“最期に一つだけ、お願いがあります。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 五十六:ホールド・アップ
静かな夜の隅で、静かな攻防は続く。両手を挙げた格好のまま、円堂は自 分に銃を突きつけている者達を見た。 軍人達は−−殆どがわりと小柄で、しかし全員が武装している。さっきの も訓練された動きだった。細長い銃をこちらに向け、皆が防毒マスクをして、 一部は何やらタンクのようなものを背負っている。 もしや催眠ガスでも使って全員を眠らせる魂胆か。いや、眠らされるだけ ならばまだいい。あの中身が毒ガスならば手の打ちようがない−−毒ガスに は、触れただけで皮膚から体内に入り、死に至るタイプのものもあると聞い た事がある。まあ、そこまでの劇薬を使うのは彼らにとってもリスクが高い だろうが。
−−此処は街の郊外だ…近くに建物は無く時間も時間だから人気もない。こ いつらにとっても好都合って訳だ…。
仮に毒ガスを少しばかり撒いても、余計な被害は出ない。屋外だから霧散 するのも早いだろうが、ほぼ無風の今ならシティにガスが流れていく事もな いのだろう。
−−いや、毒ガスがなくても…銃だけで充分脅威だ。
拳銃の弾は、引き金と銃口に注意すれば避ける事も可能らしい−−が、そ れは相手が一人だったらであり、それもある程度距離があったらの話だ。こ の至近距離では、即死を瀕死の重傷へ変える事もままならないだろう。 ついでに言えば彼らの銃は“拳銃”と呼べるものではなさそうだ。銃の知 識なんてこれっぽっちもないが、銃身が長い上両手で支えて持っている。よ く軍事ドラマで見るそれにそっくりだ。 どうする。 どうすればいい。 円堂は必死で考える。連中は問答無用で撃って来なかった。動くな、と自 分達に制止をかけたという事は、自分達を生きて捕縛する気か、多少なりに 話をするつもりでいるという事だ。ならば会話の中で反撃の糸口を見つける 他ない。 ミストレやヒビキは自分を“浄罪の魔術師”と呼んだ。人を惑わし洗脳す るほどの、言葉という名の魔法を操ると。そんな大層なものじゃない、と円 堂は思う。だがもし自分にもプロの軍人達相手に対等に戦える武器があると したら、それはこの“言葉”だけではなかろうか。 自分と同じように銃を突きつけられ、震えている後輩達を見る。彼らは自 分が護らなければ。雷門イレブンのキャプテンとして。 覚悟を決めて円堂が口を開こうとした、その時だ。
「円堂守。お前に一つ訊きたい」
真正面の軍人が、円堂に問いかけてきた。
「お前は何故、サッカーをする?」
思ったよりも高い声に、目を丸くする。問われた内容もまた予想外だった。 何故今それを訊かれるのか−−そうは思ったが、悩んでいる暇などない。
「そんな事、決まってる」
彼らの機嫌を損ねれば命の保証はない。それでも円堂は、選んだ。 偽らない事を、選んだ。
「楽しいからさ。サッカーは楽しくて、プレイする奴も見ている奴も笑顔に できる。少なくとも俺はそう信じてる」
自分の心だけは、嘘を吐きたくない。 誰かの心に届くとしたら、偽りの無い真っ直ぐな真実だけだ。
「どんなスポーツだって、勝ち負けはある。それで時には失くすものもある だろう。だからスポーツは悲しい時もある。サッカーだってそれは同じ。俺 はサッカーが、全ての人にとっての希望だなんて思ってない」
名もなき兵士達へ。銃を突きつけられ、ホールドアップの姿勢を守りなが らも、円堂は真っ直ぐに投げかける。 それこそが最大の武器だと知っていたから。
「でも。サッカーを見て、光を見いだしてくれる人が一人でもいたら。それ は確かに、意味ある事だと思う。フィールドで戦う俺達が諦めない姿勢を示 す事で、見ている人達もまた諦めない心を思い出してくれたなら!」
余命僅かと宣告された患者。 ベッドの上の寝たきりの老人。 自殺の方法を考え続ける少年。 受験のストレスで悩む少女。 親に捨てられた子供達。 親を喪った子供達。 家族を失った親達。 戦火に故郷を焼かれた人々。 戦火で故郷を焼くしか無かった軍人達。
「サッカーをしている最中に、そこまで考えてやってる訳じゃないけどさ。 楽しいからサッカーをやる、理由なんてそれで充分じゃないか。自分が楽し む事で何かを壊すならそれは間違いだけど、楽しむ事で誰かを笑顔に出来る なら、それはきっと素敵な事だ」
あらゆる人達の心に、それは届く可能性を秘めている。 サッカーと、サッカーに関わる者達の笑顔は。
「もしサッカーが壊したものがあっとしても。その分まで俺は、サッカーは みんなを幸せに出来ると信じてる」
身勝手で偏見に満ちた考えと言われるかもしれないが。 円堂は信じている。サッカーと、サッカープレイヤー達の無限の可能性を。
「だから俺はサッカーを捨てない。例えその結果お前達に撃ち殺されても だ」
ここでもし信念を曲げて生き延びても。 心が死んでしまうのは、身体が死ぬ以上に辛い事だから。
「暴力なんかで、俺達の稲妻魂は殺せない!人の心は、心でしか動かせない んだから!!」
言い切った。円堂はキッとマスクごしの相手の眼を睨みつける。 声は震えなかっただろうか。怯えは瞳に滲んでやしないだろうか。ちゃん と立ち続けているだろうか。身体は真っ直ぐ正面を向けているだろうか。 本当は怖かったけれど。その恐怖を、無理矢理信念で塗りつぶした。退い たら負ける。隙を見せれば言葉という名の盾と矛は簡単に砕け散ってしま う。 暫くの間、無言の睨み合いが続いた。十分か二十分か−−いや、ひょっと したらほんの数秒だったかもしれないが。円堂にはあまりに長い時間に感じ た。
「…見事だ」
やがて。 兵士はそう言って−−銃を降ろした。
「浄罪の魔術師と、提督が恐れるだけの事はある。銃を向けられて尚己を偽 らず、媚びへつらう事もなく信念を貫き通す強さ。実に見事なものだ」
そして彼が手で合図すると、周りの兵士達も銃を下ろした。円堂は目を見 開く。 「俺達を、捕まえに来たんじゃないのか?」 「いや」 どうやら彼がリーダーらしい。円堂の言葉に首を振る。
「ヒビキ提督からは射殺命令が下っている。催眠ガスの使用許可も出ている しな」
射殺命令。やはり、と思う。ここまで派手に事態が動いているのだ、ただ 捕まるだけで済むとは思っていなかった。 「だが…その命令を実行するか否かを決めるのは、我々なのだ」 「…命令違反になるんじゃないのか」 「処罰なら幾らでも受けるさ」 あっさりと言うリーダー。どうしてそこまでして自分達を見逃してくれる のだろう。 疑問に思っていると、リーダーは自らの防毒マスクに手をかけた。
「この小隊メンバーは全員…オーガ学園の生徒だ」
驚愕する円堂。現れたのは円堂達と同じくらいの年の、少年の顔だった。 イギリス系だろうか、明るい茶髪に青い大きな眼。小柄な上声も高かったか らまさかと思っていたが、予想以上に幼い顔立ちをしていた。
「俺達にとってオーガ小隊は羨望と崇拝の的だった。特にバダップとミスト レとエスカバの三人を信望する人間は多い。彼らはそのカリスマ性もさる事 ながら、けして屈しない生き方で我々を導いてくれていた」
他のメンバーも次々とマスクを取る。全員が年端もいかぬ子供で、なんと リーダーの両脇にいた二人は、見目麗しい少女だった。 「サッカーは悪だと教えられてきたが。あの方々とお前達が、どんな絶望を 前にしても立ち向かい…自らのサッカーを貫き通す姿を見た時。目が覚める 思いだった。我々は過去のサッカーに責任を負わせて、自らの進化を諦めて いたのだと」 「お前達も…試合を見てくれていたのか?」 「我々だけじゃあない」 少年はフッと、その幼い顔に大人びた笑みを浮かべる。 「全国ネットで中継されていたんだ。国中が試合を見ただろう。そして多く の者は心を動かされた筈だ…俺達がそうだったようにな」 「世界が変わる時が来たのよ」 緑のショートヘアの少女が言う。年の割にバッチリしたメイクが印象的だ った。
「あたし達は受け入れて、考なきゃいけない時が来てるんだわ。あたし達が 生きるべき未来ってヤツをね」
生きるべき、未来。 その言葉が静かに、円堂の胸に積もっていく。
「貴方達に曲げられない信念があるように、わたくし達にもあるという事で すわ」
お嬢様然とした長いウェーブのかかった髪の少女が、穏やかに微笑む。
「貴方達はわたくし達がお慕いするミストレ様と、ミストレ様のオーガ小隊 を救って下さいました。確かに悲しい結果もありましたけど…救われたのも また事実ですのよ」
だから今度はわたくし達が恩返しをする番なのですわ、と少女は言う。
「サッカーは悪などではありません。貴方達は生きて、貫き通すべきですわ。 貴方達の信じる、貴方達だけにしか出来ないサッカーを」
自分達の信じる、自分達だけのサッカー。 円堂は思う。ひょっとしたら自分達は、この世界の歴史を動かすようなと んでもない事をしたのかもしれない。そしてそれは自分達に課せられた、自 分達にしか出来ない役目だったのかもしれないと。
「円堂。お前ならば…俺達とは違った、さらに良い未来を作り出せるように なるかもしれない。平和憲法が失われず、子供達が戦場に出る事も、その為 の学校が作られる事もない未来を…」
思いを噛み締めて−−吐き出すように。切なげに眼を伏せて、リーダーは 言った。
「どうか、頼む。お前の世界にいずれ生まれてくるバダップが、あんな死に 方をしなくて済むように…あんな悲劇が起こらない未来を。そんな世界を作 って欲しい」
ああ、彼は分かっているのだ。どれだけの決意をしても、この世界ではも はや取り返しのつかないものもあるのだという事を。後悔してもしきれない 惨劇があった事を。 円堂に未来を託しても。円堂の作る未来をその眼で見れない無力さを。
「…あんた達の、名前は?」
円堂は尋ねる。
「エディ=ブラック。この部隊の隊長だ」
リーダーの少年が最初に名乗った。
「サザン=プシュケ。副隊長よ」
短髪の少女が手を差し出してきた。
「カリナ=ブーストと申しますわ」
お嬢様然とした少女がにっこりと笑う。
「エディに、サザンに、カリナか。…ありがとう。覚えておくよ」
円堂も微笑み返し、三人それぞれと握手を交わす。 彼らもまた勇者だった。理不尽な世界に抗い、自らの意志を貫いた戦士達。 大丈夫だ、と円堂は思う。オーガや、カノンや。エディ達ならばきっと世界 を変えていけるだろう。 どんなに修羅の道でも。その姿が平和へと連なる行列となり、多くの人々 を揺り動かす筈だ。 「御武運を、円堂守。そして伝説のイナズマイレブンよ」 「そっちも、元気でな!」 一同は彼らに見よう見まねで敬礼し、まっすぐ研究所へと走り出した。も う自分達を遮るものは何もない。 さあ、信じて歩いていこう。光差す未来へと。
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挙げる、両手。