“円堂守。彼に出会ってオレ達の現実は崩れ落ちた。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
三十:トゥルー・ブルー
 
 
 
 
 
 
 
 「よっしゃぁ!」
 
 やっと一点返しただけだ。だがベンチからもフィールドからも歓声が上が
る。エスカバはそれをどこか微笑ましい気持ちで見ていた。子供のように喜
ぶ者の中には、雷門のみならずオーガのメンバーも混じっている。
 ほんの少し前まで、自分達は敵だったというのに。ミストレに至っては本
気で円堂を殺しにかかったというのに。
 
−−見てるかよ、バダップ。
 
 エスカバは動かないバダップに想いを投げる。まだ彼の瞳に光は戻らない
けれど。
 
−−俺にも分かってきたぜ。これがサッカー…円堂守のサッカーなんだ。
 
 呪いじゃない。誰かを幸せにできる魔法なのだ。
 だから彼らはこんなにも強い。どんな絶望を前にして尚、立ち上がり続け
る強さを持っている。
 
−−だから…お前も早く、戻って来い。
 
 この世界は必ずしも美しいとは言えないけれど。現実は時にあまりにも残
酷な色を見せるけれど。幸せもまた、その先にある。
 
−−今こそが…お前の生きるべき現実なんだ。
 
 歓喜に満ちかけたを壊したのは、一つの悲鳴と一つの罵声。人間を殴り飛
ばす音と転がる音。
 
「やっぱりお前、役立たずだなあ!」
 
 『エンドウ』は『ヒロト』を殴り飛ばして、にっこりと笑った。女の子に
暴力を振るった直後とは思えないほど明るく無邪気な笑顔だ。それだけを見
れば、自分達の知る円堂と見紛うほどの。
 だが、その無邪気さの仮面の下は悪意にまみれている。真っ黒に濁った憎
悪に汚れた言葉が、次々次々零れ落ちる。
 
「うん。これでハッキリした。お前は、他人を踏みにじる事と醜い色仕掛け
しか能がない役立たずだ」
 
 だからもう、要らないや。倒れて苦悶に呻く『ヒロト』の肩をスパイクで
踏みつけながら、『エンドウ』は言う。
「もうお前は、チームに要らないよ。寧ろ邪魔。足手纏い。さっさとフィー
ルドから出てけよ、クズ女」
「『エンドウ』君…」
 『ヒロト』は『エンドウ』を見る。その眼には涙が浮かんでいたが、さっ
きまでのように謝り倒したりはしなかった。唇をきゅっと結び、何かに耐え
忍ぶように『エンドウ』を見ている−−子供の顔をした、外道を。
 
「…何?その眼」
 
 そんな『ヒロト』を見て、『エンドウ』の顔から笑顔が消えた。
 
「すっげぇ、不愉快な眼だ。やめてくんないかな?やめないなら…」
 
 少女を仰向けに突き飛ばす。そして右手の指を二本、突き出して。
 
「やめないなら。抉るよ、その眼」
 
 見開かれる『ヒロト』の瞳に、それが突き立てられる寸前。エスカバは思
わず、『エンドウ』の手首を掴んで止めていた。止めずにはいられなかった。
 同情ではない−−純粋な怒りによって。
「フィールドから出ていくのはお前の方じゃねぇの?『エンドウ・マモル』」
「…何だって?」
「さっきのミストレのシュートよぉ」
 自分がこんな風に怒るなんて、こんな理由で憤るだなんて。ほんの少し前
までは思いもしなかった事だ。
 
「もし…もしもお前が真面目にキーパーやってりゃ。止められたかもしれな
いよな?」
 
 これは、サッカーを汚す者への怒り。
 サッカーに全力で取り組む者を馬鹿にする者への憤り。
 そうだ。サッカーは危険思想だなんて思ってた時期も確かにあったのに−
−いつの間にか自分はこんなにも魅せられていたのだ。サッカーに。サッカ
ーを愛する者達の奇跡に。
 
「勝つ気がねぇなら…本気で戦う気がねぇなら!一生懸命やってる奴を馬
鹿にする資格なんかねぇだろうが!そもそもフィールドに立つ資格だって
ねぇ!!違うか!?
 
 エスカバは声を荒げて叫ぶ。
 『ヒロト』の理由は歪んでいただろうが。少なくとも彼女はシュートを阻
止するべく全力で立ち向かってみせた。今のプレイも、さっきのプレイも。
 その頑張りを、一体誰が否定出来るというのか。
 
「俺らは全員、マジになってサッカーやってる。助けたいヤツを助ける為に、
自分達が正しいって証明する為に。そんな俺らに、本気になれもしねぇヤツ
が勝てるわけねぇだろ。寧ろ試合する前から勝敗は見えてらぁな」
 
 それは本音であり、挑発でもあった。
 努力を惜しまぬ少女を平然と見下して、あまつさえ手を上げるような屑野
郎。円堂と元が同一の存在であるなどと認める事もおこがましい。そしてそ
んな奴と試合なんて、本当ならこっちから願い下げなのだ。
 だがこうなった以上、この試合は勝手に終わらせる訳にはいかない。そも
そもバダップの心を引き戻せなくては何の意味もない。だからこその挑発。
全ては『エンドウ』を本気にさせて−−もう少しでも戦うに相応しい相手に
なって貰う為に。
 
 
 
「負け犬は尻尾巻いてお家帰れよ、被害者気取りの下衆野郎」
 
 
 
 『エンドウ』の顔が憤怒に染まる。目をカッと見開き、小柄な身体をぶる
ぶると震わせている。
 
「…あらゆる悲劇を前に…戦い抜いてきた俺達に向かって……よくもまぁ
そんなクチがきけたもんだ…」
 
 子供のような愛らしさは消え去り、怒りに満ちた殺戮者の顔が露わにな
る。
 
「勝つ気がない?本気になれもしない?負け犬?…はははっ、最高の侮辱を
ありがとよ!いいだろ…後悔させてやるぜ。俺を本気にさせた事をな!!
 
 『エンドウ』はエスカバに掴まれた手首を強引に振り解くと、スタスタ−
−というより怒りも露わにドタドタとゴール前に戻っていった。イービル・
ダイスの他メンバーは無言で、或いは忌々しげにエスカバ達を見てポジショ
ンに走っていく。
 分かり易いんだよなぁ、と思う。どいつもこいつもまったくもって感情を
隠すのが下手だ。歪みきっているのは間違いないのに、根っこにどこか子供
らしさがあって−−結局彼らも元は雷門イレブンだったのだと思ってしま
う。
 歪んでしまったのは彼らのせいではない。歪まざるおえない環境を作った
あらゆる運命に、周りの者達に罪がある。彼らとて本当は被害者なのだと分
かっている。
 何か一つ違っていれば、円堂達と同じように−−幸せな“サッカーバカ”
をやっていたであろう事も、容易く予想がつくというのに。
「…あの……」
「ん?」
 見れば『ヒロト』が−−相変わらず血色の悪い顔だ、せっかく美人なのに
勿体無い−−こちらを見ている。
 
「助けてくれて…ありがとう」
 
 弱々しく、力は無かったが。それでも彼女は笑みを浮かべて言う。
 
「努力してるって…認めてくれた人、初めてだったから。ありがとう…嬉し
かったよ」
 
 エスカバが何かを言うより先に、彼女はペコリとお辞儀をして去っていっ
た。だが『エンドウ』に言われたようにフィールドから出る事はしない。そ
れが彼女なりの意思表示なのだろう。
 
−−救ってやりてぇ、な。
 
 バダップだけじゃない。ここにいる全員を救ってやりたい。そして円堂の
サッカーならばそれが出来るかもしれないと思い始めていた−−いつの間
にか、エスカバを含めた雷門とオーガの全員が。
 彼らを救う事で自分達も救われる気がする、なんて。身勝手なエゴだと人
は嗤うかもしれないけれど。
 
−−それでもいいんだ…きっと。
 
 試合、再会。キックオフはイービル・ダイスから。『カゼマル』からボー
ルを受けた『ソメオカ』が、ドリブルで上がり始める。
 
「…始めるぞ、お前ら」
 
 その向こう。ゴール前から高らかに、『エンドウ』が宣言した。雷門サイ
ドを憎々しげに見つめて。
 
「俺達の…破壊の為のサッカーを!!
 
 その声に呼応して、イービル・ダイス全員の動きが変わった。
 
−−何をおっぱじめる気だ…!?
 
「嫌な予感がする…何かやられる前に止めるぞ!」
「賛成だな」
 ミストレに同意し、エスカバは一気に勝負に出た。二人がかりで『ソメオ
カ』を止めに行ったのである。自分達の考えを読んでか、風丸と一之瀬も援
護に入ってくれる。
 複数で押さえれば相手は必ずパスを出すだろう。その先を封じてしまえば
向こうは攻め手を失う。苦し紛れに後ろに下げれば、それを契機に一気に後
退させる事が可能だ。
 エスカバの考えはほぼ正解に近かった事だろう。だが完全な正解では無か
った−−失念していたのだ。万が一にと、フットボールフロンティアインタ
ーナショナルの資料も、自分達は頭に入れていた筈だったのに。
 
「必殺タクティクス…」
 
 『カゼマル』と『ソメオカ』の声が重なる。鮮やかすぎるユニゾンで。
 
 
 
「ダンシングボールエスケープ・改」
 
 
 
 一瞬、何が起こったか分からなかった。
 ボールを保持した『ソメオカ』の後ろから散るように『カゼマル』、『ヒ
ロト』『ゴウエンジ』『フィディオ』が飛び出してきて。
 自分に『カゼマル』。
 ミストレに『ヒロト』。
 風丸に『ゴウエンジ』。
 一之瀬に『フィディオ』がマークについたかに見えた−−が、認識できた
のはそこまでだ。
 知覚した直後に彼らの姿が掻き消えて、突風が巻き起こったと思った時に
は。自分達四人は全員、地面に転がされていたのである。身体中を襲う、痛
みの嵐と共に。
 
「な、何が起きたんだ…!?
 
 呆然とする雷門イレブン。ベンチから秋が悲鳴に近い声で叫んだ−−一之
瀬君!と。
 
「一之瀬!?
 
 他三人以上に、一之瀬の怪我は酷かった。横倒しになったその身体は、ユ
ニフォームもその下の肌もズタズタだ。殆どの傷は浅いものだったが、一カ
所、脇腹辺りが深く切り裂かれていた。パックリ避けた肉からは鮮血がだら
だらと零れ落ち、その身体の下に血の池を作っていく。
 
「あ…ぁ…」
 
 信じられない。そんな面持ちで一之瀬は目を見開き、血の気の失せた顔に
脂汗を浮かべている。激痛で動く事もままならないのだ−−戦場を知らぬ一
般人達からすれば、さぞかし悪夢じみた光景だろう。
 
−−ば、馬鹿な…!?
 
 エスカバもまた、身体中を切り傷だらけにしていたが、一之瀬に比べれば
遙かに傷は浅かった。それでも身体中を苛む痛みに暫し動きを封じられる。
風丸とミストレも同じ状況だ。無力化された囲みを悠々と抜け、走り去って
いく『ソメオカ』。
 あの鬼道ですら。目の前の現実が受け入れがたいのだろう。思考をフリー
ズさせ、棒立ちで抜かれてしまった。
 
−−イービル・ダイスは…FFI後の雷門がベース。必殺タクティクスの存
在を失念していたのは俺達のミスだ…でも!
 
 ダンシングボールエスケープ。あの戦略も資料で見た事がある。だが、こ
んな血なまぐさい技などでは無かった筈だ。資料で見たそれより遙かに威力
も残虐性も増している。
 
「改良型ってわけかよ…クソがっ」
 
 なるほど奴らは言った−−ダンシングボールエスケープ・改と。改良じゃ
なくて改悪型だろと言いたい。なんとかエスカバが血でぬめつく身体に鞭打
って立ち上がった時には、『ソメオカ』がゴール前まで切り込んでいた。
 
「絶対に止める…!」
 
 突然の惨事に動揺したのは円堂も同じだろう。だが彼は気丈に相手を見据
えて構える。ニヤリ、と笑って『ソメオカ』がシュート体制に入ろうとした
その時だ。
 甲高い、ホイッスル。前半終了だ。
 
 
 
NEXT
 

 

真の、青。