“何より今、オレ達は生きている。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
三十六:モザイク・ロール
 
 
 
 
 
 
 
 試合は平行線を辿っていた。
 『ソメオカ』と『カゼマル』にマークを集中させた事で、あちらも必殺タ
クティクスを発動させにくくなったのだろう。だが、こちらもカウンターを
狙う隙が見つけられない。終始イービル・ダイスが有利なまま、試合は後半
十五分を過ぎようとしていた。
 
−−このままじゃ…負ける。
 
 エスカバは流れる汗を、タオルで乱暴に拭った。『カゼマル』達がアンド
ロイドと発覚した後、イービル・ダイス側のプレーはますます乱暴になって
いる。また、『ソメオカ』と『カゼマル』にマークを集中させた事で他が手
薄になり、『トラマル』にまたあの殺人シュートを打たれてしまった。
 なんとか防いだものの、今度は栗松が足を負傷。交代で松野が入る事とな
った。
 
−−奴らも疲れてはいるだろうが…ほぼ無傷。それに俺らはともかく、雷門
イレブンとイービル・ダイスじゃ自力の差がデカい。
 
 持久戦になればなるだけこちらに不利なのは目に見えていた。ロスタイム
に入る前になんとしてもあと一点を入れて勝負を決めなければ。オフェンス
が疲弊しきっている今、まかり間違ってPKにでもなろうものなら笑えもし
ない。
 
「…ん?」
 
 時計が止まった隙に手早く水分補給したエスカバは、カノンがベンチ前に
いるのに気付いた。正確には、バダップの前に。一体何をしているのだろう。
「おいカノン。早く位置につきやがれ。何してんだ?」
「あ…うん」
 カノンはちらりと『バダップ』を振り返る。
「…バダップがさ、ずっとこの試合を見ててくれてる気がしたんだ。だから
…話しかけてた」
「バダップが…?」
 エスカバは彼の方を見る。車椅子の上、力なく座るバダップに変化はみら
れない。瞳は虚ろなままだ。
 
「今はまだ出てこられないけど…俺は少しずつ、届いてるって気がしてるん
だ」
 
 無駄な事なんか何もないんだ、とカノンは力強く言う。そんな顔は−−彼
の敬愛する曾祖父とそっくりだった。
 
「だから…絶対勝とう。絶対何かある筈だ…攻略の糸口が!」
 
 何故だろう、とエスカバは思う。
 何故なのだろう。
 この世界に“絶対”な事も“確実”な事もない−−本当の意味では存在し
ないと分かっているのに。円堂やカノンが口にすると、それが現実に有り得
るような気がしてならない。
 絶対、大丈夫。絶対、なんとかなる。そんな夢見がちな事を口にしてもい
いかもしれない−−そんな気になる。不思議な力だ。
 
「…バーカ」
 
 ああ、そうなのか。
 こいつは紛れもなく、円堂守の曾孫。曾祖父の“魔法”を−−“浄罪の魔
術師”としての力を−−立派に引き継いでいるのだ。
 だから、強い。そして皆が惹かれ、集う。
 
「生意気言ってんじゃねぇっての。当たり前だろが」
 
 勝とう。否、絶対に勝つのだ。
 全ては願いを叶える為に−−失いかけたモノを、取り戻す為に。
 
 
 
 
 
 
 
 試合再開の笛。その音色はまだ遠かれど、バダップの耳にも確かに届いて
いた。
 そしてカノンに握られた手の温もりが教えている。今こそが現実。自分は
夢でも幻でもなく、現実の世界を見ているのだと。
 
−−平行世界の…雷門。悲劇の可能性…イービル・ダイス。
 
 なんて残酷な真似を、と思う。試合の中、痛めつけられているのは身体だ
けではない筈だ。身体より何より、心が痛くて仕方ないに違いない。
 円堂達が今日まで幸せに生きて来れたのは、必然でもあり偶然でもある。
幸運に恵まれたのは間違いないだろう。それはけして罪ではなく、責めれる
いわれのない事だ。
 それでも罪悪感を抱いてしまうに違いない。彼らは優しすぎる。仕様のな
い事と分かっていても、罪を感じてしまう事もあるだろう。
 無論、それもヒビキ達の計算の内に違いない。どんな相手であろうと−−
この試合で雷門が絶望し、心を折り、敗北すれば問題はない。その姿が、現
代のエレメンタルサッカーを愛する者達、全てへの絶望になるのだから。
 
−−そこまで…そこまで貴方はサッカーが憎いか。ヒビキ提督。
 
 自分は何も知らないのだと思い知らされる。何故彼がここまでサッカーを
忌み嫌うのかが分からない。今までの自分達は、彼に言われるままサッカー
は人類を弱体化させる貧弱なスポーツだと信じてきたが−−その思想こそ
がフィルターとなり、眼を曇らせていたと気付く。
 何か、大きな理由があった筈だ。何せ彼の祖先である響木は、サッカーを
愛してやまない男だったのだから。
 
−−だがそろそろ貴方も焦っているんじゃないか…?
 
 景色の中のヒビキに、心の中で問いかける。長年軍人として鍛えてきただ
けあって、その表情に揺らぎはない。しかし、内心けして穏やかじゃない筈
だ−−何故なら。
 後半も残り僅か。この時間になって未だ二対二の引き分け。どちらも決定
力を欠いて攻めあぐねている状態−−地力の総合力では、イービル・ダイス
が圧倒的優位である筈なのに。
 そして何より。未だ雷門のメンバーもオーガのメンバーも誰一人として−
−諦めていない。心を折られていない。絶望を前にして立ち上がり続けてい
る−−どれだけ身も心もズタズタに引き裂かれようとも。
 
−−どうして。どうしてなんだ…ミストレ、エスカバ…みんな。
 
 教えてくれ。気付けばそう口に出していた。
 
「どうして…どうしてお前達は諦めずにいられる?何がお前達を突き動か
す?」
 
 ああ、分かっている。
 本当は分かっている。
 救いたいからだ。護りたいモノがあるからだ。
 一体何を?−−誰を?
 
「答えなど…最初から決まってる、か…」
 
 景色の中で、試合が動く。栗松が彗星シュートを放ち、ミストレ、エスカ
バ、豪炎寺、染岡が一気に上がる。雷門が得意な波状攻撃だ。
 だがそれは、平行世界の雷門であるイービル・ダイスにも言えること。雷
門が得意な戦法とその穴を彼らが理解していない筈がない。『エンドウ』は
彗星シュートを楽々片手でキャッチし、そのまま−−彼もまたシュート体制
に入った。
 戻れ、カウンターだ、と豪炎寺が叫ぶ。どうやらあちらの『エンドウ』も
彗星シュートを持っていたらしい。ゴール前からでは距離的にも大した威力
は望めないが−−それでも彼は栗松よりパワーがある。
 何よりシュートに気を取られすぎて、敵FWのマークが確実に甘くなる。
雷門もそれは理解していた筈だが−−そこはいかんせん、地力と経験の差が
モノを言った。
 
「ザ・ウォール!」
 
 ギリギリのところで、壁山がなんとか攻撃を防いだ。しかしボールはライ
ンを越える。嫌な位置からのスローインだ。
 
−−そもそも奴らはシュートブロックの出来る人員が多い…。ロングシュー
トで攻めるのは逆効果だな。
 
 さらにキーパーの『エンドウ』が彗星シュートを会得しているとなれば。
さっきのようにキャッチされてそのままカウンター、なんて展開もザラにあ
るだろう。益々ピンチを招くことは想像に難くない。
 
−−だが普通にドリブルで切り込むには、奴らの守備が堅すぎる…。
 
 そしてボールを奪ってすぐ、ダンシングボールエスケープで一気に攻め
る。もしくは『トラマル』のグラディウスアーチで貫く。それが奴らの必勝
パターンだ。
 
−−その全てを一度に突破して蹴散らす方法…しかも、奴らが体制を立て直
す隙を与えてはならない。そんな手段が…。
 
 あるわけない。そう呟きかけて−−バダップはハッとした。気がついたの
だ−−たった一つ。たった一つだけ−−可能な手段があることに。
 それも現状、自分だけが−−その方法を持っている事に。
 
−−俺がいれば…勝てるかもしれない…のか?
 
 だけど、と。二の足を踏む心。
 勝てる可能性があるとしても−−自分があの場所に立つ事は赦されるの
か。
 汚い真似をした。身体も心も魂さえ血で汚れ、穢された自分。壊したのは
己だけではない。皆の心をもズタズタにした。絆もだ。身勝手なエゴでどれ
だけ仲間達を追い詰めた事だろう。
 それでも、いいのか。それでも彼らは赦してくれると言うのか。
 
−−−バダップ。
 
 フィールド上に立つ、カノンと目があった。
 この距離で彼の声が聞こえる筈はないのに−−何故か今、聴こえてくるよ
うな気がしてならなかった。
 
−−−君は、自分が愛されてると気付けなくて。それは間違っていたかもし
れないけれど。
 
 丸い、大きな瞳が語りかけてくる。
 それが真実だって告げるように。
 
−−−でも。凄く凄く頑張ったよな。それはみーんな、分かってるからさ。
 
 思えば誰かにこんな風に誉められた事など無かった気がする。バダップが
築く功績は全て、“優れていて当然”という評価ばかり下されてきた。実の
親ですらそう。バダップもそれを疑わなかった−−それ以外の愛情など知ら
なかったから。
 まるで子供のように誉められる。それは気恥ずかしくて、照れくさくて、
でも。
 
−−−赦して欲しいなら…赦してやらなくちゃ。
 
 とても、温かいもので。
 
「もう充分苦しんだんだ。お前を赦せないのはお前自身。だからそろそろ…
赦してやりなよ、バダップ」
 
 はっきりと声になってその想いが響いた瞬間。
 ピシリ、と闇に染まった世界に亀裂が入る音がした。その小さな亀裂はや
がて大きな罅となり、暗く沈んだ空間を満たしていく。
 
「みんな、待ってる。バダップが帰ってくるって信じてるから、諦めずに頑
張ってるんだ。どんなに苦しくても、痛くても」
 
 パァン、と弾け飛ぶ、景色。
 闇のガラスが霧散すると、そこには光があった。光の中、大きな窓の向こ
う、必死で走る仲間達の姿があった。
 
「負ける…もんかっ」
 
 意地でボールを奪い返し、駆けるミストレが見えた。
 
「絶対、諦めねぇぞ…!!
 
 そのミストレからパスを受け、傷だらけでゴールを目指すエスカバがい
た。
 
「まだまだ…終わっちゃいないんだ!!
 
 ああ、そうか。
 愛したっていいじゃないか。誰かが憎むサッカーだとしても、自分達にと
って大切ならばそれでいいじゃないか。
 憎まれるだけの己ならば殺したっていいじゃないか、そう思っていた。だ
けどそれは自分自身の命じゃない。昨日までの弱かった自分。壊れて打ち捨
てられた過去の自分を。
 赦される。否、とっくに赦されていた。赦してなかったのはたった一人、
バダップ自身だけだったのだ。
 
「俺は…幸せ者だな」
 
 どうして出逢えたのだろう。こんな素晴らしい仲間達に、こんなに強い魂
を持ったイナズマイレブンに。
 そう、これも運命じゃないか。
 必然という名で与えられた奇跡じゃないか。
 ならば自分は−−自分は。
 
「受けた恩は、必ず返す。…だから」
 
 バダップは窓に手をかけ、一気に開け放った。その瞬間、意識だけの世界
は現実に繋がった。車椅子の堅い感触と、アンバランスな隻腕。残酷で美し
い、これが現実。
 
「もう一度…サッカーをしよう。みんな」
 
 バダップは立ち上がっていた。
 ふらつきながらも、自分の脚で。
 
 
 
NEXT
 

 

白黒、回転。