“今、この手紙を読んでいる貴方へ。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 四十三:ラスト・チャンス
理解出来ない。『エンドウ』は混乱する。 自分は幸せな未来の彼らを憎む。どんな残酷な手を試合に勝つつもりでい る。それはあちらも嫌というほど思い知った筈なのだ。現に怪我人が出てい るのだから。 なのに。
『お前もさ、お前らみんなさ。本当に、強かったんだな…だって』
なのに、どうして。
『だって今日まで…頑張って生きてる。生きようと頑張ってる。…凄いよ、 ほんと』
どうしてそんな事が言える? どうして相手を認めるような事が言える?
『俺達は…何かを奪い合う為に此処にいるんじゃない』
違う。これは奪い合いで潰し合いで、殺し合いだ。 相手の信念を否定し、拒絶し。互いの信念を押し付けあい、平伏させ、認 めさせる。その為の戦いではないか。 そう言いたかった。言いたかったのに。
『大切なものを取り戻す為に、戦ってる。サッカーをしてる。そうだろ?』
円堂の言葉に耳を傾けてはいけない。それは自分もまた分かっていた事 だ。 なのに、一度聴いてしまっただけで抜け出せない。元は同じ存在−−パラ レルワールドの自分である筈なのに、円堂守が分からない。分からないから 気になり、知りたくなってしまう。 否−−否。そうではない。 本当は分かっているのだ。分かっていた事に気付かされてしまいそうで− −怖いのだ。
『残り時間…思いっきりやろうぜ、サッカー!』
彼は、彼らはただ。 サッカーがしたいのだ、自分達と。本当のサッカーが−−楽しいサッカー が。分かっている。何故なら彼は、自分なのだから。自分だって本当は−− サッカーが大好きだったのだから。 だけど。
−−だけどサッカーは…俺の大切なモノを、悉く奪っていった。
だからサッカーを憎んだ。愛していた分、憎んだのだ。 しかし。だっなら何故、自分は未だフィールドに立っている? それはサッカーを否定する為。喪った仲間を取り戻す為。サッカーを愛す る全ての者達に絶望を見せて、サッカーという思想そのものを根絶やしにす る為だ。それ以上に何もない筈だ、理由なんて。
ああ−−本当に?
「キャプテン」
自分を呼ぶ声に、我に返る『エンドウ』。呼んだのは『フブキ』だった。
「『フブキ』、お前は…」
どうしたいんだ、と言いかけて。『エンドウ』は気付く。 『フブキ』の眼が、穏やかな海の色をしていること。妙に達観した完璧主 義者の気配が消えて−−少しだけ臆病な、しかし優しい光を湛えている事 に。
「お前…まさか」
見た事は、ある。だがここずっと、自分の前には姿を現さなかった人格。 彼はいつも『カナデ』に守られて、鍵をかけた心の奥底にうずくまっていた のに。
「うん。…『シロウ』だよ。久しぶりだね、キャプテン」
自信のなさそうな笑み。それが、彼が彼である事を証明している。 どうして、と思った。どうしてこのタイミングで彼が出てきたのだろう。 今まで少なくとも試合中に、『シロウ』の人格を見る事は無かった。殆ど『カ ナデ』が前に出て、時折『アツヤ』に交代するのが常だったのに。
「…ごめんね、キャプテン」
唐突に、『フブキ』が言う。
「完璧に…完璧になれば。勝ち続ければ。大事なモノを取り戻せるって、思 ってた。キャプテンはサッカーを憎んでたかもしれないけど僕は…僕達は違 ったんだ。サッカーに、怯えてたんだと思う」
『エンドウ』は何も言わない。分かっていた事だ。『フブキ』は−−否。 自分以外に、本気でサッカーを憎んでいる者は誰一人としていなかった事。 誰もが本当は、『エンドウ』と同じ景色など見ていなかった事を。 だから、傷つかなかった。それでも目的さえ同じならそれでいいと思って いたから。
「僕も…風丸君や死んじゃったみんなを取り戻したいって、思うよ。でも… でもね。あっちの円堂君の話を聴いてて…思ったんだ。例えこの試合に勝て ても…辛いだけのサッカーじゃ、本当に大切なものは戻って来ないんじゃな いかって」
『エンドウ』は−−沈黙する。 今度は何も“言わない”のではなく、“言えなかった”のだ。 眼を背けようとしていた事を、まざまざと見せつけられた気がして。
「完璧じゃなくても、いい。楽しいサッカーがしたいよ、キャプテン」
泣き出しそうな『フブキ』の眼。その言葉は、『エンドウ』が信じて貫い てきたものを丸ごと否定するに等しいものだった。だが、何故だか怒りは感 じなかった。 ただ虚しくなった。それが彼に対してか、自分に対してかも分からないけ れど。
「…勝手にしろよ」
ふざけるな、と。いつもなら言った筈のところを、静かにそう投げるにと どめた。 それでもこれだけは告げねばならない。自分も、彼も。もはや後戻りなど 出来ないのだ。
「けど忘れるな。俺達は絶対に負けられない。勝たなかったら…風丸達は取 り戻せないんだ」
今度は『フブキ』が押し黙る番だった。もはや彼に言うべき事は何もない。 『エンドウ』は空虚な気持ちのまま振り返り、いつの間にか『キドウ』と『ゴ ウエンジ』がすぐ傍に立っていた事を知る。 二人とも、どこか苦しげな表情に見えるのは気のせいだろうか。
「雷門は、オーガも含め皆消耗している。怪我人も多い」
口を開いたのは『キドウ』。 「あと一点…一点だ。同点延長、もしくはPKに持ち込めば、こちらが圧倒 的有利になる。地力とスタミナならば明らかにこちらに分があるからな」 「なら、何が何でも一点取るだけだ。博打を打ってでもな」 『エンドウ』は彼に強い視線を向け、宣言する。
「あの技で、決める。あんな平和ボケした“円堂守”ごときに止められるも のか」
具体的な名称は出さなかったが、彼らには充分に伝わっただろう。一瞬驚 いたように目を見開いたものの、二人とも異論を唱える事はしなかった。 「今のお前はリベロじゃないんだ。『タチムカイ』はもういない。文字通り、 “賭”になるが?」 「構うもんか。このチャンスを生かせなかったら、どっちみち俺達の負けな んだから」 「…そうだな」 もう時間がない。点を入れられた自分達からのキックオフ−−これがラス トチャンスだ。賭だろうと博打だろうと関係ない、挑めなかった者はその場 で敗北者に成り下がるだろう。 負けられない。否−−負けたくない。雷門にだけは、絶対。彼らに勝てな ければ自分達は証明出来ないのだ。あまりにも多くの痛みと喪失を受けて、 それを対価に得られた強さもあると。流された血と涙は、払われた犠牲は、 意味あるものだと。 この力は。幸せに生きてきた彼らには持ち得ないものであるのだと。 だから、自分は。
「『ゴウエンジ』。『キドウ』。…お前達を信じる。…頼んだぜ」
勝つ為にもう一度だけ、信じてみよう。 サッカーで得た−−仲間との絆を。
「信じる…か。お前の口からは、久しく聴いてなかったな」
『ゴウエンジ』がどこか遠い眼をして言った。
「もしかしたら俺達は…仲間の命だけじゃない、気付かないうちに、他にも 大事な何かを失っていたのかもしれないな」
荒々しい感情ではない。静かに見つめ直す彼の声に、だからこそ重たい心 を読み取る事が出来た。
「なあ『エンドウ』。俺達のサッカーへの復讐は、どうすれば終わると思う? そして終わった後の事を、お前は考えた事があったか?」
それはさきほど、『ゴウエンジ』がエスカバに言われた言葉だった。その 気合いと希望に満ちた声は、『エンドウ』の耳にも届いている。
『お前らの…復讐ってヤツはどうしたら終わるんだ?終わったとして…そ の後どうしたい?絶対途方に暮れるだろ。お前らの話聞いてっと、未来への 展望ってのがまったく見えてこねぇんだよな』
「俺は考えていなかった。…未来を、考えられなかったんだ…怖くて。それ は、知らず知らずに諦めてたって事なのかもしれない」
確かに、そうかもしれない。その実、『エンドウ』は羨ましいと思ったの だ。この試合が終わった後。これから先の未来。やりたい事がたくさんある と笑った、エスカバが。
「なぁ。それでもまだお前は…復讐がしたいって思うのか?」
揺らがされている−−今『エンドウ』の一番身近にいる筈の『ゴウエンジ』 ですら。それは魔法だ。『エンドウ』を信じ、サッカーを愛する者が使う、 言葉という名の魔力。 しかし、もはや『ゴウエンジ』を叱ろうという気は起こらなかった。揺ら がされ始めているのは、『エンドウ』も同じであったから。
「この先、どうするかなんて」
考える事が、怖い。 未来の事なんて、考えたくなかったのだ。ずっとずっと、自分は。 「試合の後に、考えればいいだろ」 「…分かったよ」 『ゴウエンジ』は小さく息を吐いて、きびすを返した。
「俺は、今のうちに考えておく。途方に暮れたくはないからな」
彼の方が強いな、と『エンドウ』は心から思った。自分には、まだ無理だ。 もう眼を背けようがないほどはっきり気付かされてしまった。 この先の未来で、やりたい事。思いつかなかったわけじゃない。寧ろすぐ 思いついたのに忘れようとしたのだ。
「俺は…」
この試合に、勝ったら。
「サッカー…やりたいよ。『カゼマル』や『キドウ』達と……みんなと」
一番やりたい事は、サッカーだった。 こんなに憎んでいる筈なのに、まだこんなにも自分の中には残っていたの だ。サッカーを愛する気持ちが−−情熱が。
−−だってあいつらが一番輝いていた場所は…俺達が自然に笑えてた場所 は−−。
笛の音で我に返る。いつの間にか試合再開されている。随分長く、誰かし らと喋っていたような気がするのだけど。 『カゼマル』が前線に向けドリブルを始める。止めに来るのはバダップだ。 しかし『エンドウ』は事前に貰ったデータにより知っている。彼も含めたオ ーガの3トップは、全員がディフェンス系の必殺技をもっていない事を。エ スカバが土壇場でディフェンス技を修得してきたのは計算外だったが、入院 していたバダップにそんな暇は無かった筈だ。 例え必殺技がなくとも、普段の彼ならば脅威だっただろう。だがバダップ は病み上がりであり、先程大技を二つ連続で放った為酷く消耗している筈 だ。 今なら抜ける。『カゼマル』のあの技ならば!
「風神の舞…改!!」
華麗に舞踊り、吹き荒れる嵐で相手を牽制する。普通の相手ならこれで吹 き飛ばされるところだが、バダップは身を屈めて風を軽減させそれを防い だ。流石としか言いようがない。 それでも『カゼマル』からボールを奪取するには至らず。彼が体制を立て 直した時には既に、『カゼマル』は遠方に走り去っていた。
「『ゴウエンジ』!」
さらにパスを使い、サンダユウとカノンを纏めてかわす。上出来だ。ボー ルは『ゴウエンジ』へ−−その間に『エンドウ』は『フブキ』と共に前へ。 さあ、これが最後の攻撃。 自分達は勝つ−−絶対に。
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最期の、好機。