“そう仮定するのはとても、とても怖い事だったから”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
二十七:サバイバル・ゲーム
 
 
 
 
 
 
 
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『飛鷹征矢』
 
 蓮之葉中学二年男子。暴走族とその愛人の間に生まれた子供であり、家庭
から学校に至るまで荒れた環境で育つ。
 現在同居しているのは実母と義父。母は男を作ってはとっかえひっかえの
タイプであり、義父といっても既に六人目である。それでも義父の殆どが収
入のある男だった為なんとか生活出来たが、母親は家事も仕事も何もしない
女だった。典型的なネグレクトである。
 住んでいた地域は治安が悪く(稲妻町と蓮之葉町の境の川を越えた途端、
街並み自体がガラリと変わるのである)、飛鷹の通う学校も荒れたものばか
りだった。飛鷹も非行を繰り返し、頻繁に補導される毎日。中学に入る頃に
は蓮之葉町を仕切る三大勢力のうち一つ、征翼会のボスとして君臨してい
た。
 だが、彼は当初自分の不幸さに気付いていなかった。寧ろ幸福だと感じて
いたと後に語る。征翼会に集まった不良仲間達は、彼にとってかげがえのな
い存在であった。
 それが、対抗勢力でありヤクザと繋がりがある麗奴嵐(レッドストーム)
が、脱法ドラッグをバラまきだしたことで壊れていく。チームの多くが薬物
中毒に陥り重体。幻覚を見て発狂した幹部の一人、唐須幸人はチームの仲間
数名を殴り殺して自殺。飛鷹もボロボロの身体で病院に担ぎ込まれるが、父
母が見舞いに来る事は無かった。
 やがてそんな彼は響木と出会い、サッカーの世界に足を踏み入れる。
 サッカーが彼にとっての救いになるかと思われたが、ここでも前歴が邪魔
をした。チームから抜けた飛鷹を恨み、かつての幹部や部下達が日本代表を
襲撃。代表の数名と響木に重傷を負わされ、飛鷹は夢半ばで代表を辞退させ
られる。
 更には響木は、この一件のせいで片耳に後遺症が残り、持病が悪化。それ
を推してサッカーに関わり続け、フットボールフロンティアインターナショ
ナルが終わってすぐに病死する。
 飛鷹を支配するのは憎しみよりも罪悪感であろう。自分さえいなければ。
サッカーに関わらなければ。免れられた悲劇もあるのだと、そう思っている
のかもしれない。
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 鬼道は素早く周囲を見回し、次の展開を予測する。彗星シュートによる遠
距離攻撃はメリットが大きいが、反面カウンターをくらいやすいという弱点
もある。
 彗星シュートをブロックした『トビタカ』が次にパスを出すのは誰か。パ
スをした後シュートするのは誰か。あらゆるパターンを予想し、臨機応変に
対応する。
 イービル・ダイスの面々はどれもくせ者ぞろいだが。その中で最も初心者
に近いのが『トビタカ』だと気付いていた。彼はフェイントが下手なのであ
る。基礎能力は高いが次の行動が読みやすい。それは経験不足が原因だろう。
 皮肉にも今、ヒビキが自分達に見せた彼の過去で裏がとれた。『トビタカ』
の経験値はお世辞にも高いとは言えない。
 彼の眼が一瞬左を見る。足首が動く。
 未来線が、見えた。
 
「風丸!」
 
 鬼道の意図をアイコンタクトで察知したのはさすがと言うべきか。『トビ
タカ』がパスをした相手−−『トラマル』の前に素早く風丸が走り込み、ボ
ールをカットした。実力はまだまだ及ばない自分達。しかしフットボールフ
ロンティアを勝ち抜いた経験とチームワークなら負けはしない。
 『トラマル』からボールを奪ったそのモーションで、風丸がシュート体制
に入った。
 
「彗星シュート!」
 
 彗星シュート、第二撃。不意をつかれた『トビタカ』は反応できない。そ
して多くのイービル・ダイスメンバーが出遅れる。
 複数名での彗星シュート乱れ打ち。この波状攻撃はこちらが得点するか向
こうがカウンターを成功させるまで続く。そして長引けば長引くほどこちら
に優位になる。
 
−−さぁ…どう出る!?
 
 その瞬間だった。赤い影がまるで神風のように、シュートの軌道上に躍り
出た。『ヒロト』だ。
 
「絶対に…止める」 
 
 ぞくり、と。鬼道の背筋に冷たいものが走る。こちらを見据えた『ヒロト』
の眼は−−他の誰よりも暗く沈んでいた。そこに光はない。絶望しきった人
間の瞳だ。
 さらり、と。ストッパーをかけた綺麗な赤い髪が宙に舞う。自分達があの
試合で見たヒロトと髪型が違う。あのヒロトはもっとハネた、元気の良さそ
うな髪をしていた。
 宙を舞い踊る肢体。暗い暗い、闇の中に浮かぶ氷のような冷たい美しさ。
思わず魅せられてしまい、鬼道の反応は遅れた。
 
「流星ブレード…」
 
 『ヒロト』は彗星シュートを直に、流星ブレードで打ち返してきたのであ
る。まるで流星のような輝きが弾け、強烈な一撃となって一直線に雷門ゴー
ルに向かう。
 
「え、円堂ッ!」
 
 マズい。こんな速いカウンターは予想していなかった。シュートブロック
対応の技はブロック技限定だと思い込んでいた自分のミスである。
 流星ブレードはロングレンジに向くシュートではない。よってこの長距離
ならば威力は幾分落ちる−−それは間違いないが。
 
「ボルケイノ・カット!」
 
 とっさの判断。土門が回り込んで、シュートブロックを試みる。完全に殺
しきれないのは最初から分かっている事だ。しかし今は少しでも威力を殺げ
れば万々歳。流星ブレードはパワーこそあるが、グラディウスアーチのよう
にあからさまに敵を殺傷するのが目的の技ではない。
 土門の蹴りで噴き上がったマグマを、シュートは突き破って進む。しかし
パワーダウンは見て取れた。そこに最後の砦である円堂が待ち構える。
 
「マジン・ザ・ハンド…改!」
 
 円堂が召喚した魔神が吠えた。筋骨隆々の魔神が、円堂の動きにシンクロ
して雄々しく腕を突き出す。
 
−−この距離で…シュートブロックを受けて尚…重い!
 
 鉛の塊が腕全体にのしかかるよう。ずしり、とした重みは、さっきの『フ
ィディオ』のシュートとは似て非なるものだった。
 『フィディオ』のシュートにあったのはサッカーへの根深い憎しみ。『ヒ
ロト』のシュートは−−あまりにも深い、悲しみが込められていた。キリキ
リと痛んだのは指先か、それとも胸の奥か。
 
−−でも今度は…止められる!
 
 この世には乗り越えようのない試練だってある。世界は優しくなんかな
い。都合のいい神様なんかいない。だけど。
 乗り越えようのない試練を乗り越えられるモノに変えるのは、絆の力だ。
ミストレに言った言葉はそのまま円堂自身の信念だった。
 止められないシュートも。仲間と一緒なら止められる。彼らの心が、存在
そのものが自分に力をくれるのだから。
 
「…!そ、そんな…!!
 
 『ヒロト』の眼が見開かれた。円堂の手には、がっしりとキャッチされた
ボールが。
 
「さぁ、反撃だ!」
 
 円堂はそのまま思い切りボールを蹴った。弧を描く軌跡。その着地点には
ダイッコが走っている。
 
「雷門の奴らばっかりに、いいカッコさせられるかよ!」
 
 この試合の中。絆を深めたのは雷門メンバーだけではなかった。言葉と魂。
オーガのメンバーともまた、少しずつ心は通い始めている。
 そう、それがサッカーなのだ。呪いなんかじゃない、円堂が信じる、人を
幸せにする魔法。
 大柄な身体を持ちがらも、『トラマル』のスライディングを思いの外身軽
にジャンプしてよけたダイッコは、そのまま一之瀬にパスを出す。
「クイックドロウ!!
「悪いけど通させて貰うよ!ムーンサルト!!
 さらに、一之瀬が『マックス』のクイックドロウを、ムーンサルトの軽や
かなな動きでかわす。ふわり、と束の間浮いた身体を捻り、一之瀬はパス。
その先にはサンダユウがいる。
 
−−よし、パスが繋がり出したぞ!このまま行けば…!!
 
 だが。サンダユウがボールをトラップした直後に。
 
「ウゼぇんだよ…クソどもが!」
 
 『ソメオカ』だった。罵声と共に、サンダユウにタックルしにかかる。伊
達に少年兵として鍛えているわけではないサンダユウはあっさりそれをか
わすが−−かわした直後に油断があった。
 主審の位置からは見えなかっただろうが、円堂にはハッキリ見えたのであ
る。『ソメオカ』が素早くサンダユウのユニフォームの端を掴み、反対の手
では腰に手刀をくらわせて転倒させたのを。
 
「うわっ!」
 
 サンダユウは受け身をとった為大事に至らなかったが、ボールは奪われ
た。審判の笛は鳴らない。
「待てよ、今の反則じゃねぇのか!?思いっきり殴ってただろ!?
「よしな、エスカバ!!
 頭に血が上って叫ぶエスカバを、やはり怒りを露わにしながらも宥めるミ
ストレ。酷いプレーに怒ったのは円堂も同じだったが、正しいのはミストレ
だ。
 審判が一度セーフと判断したものはまず覆らないし、彼らの立場を考えれ
ば覆してはいけないものだ。寧ろ下手な抗議はこちらの心象を著しく悪化さ
せ、退場の契機になりかねない。
 そして何より、時計は止まっていないのだ。こうしている間にもボールを
奪った『ソメオカ』がドリブルで上がりつつある。動揺している場合などで
はない。早く阻止しなければ。
 
「『ソメオカ』!時計を止めろ!!
 
 止めたのは意外にも−−あちら側の『エンドウ』だった。『ソメオカ』は
『エンドウ』の意図に気付いてか、文句の一つも言わずにボールを外へ出す。
 
−−え、何で?どうしてだ?
 
 チャンスではないか。流れも再びイービル・ダイスに傾きつつあったのに
−−それを何故ブッた切るような真似をする?
 円堂は平行世界の自分を、『エンドウマモル』を見た。気持ちが悪いほど
に同じ顔。だが−−鏡をじっと見つめるような趣味などない円堂自身でさ
え、その顔には大きく違和感があった。
 『エンドウ』の眼は、他人を見下す眼だった。円堂には分からない感情だ。
自分はサッカーにおいてどんな相手にも敬意を払ってきたし、サッカー以外
でも誰かを見下ろす真似などした事がない。
 あんな眼を。見下す感情の奥に暗い怒りと憎しみを秘めた顔を。自分と同
じだった筈の存在がやっている。
 その事実そのものに、円堂は畏れを感じた。そして。
 
 ドゴッ!
 
 時計が止まった瞬間−−その暴挙は起こった。つかつかとフィールド中央
付近まで歩いてきた『エンドウ』が、『ヒロト』を思い切り殴り飛ばしたの
だから。小さく噛み殺した悲鳴を上げて倒れる『ヒロト』。
 
「ちょ、お前!仲間に何やってんだ!!
 
 円堂は思わず怒鳴っていた。突然の蛮行。怒りと同時に、円堂を支配した
のは混乱だ。どうして『ヒロト』は殴られなければならないのか。
 
「部外者は黙っててくれ」
 
 そんな自分達に、『エンドウ』は冷たく言い放つ。
 
「なぁ…『ヒロト』」
 
 『ヒロト』は倒れたまま、真っ青な顔で『エンドウ』を見上げていた。そ
の『ヒロト』に、『エンドウ』は嘲りに満ちた笑みを向けて言う。
 
「シュート、決められなかったな。あの程度のディフェンスで、あの程度の
距離で」
 
 使えないヤツは要らないって、言ったよな。『円堂』はそう言って、嗤う。
 
「俺達にも棄てられたいか、『ヒロト』?」
 
 
 
NEXT
 

 

野戦、遊戯。