“だけどそれって、とてもみっともなくて情けないこと。” ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 二十八:クライシス・コア棄てられたいか。『エンドウ』がそう口にした途端、『ヒロト』の様子は 一変した。ただでさえ白い肌は完全に血の気が失せ、眼に涙を溜めながらガ タガタと震えている。「ご、ごめんなさい…」 か細い声が、喉の奥から漏れ出す。「ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいご めんなさい…っ!」狂った機械のように繰り返す『ヒロト』。円堂は困惑するしかない。それ はあの試合で自分達を助けにきてくれたヒロトとは、全く別のイキモノだっ た。確かに、この『ヒロト』とあのヒロトは別人だ。この『ヒロト』はあちら の彼より遙かに悲惨な人生を歩んできただろう事は想像に堅くない。それで も円堂は、彼らが元々の同一人物だとは思えなかった。この『ヒロト』は−−もっと根っこの部分から、何かがポキリと折られて しまっている。崩れてしまっている。何故だかそんな印象を抱いたのだ。「お願い…お願いだから俺を見捨てないで、円堂く…」「気安く呼ぶな!!」 再び大きな音がした。「きゃぁっ!!」 『エンドウ』が『ヒロト』の胸を蹴り飛ばしたのである。『ヒロト』はそ の喉から、男子中学生とは思えない甲高い悲鳴を上げて転がり、苦しげにう ずくまった。違和感の正体。その原因の一つに、円堂は漸く気付く。だが俄かには信じ られなかった。だって、あの試合の助っ人だったあのヒロトは、華奢とはい え紛れもなく男だった筈。なのに。「気安く呼ぶな。触るな。俺達まで汚れるだろうが」『エンドウ』は−−自分と同じ存在とは思えぬほど、ぞっとするような冷 たい声を出して、見下ろした。「言った筈だ。俺は一生お前を赦さないし認めない…この人殺しの売女」 真っ青な顔で震え続ける、赤い髪の−−少女を。間違いなかった。破れかけたユニフォームの間から、僅かながら胸の谷間 が覗いていたのだから。−−『ヒロト』が女の子だって…!?どういう事なんだ!? 「基山ヒロトは特異な存在だ」 円堂の心を読んだかのように、バウゼンが告げる。「度合いは異なるも悲劇を逃れられない存在。そして約二分の一の確率で女 子として生まれて来る運命にある。理由はどうやら、オリジナルの存在の特 殊さゆえとされているが、正確には分かっていない」目の前では、『ヒロト』が泣き叫び、罵声を浴びせられ、殴られ蹴られを 繰り返している。何故あんなにも『ヒロト』が『エンドウ』に憎まれている かは分からない。確かなのは、バウゼン達が助ける気配がない事だけだ。「そして殆どの世界で、“基山ヒロト”の名は本名ではない。…円堂、お前 の助っ人に来た基山ヒロトも含めてな」本名ではない。その理由は、バウゼンが提示した『ヒロト』のデータによ り明らかになった。−−−−−−−−−−−−−−−−−−『基山ヒロト』エイリア学園二年女子。だが、彼女が女である事は知っている者と知らな い者がいる。今回のようにサラシを忘れた上『エンドウ』が側にいると極端 に怯えるので発覚しやすいが。元は両親から五歳まで虐待されて、児童保護施設・お日様園に保護された 子供。親は彼女の出生届を出しておらず、名前すらつけていなかった。正確 には保護された時点で彼女の実母は再婚しており、父親との血の繋がりはな い。彼女は、お日様園のオーナーである吉良星二郎の死んだ息子に生き写しだ った。吉良はそれを見て息子が帰ってきたようだと歓喜し、彼女に『ヒロト』 と名をつけたのである(基山、は彼女を棄てた親の名字だ)。そして彼女を 男として育てた−−愛息子と同じになるように。吉良に嫌われたくない一心で彼女は何でもやった。棄てられる事が深いト ラウマとして刻まれていた為である。吉良がヒロトに、息子と違うところを 見つける度怒り狂って暴行したのも原因の一つである。ヒロトの境遇を深く知る者は同情し、知らない者は汚物でも見るような眼 で蔑んだ。彼らは皆吉良を父と呼び敬愛している。ヒロトは虐待される中で、 望む望まずに関わらずその父と寝る事が頻繁にあった。その結果妊娠と出 産、流産を繰り返しているとなれば周囲の風当たりが強くならない筈もな い。現在ヒロトは十四歳だが、既に五歳と三歳の息子がいる。二人は吉良の 娘である瞳子が主に世話をしているらしい。やがて始まる吉良事変。ヒロトはエイリア学園頂点のチームを率いて、父 に命じられるまま暴虐の限りを尽くす。最終的に事件は円堂達の手で解決す るが、円堂がヒロトを許す事は無かった。理由は二つ。ヒロトが事件の最中、普通の少女になりすまし、円堂を懐柔すべく身体を 使って迫ろうとした為(未遂に終わったがこれも父の命だった。)。 何よりも事件のせいで、円堂の友人達が何人も犠牲になった為である。父が逮捕された今、ヒロトの手綱を握り利用するのは円堂だった。円堂に 棄てられたら自分には何も残らない。ヒロトは何度殴られても、円堂の下僕 として仕え続けている。−−−−−−−−−−−−−−−−−−「吐き気がしそうな過去だよな?お綺麗な世界で生きてきたお前達からす れば」『エンドウ』は嗤い、また『ヒロト』の顔を殴る。倒れた『ヒロト』の唇 の端は切れ、血が顎を伝っていく。「だから…そんな哀れむように見るなよな。こいつは誰かに虐げられ、壊さ れる為に生まれてきたんだ。まあ、もう壊れてるんだけどさ。…なのに俺達 の大事なもんを壊してくれたんだから」バキリ、と痛ましい音。弱々しい悲鳴。『エンドウ』の嘲笑をBGMに。 「これくらい、軽い罰だろ?」吐き気のするような過去−−確かにそうかもしれない、と円堂は思った。 だがそれは『ヒロト』本人に対してではない。そのような環境を作った、周 りの者達に対してだった。なるほど、彼女はもうどうしようもないくらい壊されているのだろう。殴 られ、蹴られ。しかし彼女が『エンドウ』を見る眼に怒りはない。悲しみと 恐怖しかない。彼女自身が自らに向けられる暴力を当たり前のモノとして受 け止めてしまっている。だけど。だからといって。これ以上その不幸を周りが助長していいなんて 事はない。そんな権利は誰にもない。『エンドウ』が彼女達によって何を奪 われたかは分からないけれど−−でも。「何のつもりだ…円堂守」『エンドウ』が唸るように言う。円堂は迷い無く飛び出していた。『ヒロ ト』を庇うように、『エンドウ』の振るった拳を受け止めて。「お前が…どんな苦しい思いをしたかはまだ知らない。イービル・ダイスに いる以上、俺が予想出来ないような悲しい事がたくさん起きたんだろう」受け止めた拳は痛かった。それは彼の痛みの重さだろう。だからこそ円堂 は思った。止めなければ、と。「だけど…お前に幸せになる権利があって、誰かに守られる権利があるよう に!こいつにだって幸せになって、守って貰う権利があるんだよ…!!」 円堂の後ろで。『ヒロト』が驚愕し、顔を上げたのが分かった。信じられ ない、そんな感情が背を向けて尚伝わってきて、円堂は胸を締め付けられる。「復讐したくてしたくて。何かにぶつけたくてしょうがない気持ち。俺は幸 せだから…そんな経験ないけどさ。でもそうやって必死にもがいてた奴の事 は、知ってるんだ」向こうでミストレがはっとしたのが見えた。彼も気付いたのだろう。憎し みに暴走して、全てを壊してしまえばいいと願って。ただひたすら何かに怒 りをぶつけようとしていた、彼。その姿を今第三者側で見せつけられた気分になった筈だ。そして分かった だろう。それがいかに幸福とかけ離れたものであるのかを。「復讐するな、なんて誰にも言えないさ。でも…それが幸せな事だと思っち ゃってるなら、俺は止める。止めなきゃいけない。『ヒロト』を傷つける事 で…自分の痛みが癒えるわけないって事、分からない訳じゃないだろ!」「…よく回るクチだな…!!何も知らないくせによくもまあいけしゃしゃあと…!!」 ギリギリと唇を噛み締めて−−『エンドウ』は勢いよく拳を引いた。全身 が怒りで震えている。顔は鬼の形相と言っても過言ではない。にも関わらず 彼が円堂を殴らないのは、今が試合中だからに他ならないだろう。味方チームの『ヒロト』ならまだしも。敵チームの円堂を殴れば、当然審 判も黙っていない。せっかく勝っている試合を、私情だけで無茶苦茶にした くないのだろう。最終的に彼は一番に勝利を大切にしているのだ−−その事 実が、円堂に一つの真実を伝えた。以前自分は風丸に言った事がある。勝ちたいと願うのはサッカーが好きだ から。だから時には反則を犯してでも勝利を望んでしまう人がいるのだ−− と。それは今の『エンドウ』にも言える事ではないのか。−−やっぱり…コイツはどんなに歪んでも、俺と同じなんだ。サッカーが、好きなのに。境遇により憎むしか出来なくなってしまってい るなら。−−サッカーで…俺はバダップだけじゃない、こいつらをも救えるかもしれ ない。「さっさと試合を再開させろ、『エンドウ』」 ヒビキがやや苛立ったように言う。「言った筈だ。円堂守は浄罪の魔術師……その力は同じ『エンドウ』といえ、 お前を遙かに凌ぐもの。寧ろお前が失ったものだと言っていい」 『エンドウ』は悔しげにヒビキを見る。だがヒビキは容赦ない。「技術はあっても、魔法への耐性や他人に呪いをかける能力では、貴様は遥 かにこいつに劣る。魔術師の言葉に耳を貸すな。お前はお前の望むサッカー をする事だけ考えていればいい」そのまま歩き去る男を、『エンドウ』は忌々しげに見送る。そのままポジ ションに着こうとして、一度だけ『ヒロト』を振り返った。 眼があっただけで、びくりと肩を震わせる『ヒロト』。「分かってるな?次失敗したら…お前は本当にお払い箱だ」人の心を傷つけ、縛り付ける呪いの言葉。それはやはり魔法と呼んで差し 支えないものなのだろう。そんな魔法を、人を傷つける為にしか使えない− −幸せにする為にしか使えない彼を、円堂は心底哀れに思った。「…立てるか?」座り込んでいる『ヒロト』に、円堂は手を差し伸べる。『ヒロト』は死ん だ眼で、しかしどこか不思議そうに円堂を見た。「どうして…優しくしてくれるの?俺に触ってくれるの?」キタナイっていつも言われるのに、と。言う少女を前に、円堂は必死で笑 顔を作った。そうでなければ涙になってしまいそうだったから。「汚くなんかないよ、お前は。それに…一緒にサッカーやった奴はみんな、 俺の仲間だ!仲間を助けるのは当然だろ?」「円堂…君…」彼女はおずおずと、遠慮しがちに円堂の手を掴んできた。同年代の少女達 以上に痩せて頼らない手を、円堂は力強く引っ張り上げる。 感傷に浸るのは後だ。まだ試合は始まったばかりなのだから。「さぁ、サッカーやろうぜ!」負けられない。想いを再確認した瞬間だった。 NEXT |
危機、核心。