“何が正しいのかなんて分からず、ただ流されるままに生きてきた。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 二十二:ホーリー・ランド
どういうつもりなのだ。 バウゼンの提案に、エスカバは混乱の一歩手前だった。だが、軍人として 訓練されてきた経験が、冷静さをつなぎ止めていた。
「バウゼン教官…試合の申し込み、とはどういう事でしょうか」
隣にいるミストレは、異様なまでに無表情だ。しかし溢れ出す殺気が、彼 の心情を物語っている。彼はバダップを死地へ送ったバウゼンの事を当然恨 んでいる筈。それを無理矢理押し殺そうとしているのだろう−−押し殺しき れていないが。 「貴方は…ヒビキ提督と同じ、サッカーを危険思想と判断されていたではな いですか。だからオペレーション・サンダーブレイクを提案した。なのに…」 「そのヒビキ提督の考えなのだ」 バウゼンは淡々とした口調で言った。
「カルス小尉が円堂守殺害に失敗した場合のもう一つの手段。それは再び円 堂自らにサッカーを否定させる事。しかも今回の舞台は、八十年前の世界で はなく現代だ」
お前ならその意味が分かるな?とバウゼン。エスカバは頭をフル回転させ −−理解する。
「まさか…試合を全国ネットで流すおつもりですか」
円堂守に関わる過去は変えられない。ましてやここにいる円堂は既に自分 達の過去の円堂ではないのだ。彼がサッカーを否定したところで歴史は何一 つ変わりはしない−−だが。 それはあくまで、八十年前の世界で試合をした場合だ。今でも円堂守の名 を神聖視したり、伝説化して怖れる者は少なくない。そんな者達が−−円堂 の絶望的な試合を見せられたらどうなるだろう?サッカーを否定する言葉 を聞いたら何を思うだろう? 多分−−現在のエレメンタルサッカーに絶望するだろう。恐怖を抱くだろ う。世界の構図が大きく変わってくる筈だ−−もはや過去に介入する必要も ない。
「タイムワープが禁止されているこのご時世。でも今…円堂守をこの世界に 連れてきたのはあんた達じゃない…。だからあんたや提督の名に傷はつかな い。そういう事か」
ミストレが呻くように言う。今回円堂を連れてきたのはカノンとキラー ド。中継でそれを明るみに出す事で、軍にとって邪魔であろう二人を社会的 に抹殺するつもりなのか。
「そこは勘違いしないで貰いたいな、カルス小尉」
相変わらず読めない顔でバウゼンは告げる。 「我々も…失脚は覚悟の上だ。お前達の対戦相手…イービル・ダイスのメン バーを見れば分かるだろう」 「イービル・ダイス…?」 聞いた事のないチーム名だ。王牙学園のメンバーだろうか。 いや−−違う。その正体を晒す事で、バウゼンやヒビキの名声に傷がつく 可能性があるとしたら−−。
「全てはより良き未来の為。多少の犠牲は仕方ない。痛みなくして革命は有 り得ない。我々の挑戦、受けてくれるな?円堂守よ」
ぎり、とミストレが拳を握りしめるのが見えた。犠牲は仕方ない?ならば バダップがああなったのも仕方ない事だったというのか、と。エスカバとて 同じ気持ちだった。自分はミストレほどの憎悪は抱いていなかったが、さす がに今は彼を憎いと思った。 上司として。教官として。彼を信頼し忠実に従ってきたつもりだ。だがバ ウゼンにとって自分達は駒でしかなかったのだろうか。バダップがあんな風 になっても−−何とも思っていないのか。 「分かっているだろうが、君達に拒否権はない。断れば…お互いに不幸な状 況が生まれるだろうな」 「……」 どんな罰が下るか分かったものではない、そういう事だ。恐らく王牙学園 の生徒も軍も全てオーガの敵に回るだろう。カノンやキラードも秘密裏に “処理”される可能性が、高い。 「…いい機会なんじゃないか、エスカバ」 「円堂?」 口を開いたのは、渦中の円堂守その人であった。
「俺は…サッカーが大好きだ。だからサッカーを否定する人達にもさ…出来 れば好きになって貰いたいって思う」
それにさ、と彼は続ける。 「これはチャンスかもしれないぞ。この世界を…変える為のさ。お前達の勇 気をみんなに見て貰えるチャンスじゃないか」 「そうだな」 そこに風丸が同意する。 「絶望なんかじゃない。勇気をなくしたわけでもない。サッカーは希望なん だって…教えてやろうぜ。こいつらにも、世界中の人達にも!」 なんてポジティブなのか。だがそんな発想の転換もまた、彼らの強さの秘 密かもしれない。 エスカバは考える。自分達に拒否権はないと言う。さらには試合を承諾す る事はバウゼン達の策略の内に違いない。でも。 その策略を逆手にとって利用してやる事が、自分達にとって最も正攻法で ルールにのっとった仇討ちなのではないか。バダップの想いに報いて、彼を 救い、自分達の答えを出す為に最良の手段なのではないか。
「…ミストレ」
エスカバはミストレを見る。自分の心は決まった。だが小隊の正式な立場 上、そして階級上はミストレの許可が必要になる。バダップがいない今、オ ーガの指揮権は副隊長の彼にあるのだ。
「…いいでしょう。…その挑戦、受けて立ちます」
頷き、ミストレが決断を口にした。この瞬間、運命の試合が組まれる事が 決定した。バウゼンが満足そうに笑う。 「あまり雷門メンバーを長く拘束する訳にもいくまい。試合は三時間後、オ ーガの地下修練場で執り行う。言うまでもないが時間厳守だ」 「イエス…サー」 そのまま立ち去っていくバウゼンに、エスカバはミストレと共に返事と敬 礼をした。そして思ったのだ。 ひょっとしたら−−いや、恐らくは。自分達が彼に敬礼するのは、これが 最後になるのだろう、と。
「イービル・ダイスか…」
染岡がぽつりと呟く。
「一体どんなチームなんだろうな?」
悪の賽子。何をもってその名をつけたのだろう。エスカバは、かつてヒビ キが言っていた言葉を思い出していた。
『人の運命は賽子のようなものだ。…一が出るか六が出るかで、その後の運 命が大きく変わってしまうのだからな』
願わくば、自分の予感が外れていますように。もし予想通りであるとした ら雷門は−−史上最悪の相手と戦う羽目になる。
かつん。 かつん。 かつん。 先程から部屋には、小さな堅い音が断続的に響いている。灰色のロッカー と白い壁。黒いベンチ。小さな丸いテーブルにパイプイスが一つ。殺風景な 控え室だ。 そのたった一つのパイプイスに腰掛け、少年はひたすら黒炭の賽子を指で 弾いていた。机の上で、ただひたすらに。 彼はイービル・ダイスのキャプテンとして、過去から召喚された者だった。 チームのメンバーが皆そうであるように、彼もまた黒いローブを着込みフー ドを被っている。まるで顔を隠すかのように。
−−まさかこんな日が来るなんて…な。
ローブの下。黒いユニフォームの袖につけられたキャプテンマークに、そ っと触れる。
−−雷門と戦う、なんて。普通なら絶対起きない事が、起きた。
いや。有り得ないなんて事は−−有り得ない。それは自分が誰より知って いる事だと少年は思う。なんせ今回以外にも山ほど、有り得ないような事が 身近に起きてきたのだから。 そもそも。あれほどサッカーが大好きで仕方なかった自分が、サッカーを 憎むようになるだなんて−−一体どうして想像できただろう。あの頃の自分 が今の自分を見たら嗤うだろうか、それとも嘆くだろうか。
−−きっと俺は弱い。凄く凄く…弱い人間なんだろうな。
サッカーを憎みながらも、結局サッカーから逃げられずにいた少年。ボー ルを見る度辛くて辛くて悲しくて悲しくて、それでもサッカーを続けていた のは。ひとえに、そこに仲間の面影を見たからだ。 なんで彼らがあんな死に方をしなければならなかったか、今でも分からな い。まだ十四歳。まだまだたくさんやりたい事があった筈だ。未来があった 筈だ。どんなに不遇な環境にあっとしても、彼らとやるサッカーは本当に楽 しかった。 だが。 自分から彼らを奪ったのもまた、サッカーだった。
−−サッカーが悪いなんて、最初は思いたくなかったけどさ。
サッカーを続ければ続けるほど、関われば関わるほど不幸に見舞われた。 新たな犠牲者が出た。真っ直ぐだった気持ちはやがて歪んで捻れて−−いつ しか憎悪へと姿を変えていった。 サッカーに出逢わなければ。きっと自分は何一つ失わずにすんだ。仲間達 が命を落とす事も無かった筈だ−−と。
−−弱くて、情けない人間だと。嗤えばいいよ、円堂守。
未来の世界がどうなろうが、もはや自分には関係のない事だった。そもそ も彼らは自分達の直接の未来の存在ではないのだから。 だから。自分がバウゼン達に従っている理由は二つだけ。 一つは、あのお気楽で苛つく連中を思い切り叩きのめし、サッカーを存分 に否定できる事。爽快ではないか。今まで何をしても晴れる事のなかったこ の鬱々とした気分も、少しはマシになるかもしれない。 そしてもう一つは−−喪ってしまった友人達を、“生き返らせてくれると バウゼンが約束してくれた事”だった。八十年後の未来の技術、その何たる 素晴らしい事か。実際に愛する彼らは“還ってきた”。自分の元に。死んだ 時と寸分違わぬ姿で。
−−バウゼンとヒビキ。奴等の言う通りにすれば、俺の願いも叶うんだ。
ならば躊躇う必要はない。全力で潰す。今までと同じように、容赦も情の 欠片もなく。 そして自分達が雷門に負ける理由は何処にも無かった。彼らのやってきた 時間軸は、フットボールフロンティア優勝直後。運良くオーガに勝ったもの の、まだエイリア学園とは戦っていないし、ましてや世界大会優勝もしてい ない。遥かに格下の相手だ。 たった一つ気掛かりなのは、雷門だけでなくオーガとの混成チームになる であろう事。彼らのデータもバウゼンから受け取っている。正直、何故雷門 などに負けたかサッパリ分からない。
−−スタメンにオーガメンバーが何人組まれるか。そこが鍵、だな。
裏を返せば、奴等さえ抑えこんでしまえば勝ったも同然。後はうちの参謀 に任せてしまえばいい。きっと素敵な殺戮劇を演出してくれる事だろう。
「キャプテン」
がちゃり、とドアが開いた。顔を出したのはイービル・ダイスのメンバー の一人。少年の親友と呼んでも差し支えない人物の一人でもある。 「そろそろ、時間だよ。僕達も行かないと。一応、ミーティングもあるし」 「ミーティング、かぁ」 やる意味あるのかな、と言うと。親友は暗い眼で笑った。 「そんな事言ったら怒られちゃうよ。それに…100%の事なんて何一つない。 …そうでしょ?」 「それもそうだな」 間違いない事だった。少年は苦い笑みで返す。思い出したのだ。バウゼン と出会った時に言われた事を。 1%の、そのまた1%に満たない確率で自分達は存在している。 悪の賽子−−その名に相応しく。悲劇の1の目ばかりを奇跡的に繰り返し てしまった、あまりに悲運の子供達として。
「行こうか…フブキ」
さあ、甘い幻想を、終わらせよう。
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聖なる、領域。