“あとどれだけ生きれるか分からない私の代わりに、どうか。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 五十七:シューティング・スター
裏口には鍵がかかっていたが、受け取ったカードキーとpassで開ける事 が出来た。他にもあちこちロックがかかっているのは、流石研究所と言うべ きか。機密と呼ぶべきものもたくさんあるのかもしれない−−その割に整理 整頓にだらしなさすぎるのがキラード博士のようだが。 早足で研究所内を進みながら、鬼道はやや訝しく思っていた。
−−室内が妙に片付いてる…?
自分達がこの未来世界にやってきた数時間前に見た時。廊下には資料と古 新聞の山が積まれ、屑籠はひっくり返り、客間にはゴミは散乱している有様 だった。すわ、強盗でも入られたかと思いきや、カノン曰わくこれが平常、 寧ろマシな方だという。キラードの生活能力の無さはもはや神クラスだとか なんとか。 なのに、だ。それがやたらと綺麗になっている。ホームヘルパーでも雇っ ているのだろうか。あるいはキラードの家族か誰かが来たのか。 そのどちらも外れていた事に気付くまで、さほど時間はかからなかった。
「思ったより早かったな」
研究所の中心部−−タイムワープマシンの部屋のドアは開いていて。マシ ンの前には一人の少年がこちらに背を向けて立っていた。 鬼道も皆も、思わず身構える。子供相手でもこの世界では油断ならない。 それは今までの経験で嫌というほど思い知らされた事だ。
「もう少し、妨害されたかと思った…無事辿り着けて何よりだ」
少年は喋りながら、何やらマシンを弄くっている。鬼道は首を傾げた。何 故だろう、どこかで聞いたような声だ。
「お前は…誰だ。何をしてるんだ」
皆を代表するように、円堂が口を開く。すると少年が、ふっと笑みを浮か べた気配があった。
「設定してあるまま、マニュアルに従って操作すればいいと博士に言われた んだろうが…もし誤った操作をすれば一大事だ。お前達に何かあっては困る からな…博士に言われて、此処で待っていた」
少年が振り向き−−皆のあちこちから驚きの声が上がった。 鬼道は声も出ない。 明るい茶髪にゴーグル。少年の姿は−−自分にそっくりだったのだから。
「逢えて光栄だ、円堂守。そして伝説の二代目イナズマイレブン」
まさか、そんな事が。 しかし瞬時に、鬼道はカノンの例を思い出していた。彼は円堂の曾孫だ。 ならば、自分の子孫もこの世界に存在していてもおかしくはないのではない か。 「お前、名前は…」 「キドウ、だ」 尋ねた風丸を遮るように、少年は言った。
「あんた達の察する通りだ。下の名前は…言わない方がいいだろうな。いず れあんた達がその目で確かめるといい。うまくいけば、未来の何処かで逢う 事になるだろう…俺ではない俺に、な」
彼の言わんとしている事を理解し、風丸も円堂も押し黙る。 そうだ、未来を歪めない為には−−本来自分達はカノンに逢うべきではな かったし、彼の名前を知るべきでも無かったのだろう。今更のような事だが、 それを律儀に守るあたり少年の真面目さが窺える。 益々、自分そっくりだと鬼道は思った。 「部屋を片付けたのもお前か」 「汚い部屋で見るに耐えかねてな、博士が出かけた後で仲間と一緒に片付け にきた。博士から連絡が来てからは危ないから皆は帰して、俺だけが残って 待っていた」 「そうか…ありがとう」 この少年は敵ではないらしい。それが分かり、誰もがほっと胸を撫で下ろ す。
「…あんた達のサッカーは、魔法のようだな」
少年は再び機械の操作に戻って言う。
「俺も仲間達と中継を見ていたが…気付いたら周りにいた全員が声を張り 上げて雷門とオーガを応援していた。カノンがいたからというのもあるが… それだけじゃない」
喋りながらも少年は手を休めない。
「あんた達を見ていると、サッカーがやりたくてたまらなくなるんだ。…き っともう、サッカーが悪だなんて言う奴はいなくなる。お前達の魂は、国中 の人間の心をも動かしたはずだ」
そうだ、と。鬼道は心の底から誇らしくなる。 いつの間にか強引に、関わる者を光の側へと引っ張り上げてしまう。それ が円堂のサッカーだ。自分達が惚れ込んだ、イナズマイレブンのサッカーな のだ。
「俺達は、自分のやりたいサッカーをしただけさ」
鬼道は素直に感想を述べた。
「だが…この時代ではそれが何より難しく、見失われがちな事だったのかも しれないな」
思い出すのはオーガの事。彼らは最初、任務の為だけにサッカーをしてい た。それは彼らの望みではない、誰かから奪う為だけのサッカー。楽しさな んて微塵も無かっただろう。やりたいサッカーが出来ない不幸すら理解して いなかったかもしれない。 それを変えたのは、円堂だ。 円堂は彼らに、そして共に戦う自分達にも教えてくれた。 サッカーは楽しむ為にするものだと。 未来を切り開くのはいつだって、戦う勇気を持った者達の心だと。
−−かつては俺も…忘れていた事だ。
サッカーが勝利の為の手段でしか無かった時期があった。大事なものを見 失い、仲間達の想いが見えなかった時期があった。そんな自分を救ってくれ たのもまた円堂だ。 この世界の未来は、変わるだろう。 いや、変わるのはきっと彼らの未来だけではない。自分達に突きつけられ たあらゆる悲劇の可能性と、荒んだ現実の可能性。それを見せつけられた上 で乗り越えて絶望を打ち破った。それで何も変わらない筈がない。自分達も きっと変えていける筈だ−−この世界の史実に刻まれた以上に、素晴らしい 明日へと。
「雷門イレブン。未来に生きる俺達は知っている…これから先あんた達の身 に起きる事も。あんた達のおおよその寿命も」
少なくともこれはほぼ確定している事だが、と少年は続ける。 「近い未来…日本の歴史に残る大きな事件が起きる。失うものも、きっとあ るだろう。ひょっとしたら今日の試合より酷い事が起きるかもしれない」 「…そうか……」 「でもそれも、あんた達が成長する為に必要な試練で、あんた達なら乗り越 えられると俺は信じている。だから回避する方法は言わないぞ」 不親切か?と笑う少年に、鬼道は首を振る。 彼がここまで言うからには、それ相応の悲劇が自分達を待ち受けているの だろう。だがその詳細を知ってアドバンテージを得るのは禁忌であり、赦さ れない甘えだ。そして対等に運命に立ち向かわなければ、本当の強さは得ら れまい。
「未来は見えないから面白いんだ。それに…」
鬼道は円堂を振り返る。円堂が頷いた。 この世界には神様なんかいないかもしれない。神は乗り越えられる試練し か与えないなんていう言葉があるけれど、時には乗り越えようのない試練だ ってあるだろう。だから理不尽に命を失う人達が後を絶たないのだ。 でも。
「一人では乗り越えようのない試練も、仲間と一緒なら乗り越えられる。そ うだろ?」
自分達は、雷門イレブンはそうやって戦い抜いていく。今までも、これか らも。
「……そうだな。それでこそ俺達が憧れたイナズマイレブンだ」
そう言って、少年はエンターキーを押した。ブン、とマシンが起動する音。 「最終確認及びメンテナンス、微調整、全て終了した。お前達がこの世界に 来た日の十八時ジャスト、鉄塔広場にジャンプする筈だ」 「恩に着る」 「礼には及ばない。礼を言いたいのはこちらの方だ」 指示されるまま、鬼道達は指定されたサークルの中に入った。マシンが転 送を始め、徐々に視界が青い光の中に薄れていく。
「貫き通せ、お前達は、お前達のサッカーを。たとえどんな運命が待ち受け ていても」
最後に聞いたのは、少年のそんな言葉だった。
「それが世界の、希望になる」
がくり、と膝を着いた。 一度動きを止めてしまえばもう動けなくなると分かっていたが、さしもの エスカバも限界だった。ぼたぼたと滴る血が池になって足元を汚す。己と敵 と味方、あらゆる血を吸ったユニフォームは重いとさえ感じるほどだった。
−−肋何本イッてるかわかんねぇレベルだし。つーか、ぜってぇ内臓もやら れてるよなぁ…。
腹に少なくとも三発は銃弾を食らっているし、刃物でも抉られている。血 を吐き続けている時点で消化器系のどこかを破られてるのは明白だろう。胃 酸混じりの血が不味いったらない。喉が焼けそうだ。 おまけに左足。辛うじて動くから腱は切られていないのだろうが、大きく 裂けた傷からは筋がびらびらしている。よくもまあこんな状態で走り回れた ものだと我ながら感心せざるをえない。 立ち止まった途端全身の傷からの激痛を思い出して、悲鳴を上げそうにな った。が、潰れかけた喉から溢れたのは血泡だけだ。本格的にマズい。傷の 深さもさることながら、出血量が限界だ。
−−人間ってどんだけ血ィ流したら死ぬんだっけ…常識問題だってミスト レに叱られたばっかなのに、俺…。
意識が薄れかけ、思考が回らない。それでもエスカバは、腰の銃を抜いて 撃っていた。銃弾は今まさにこちらに狙いをつけんとしていた兵士の頭を綺 麗に撃ち抜く。
−−俺、射的の腕上がったぜ…誉めてくれよ、バダップ。
ああ、でももう彼はいないのだっけ。
−−駄目だ、すげぇ痛ぇのに…眠く…。
ぐらぐらする頭で辺りを見渡す。 『キドウ』が動きを停止して倒れているのが見えた。 そのすぐ隣では『エンドウ』が頭から血を流してうずくまっているのが見 え。 さらに向こうでは『ザゴメル』と『トビタカ』がうつ伏せているのが見え た。 彼らの安否さえ分からない。確かめに行かなくてはと思うのに、その短い 距離さえもはや遠すぎてかなわない。エスカバの足はもう、動いてくれない。
−−ミストレ…!
彼は思いのほか近い場所に、横向きで倒れていた。こちらに背を向けてい る為顔が見えない。その背中の中心からはじわじわと赤が滲み出ている。彼 の周りも立派な血の池地獄だ。 起きろ。自分も頑張るから、眠るんじゃねぇ−−そう言おうとしたが、も はや喉からは掠れた音しか出ない。 がくがくと震える腕をミストレに伸ばそうとして、体制を崩し倒れ込ん だ。もはや体を起こす力さえ残っていない。
「ミス、ト…」
無慈悲な銃弾が、二人の間を切り裂いた。エスカバは目を見開いて−−伸 ばしたままの自分の右手を見た。 一発の銃弾は−−エスカバの右手の人差し指と中指を吹き飛ばしたのだ。 背筋を這い上がる凄まじい激痛。声にならない声で絶叫する。転げ回って苦 しむ気力さえない。反射的に涙が滲み頬を伝った。 もはや親友に、伸ばす手すら許されないというのか。
−−ちく、しょ…!
ここまでなのか。意識がブラックアウトする寸前−−エスカバは、戦場の 空気が変わったことに気付いた。 どたばたとたくさんの、訓練されていない足音が雪崩れ込んでくる。サッ カーを壊すな、ヒビキを捕まえろ−−そんな声がした。 もう少し落ち着けばいいのになあ。エスカバはそんな風に思い−−それが 最後の思考となった。
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流れる、星。