“願い続ければ、望みは叶う可能性はゼロじゃない。 確実に道は繋がっていくから。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 五十五:ブルー・バード
こんな時に−−いや、こんな時だからかもしれない。バウゼンは幼少の頃 読んだ童話を思い出していた。幸せの青い鳥を探す、幼い兄妹の話だ。 細かい筋は忘れたが結末は覚えている。彼らがいくら旅しても見つからな かった青い鳥は、実は最初から彼らの元にいたというオチだ。誰もが追い求 める、幸せという名の理想。しかし本当はすぐ側にあるのに気付かないもの だという、いかにもな教訓である。 けれど。いかにもだ、と感じ。ありきたりだ、常識だと誰もが思うにも関 わらず−−結局肝心な時には見失ってしまう事でもある。 大切なモノは失ってから気付く。全くもってその通りだ。
−−バダップ…本当に、すまなかった。
きっと口に出して謝る事は赦されない。だからバウゼンは心の中だけで懺 悔する。
−−こんな筈じゃ、無かったのにな。
抱える躯はもう冷え切っている。鼻につく血の臭いと微かな死臭。バダッ プの魂はもう此処には無い。どれだけその死に顔が穏やかであったとして も。 どうして自分は、バダップを殺さなければならなかったのだろう。 どうして自分は、こうしてへたりこむ事しか出来ないのだろう。 どうしてあれだけ軍に忠実に従ってきた筈のオーガが、今命懸けで軍と戦 っているのだろう。 どうしてあれだけサッカーを憎んでいた筈のイービル・ダイスが、サッカ ーと円堂達を守る為に軍に 立ち向かっているのだろう。
−−絶対的なものなど、何一つ無かった。
世界が正義と悪で出来ていると。敵と味方で出来ていると。そんな事を馬 鹿みたいに信じていた頃があった。だが人間の心はもっと複雑なもので、世 界とはもっとシンプルなものだった。 人の心は力技で支配出来るものではなく、恐怖政治はいつか必ず瓦解す る。 そして世界を統べるのは多数決と強者だ。より多数に、より強者になった 者達がルールを作り正義を語る。それが真の意味で正しいかどうかはまるで 関係が無いのである。 だから盲信とは、信仰とは恐ろしい。 ヒビキに恩があるのは事実で、彼を尊敬する気持ちにも嘘偽りは無い。だ がそれはヒビキが正義であるかとは無関係なのだ。そんな当たり前の事す ら、行き過ぎた崇拝は曇らせてしまうのである。 殺したくないなら、殺したくないと言えば良かった。間違っていると感じ たら間違っていると言えば良かった。 その結果罰を受けたかもしれないし、それが通らなかった可能性も充分に ある。自分がやらずとも誰かがバダップを殺した可能性だって十二分に考え られる事だ。 それでも−−言う事は、出来たのである。 バウゼンがヒビキを止めなかったのは、罰を畏れていたからではない。彼 が正しいに違いないと、思い込む事で放棄したからだ。自分の考えを投げ捨 てた。彼に従っていればより良き未来を築ける筈だと、信じたフリをして逃 げたのだ。敬愛する彼が間違っているかもしれない、そう考える事が怖かっ たから。
『アンタがそんな卑怯な真似ばっかりするから…自分の気持ちに向き合う 勇気も無かったから!こんな悲劇が起きたんじゃないか!!』
ミストレが怒るのは当然だ。 あまりにも遅すぎる。こうなる前に何故自分は自分を見つめ直す事が出来 なかったのだろう? 失ってしまった命は、もう取り返しがつかないのに。
『立てよ!目を逸らすなよ!耳を塞ぐなよ!!…これ以上…悲しい事が起こ らないように…!!』
これ以上悲しい事なんて、考えたくない。考えたくはないけれど。 でもこのまま考えるのを止めたら−−何も変わりはしない。ミストレ達は 殺されるだろう。ヒビキは間違った思想を貫いて破滅するだろう。その時は もう刻一刻と迫っている。こうしている間に誰が死んでもおかしくない、そ れが戦場だ。
『俺達が…アンタが!バダップの死を無駄死にして…何にも生かさないで 死ぬ!!それ以上の悲劇があるのか!!』
そしてその結末こそ−−バダップの死を無為にするものであり、最大の悲 劇。誰も救われない、最悪のバッドエンド。
『後悔してるなら…終わらせてみせろ!全ての悲しい事を…悪い夢を!!』
自分は、後悔している。 間違った事を間違っていると言えなかった事を。 命じられるまま、愛しい部下を手にかけ、愛しい部下達を苦しませた事を。
『それがきっと…俺達の隊長の、願いだ…!!』
その罪を、今からでも−−僅かでも購えるものがあるとするならば。
「…ヒビキ提督」
バウゼンはバダップの亡骸を地面に横たえて、ゆっくりと立ち上がった。 そして−−ヒビキに銃を向けた。
「私は…貴方を正すまでは、死ねません」
ヒビキはサングラスの奥で眼を細め、やや口角を上げた。 「ほぉ。それがお前の答えか」 「はい」 「お前に俺が殺せるのか?」 「…いいえ」 素直にそう答えると、ヒビキはやや意外そうな顔をする。だからバウゼン は言った。
「貴方を殺したら、説得出来ませんから。…それも一つの覚悟ではありませ んか?」
自分は敬愛する上司に刃を向ける。 自らの犯した罪を償う為に。 自らの信じる道を示す為に。 バダップとオーガの意志に報いる為に。 そして、何より目の前にいるこの人を救う為に。
「円堂守の言葉は呪いなんかじゃない。人を幸せにする、魔法だ」
銃声や爆音すらも掻き消す声で、バウゼンは叫ぶ。
「彼の言葉と生き様は貴方にだって届いていると、私はそう信じている!」
ぎゃあ、だの。わぁ、だの。下から悲鳴が連なって聞こえる。狭い円柱型 の通路、滑りそうな梯子を登りながら円堂は思う。下を見たら死亡フラグ間 違いなしだと。
−−ってか俺がもし滑って落ちたらどーなるんだろ…。
何人潰れる事やら。小柄な小林はまずアウトだろう。壁山や染岡は−−案 外平気な気がしないでもない。 というか壁山は寧ろこの通路に体が詰まらないかが心配だ。梯子の強度も 不安だけれど。
「よいしょ…とっ!」
先頭を行く松野が一番上まで登りきり、蓋を押し上げるのが見えた。途端 に差し込む光。だが思ったほど眩しくはない。長く地下にいたせいで麻痺し ていたが、世間はすっかり夜だった。 慎重に一人ずつ外へ這い出していく。途中、栗松が滑り落ちかけるハプニ ングはあったが、全員無事に地上へ上がる事が出来た。 「ぐっ…」 「お兄ちゃん!」 「大丈夫だ、春奈…」 どうにか登りきったものの、鬼道が苦しげに膝をつく。顔色が真っ青だ。 包帯からはあちこち血が滲んでいる。鬼道だけではない。豪炎寺や一之瀬、 風丸や栗松も怪我の痛みで顔面蒼白だ。 それ以外の面子も精神的肉体的に疲労が激しい。彼らを早く安全な場所 へ、そして病院へ連れて行かなくては。円堂は辺りを見回した。
−−此処は……!
地面は芝生。そして“イチョウ”と書かれたプレートの下がった木が何本 も植えられている。気温からしても今この世界の季節は夏なのだろう。イチ ョウの葉は生い茂り、自分達の上に大きく影を作っていた。ちょっとした林 のようになっている。 少し離れた場所には黄色いタイルで舗装された並木道が見える。その道の 先は見慣れた研究所に続いていた。その反対側には煌びやかなネオンが夜空 を照らしている。街の郊外−−オーガ学園はシティのやや北寄りにあった が、どうやら地下通路は思ったより長いものだったらしい。
「研究所までもう少しだ。だが油断するなよ、待ち伏せやトラップがあるか もしれん」
響木が至極真面目な顔で言う。待ち伏せはともかくトラップなんてそんな 影山じゃないんだから−−と円堂は思ったが、キラードの顔を思い出して撤 回する。 軍部ではなく。あのオジサンなら面白がって仕掛けて忘れてるなんて事も あるかもしれない−−ついそう考えてしまうような子供っぽさがキラード にはあった。 まあ冗談はさておき。 待ち伏せは充分に有り得る事である。気をつけるに越した事は無い。
「茂みに隠れて慎重に進もう。焦って目立ったら元も子もない」
風丸が囁き声で言い、皆が頷く。彼もボロボロだというのに、実に冷静だ。 風丸を裏キャプテンと呼ぶ者がいるのも頷ける。自分も見習わなくてはなら ない。 「壁山………まあ頑張れ」 「何すかその間は!」 「お前ら、コントは後にしろコントは」 そろそろと進みながら壁山を振り返り、とても残念そうな顔で言う宍戸 と、意味を理解して涙目になる壁山。半田が呆れ顔で突っ込むのはもはやお 約束だ。確かに壁山の巨体で目立つなというのはなかなか酷である。 「いざとなればお前は木のフリでもすりゃいいじゃん。お前のアタマなら可 能だ、俺が保証する」 「キャプテン〜(涙)」 「冗談だってば」 「まったくもう!円堂も悪ノリすんなってば!!」 「ごめんごめん」 半田がさらに突っ込むも、彼も怒っている様子は無い。マネージャー達が くすくす笑っている。皆も気付いているのだろう、円堂の意図に。 ふざけている場合ではないと言うかもしれない。だが誰もが多かれ少なか れ荒んだものを抱えている現状、過度の緊張状態から解放する為にはこれが 何より効果的だった。 試合中、ミストレ達が事あるごとにジョークを飛ばしていた理由が今なら 分かる。戦場を、生死の狭間を生きる彼らは知っていたのだ。自分達が自分 達でいられなくなったら終わりだと。
−−ま、壁山のアフロは盆栽みたいだーなんて…思ったの俺だけじゃないだ ろ、絶対。
あの深緑色のモコモコっぷりがいかにもだなぁと。これで本当に誤魔化し がきいたら後で笑ってやろうか。 そう−−この苦境を乗り切って、みんなで思い切り泣いた後で。
−−あと、少し…。
じりじりとしたスピードながらも、建物が近付いてくる。 研究所の暗証番号と電子キーのスペアは借りてある。裏口の方が木々に隠 れて見えにくいので、そちらから回れとも。 身をかがめて、やや小走りにドアに駆け寄ろうとした−−その時だ。
「動くな」
びり、と。まるで静電気が走るように−−くぐもった声が皆の動きを止め た。
「キャプテン!」
後輩達が悲鳴を上げる。 鼻先に突きつけられた銃口−−円堂は無言でホールドアップした。マスク をした迷彩服の者達が、ぞろぞろと建物の影から出て来る。その数、見える 範囲だけで十二名。恐らくこれが全員では無い筈だ。
−−やっぱり待ち伏せされていたか…。
あと少しだったのに。悔しさに唇を噛み締める円堂。
−−どうする。どうすればいい。俺達みんな、いざとなったら戦える。でも …。
いくら必殺技があるといってもこちらは素人でほぼ丸腰だ。怪我人もい る。戦うにしたって限度があり、プロ相手にどこまで通用するかは怪しい。 その時、円堂の真正面にいる男が口を開いた。
「円堂守。お前に一つ訊きたい」
思っていたより高い声。
「お前は何故、サッカーをする?」
意外な問いに、円堂は目を見開いた。
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青い、鳥。