“勇者の心は、一人でも覚えていてくれる限り、受け継がれていく。”
ブレイブ・ハート 〜戦士よ、誇り高くあれ〜 五十九:ブレイブ・ハート
−−2091年
天気予報は悉く当たらない。それがあの予報士がいい加減なのか、はたま た最近の天気が読みにくいのかは分からないけれど。 昨日の雨が嘘のような青空。雲の割合が空の二割以下ならば快晴と呼ぶ− −であった筈なので、今日のような日を人は快晴と呼ぶのだろう。ベタつき の残らない、実に気持ちの良い午後だ。気温も丁度いい。 今は青々としている桜の並木道を通り、その奥に広がる敷地へと少年は足 を進める。ある種整然とした石が並ぶ空間−−墓地。その一つの前に彼、ミ ストレーネ=カルスは立つ。つい癖でピシリと背筋を伸ばそうとして−−左 足に力が入らず、ふらついた。
「おっと…!」
なんとか持ち直し、墓石に手をつくのだけは免れる。ざまあないったら。 自嘲し、ミストレは改めて手を合わせた。
「君の前で無様なとこは見せたくなかったんだけどなあ…バダップ」
墓参りの際の、昔ながらの習慣はまだこの国にも残っている。だが、ミス トレは軍以外での形式ばった作業が嫌いなクチだった。バダップもそんなミ ストレをよく知っていたし、気にする質でもないだろう。それでも適当に水 をかけ、適当に花を添える事はする。 これでも彼はそれなりに敬意を払うべき相手だ−−形だけとはいえ上官 だったのだから。
「もうちょっと早く来るつもりだったんだけどね。ま…いろいろあって」
本当に色々な事があった。良い事も、悪い事も。 ミストレは追憶するように瞼を閉じる。
「あれからもう一年…か」
雷門とオーガの混成チームと、イービル・ダイスの一戦。その試合を契機 に起こった大規模な騒動から丸一年が経過していた。あっという間の一年 だ。それだけ苦労が多かったともいえる。 あの日。円堂達を逃がした後。自分達はヒビキ提督達とドンパチして−− 長く防戦したものの、最後は力尽きて倒れた。瀕死の重傷だ。正直死んだと 思ったし、それから暫くの記憶がミストレにはない。 気がついた時は病院のベッドの上で、件の日から一週間も経過していた。
「あの後の事…君は知らないだろうから教えてあげる。まあオレも、半分以 上人から聞いた話なんだけどね」
あの試合を、ヒビキ達は全国ネットに流していた。全てはサッカーを潰す 為。八十年経った今でも尚伝説に等しい雷門イレブンがイービル・ダイスに 敗北し、絶望にひれ伏す様を国中に見せる為。そうする事で全国のサッカー 愛好家達の心を挫くのが狙いであった。 だが結果的に雷門は絶望に屈する事なく−−自らの闇の姿そのものであ るイービル・ダイスを乗り越え、打ち破った。そしてイービル・ダイスです ら救ってみせた。ヒビキには計算外−−そればかりか逆効果となった訳であ る。なんせ雷門の姿は国中のサッカー少年達絶望どころか希望を与えたのだ から。ネット中継が完全に裏目に出たのである。 そして、具体的に何が起きたかというと。 サッカーを否定するな、サッカーを壊すな、ヒビキを逮捕しろ−−そんな 風潮が広まり、大規模なデモ運動が始まった。中でも過激な連中が王牙学園 まで押し寄せ、最終的には力づくで地下修練場まで突破してきたのである。 まったく凄いというか恐ろしいというか。 しかしそのおかげで自分達は助かったのだ。雷門と共にヒビキに立ち向か ったオーガを、サッカーファン達は半ば英雄視した。瀕死で倒れていた自分 達を解放し、病院まで運んでくれたのである。 バダップ=スリードの殺害とミストレ達の殺害未遂。今やタブーとなった 歴史干渉を犯し、王牙学園の子供達に不当な労働(オペレーション・サンダ ーブレイク及びオペレーション・シルバーブレッドが明るみに出た事が大き い)を強いていたとして。ヒビキとバウゼン、さらに軍上層部数名が現行犯 逮捕された。何故だか彼らは警察に対しては抵抗しなかったという。殺人及 び殺人未遂、労働基準法違反及び時間旅行治安維持法違反。その他諸々の罪 状がある。裁判はまだ続いているが、彼らは当分シャバには出てこれなくな るだろう。 だが彼らが捕まったからといって、それで全てが終わった訳ではない。寧 ろあの一件−−後に称される“王牙革命”は、全ての始まりだったと言って いい。あの事件を契機に、この国とこの国のサッカーに革命の風が吹き荒れ たのだ。 大規模デモなんて大人しいもの。中には公的機関との武力衝突やテロ紛い の事件も起きた。サッカーを愛する者達の鬱憤が爆発したと同時に、サッカ ーを否定しヒビキ釈放を求める者達も少なからずいた為である。それは主に ヒビキと同年代以上の、吉良事変やエイリア模倣テロの被害に遭ったりその 親族だったりした者達だった。
「…ヒビキ提督は、言ってたらしいよ」
『チームオーガ。彼らは我々の長い人生の中でも間違いなく、最も優秀な精 鋭部隊だった。特にバダップ=スリード。彼は天才で…とても優しい子だっ た』
「オレには最後まで…提督の考えが分からなかったけど」
『私が憎んだのはあくまでサッカーであり、あの子では無かった。あの子達 には何の罪も無かったのに、私はあの子を殺した』
「…正直あの人の事を、オレは一生赦せないだろうけど」
『もはや後悔さえ赦されない事だ。それに私は私の全てが間違っていたとは 思わない。だが…もし彼らと別の出会い方をしていれば。こんな時代でなけ れば』
「あの人もあの人なりに…悩み抜いて、何かを守ろうとしていたのかも…し れない」
『本物の仲間になれたかもしれない。心から、そう思う』
今更どうしようもない事もある。動けないベッドの上。様々な現実を思い 知り、ミストレは子供のように泣きじゃくった。何を後悔すべきか、すべき でないのかも分からなかった。自分達は精一杯戦ったつもりだ。信念を貫い たつもりだ。それでも−−護れなかったものも、あったのだから。 民間人達が駆けつけた時にはとうにバダップは息がなく。蘇生も試みたも 無駄に終わったと聞かされた。覚悟していた事だ。今の技術でも、心臓を撃 たれた人間を生き返らせるのは並大抵の事ではない。 さらにミストレ達が失ったのはバダップだけではなかった。あの戦闘で負 った傷−−重傷の身体で無理矢理動き続けたのも良くなかったようだ−− が原因で。ミストレを含めたオーガの何人かは、重い後遺症が残った。 ミストレの左足は半ば麻痺して、前のように自由には動かない。それでも 撃たれて脊髄損傷した事を考えれば、この程度で済んだのが奇跡だろう。最 新医療に感謝しなくてはならない。 また、腎臓にもダメージが大きく、一生人工透析のお世話にならなくては ならないかもしれないそうだ。これではとても前線で戦える筈がなく。今は 通信士として軍で働いている。こんな身体でも必要としてくれるなら有り難 い事だ。
「…ボロボロだけどさ…オレも、みんなも、この国も」
空を仰ぎ、呟く。
「でも…生きてる。自分の足で立って、前に進んでる」
たくさんの犠牲があった。たくさん血が流された。大きなテロもあったし、 経済も混乱を極めた。だが一年かけて−−それらも漸く落ち着きを見せ始め ている。エレメンタルサッカーの競技人口は増え、多くの者達が皆に希望を 与えようと奔走している。 この国の民に笑顔を齎す為に。 サッカーが幸せの魔法である事を示す為に。
「…そうだ。オレ、CD出したんだよ。バダップが作った曲でさ」
それは−−バダップの遺品を整理していた時、見つけたものだった。五線 譜と歌詞カード。そしてMIDIを入れたUSBメモリ。多分、あの出兵の前に バダップが作っていったものなのだろう。 歌詞を見たミストレは泣いて−−決意したのだった。彼の想いを、彼が生 きた証を、この国の歴史に残したいと。
「あんま、上手に歌えなかったけど。良かったら…聴いてってよ」
ミストレは小型スピーカーのスイッチを入れる。 オルゴールから始まる切ないメロディーが、緩やかに墓地へと流れ出して いった−−。
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勇敢なる、心。
挿入歌『Brave heart』
by Hajime Sumeragi