“逃避は時に必要かもしれないけど、それは本当にただ逃げてるってこ と。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 二十九:パラノイド・ドール
試合再開の笛が鳴る直前。ミストレはちらり、とベンチの方を見た。車椅 子に座り、微動だにせずフィールドを見つめているバダップを。 その瞳には、何が映っているのだろう。もし自分にサイコメトリの能力が あったら、彼の心を覗きみれるのに。彼の中からこの景色を見つめられたら、 きっとその魂を揺らす方法が見つかるのに。 自分には、自分達にはそれが出来ないから。こうして不器用に考え続けて いる。自分達は誰一人彼になれない。どうあっても第三者でしかない。その 他人という距離なりに、限りなく近付ける手段を探すのだ。
−−他人だから…意味あることも、あるのかな。
分からないから。心が見えないから。自分達は努力することが出来るのか もしれない−−誰かと心で、手を繋ぐ為に。 ほんの少し前まで見えなかったことが、ここ最近で急に見えるようになっ た気がする。 オペレーション・サンダーブレイクで雷門と戦って。結果論を言えば無為 な試合だったのだけど、戦う勇気というモノを知って。 バダップが生還の望みのない戦場に送られて。ボロボロになって、壊され て帰ってきた彼を見て、誰もがその存在の大きさに気付かされて。 憎しみに暴走して円堂を殺そうと過去に経った先。その円堂の言葉に、自 分の幸せというものを見つめ直させられて。そして今−−バダップを取り戻 す為の試合の最中、ミストレは見せつけられている。 憎しみで壊れた者の姿と。 愛に飢えて、不幸を享受する者の姿を。
『…ムダじゃ、ない』
−−そうだね、バダップ。
『俺は言ったな、ミストレ。円堂守に出逢った事を後悔していないと。…こ の事実を知っても変わらない。俺は、無意味な事など一つも無いと思ってい る』
−−選んだ未来の結果。どんな悲しいモノを見たとしても、それが悪夢のよ うな現実でも…。
『過去は変わらなかったとしても。俺達は……変われただろう。だったら、 ムダなんかじゃない。必ず未来に繋がっていく。…違うか?』
−−ムダなことなんて、一つもない。ムダにしてしまうとしたら、それは…。
ホイッスルが鳴る。サンダユウのスローイング。ボールを受け取ったのは、 一之瀬。
−−それは……俺が、諦めた時なんだ。
『諦めんなよ!自分達はもう不幸になるしかないなんて…未来には絶望し かないなんて。バダップがもう戻って来れないなんて諦めるな!!』
円堂の言葉が蘇る。それは確かに、魔法だった。人の心を引っ張り上げ、 幸せにする白き魔法。ヒビキ達が怖れるのも当然だ。そして、闇に堕ちたあ の『エンドウ』にはけして持ちえない力である事も間違いなかった。
−−バダップ。そこで見ていて。
悲劇にまみれて、諦める事で幸せを放棄した者達を。イービル・ダイスを 相手に。自分は示してみせよう。最後に勝つのは諦めない者である事を。彼 の頑張りはけしてムダにはならない事を。 そして人は、どんな悲しい運命も打ち破り、幸せになる力を秘めている事 を。
「風丸!」
カットにきた『ソメオカ』のタックルをひらりとかわして、一之瀬は風丸 にパスを出す。 「見せてやろうぜ!人を強くするのは憎しみなんかじゃないって事を!!」 「ああ!!」 ああ、そうだ。皆の気持ちは今、一つになっている。ミストレもそうだっ た。円堂を恨む気持ちが完全に消えた訳ではないけれど−−今自分を支配す るのは、それを遙かに凌駕する感情。 バダップを救いたい。 悲劇に溺れた連中に、自分達の信じるサッカーを見せつけてやりたい。 こいつらをも光の側へ引き上げる事が出来たらきっと−−自分達は本当 の意味で強くなれる気がする。どんな悲しい未来が待っていても、乗り越え て生きていける気がする。 自分本意と言えばいい。そう、結局誰もが自分の為だけに生きているのだ。 それがいつの間にか誰かの救いになっていたりもする。何故なら努力するか ら。自分の為に、自分の愛する誰かの幸せを願う事によって。その根底の善 意によって。
「一度は絶望して、全部壊してやりたいと思った世界だけど…」
ミストレの呟きはフィールドに溶ける。
「まだ人間、捨てたものじゃないかもしれない…ね」
ドリブルで上がる風丸の行く手を、あちらの『カゼマル』が阻みにくる。 「今のお前程度の力で、この俺がかわせる筈がない…!!」 「ああ、そうだろうな」 余裕の笑みで立ちふさがった『カゼマル』に、風丸もまた不適に笑ってみ せた。
「この世界に、カミサマはいないよ。だから乗り越えようのない高い壁だっ てあるんだ…だけど」
トン、と。風丸の足が軽くボールを蹴る。そちらの方を見もしない。見な くとも彼には分かっていたのだろう−−そのスペースに、鬼道が走り込んで いる事が。
「一人じゃ乗り越えられない壁も…仲間と一緒なら、越えられる!!」
驚愕する『カゼマル』の横を、風丸は悠々と走り抜けた。その名のごとく、 風になったように。 鬼道にパスしたボールが、再び風丸の元へ戻る。見事なワン・ツーパスだ った。チームの絆と誇りを武器にしてきた雷門だからこその芸当。 「疾風ダッシュ!」 「くっ…!」 風丸はさらに、疾風ダッシュで『キドウ』を抜き去る。シンプルにして技 としての難易度の低い疾風ダッシュは、相手のディフェンス技に力負けしや すい。だが長所もある。 それは、発動スピードの早さ。相手が必殺技を出す前に決めてしまいさえ すれば、当たり負けする事なく敵を抜く事が出来るのである。
「ミストレ!」
来た。ミストレは風丸からのパスを、しっかりと受け止めた。ゴールまで あと少し。その時立ちふさがったのは、ディフェンス最後方まで下がってき ていた『ヒロト』だった。
「絶対に…行かせるものか…!!」
必死の形相。もうミスをしない為に、ピンチを招かない為に−−。失点を 恐れて守りに入ったがゆえの行動だろう。そのあまりにも“ネガティブすが る熱意”には、苛立ちすらわかなかった。 ただ哀れだった。彼女がいくらそんな形で頑張り続けても、望んだモノが 与えられる事はない。手に入れる事は叶わない。それに全く気付いていない 事が。
「…そんなに、愛が欲しい?」
ミストレは真っ直ぐに『ヒロト』を見つめた。彼女は自分の知るどんな少 女より美しい顔立ちをしていたが、今はその美貌はくすんでしまっている。 霞ませているのは、他ならぬ彼女自身。 「怖いんでしょう?捨てられるのが。愛されたくて愛されたくて仕方ないか ら…どんな事もやっちゃう。それのせいでまた、みんなに嫌われて、愛され なくなって。また怖くなって無茶して…その繰り返し」 「…知ったような事、言わないで…」 泣きぬれた眼で。呻くように、『ヒロト』が言う。 「だったら他に…どうしろって言うの。誰かに必要として貰わなきゃ、生き てる価値なんてないじゃない…!自分の価値を決めるのは結局、俺じゃなく て他の誰かなんだから…!!」 「そうだね。自己評価はアテにならない」 ミストレはあっさり頷いてみせる。
「それは間違ってないさ。だけど……うん、なんだかね。今の君、ちょっと だけ昔のオレに似てるんだなぁ」
『ヒロト』ほど顕著に、愛に餓えていたわけじゃなかった。だが、オーガ 小隊ができるまでは、本気で誰かを愛した事などなかったし、きっと愛され てもいなかっただろう。 誰も心から信じる事が出来ない。近付いてくる奴らには皆下心があるか、 上辺の美貌だけを見て惚れてきた馬鹿な女ばかりだった。以前、少し親しく なったと思っていた教師に襲われかけ、結局この容姿目当ての変態だったと 分かった時も大して傷つかなかった。最初から人間に失望していたから。 だけど。一度温かい場所が出来て。バダップが壊されて、その場所を失い かけて。気付いてしまったのである。自分は本当の愛が欲しかった。欲しく て欲しくてたまらなかったから、偽物のすべてを拒絶してきたのだと。 「何だってしようっていう覚悟を決めてもさ。君が根本的に相手を信じてな きゃ…相手が信じてくれる訳ないじゃないか。誰かに手を差し出して貰って も心の中で振り払うような真似、ずっとしてきたんじゃないの?」 「……!!」 「オレは君と違って幸運だったから。オレが信じるより先に、オレを信じて くれる人達に出会えた。でも多分それは、そうそうある事じゃないんだ」 その時、ゴールから声が飛んできた。
「何をグズグズしてるんだ、『ヒロト』」
苛立ちを滲ませた、『エンドウ』の声。
「俺はこの場を一歩も動かないぜ。そいつはお前が止めるからな?」
白き魔法を失い、黒に染まりきった太陽の声。『ヒロト』と華奢な肩がび くん、と震えるのを見てミストレは続けた。
「言葉で、手で、脚で、凶器で。君を殴るものはたくさんあるんだろう。で も殴られる手ばかり探して、差し出される手が見えなくなってるのも君じゃ ない?」
信じてみればいい。信じられないのも無理からぬ事だし、それはとても勇 気がいる事だけど。
「君も戦う勇気を持ってみなよ。そうしたら、きっと出来る。少なくとも… あそこのサッカーバカは、信じても問題ないんじゃない?」
だって裏切るなんて発想も浮かばないくらい馬鹿なんだもの−−と。ミス トレは円堂を一瞬振り返って笑い、加速した。
「あ…」
隙を突かれて。呆然とした表情になる『ヒロト』の脇を、ミストレは走り 抜けていった。 シュートコースが開く。面倒な飛鷹はさりげなくエスカバが押さえてくれ ている。その彼に眼で合図された−−行け、と。
−−当っ然!!
「デスレイン!!」
ミストレの背面に幾つも開いた砲台。その射出口が開き、幾つもの赤い光 が放たれる。それはミストレが蹴り飛ばしたボールを飲み込み、苛烈なシュ ートとなって、イービル・ダイス側のゴールを襲う。
「くそっ…ロングシュートか…!」
『トラマル』が憎々しげに吐き捨てる。通常シュートの射程圏にないとま だ油断していたのだろう−−ミストレがボールを保持してすぐシュートを 打たなかった為だ。
−−ロングシュートも、近い場所から打った方が各段に威力が増す…常識で しょ?
コース上に、ブロック可能な選手はいない。それもミストレの計算内だっ た−−しかし。 走り込んできた一つの影があった。『ヒロト』だ。彼女は驚くべき事にミ ストレに抜かれた後身を翻し、デスレインのモーションの間を使って追いつ いてきたのだ。なんという脚力なのか。
「勝負だよ…『ヒロト』!」
赤い閃光に立ち塞がるように。『ヒロト』がシュートブロックの体制をと った。
「流星…ブレードォォ!!」
流星の力で、蹴り返すべくボールに脚を叩きつける。二人の力がぶつかり、 弾けた。軍配が上がったのは−−。
「ああっ!!」
ミストレだった。デスレインは流星ブレードを破り、彼女の身体を吹き飛 ばす。ボールは腕組みして立ったままの『エンドウ』の横を抜け、ゴールへ と突き刺さった。
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偏執症、人形。