“そして諦めるなって言葉の代わりに、僕は言おう。” ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 四十八:ラスト・リボルバー こんな筈じゃ、無かったのに。バウゼンの頭を占めた感情はその言葉に尽きた。こんなつもりではなかっ た。バダップが目覚めた事を誰より喜んだのは自分。オーガにもう一度サッ カーを否定させれば、彼らを“処分”しなくてもいいと−−ヒビキにそう告 げられて、心底安堵したのも自分だ。 この試合で、バダップ達が敗北してくれれば。そして何よりイービル・ダイスの絶望に呑まれて、彼らが再びサッカーを 否定してくれさえすれば。 自分は彼らを−−殺さずに済んだのに。−−甘いのは、分かっているんだ。彼らは意志を曲げないだろう。迷っているのは寧ろ自分の方だ。彼らを殺 したくないあまりに、どうにかして降伏を認めさせようとしている−−戦場 ではその甘さこそ命取りだと、長年の経験で嫌というほど思い知ってきたの に。 嗚呼、そもそも。 自分は本当に−−彼らを傷つけなければならないのだろうか。−−駄目だ。考えるな…ドレイス・バウゼン。 心を殺す。 想いを、封じる。−−何があってもヒビキ提督についていくと…そう決めたじゃないか。新兵時代。戦場で捕虜となり。部隊に見捨てられた自分をたった一人助け に来てくれた若き上官。その時誓ったのだ。自分は一生を賭けてこの人に恩 を返すと。この人の望む世界を実現させてみせると。−−だから…だから、自分は。血だらけで倒れたままのバダップの前に立つ。少年は虫の息で、その命の 灯火は今にも消えんとしていた。それでも、意志の消えない眼でバダップを 見る。絶対に屈しない−−そう言うように。このまま放置してもすぐに彼は死ぬだろう。だがバウゼンはあえて自らト ドメを刺さなくてはならなかった−−オーガの他のメンバー達の心を折る 為に。バダップを殺して。彼らが屈服してくれればあるいは−−ミストレ達だけ でも命を助ける事が出来るかもしれない、なんて。甘すぎる考えと分かって はいたけれど。「やめろ!やめてくれ!!」 ミストレが叫ぶ。悲鳴のような声で絶叫する。這いずるのが精一杯の身体 である筈なのに、まだ立ち上がろうとする彼を、バウゼンの部下達が銃で制 する。だが、部下達の視線が一瞬ミストレに向いた隙に、エスカバが動いていた。 手に持った三本の短刀を素早くバウゼンに向けて投げつけてきたのである −−それも正確に致命傷になる箇所を狙って。 訓練以上の動き−−流石としか言いようがない。「相手が私一人ならば、まだお前に分があったかもな…幼き惨殺者(チャイ ルド・ザ・リッパー)」その短刀全てを左手の銃身で叩き落とし、バウゼンは言う。恐らく刃には 致死性の猛毒が塗られていただろう。掠っただけで危なかった筈だ。視界の先、エスカバが膝をつく。その右脇腹には深々と、部下の軍刀が突 き刺さっていた。「ぐっ…ぅ!」「エスカバ!」「これ以上抵抗してくれるな、オーガ諸君。君達はよく頑張った。我々もこ れ以上無益な犠牲は払いたくない」バウゼンはそのまま、動けないバダップの髪を掴んで、身体を仰向けさせ た。痛みに少年が小さく呻き声を上げる。応急処置の為、その軍服の胸元ははだけたままになっている。レッド・マ リアの入れ墨−−バダップの心臓の真上に、バウゼンは銃口を押し当てた。 甘い。 弱い。 情けない。迷いが手元を狂わせ、彼に瀕死の傷を与えて苦しますてしまったこと。そ の顔を吹き飛ばすのが嫌で、頭ではなく胸を狙ったこと。そして。「…もう一度、訊くぞ。バダップ=スリード大尉」 まだ彼を、殺したくないと願っている事。「…お前にとって、サッカーとは何だ」胸元に押し当てた銃身から、弱々しい鼓動が伝わってくる。髪を掴む手と、 引き金にかけた指の震えが伝わってしまいそうで怖かった。軍人失格だ。自 分達はどんな時でも冷静に、理性的に任務をこなさなければならないという のに。この引き金を引けば、少年の小さな心臓は壊れて、確実に止まる。自分の 最愛の部下だった彼は−−バダップ=スリードは、死ぬ。「…サッカーは…」 掠れ、息も絶え絶えな消え入りそうな声で。バダップは、言った。「サッカーは…悪などでは、ない。人々を幸せにするもの…平和な世界に必 要なもの、だ」 その声が。言葉が。バウゼンの心を、揺さぶる。「貴方も…本当は分かっているんじゃないのか?」 言うな、と。心の中、もう一人のバウゼンが言った。 頼むからどうか、どうか言わないで。 揺らさないで。迷わせないで。「…此処で…殺されるとしてもか」 私ニ、貴方ヲ 殺サセナイデ。「…貴方が、ヒビキ提督を慕う理由は聴いている。でも…」 少年は光の消えぬ眼でバウゼンを見る。「大切ならば尚更…殴ってでも過ちを正すべきだ。上官だろうと関係ない… そうだろう」 簡単に言ってくれるな、と思った。 そう思った時点で−−答は出ていたのかもしれないが。「バダップ、嫌だ!」「バダップ!!」 「ふざけんなぁぁっ!!」 「やめて、殺さないで!」 「隊長ぉ!!」 叫ぶ声。嘆く声。悲鳴。怒声。様々な声が満ち、感情が満ちる中。バダッ プが最期に見たのはバウゼンでは無かった。 円堂守、だった。このままではバダップが殺されてしまう。何とかしなければ。早く彼を助 けなければ。「離せ!離せ!」部下達に包囲され、押さえつけられて。それでも円堂は暴れた。自分も殺 されるかもしれない状況だと分かっていたが、自らの死への恐怖とは別の恐 怖で死にそうだった。 目の前で人が殺されようとしている。 共にサッカーをやった仲間が−−友達が死んでしまう。そんな事赦されていい筈が無い。耐えられない。だって自分達は、彼らは やっと未来を取り戻せたのだ。 こんな理不尽な形で終わらせていい筈が−−筈が。「黙ってろ、ガキが!」「がっ!」「円堂君!」銃身で頭を殴られ、目の前に火花が散った。秋の悲鳴が遠い。芝生に顔面 から崩れ落ちる。一瞬、意識が遠のきそうになる。 駄目だ。こんな所で寝ている場合では−−!「円堂守」 その時。小さく、微かな筈のその声が−−円堂の聴覚を揺らした。 束の間、時が止まった気がした。円堂は顔を上げる。眼があった。バウゼンに倒され、胸元に銃口を押し付 けられ−−今にも殺されようとしている、バダップと。「生まれ変わったら、今度は同じ時代で…」 彼は−−微笑っていた。「サッカーを、しよう。誰かを傷つける為じゃない…皆を笑顔にするような、 そんなサッカーを」 銃声が、響いた。バダップの胸と背中から噴水のように血が噴き出して−−そのまま彼は、 動かなく、なった。「あ、ぁぁ…」 円堂は崩れ落ちる。誰もが呆然と立ち尽くし、座り込んでいた。 駄目だ。 いくら彼でも。ゼロ距離で、心臓に鉛玉をぶち込まれて。 生きている、筈が。「嘘、だ」 カノンの声を、円堂は遠い世界の出来事のように−−聞いた。「こんなの、嘘だぁぁぁ−−っ!!」 ミストレ達は動かない。先程まで冷静に対処し、戦っていた筈の彼らが。 目を見開き、完全に凍りついて見つめている。 バウゼンに押さえつけられられたまま事切れた、バダップの亡骸を。−−何でだ。 カミサマなんて、いない。 改めて思い知った現実は、あまりに残酷で。−−こんなの、あんまりじゃないか。これからやりたい事がたくさんあったし、彼にだってあった筈だ。無論彼 の仲間達にだって。それなのにこんなに早く。やっと見えた筈の希望がこんなに簡単に絶たれ るだなんて。−−これが、絶望。イービル・ダイス達とは違い。今まで悲劇に見舞われずに済んできた円堂 が初めて経験させられた、絶望。近しい人間が目の前で死ぬという、この喪 失感。 知りたくなかった。知らないでいる為に−−そうならない為に。自分達は此処にいて、試合に 臨み、勝利を手にした筈なのに−−。「さて…オーガの諸君及び雷門の諸君」 悲嘆と絶望に立ち尽くす自分達に、ヒビキが容赦なく告げる。「バダップ=スリードは死んだ。貴様らが必死で取り戻したモノは無駄にな ったわけだが」男の言葉が、その場にいた全員の胸を抉る。円堂は唇を噛み締めた。そう でなければ怒鳴り散らしてしまいそうだった。真っ赤な怒りが喉元までこみ 上げ、景色を血の色で明滅させる。 ふざけるな。無駄だなんて。自分達のしてきたことが無駄だなんて、お前にそんなこと を言う権利があるのか。 もしそうならば、そうしたのは。させたのは。「…お前は、クソだな」ずっと沈黙していた響木が口を開く。憎たらしい。忌々しい。そんな感情 を隠しもせず。「たった十四歳の…こんなガキどもの人生弄んで。挙げ句公開処刑か。そう までして何がしたい。そこまでサッカーが憎いのか」「理屈ですね」 キラードが静かに−−しかし響木以上に憎悪を剥き出して吐き捨てる。「こんな犬畜生にも劣る真似をして…そうまでして得た平和に何の価値が あるのですか?理解出来ませんししたくもありませんがね」 その通りだ、と円堂も思う。確かに自分達は一般的な、普通の人間の感覚しか持ち合わせていないかも しれない。戦場を生きてきたヒビキやバウゼンのような惨劇など見てはいな いし、理解が追いつくとは到底思うまい。 しかし。それでも−−それでもだ。平和の為に犠牲が必要だなんて、どうにもならない言い訳だ。確かに必要 悪はある。何の努力もせず理想は実現しないし、痛みのない教訓は意味がな いかもしれない。だけど。ならば平和の為に犠牲になった者達は−−どうすればいい?その者達は どんな想いで、自分達を踏みにじって得た平和な世界で笑う人々を見つめる だろうか。数多くの人の幸せの為に。一握りの人の幸せを壊していいなんて、そんな 筈はない。綺麗事だとしても、そうあるべきとまずは願うべきではないか。最初からあって当然の犠牲だと切り捨てるなんてそんな非道、無茶苦茶 だ。「お前達の理解など、最初から求めちゃいないさ」 憤り、悲しむ者達を鼻で笑うヒビキ。「お前達の道は二つに一つ。今此処でサッカーを否定し、サッカーを捨てる と宣誓するか…無残な屍を晒すか、だ」サッカーを捨てなければ、自分達もバダップと同じ末路を辿る、と。分か ってはいたが、誰も返事を返せなかった。サッカーを捨てるなんて、出来ない。だがオーガの者達は満身創痍の上、 バダップの死で心を挫かれかけている。ヒビキ達を倒して包囲網を突破する なんて、そんな事−−。「捨てるものか」円堂ははっとして顔を上げた。『エンドウ』だった。彼は傷ついた肩を庇 いながらも、キッとヒビキを睨みつけて−−言った。「俺達は、サッカーを捨てない」 NEXT |
最期の、銃声。