“どんな人だって、幸せになれる権利と力を持って生まれてきたんだ。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
五十:エンジェル・ボイス
 
 
 
 
 
 
 
 知らなかった事が、たくさんある。
 
 バダップが死地に送られ、ボロボロになって生還してから−−ミストレに
とってはヒビキもバウゼンも憎い相手に成り下がった。彼らの思想に、一時
とはいえ共感していた自分を恥じた。
 自分は生まれてから死ぬまで、自分だけの味方。戦うのはその己と、己が
愛しいと思う存在の為だけ。
 多分自分は本当は他の誰よりも、軍人として相応しくない存在だったのだ
ろう。ただ今まではそんな本性を上手に隠して生きてきただけだ。そんな自
分勝手さこそ、己の強さの根源である事も知っている。
 そんな自分にとって。バウゼンは恩師ではあったが、今や殺してやりたい
ほどの存在だった。否、殺すだけでは飽き足らない。バダップの想いを、誇
りを踏みにじり。運命を弄んだ挙げ句殺した男なのだ。
 
−−酷いよね、バダップ。
 
 やっと見えた筈の希望の光。
 やっとまたあの頃と同じように、みんなで馬鹿騒ぎをして、サッカーをし
て、喧嘩して−−そんな日々に戻れるの思った矢先。
 あっさりと未来は壊された。希望は打ち砕かれた。
 これでもう、二度と。願いは叶わない。
 
−−酷すぎるよね…こんな運命。
 
 こんな結末では。このまま何もかもが終わったら−−あまりに報われない
ではないか。
 バウゼンの事が憎い。憎くて憎くて堪らない。
 知らなかった事は確かにある。
 全ては彼さえも望んだ未来で無かった。彼も本当はバダップを殺したくな
かった。ただヒビキに従っただけ、軍人としてあろうとしただけだった。そ
れはミストレにとっつは意外で、予想外だった事。
 だけど。
 ならば尚更許せない。どうしてバダップを殺してしまう前に、逆らう勇気
を持てなかった?涙を流すほど悔いるなら、何故その前に悲劇を止めようと
しなかった?何もかも今更過ぎるではないか。彼にも勇気さえ−−戦う勇気
さえあったらこんな事にはならなかったのに。
 そして何より。今彼は、バダップの願いを無視して、ただ現実から逃げ出
そうとしている。それがどうして赦せるだろう?
 
「ふざけるな」
 
 怒りも露わに、ミストレは言い放った。
 
「罪だと思うなら生きて償え。勝手に死んで…楽になろうとすんじゃねぇ
!!
 
 這いずり回って、一生を賭けて贖い続けろ。それが最大の罰であり、当然
の義務ではないか。
 ミストレの気迫に気圧され、バウゼンの部下達がたじろぐ。彼らも哀れな
ものだ。当たり前のようにバウゼンの指示を信じ、従ってきたのだろうに−
−そのバウゼンが今自らの過ちを嘆き、命を絶とうとしている。果たして自
分達はどうするべきか、何に従うべきか、迷いに迷っている事だろう。
 
「思い出せ…バダップはアンタに何て言った?」
 
 ずるり、と。ろくに動かない身体を無理矢理引きずり、ミストレは一歩前
に踏み出す。その気迫たるや、迷いのあるバウゼンの部下達が思わず道を開
けてしまうほどだった。
 
「バダップは多分俺達より、アンタを理解してたよ」
 
『…貴方が、ヒビキ提督を慕う理由は聴いている。でも…』
 
「アンタが薄々過ちに気付きながらも…提督に逆らえない理由も。アンタの
立場ってヤツも」
 
『大切ならば尚更…殴ってでも過ちを正すべきだ。上官だろうと関係ない…
そうだろう』
 
「それでも…大切な人なら尚更、間違ったままの道を進ませていい筈ない…
そう言ってたじゃないか!!
 
 試合中のダメージと先程の戦闘のダメージ。
 肋は二三本イカれ、右肩と右脇腹には肉が見えそうなほど深い切創。左太
股左上腕と脹ら脛には銃創。失血と激痛のせいで今にも意識が遠のきそう
だ。
 それでもミストレは歩いた。一歩踏み出す度地面に血の華を咲かせながら
も。バウゼンと、バウゼンに抱かれたバダップの遺体に向かって。
 
「アンタがそんな卑怯な真似ばっかりするから…自分の気持ちに向き合う
勇気も無かったから!こんな悲劇が起きたんじゃないか!!
 
 長い時間をかけて。バウゼンの前に立つ。息は絶え絶えで、今にも倒れそ
うになりながらも−−ミストレは叫んだ。想いの限り。願いの限りに。
 
「立てよ!目を逸らすなよ!耳を塞ぐなよ!!…これ以上…悲しい事が起こ
らないように…!!
 
 これ以上の悲劇ってどんなだ、とも思う。こんな残酷な世界に、望みを賭
けるだけの希望なんてあるのだろうか、とも。
 未だに悪い夢を見ているかのようだ。
 目が覚めたら全て嘘になっているんじゃないか。くだらない理由でサンダ
ユウが部屋に飛び込んできて、エスカバの大音量の目覚ましで叩き起こされ
て、自分は不機嫌で。でもいつの間にかバダップが朝ご飯を用意して待って
いてくれて、自分はエスカバと喧嘩しながらも食べて、講義室へ急いで−−。
 そんなありきたりで。退屈で。でも幸せだった朝が来るんじゃないかと期
待している己がまだどこかにいる。そんな期待などするだけ虚しいと知って
いながら。願えば願うほどより傷が深くなるのを知りながら。
 それでも。悲しいほど理解させられているから、今立っている。今こそが
現実。やっと救えた筈のバダップは死んだ。軍を敵に回した自分達も、明日
の朝日が拝めるかすら分からない。
 だからこそ、祈る。
 これ以上の惨劇は起こしてはならない。起こるとしたらそれは。
 
「俺達が…アンタが!バダップの死を無駄死ににして…何にも生かさない
で死ぬ!!それ以上の悲劇があるのか!!
 
 ごめんなさい。
 たった独りで逝かせてしまって。
 でも自分達がすぐ後を追ったら、きっと貴方は悲しむから。
 
「後悔してるなら…終わらせてみせろ!全ての悲しい事を…悪い夢を!!
 
 だから、生きるよ。
 一秒でも長く、足掻いて。足掻き抜いて。
 
 
 
「それがきっと…俺達の隊長の、願いだ…!!
 
 
 
 そうだよね。
 バダップ。
 
 
 
「わたし、は…」
 
 バウゼンの手から、銃が転がり落ちる。ミストレは間近で、そのかいなに
抱かれた少年の亡骸を見た。
 綺麗な死顔だった。今にも寝息が聞こえてきそうなほどに。
 
−−ねぇバダップ。君は、この十四年の人生…幸せだった?
 
 あまりにも短すぎる時間。血にまみれ、大人達のエゴに振り回され、テロ
リストの欲に汚され、策略の内に命を絶たれ。短く、あまりにも辛い事だら
けの人生だっただろう。心の弱い者ならば気が違ってもおかしくないほど
に。
 だけど。
 自分の記憶の中で、彼は微笑っていた。感情を表に出すのが下手で、陰で
は鉄仮面だと揶揄されて。皮肉にも彼の涙を見たのは、あの残酷な映像が初
めてで−−笑う事も、本当に少なくて。
 それでも、自分達には笑いかけてくれたのだ。
 
『大事なのは長く生きる事じゃない。短い人生で、どれだけ多くの証を遺せ
るかだ』
 
 確かに。確かに。微笑っていたのだ。
 
−−もしかしたら俺達もすぐ、君の処へ行く羽目になるかもしれないけど。
 
 身を屈め、眠るように事切れているバダップの髪を撫でて。ミストレは心
の中、一人誓う。
 
−−少しでもそれが先になるように。精一杯生きるから…戦うから。
 
 戦う勇気を、忘れない。
 円堂が、バダップが教えてくれた事を、無意味になんかしない。絶対にし
ない。
 
「見ていて、バダップ。君が愛したオーガの誇りを…ミストレーネ=カルス
の生き様を…!」
 
 今はもう、これ以上の涙は流さない。
 子供のように声を上げて泣くのは、全てが終わってからだ。
 
「ドレイス=バウゼン教官。何一つ選択出来ないと言うなら…そこでいつま
でもへたり込んでいればいいさ」
 
 ミストレはキッとヒビキを睨みつける。
 
「奇跡、起こしてやろうじゃん。想いの力ってヤツでさ…!!
 
 誰が言った言葉だろう。
 奇跡は起こるモノではない。
 人の手で、起こすモノだと。
 
「俺達も…戦うよ」
 
 立ち上がったのは『ヒロト』だ。
「どっちみち俺達が過去に還る為には、軍のタイムワープシステムのある場
所まで行かないといけない。辿り着けさえすれば後は自力でなんとかする
さ」
「そういえばお前の特技は“ハッキング”だったな」
 苦笑しながら、『ゴウエンジ』が倣う。
 
「何が変わった訳じゃないかもしれない。帰ったところで俺達に待つのはま
た同じ運命かもしれないが」
 
 『トビタカ』がヒビキ達に鋭い眼光を投げる。
 
「悲劇に溺れるだけでは…万に一つも運命は変わらねぇ。…響木監督や死ん
だみんなの想いに報いる為にも俺は…生きて、幸せってヤツを掴んでやる
!!
 
 『フィディオ』が、『ソメオカ』が、『マックス』が、『カゼマル』が、
『キドウ』が、『フブキ』が、『ハンダ』が、『トラマル』が−−そして、
『エンドウ』が。
 
「絶望を…打ち破る!」
 
 イービル・ダイスが−−否、イナズマイレブンが立ち上がる。
 戦う勇気を持って、今。
 
「…そういう訳だ、円堂守」
 
 ミストレは円堂達を振り返る。
 
「オレ達オーガとイービル・ダイスで、ヒビキ達を抑える。その間にお前達
は学園の外に脱出しろ。エスカバ、途中までこいつらの道案内は頼む」
「イエス、サー」
「ま、待てよ!!
 講義の声を上げたのは風丸だ。
「お前達だけ置いて逃げるなんて…そんな事出来るわけないだろ!俺達だ
って戦うっ!!
「そうだ!」
 風丸の言葉を引き継ぎ、円堂が叫ぶ。
 
「お前達全員…俺達の仲間なんだ!見捨てるなんで出来ない!!
 
 仲間。その言葉が胸に沁みいる。
 ミストレは小さく笑みを浮かべた。まったく−−どいつもこいつもお人好
しなんだから、と。
 
「怪我人だらけの素人が…何言っちゃってんだか」
 
 言葉の内容は辛辣だったが。
 自分でもびっくりするほど、優しい声が出た。
 
「足手まといは要らないよ。現役軍人ナメないで。伊達に前線生き抜いて来
ちゃいないんだ」
 
 もう−−円堂守への憎しみはない。
 彼が消えただけで、歴史は大きく秩序を失う−−今更ながらその理由をハ
ッキリと理解させられる。
 円堂守は太陽だ。世界を、闇に堕ちた人の未来さえ照らし出す太陽なのだ。
太陽が失われれば夜が明けなくなってしまう。だから彼は何度沈もうと、何
度でも昇り続けなければならない−−今までそうしてきたように。
 
「…大丈夫。オレ達は死なないよ」
 
 彼は世界に必要だ。
 その心を、魂を。いつか次の世代へ繋ぐ、その時まで。いつか
 
「どうか…信じて。オレ達を。オーガを」
 
 さようなら。
 きっともう、会う事はないだろうけれど。
 
 
 
 
 
「生きな」
 
 
 
 
 
 生きなさい。
 いつか空に還るその時まで。
 もう一度かの人に巡り逢うまで。
 
 
 
 
 
「……ッミストレ!」
 
 円堂はぐっと唇を噛み締め−−やがて、叫んだ。
 
「いつかきっと…きっと!またサッカーしようぜ!」
 
 そして彼と雷門イレブン、キラードとカノン、エスカバが走り出す。修練
場の出口に向けて。
 
−−サッカーやろうぜ、か。
 
 ミストレは笑う。そして銃を構え、呟いた。
 
「素敵な言葉だね」
 
 
 
NEXT
 

 

天使の、声。