“ガンバレだなんて無責任なコトバは言わない。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 四十六:ラスト・ホイッスル
何が起こったのか。最初は誰一人として理解出来なかっただろう。 円堂は全てを見ていた。ただ目を見開いて、見ている事しか出来なかった。
「あ…」
『エンドウ』の眼も、こぼれんばかりに見開かれている。その顔には点々 と赤い飛沫が飛び散っていた。 ぐらり、と。彼の目の前にかがんでいたバダップの身体が、傾ぐ。軍服の その背中に、黒いシミがあった。それがじわじわと大きくなり、やがては服 に染み込みきれなくなって身体を伝い始める。 彼の身体が横倒しに倒れる様子が。まるでスローモーションのように映 り。ゆっくりとその身体の下に広がる血の海を見た時−−円堂の脳内で何か が弾け飛んでいた。
「バダップ!!」
悲鳴が上がった。円堂は足をもつれさせながら駆け寄る。バダップは倒れ たまま、小さく呻き声を上げ、身体を震わせていた。真っ青な顔。きつく閉 じられた瞼。胸元を押さえた手から真っ赤な鮮血が溢れ出ている。 それでもまだ、息がある。だが。
−−場所が、悪い…!
背中側から、一発。弾丸はバダップの背中から左胸を貫通している。自分 は素人だから詳しくは分からないが、生きているという事は辛うじて心臓は 外したのだろう。だが、確実に肺を傷つけた箇所だ。 「ぐっ…」 「『エンドウ』!」 右肩を押さえ、うずくまる『エンドウ』。だらだらと血が腕伝っている。 どうやら弾丸はバダップの身体を貫通し、『エンドウ』の肩も抉っていたら しかった。 ジャキン、と鋭い音。それはサンダユウが長い軍刀を抜き、ミストレがナ ックルを装備した音だった。それ以外のオーガの面々も手に手に自ら得意な 武器を構え、険しい眼を向けている−−銃弾が飛んできた方向、バウゼンの いるベンチへと。 「副隊長命令。チーム・オーガ。総員戦闘態勢へ」 「イエス、サー!!」 ミストレの言葉に、オーガのメンバーが訓練された返事をする。隊長が撃 たれ、瀕死の重傷。それでも彼らが取り乱したのは一瞬だった−−それが軍 隊だ。 「エスカバはバダップを頼む」 「イエス、サー」 そして上官の命には逆らわない。どうやらチーム内の立場はエスカバより ミストレの方が上だったらしい−−とは今知った事実だが。
「刃向かう気か、カルス小尉。そしてオーガの諸君」
バウゼンがゆっくりと立ち上がる。その手には未だ硝煙の立ち上る黒い銃 が。彼がバダップを撃ったのだ−−そう理解した瞬間、円堂を支配したのは 憤りと、それ以上の疑念だった。
「どうして、だ」
何故。どうして。
「どうして撃った!バダップはあんたの部下だろう!何で簡単に…」
それはずっと。一番最初から円堂が訊きたくて仕方なかった事だ。今バダ ップを撃った事だけじゃない。そもそもの発端はオペレーション・サンダー ブレイクに失敗したバダップを、彼らが厳罰に処した事。バダップを殺す気 で、生還の望みのない戦地に送った事だ。
「何で簡単に…人の命を捨てられるんだ…!!」
誰かを殺すとか、生かすとか。そもそもそんな事を他人の裁量で決める事 がおかしいではないか。人は駒ではない。人形でもない。ちゃんと意志があ って感情がある。本来ならその命を生かすも殺すも、本人だけに与えられた 権利なのだ。 ミストレの復讐を肯定しておいて矛盾してると人は言うかもしれない。そ れでも円堂は思う。人を殺す事は時に悪ではないかもしれない。だが、正義 だと思う事はあまりにおこがましいと。自分がミストレの憎しみを肯定した のは、彼が己の行いを正義だなどと奢っていなかったのも理由の一つなの だ。
「バダップは…やっと悪い夢から醒めた。オーガのみんなはやっと救われ た。その未来を、他人のお前に奪う権利があるのか…!?軍の意向に反したか ら?任務に失敗したから?」
円堂は思ったまま言葉をぶつけていた。ただ許せなかった。自分勝手な理 由と笑われてもいい。ただ理不尽だと思ったのだ。 やっと始まったかもしれぬ幸せな時を。関係のない人間に無遠慮に壊され ることが。
「そんな“程度”のことで…誰かを傷つけるなんて、間違ってる!!」
睨みつけられる数多の視線に晒されて。それでもバウゼンは眉一つ動かさ ない。これが百戦錬磨の軍人というモノなのか。上官に命じられるまま機械 的に動き、近しい者を殺すことも厭わない−−それが兵士なら。 まるで、ロボットじゃないか。
「…その“程度”、か。貴様にはそう感じても、我々にとってはあまりに大 きな失態なのだ」
やがて、口を開くバウゼン。
「それはあくまで“普通”の人間の考えだ。貴様はそこから動けない。我々 の信念など、到底理解出来る筈もない」
恐ろしいほど無感動な口調。無表情な顔。だから−−円堂はハッとした。 それが感情を殺した時のエスカバ達と、同じ様であることに。 彼も心を殺している?一体、どうして?
「スリード大尉。及びオーガ小隊。実に残念だが、危険思想に染まったお前 達は…我々の敵。反乱分子だ。よってこの場で全員、処分させて貰う」
もしかしたら−−もしかしたら、彼も。
「そして雷門イレブンとイービル・ダイス。お前達も…このまま無事で帰れ ると思うな」
推測でしかない。憶測でしかない。 それでも円堂は直感した。そしてこの直感は外れないものであると、経験 から知っていた。 だから−−だから、余計。
「……どうしてッ!!」
胸の奥から突き上げてきた怒りを、悲しみを−−抑えきれず、円堂は叫ん だ。もしバウゼンもまた悲しんでいるのなら。望んでもいないことをしよう としているのなら。 それはなんて−−酷い喜劇だ。
「そんなに軍の命令が大事なのかよ!仲間の命よりも!?自分の心よりも!? そうやって…」
許されない言葉かもしれないと思った。 それでも言わなければ後悔すると知っていた。 だから、言った。
「そうやって得た平和なんか、平和じゃない!そんな悲しい世界なら、俺は 要らない!!」
心の叫びが空間を裂き、その場にいた者達の魂を揺さぶる。そしてその瞬 間、サンダユウが長刀を、ドラッヘがハンマーを握って、バウゼンに踊りか かっていた。
「オレ達は死なない…バダップも死なせない…!生きて生きて、生きてや る。オーガの誇りに賭けて…!!」
ミストレの号令に、オーガの面々が次々動き。バウゼンの方も自らの部下 達に命じて。 戦闘が、始まった。
無意味かもしれない。エスカバの脳裏にすぐそんな考えがよぎったが振り 払った。
−−こいつはあの地獄を、たった一人で生き抜いてきたんだ…!
こんな場所で死ぬ筈がない。死なせてたまるか。やっと彼は闇の底から戻 って来れたのだ。こんな場所で終わらせていい筈がない。 バダップの身体を横たえ、濃い緑色の軍服のボタンに手をかけた。ぬるり と血で滑り、指先が触れただけで呻き声が上がる。それは多分、傷の痛みだ けが原因ではないのだろう。あの地獄で拷問され続けたトラウマ−−服を脱 がされることは、それだけで恐怖を蘇らせる契機である筈だ。 それでも処置をしない訳にはいかない。このままでは、バダップが死んで しまう。 「すま、ない…エスカ…かはっ!」 「いい、喋るな!」 喀血するバダップ。やはり肺を抉っている。エスカバは傷を見る為、ボタ ンを外し、バダップの胸をはだけさせた。そして−−改めて目の当たりにし た現実に、唇をきつく噛み締める。 男には有り得ない、柔らかな膨らみを帯びた胸。中心に無惨に刻まれたレ ッドマリアの刻印−−薔薇と十字架の入れ墨。それらはあの地獄でバダップ の身体に刻みつけられた、消えない烙印だった。銃創は、左乳房の上の方を 抉り、だらだらと鮮血を零し続けている。 酷く沁みるだろうが仕方ない。エスカバは救急キットのポーチから、消毒 薬と治療薬を取り出す。この八十年で医学は各段に進歩した。血液型さえ間 違えなければ、薬をぶっかけるだけでもある程度の延命が可能なほどには。
「これ…!」
ガーゼが足りない。そう思った矢先に、声をかけられて驚く。 秋だった。彼女は雷門の救急箱を手に、そこに立っていた。 「あんた、危ないだろ!ベンチの影に隠れてろよ!いつ銃弾が飛んできても おかしくな…」 「できません!」 「お、おい!」 彼女は強い眼差しで、きっぱりと言い切った。 「私に出来ることなんてたかが知れてるかもしれないけど…目の前で仲間 が死にそうなのに、放ってはおけないよ!」 「仲間、って…」 「仲間だよ!」 テキパキとガーゼと包帯を取り出す秋。
「試合の後はみんな仲間!勝敗だって関係ない…それが私達のサッカーだ から!!」
あっけにとられるエスカバの前で、止血を始める秋。驚いた、なんてもの ではない。マネージャーの彼女ですら、こんなにも強い信念を持っているの か。それが雷門だと、言うのか。こうなった以上、いつ誰が殺されてもおか しくない−−そんな場所だというのに。 「心配しないで。私達だって自分の身くらい自分で守るから!」 「…はは……」 まったく恐れ入る。
「強ぇな…お前らは」
元来の器用さに加え、マネージャーの主軸となって応急救護もこなしてき たのだろう。彼女の手際の良さは、現役軍人のエスカバにひけをとらぬもの だった。 「…ところで…バダップ君って女の子だったの?」 「……いや」 戸惑うように投げられた疑問。当然と言えば当然だ。バダップは元々男だ し、声も男のままだ。確かに顔立ちは綺麗だが、普通にしていれば誰も彼の 性別など疑わないだろう。 それなのに、明らかに少女の胸があれば、驚くのは無理からぬことだ。 「…身体を改造された結果の一つだ。拷問だけじゃなくて、生体実験のモル モットにもされちまってたみたいだからな」 「……そう」 秋は悔しげに眼を伏せる。元は敵だったというのに−−面識は数えるほど しかないというのに。彼女はバダップを心から心配し、その傷を想ってくれ るのか。 嬉しくて−−同時にエスカバは切なくなった。ひょっとしたらそれこそが 人としてあるべき姿なのかもしれない−−自分達の方が、忘れていただけ で。
「…どうするつもりでいるの、これから」
バダップに痛み止めを打つエスカバに、秋が問う。
「…さぁな。どうするんだろうな」
最終判断は副隊長のミストレが下す。自分が今決めることではない。だが エスカバがそう答えたのは、そんな建前だけの理由では無かった。
「これで俺達は軍の敵として、追われる事になるんだろうが。まぁ、そんな 事ぁ、この学園を脱出してから考えるべき事だ。あとあんたらを無事過去に 送り届けてから…な」
そう。今は、後でいい。
「とりあえず、生きてりゃなんとかなんだろ」
生きること。それがまず最優先だ。
「エス…カ…」
その時。少しだけ苦痛が和らいだバダップが、息も絶え絶えに言った。
「どうしても…お前達に訊きたかった事が、あるんだ」
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最期の、笛。