“君のいなくなった世界にも、また朝は来るから。” ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 三十七:タイガー・ストーム 後一点。後一点あれば勝てる。勝てるのに。気持ちばかりが焦る。身体がついていかなくなっている事を、エスカバは 認めざるをえなかった。「クソがっ…!」悪態を吐く息も荒い。残り時間は僅かとはいえ、試合の最後まで立ってい られるかどうかが怪しくなってきた。疲労に加えて全身の切り傷と肋骨骨 折。だが自分より重傷であろうミストレが頑張っている以上、弱音など吐け る筈もない。何より。必ず勝つと決めた、この意志を覆す気など毛頭無い。バダップは 必ず戻ってきてくれる。ならば自分達はそれまで彼の帰ってくる場所を全力 で護る義務がある。自分達は彼に選ばれた、彼が選んでくれた誇り高きチーム・オーガなのだ から。「『フィディオ』!」『カゼマル』のスローイン。ボールは『フィディオ』へ。その瞬間エスカ バは残った力を振り絞り、彼にタックルを決めていた。「ちっ…悪足掻きなんてみっともない!」彼は忌々しげに舌打ちする。ホイッスルが鳴らなかったせいもあるだろ う。イエローカードくらいは覚悟していたので心底幸運に思った。今の自分に、最後までドリブルで持ち込む余力はない。エスカバは素早く 周囲とアイコンタクトを交わした。エスカバの意図を悟り、カノンがサイド から前線を駆け上がっていく。「栗松!」踵でボールを下げる。そこに栗松がいるのを分かっての事だ。彼は頷き、 必殺ロングシュートを放った。「彗星シュート!」 その途端、高々と笑い声を上げる『トラマル』。「なぁにやってんだか!それは効かないって言ったでしょ?そんなにカウ ンターで殺されたいんですか?」だが彼の表情はすぐ一変した。彗星シュートの軌道はゴールから大きく逸 れていく。これはシュートではない−−長距離砲の威力とスピードを利用し たキラーパスであると。その最終地点には、カノンが。オフサイドを狙う『トビタカ』をかわして シュート体制に入る。「ゴッドキャノン!」両足を揃え、力を溜めて一気に蹴る。ボールは砲台から放たれた砲弾のご とく、イービル・ダイスのゴールへ向かう。 これで決まるかと思われた。しかし。「イジゲン・ザ・ハンド」『エンドウ』は大地に拳を叩きつけ、衝撃波のドームを作った。ボールは そのドームに弾かれ、ゴールを大きく逸れてしまう。「そ、そんな…!ゴッドキャノンが止められるなんて…!!」 唖然としたのは、シュートを放ったカノンだけではなかった。絶好のチャ ンスに絶好のタイミング。カノンのシュートの威力が折り紙つきである事は 誰しも周知の事実。まさかそれを、こうも完璧に止められようとは。まずい、とエスカバは思った。今のシュートが阻止されてしまった事で皆 が多かれ少なかれ動揺している。その隙をイービル・ダイスが見逃すとは思 えない。 何よりこのパターンは今までと同じ−−!「さぁ、トドメだ」ニィ、と凶悪な笑みを浮かべる『エンドウ』。彼が放ったのはシュートで はなく−−パス。パスを受け取ったのは、『トラマル』。「くそっ…逃げ」逃げろ。反射的にそう言いかけて、エスカバは歯軋りした。あのシュート が放たれたらまた怪我人が出る。今度は怪我ではすまないかもしれない。な らば時に退くのも勇気−−軍人であるからこそ痛いほど分かる理屈。 しかし。だがしかし。ここで一点とられたら、勝利の可能性は絶望的なものとなる。そうでなく とも逃げろと言われて逃げられるような人間は此処に一人もいなかった− −エスカバ自身を含めて。−−どいつもこいつも…マジでキチガイの大馬鹿野郎だぜ!逃げろ、と仲間達には心の中で叫んでいるのに。肝心の自分自身の脚は真 逆の方向へ走るのだ。いつの間にこんなに馬鹿−−否、サッカー馬鹿になってしまったのやら。 全部全部円堂のせいだな、とつい苦笑してしまう。「死んで下さい!グラディウスアーチ・改!!」 この短時間で『トラマル』もまた技を進化させていた−−その憎しみと、 恨みを糧にして。相手を殺傷する為に磨かれた何本もの刃が、ボールと共にゴールを狙う。 ゴッドキャノンを防がれた動揺から皆より早く立ち直った豪炎寺が、ディフ ェンスに動いていた。「悪いが…易々と死んでやる訳にはいかなくてな」無茶をするな、と誰かが叫んだ。しかし叫んだ誰かも分かっていただろう。 そんな声で止まる筈がない事くらいは。「ファイアートルネード!!」 シュートに向けて。焔を纏った脚を叩きつけた。焔とボールと刃。オーラ とオーラがぶつかり合い、激しくせめぎ合う。その肩に、脚に、刃が食い込んで血を吹かせた。それでも豪炎寺は歯を食 いしばって痛みに耐え、グラディウスアーチを全力で止めにかかる。「…どうして、ですか…っ」 叫んだのは、今し方殺人シュートを放った『トラマル』だった。「サッカーなんか…サッカーなんかで守れるモノなんかない!サッカーは 何かを壊す事しかできやしない…!そうやって頑張って頑張って頑張った って…何が変わる訳でもないのに…裏切られるだけなのに!!」 それは彼の、心の叫びだったのだろう。貧しさの中で擦り切れる日々。信 じていた人に裏切られ、それでも頑張り続けたのに報われず。人に拒絶され、 孤立し、最後は望まずして手を血に染めて。どうせ守れやしないなら、諦めてしまえばいい。そうだ、彼も諦めるしか なかった者の一人だろう−−幸せを、楽しいサッカーをする事を。−−俺も…ぶっちゃけ、諦めてたもんな。ミストレが暴走し、円堂を殺そうと過去に飛んで。それを止めなければと 思いつつ、エスカバにもまた未来への展望があったわけではなかった。ただ あの時は、これ以上傷つく親友を見たくないという、そんな自分のエゴだけ で動いていたようなものだ。何かが変わったとすればそう、円堂の言葉を聴いてから。諦めたら全て終 わるのだと、つまりそれは今はまだ終わっていないものもあるのだと−−そ う心から思えたのは全て円堂のおかげと言っていい。彼は紛れもなく魔術師だった。人の罪を洗い流し、光へと導く浄罪の魔術 師。その言葉こそ、魂こそ魔法。その力があったからこそ今自分は諦めずに 立っていられる。もしかしたら『トラマル』の、彼らの最大の不幸は。円堂のような存在に 出逢えなかった事かもしれない。人はけして一人きりでは善き方へとは変わ れないのだ。出逢いがなければ、支えてくれる腕がなければ。悲運な事には、 彼らを変えられた筈の彼らの世界の『エンドウ』が−−既に闇に堕ちてしま っていた事。そんな運命が満たす世界であった事だ。 諦めれば楽だ、それは逃げだと言う人がいる。だがエスカバは思う。一生に一度も逃げないで生きていける人などいな い。仮に逃げだとしても、本当はそれもまた勇気がいる事で、楽な事ではな かったりするのだと。『トラマル』も、本当は諦めたくなかった筈だ。それでも歯を食いしばり、 痛みに耐え、傷を抉るような気持ちで諦めたのは−−彼が、彼らが強かった から。 どんなにボロボロになっても、生きる 覚悟を決めたからだ。「…裏切られる事もあるだろうさ。…時には」じりじりとシュートの威力に押されながら、豪炎寺が言う。血がポタポタ と滴り、フィールドに落ちる。「だが…俺は知ってる。俺が頑張れば絶対に裏切らないものが一つある事 を」「そんなもの、あるわけ…」「あるさ」豪炎寺が微笑む。傷を抉る痛みに歪みそうになりながらも、儚く強い笑み で。「俺のサッカーは、絶対俺を裏切らない。信じた分だけ、必ず意味を残して くれる。そして…そんな自分のサッカーを見ていてくれる人が、きっといる」焔が、破裂するかのように弾け−−豪炎寺の身体は吹き飛ばされ、地面に 叩きつけられた。ボールは勢いを弱めてゴールへと向かう。だが『トラマル』 はもう、自らが放ったシュートの行方を見ていなかった。 ただ豪炎寺だけを、見ていた。「…『トラマル』」 血を流し、荒い息を吐きながらも、豪炎寺は身を起こした。「どんな暴力的なシュートでも…受けてみれば分かる。お前が培ってきた努 力と、実力は本物だ」ふらふらと、誘われるように豪炎寺の前まで歩く『トラマル』に。豪炎寺 は言った−−おそらくは彼が最も欲しがっていた言葉を。それでいて手に出 来ずにいたモノを。「お前は、頑張った。今も頑張っている」 『トラマル』が膝をつく。その頬に、豪炎寺は微笑みながら手を伸ばした。「胸を張れ。お前が頑張ってきた事は何一つ…無駄になんか、なっちゃいな い。どんなに辛くても本当はサッカーが好きだから、本当は楽しいサッカー がしたいから…今日まで頑張ってこれたんじゃないか」『トラマル』の頬も、豪炎寺の手も、伝う雫で濡れた。『トラマル』はそ の大きな目いっぱいに涙を溜めて−−やがてそれは決壊した。「う…ぅ…」彼はきっと、認めて欲しかったのだろう。誰かに誉めて、労って欲しかっ たのだろう。 自分のしてきた事は、無駄なんかじゃないと。「うわああああっ!!」 顔を覆い、少年は幼子のように泣きじゃくった。否、彼はまだ十二歳の子 供だった。とっくの昔にその涙は許されていた筈だったのだ。 エスカバはそれを見て感嘆する。円堂守は、凄い。気付けばその力を、自分の仲間にまで波及させてしまう のだから。 「来い…!」そして今その円堂守は。向かってくるシュートを受け止めるべく、必殺技 の構えをとっていた。豪炎寺のシュートブロックが齎した効果は、単に威力 を弱めただけではない。円堂最大のキーパー技であるオメガ・ザ・ハンド− −その弱点をカバーする結果にもなったのだ。オメガ・ザ・ハンドの守備力は驚異的に高い。円堂の次点の持ち技である マジン・ザ・ハンドとは比較にならないだろう。問題はその溜め。発動まで時間がかかりすぎること。それはあれが彼が突 貫工事で身につけた未完成の技であるからだ。にも関わらずあれだけのガー ド性能を誇るのだから、その凄さは推してはかるべしだが−−。とにかく。豪炎寺がシュートブロックしてくれた事で、シュートがゴール に達するまでの時間を大きく稼ぐ事が出来たのである。少なくとも円堂が技 を発動させきるに充分なくらいには。「オメガ・ザ・ハンド−−!!」 光輝く極大の神の手。究極進化を遂げたゴッドハンドが、シュートをがっ ちりと掴んでいた。光を浴びた刃が、まるで焼けるかのように消滅する。円 堂自身には、傷一つつける事なく。「豪炎寺!」まるで円堂がゴールを守るのを見届けたかのように、豪炎寺が崩れ落ち た。泣きじゃくる『トラマル』の前で。 そして。「あっ…」ベンチが、ざわついた。エスカバは振り向く。そして−−驚愕に目を見開 いた。夢じゃないのか。いや−−もしこれが夢だったらきっと立ち直れなくなっ てしまう。 バダップが車椅子から立ち上がっていた。その眼に−−確かな光を宿して。 NEXT |
猛虎の、嵐。