかどうか。さっきと同じ台
詞が言えるかどうか。それをまず…教えて欲しい」
 
 自分達は試されているのだろう。彼らの知りたがっている答え−−幸せを
諦めずに済むか否か、バダップをまだ救えるか否か。それが出来るならばど
んな方法であるのか。それらをバダップの惨状を見て尚、揺るがない精神力
で言えるかどうか。
 少しだけ背筋が寒くなった。今とりあえずは停戦状態とはいえ、いつミス
トレが考えを変えて円堂を殺しにかかるかはわからない。けして嘘やその場
凌ぎのことを言ったつもらはないが、そのあたりは心得ておかなくてはなら
ない。
 そのミストレは俯いて、半ばエスカバに引っぱられる形で歩いている。泣
きはらした眼が痛々しい。まだ何か考えこんでいるのかもしれない。
 
「ユニフォームは過去で着替えて貰ったけど…ここから先は帽子と眼鏡も
つけて」
 
 カノンに帽子を手渡される。凡に風丸は髪を解き、鬼道はゴーグルを外さ
せられていた。
 
「あそこが病院。…政府のお偉方も使うとこだから」
 
 彼が指差した先には、白い建物が見えた。“病院”の外観はそう変わらな
いんだな、と円堂はやや場違いに思った。
 
 
 
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最期、楽園。