“それがあれば世界はいくらでも変えていける。今までも、これからも。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
四十二:サン・ライズ
 
 
 
 
 
 
 
「鬼道、悪いがこっちを手伝ってくれないか」
「ん?…ああ」
 つけっぱなしのテレビ中継。つい見入っていた少年は、名前を呼ばれて我
に返った。
 今朝起きたシステムエラーが、意外と難敵で手こずっている。危うく選手
達の管理データまで消えかけたのだから笑えもしない。エレメンタルサッカ
ーにおいて、システム管理が命といっても過言ではないのだ。よってチーム
専属メカニックになる為には超難関の資格試験をパスする必要がある。
 少年はそんなメカニックチームのリーダー的存在だった。本来ならテレビ
なんぞに熱中して仕事を疎かにするなど言語道断。常ならば絶対にしない事
だ。
 そう−−その画面に、親友の姿がなければ。
 
「カノン…」
 
 軍が突然始めた、度肝を抜かれる試合。それは今やサッカー界の伝説と言
うべきイナズマイレブン−−その起源たる雷門イレブンと、そのパラレルワ
ールドの存在であるチーム・イービルダイスとの一戦だった。どちらも過去
から連れてきた存在。タイムワープが禁止されたこのご時世でだ。今頃政府
は大混乱だろう。
 この試合を企画したヒビキ提督がサッカーを危険思想と見做している事
は、少し詳しい人間なら誰でも知っている。一時は彼がタイムワープシステ
ムを用いて、よからぬ計画を立てているとの噂もあった。実際、いずれ彼が
行動を起こすだろうな、とは予想していた事である。
 だがまさか−−逆だったなんて。少年からすればこれは予想の斜め上いく
展開だ。
 
−−てっきり軍の誰かを過去に飛ばして、歴史操作を図ると思っていたの
に。
 
 まさか雷門の方を未来に連れてくるだなんて。さらにはカノンがそこに関
わってくるだなんてどうして予測できようか。
 
「しっかし、意外だよなぁ。雷門側のチームに加わってんの、王牙学園の精
鋭部隊メンバーじゃねぇか」
 
 画面を覗き込み、隣でキーボードを叩いていた仲間が言う。
 
「バダップにミストレにエスカバ…有名人ばっかじゃん。しかもこいつらサ
ッカー嫌いで有名だったろ?なーんでこんな事になったんだろうな?」
 
 仲間は首を傾げている。だが少年には−−その理由が、分かるような気も
したのだ。
「…魅せられたんじゃないか?」
「ん?」
「きっと、そうだ」
 眩しさに、眼を細める。
 雷門にカノンが加わった理由も、オーガが協力している理由も。
 なんとなく。同じものではないかと、そう思ったのだ。
 
「だってあいつら…楽しそうだろう」
 
 イービルダイス側は、辛そうだ。負けたら破滅しかないと言うように、絶
望に沈みかけて必死にもがいているように見える。
 それに対し、円堂達はどうだ。一点リードしたとはいえまだ予断許さぬ戦
況。総合力で負けているのは明白で−−それでも誰もがきらきらしている。
あのオーガのメンバーですら。
 
「あいつらはこの試合を、真剣に楽しんでるんだ」
 
 どうして。そう問う必要は無かった。何故なら自分はいつも見てきたから。
 同じようにサッカーを楽しみ、周りも巻き込んで輝かせてしまう存在を−
−そんな親友の姿を。
 
−−カノン。これがお前の曾祖父…円堂守のサッカーなんだな。
 
 まるで魔法のようだ。
 その姿を見ていると自分達までサッカーがしたくなる。暗い気持ち、沈ん
だ気持ち。その全てを吹き飛ばしてしまいたくなるのだ。
 
「サッカーは、楽しいものなんだ」
 
 つい呟くと、仲間達が次々笑い声を上げた。けして不愉快な笑いではない。
何今更そんな当たり前な事を、と。そういった意味での笑いだと笑った。
 
「何言ってんだ鬼道。だから俺達みんな、ここにいんだろ?」
 
 それもそうだ、と少年は笑った。
 だが同時にこうも思った。
 偶には自分もメカニックではなく、プレイヤーとしてフィールドでサッカ
ーがしてみたい−−と。
 
 
 
 
 
 
 
 同じ時。その老人もまた、その試合の中継を見ていた。
 
「…まさか」
 
 思わず笑みが零れる。最初にあったのは何よりも驚き。だが今は、静かな
歓喜が胸の奥を満たしている。
 
「まさかこんな形で…貴方の“現役”時代を見る事になるなんて、思っても
みませんでした」
 
 今、家内も子供達も家を空けている。家の中には老人一人だけだ。だから
その独白を聞く者はいない。当の老人以外には。
 
「貴方はこの頃から…何一つ変わらないのですね、円堂監督」
 
 七十年。その長くも短い時間で、この世界は大きく変わった。良くも悪く
も姿を変えたサッカーと、政府体制の激変。世界恐慌に徴兵制の復活。そし
て−−時間旅行技術の確立。
 あの頃には考えもしなかった事。絵空事だった未来が今現実のものとなっ
ている。タイムワープが可能な時代になり、少年だった自分が大人と呼ばれ
る年になり。最初に思ったのは−−恩師のかつての姿を間近で見てみたい、
という事だった。
 だがタイムワープが確立されてすぐ、歴史犯罪が増加。時を渡る技術は政
府と一部の研究者のみの特権となり、彼のささやかな夢は叶わずに終わっ
た。
 残念な事だが仕方ない。元より時間なんてものに手を出すのは神をも恐れ
ぬ行為。触れるべきではなかったのだと、彼は諦めていた。恩師は大人であ
りながら子供のひたむきさを忘れぬ心で懸命に指導してくれた。その過去だ
けで充分ではないか、と。
 だから−−まさかその夢がこんな形で叶おうとは、思ってもみなかったの
である。リアルタイムの映像の中、仲間達に声をかける円堂の姿が見える。
その声に励まされる雷門とオーガの姿がある。
 円堂のサッカーが、そこにある。
 
「サッカーは…みんなを笑顔にするもの。貴方はそう、教えてくれましたね」
 
 足を悪くした為、やや緩慢な動作で、老人は棚の上の写真立てをとる。
 そこにはセピア色に褪せた古い写真があった。プラスチックの枠ごしに、
皺の増えた指で顔をなぞる。七十年前の、フットボールフロンティアの写真。
中学生だった自分達が笑っている。幸せでたまらない。嬉しくてたまらない。
そんな様子で。
 
「貴方の想いは…受け継がれていますよ。そして今…この試合を見ているみ
んなに届いている筈です」
 
 鮮やかな黄色。雷門のユニフォームを着た子供達は今、大人になった彼ら
は今、きっと自分と同じようにこの試合を見ている事だろう。そしてその子
供達や家族もきっと。
 
「神童キャプテン…ね、貴方にも見えるでしょう?」
 
 悲しいことに。この写真のメンバーには既に、この世にいない者もいる。
もうあれから七十年も経っているのだから当然といえば当然だが、自分達の
主将だった神童拓人は若くして命を落とした一人だった。
 だが。彼もまた確かに、円堂のサッカーを受け継いだ者の一人で。きっと
空の彼方から見ていてくれるに違いない、自分はそう信じている。
 
「サッカー、やろうぜ」
 
 老人は子供に帰ったように笑い、口にする。
 それは自分達の敬愛する監督の口癖。
 ある者にとっては呪いの言葉でも、自分達にとっては幸せの魔法だった言
葉。
 
「生まれ変わってもまた…貴方とサッカーがしたいなあ」
 
 老人は。
 革命を起こした、三代目のイナズマイレブンの一人であり。
 その名を、松風天馬と言う。
 
 
 
 
 
 
 
 サッカーを根絶する為に。
 雷門が絶望する様を見せようと、試合を全国ネットで流したヒビキ提督。
 
 しかし、結果は逆効果だった。
 
 悲劇に堕ちた自分達のもう一つの姿である、イービル・ダイス。
 その無残さを、非道な力を見せつけられて尚、円堂守は折れなかった。
 否、円堂だけではない。
 円堂に影響された雷門にオーガ、全ての者達が倒れなかった。
 その姿が、闇の中にいたバダップを目覚めさせ、イービル・ダイスの者達
の心すら揺さぶった。
 彼らは言う。何度でも言う。“絶対に諦めない”、と。
 それこそが最大の武器であり、自分達の誇るサッカーであるのだと。
 
 試合を見ていたある少女が言った−−頑張って!と。
 
 試合を見ていたある少年が言った−−サッカーって楽しいんだね、と。
 
 折れないイナズマイレブンの姿を、真剣にサッカーを楽しむ彼らの姿を、
今日本中が見ていた。
 その誰もが魅了され、多くの者が応援に声を出していた。
 円堂守のサッカーは、確かに皆に届いていた。
 確かに、確かに、世界を動かしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 風になる、感覚。
 『フブキ』はそれを、懐かしいと感じていた。ほんの少し前まで慣れ親し
んでいたもの。少し前まで側にあったもの。
 だけどずっと、忘れてしまっていたもの。
 
−−忘れてしまったのは、いつ?
 
 ああそうだ、大好きな親友が−−風丸が死んでしまってからだ。
 
−−忘れてしまったのは、どうして?
 
 思い出すのが怖かったからだ。本当はサッカーが大好きな自分を。完璧じ
ゃなくてもいい、誰かと一緒に笑いあえるサッカーが一番いいと知っていた
頃を。
 完璧でなければ何も守れない。誰も救えない。そう思った時、サッカーを
楽しむ心は邪魔でしかなかった。そもそも大切な人達を守れない自分に幸せ
になる資格はないと思っていたから−−捨てた、筈だった。
 完璧でなくても楽しかったサッカー、なんて。
 
『…カナデ』
 
 心の中から声がする。『シロウ』、の。泣き出しそうな声が。
 
『カナデがずっと…僕達を守ろうとしてくれた事は、分かってる。その為に
力を欲しがってた事も』
 
 だけどね、と。『シロウ』は続ける。
 
『相手を壊して。完璧な勝利を見ても…本当は、辛かったんだ。父さんが見
たかった僕達のサッカーって、本当にこれで良かったのかな…って』
 
 ああ、そうだね。『フブキ』は−−否、『カナデ』は心の中で呟く。
 本当にこれでいい?−−いいや、そんな筈はない。自分は彼らの父親代わ
りでいたつもりだけれど−−息子達の本当の父親の望みがなんだったのか、
知らなかった筈はない。
 分かっていた。
 本当は分かっていたのだ。
 それでも自分は−−彼らを守りたくて。
 
「…『シロウ』。『アツヤ』。…お前達は…」
 
 ああ、そうか。
 彼らは今−−やっと自分達の力で抜け出そうとしているのか。
 
「傷ついても…どんなに苦しんでも。楽しいサッカーが、したいかい?」
 
 縛られ、凍てついた過去から抜け出して。
 幸せになるために、生きていくためにもがこうと。
 
『……うん』
 
 そうか。
 自分は。自分という存在は−−人格は。今日この日の為に−−あったのか。
 
「分かった。…だったら、やってみなさい…『シロウ』」
 
 精神世界で。『カナデ』はうずくまった双子のうち、兄の方へと手を伸ば
す。銀髪に青い目の子供は、おずおずと“父”の手に触れてきたので。
 『カナデ』は微笑み、その手を引っ張り上げた。
 
「お前の望む…楽しいサッカーをやってみなさい。父さんは…僕は、信じて
見ているから」
 
 『シロウ』に身体を明け渡す。
 『カナデは決めた。何があっても、受け入れよう。彼が選んだ、ただ一つ
の道を。
 
 
 
NEXT
 

 

太陽は、また昇る。