“けして死ぬ事はないのです。だから、私は最期まで祈り続けます。”
 
 
 
 
 
 
 
イブ・ハート
〜戦士よ、り高くあれ〜
六十:クリア・マインド
 
 
 
 
 
 
 
−−西暦2012年、とある世界。
 
 
 駅前の噴水広場前。
 待ち合わせまであと十五分ある。彼は真面目だから、きっと五分前までに
は来るだろう。そう思いつつ、長い赤髪の少女−−『ヒロト』は腕時計を見
た。
 
「お母さん、お母さん」
 
 不意に服の裾を引っ張られ、少女は目線を下に向ける。七歳と五歳になる
二人の愛息子が、何やらニコニコしながらこちらを見ている。長男が口を開
いた。
 
「どうしたの?凄く楽しそう!」
 
 ああ、そうかもしれない。これから会う相手は、その実今『ヒロト』が“付
き合っている”人物だ。息子達とも面識がある。所謂結婚を前提に−−の交
際だが、残念ながら自分も相手もまだ結婚のできる年ではない。それでも、
こうして逢えるだけで『ヒロト』は幸せだった。
 昔を思うと不思議に感じる。自分は彼に半ば一方的に嫌われていた筈だ。
大好きな“お父様”の寵愛を得たかったのは、お日様園にいた全員に共通し
ている。カラダを使って父に取り入った小娘−−『ヒロト』をそう言って蔑
んでいたのは、大人達だけではない。
 しかし−−吉良星二郎が逮捕されてエイリア学園がなくなり。イービル・
ダイスとして雷門と戦って−−それを契機に、少しずつ世界は変わっていっ
たのだ。
 彼を含め疎遠だったお日様園の元メンバーとも連絡を取り合うようにな
り。翌年行われた第二回FFIでは、彼らとも笑ってサッカーが出来るように
なった(第二回以降はルール改正され、女子参加も可能となったのである)。
 そして−−時々直接会うようになって。『ヒロト』は勇気を出して、自分
から告白したのだ。実は昔からずっと憧れだった彼。自分の目標だった彼。
嫌っていただろうに、一番辛い時は傍にいてくれた彼に。
 それで、今に至るのである。『ヒロト』の告白を聞いた彼の最初の言葉は、
「アホか」だった。「普通プロポーズは男からするってのに、先に言いやが
って」と。まったく毒舌な彼らしい。
 
「ふふっ…」
 
 思い出して、『ヒロト』は笑みを浮かべた。
 
「大好きな人に逢うのに、嬉しくないわけないじゃないか」
 
 吉良ヒロトに似せようと、短めにしていた髪も伸ばした。痩せぎすな体型
はどうしようもないけれど、化粧もして、少しは女らしい格好をしようと決
めた。
 彼が買ってくれた白いワンピースを着てみた。こんな可愛らしいのは似合
わないと思ったけれど。
 自分今、幸せだ。
 
「ヤバい…ヤバいよ数学…」
 
 そんな時、聞き覚えのある話し声が聞こえた。学生服姿の高校生が三人、
こちらに歩いてきている。
「微積死んだ。死亡フラグ立った。これ赤点だったら追認受けなきゃいけな
くなるのに…っ!」
「君が悪いよ。勉強サボってサッカーばっかりやってるから」
「まさにサッカーバカ、だな」
「うっさい!大体二人もサッカーやってたのに、何でそんな余裕なんだ
よ!」
「そりゃ授業はちゃんと聞いてたもの」
「普段の復習予習を怠らなければなんとかなる」
「ちっくしょー!一年で留年とかマジ洒落にならな…」
 そこまできて彼らは、こちらの視線に気付いたようだ。うち一人、銀髪の
少年が目を丸くしてこちらを見た。
「わっ…もしかして『ヒロト』!?
「久しぶりだね、『フブキ』君。あと、『エンドウ』君と『ゴウエンジ』君
も」
 何やら『フブキ』は目を輝かせ、『エンドウ』と『ゴウエンジ』はポカン
とした表情でこちらを見ている。何やら気恥ずかしくなった。やはり、この
格好はおかしいんじゃないだろうか。
 
「凄い凄い!『ヒロト』可愛くなってるじゃん!!髪伸ばしたんだね!!
 
 意に反して、『フブキ』は目をキラキラさせて言った。思わず顔を赤らめ
て俯く『ヒロト』。
「そ、そうかな…。ありがと」
「うんうん。前よりずっとその方がいいよ!誰かと待ち合わせ?もしかして
彼氏?」
「相変わらず鋭いなあ…君は」
 その『フブキ』も、かつてと比べると随分変わった。彼とは比較的頻繁に
連絡を取り合っていたが、直接逢ったのは久し振りだ。障害を乗り越え、人
格統合を果たせたというのは聞いていたけれど。こんなによく笑うようにな
ったなんて−−本当に嬉しい。
 『フブキ』にからかわれ、からかいながら喋っていると、『ゴウエンジ』
が声をかけてきた。
 
「明るくなったな、『ヒロト』」
 
 綺麗な笑み−−女の子なら思わず目眩がしてしまいそうな声で言われて、
『ヒロト』は顔が熱くのを感じた。彼ら三人が同じ高校に進学したのは知っ
ている。きっと高校でも『ゴウエンジ』のモテっぷりは凄いんだろう。
 
「…『ヒロト』」
 
 その時、『エンドウ』が。
 
「ずっと…逢って言わなくちゃって思ってた。……今まで、ごめん。本当に
…ごめん」
 
 後悔に満ちた顔で頭を下げられ、驚く。彼が言っているのが二年前までの
暴力や暴言に対する事なのは分かるけれど。手紙では何度も謝って貰ってい
るし、自分もとっくに許した事だ。
 何よりあの頃は−−どこまでも周囲を苛つかせる自分の態度にも問題が
あったと思っている。
 
「…じゃあ『エンドウ』君。許してあげる代わりに、一つ頼み事聞いて貰え
る?」
 
 普通に“赦す”と言ってもきっと彼は聞かないから。『ヒロト』はわざと
冗談めかして言った。
「俺達とサッカーしてよ!カレもお日様園のみんなも、君達とまた試合した
いってうずうずしてるんだから!!
「え、ママサッカーするの!?
「ボクもやりたい〜!!ボクも〜!!
「はいはい」
 サッカー、と聞いた途端、大人しくしていた長男と次男が騒ぎ始めた。『ヒ
ロト』は苦笑する。自分に似てこの子達もとんだサッカーバカになってしま
ったものだ。
「…分かった!受けて立つぜ『ヒロト』!」
「キャプテンは試験が終わってからね。数学だけじゃなくて世界史と古文も
死んでるんだから」
「だぁぁっ!!
 『フブキ』の的確なツッコミに脱力する『エンドウ』。『ゴウエンジ』は
くすくすと笑っている。
 そんな時、『ヒロト』の聴覚に聞き慣れた足音が聞こえた。そう−−愛と
は偉大なもので、足音だけで彼だと分かるようになってしまったのだ。『ヒ
ロト』は顔を輝かせて、歩道橋の方から歩いてくる人物に手を振った。
 
「玲〜!こっちこっち!!
 
 大好きな大好きな青髪の少年。かつて『ウルビダ』と呼ばれていた彼が、
こちらに走ってくる。
 
 
 
 
 
 
 
 そしてこの世界の未来でも、また。
 
 
 
−−西暦2082年。
 
 
 
 暖かな春の日差しを浴びて、老人と子供は歩く。満開の桜がはらはらの花
びらを散らす並木道は絶景で、見ているだけで幸せな気持ちになる。まして
や、愛しい曾孫と一緒なら尚更だ。
 老人−−円堂守は八十六歳になっていた。あの運命の決戦から、七十二年。
なんだかんだでまだ自分は生きている。後輩の何人かはまだ存命だが、同輩
以上の者達は皆円堂より先に逝った。その中には悲しい事に、大人になる事
さえ叶わなかった者もいる。
 
「カノン」
 
 中学、高校、大学、プロ。かつてGKを務めた頑強な手は皺だらけになり、
随分やせ衰えてしまった。それでも八十六歳にはとても見えないと驚かれる
くらいには元気で、妻と隠居した後も頻繁に曾孫を連れて散歩に出かける。
うっかり昔のようにサッカーに興じようとして転び、手首を捻挫した時は妻
にこっぴどく叱られたものだ。
 幾つになっても自分はサッカーバカなまま。それは曾孫の代までしっかり
受け継がれてしまっている。
「手、離すなよ。この道は車の通りが激しいからな」
「はーい」
 ボールをだっこして、六歳のカノンは良い子の返事をする。
 七十二年前−−平行世界の曾孫は、自分達の前に現れた。自分も十四、彼
も十四。疑っていたわけではないがとても彼を曾孫とは思えず、長く実感が
沸かなかったのも事実である。そう、孫夫婦が生まれた息子に“カノン”と
名付けるまでは。
 未来は確かに、現実になった。寿命を考えれば生きてるかどうかすら怪し
い未来だった今に、自分はどうにか生き延びて此処にいる。時に仲間を失い
ながらも。
 あと八年生きれば、カノンはきっと自分が出会った彼と同じ姿になるのだ
ろう。無論、此処にいるカノンとあの彼は同じ魂を持った別の存在なのだけ
ど。
 
−−人生で八十六回目の春…か。
 
 我ながらしぶといものだ、と苦笑する円堂。こんな風に思う時点で、年を
とった証拠だ。思考までジジむさくなったら終わりだよ、と妻に呆れられた
のを思い出す。
 変わった事と、変わらなかった事があるのだろう。
 この世界では、日本という国が平和憲法を捨てる事はなかった。少なくと
も今日までは、日本が持つ軍隊は自衛隊だけである。その代わり彼らの世界
と比べるとやや科学技術は遅れているかもしれない。ソーラーカーはまだ一
般的には普及していない。
 吉良事変。FFI。エイリアを模したテロ犯罪。フィフスセクターの支配体
制。サッカーによる格差社会。オーガの彼等よりもさらに未来から来た侵略
者。それらを打ち破った、円堂の教え子達−−神童拓人率いる三代目イナズ
マイレブン。
 様々な出来事があった。時に払われた犠牲もあった。だがその果てに今築
かれた新たなサッカー、エレメンタルサッカーはこの国の希望となり、人々
に愛され続けている。サッカーが悪だと主張する人間は、少なくとも表だっ
てはいない。
 
−−何が正しいのかなんて、今でも分からないけれど。
 
 目的地の公園を目指し、歩いていく途中。不意にボールを追いかけて、歩
道に走り出してきた子供がいた。円堂はその子を見て目を見開き−−やがて
静かに微笑んだ。
 
−−でもきっと、間違ってなかった。
 
「どうぞ」
 
 円堂はボールを拾い、少年に向けて差し出す。カノンと同じくらいの年の、
銀髪に褐色の肌の少年。人目見て、彼だと分かった。いつかきっと逢えるだ
ろうと思っていたから、そこまで驚く事もなかった。
 
「ありがとうございます」
 
 少年は礼儀正しく、お辞儀をした。この年からマナーがしっかりしており、
生真面目なあたりが彼らしい。
 
「バダップ」
 
 円堂が名を呼ぶと、少年はびっくりして目を丸くした。構わず、円堂は続
ける。声が震えてしまう−−静かで激しい、歓喜のせいで。
 
「久し振り。生まれてきてくれて、ありがとう」
 
 向こうから少年を呼ぶ声がする。数人の友人達−−その中には、緩くお下
げを揺った女の子のように可愛い顔立ちの少年や、褐色肌に三白眼の少年も
いた。
 彼らは軍人としてじゃなく、こうして子供らしく−−サッカーで遊べる場
所に、生まれてきてくれた。きっと、未来は変わるだろう。彼らが戦場に行
く事も、幼くして命を失う事もない未来へと。
 
「なあ、バダップ。君はサッカーが好きか?」
 
 少年−−バダップはその問いに、少しだけ戸惑って−−やがて愛らしく笑
った。
「はい。サッカー、大好きです!!
「はは、俺もだ。…もしよかったらさ」
 願わくば。
 この笑顔がもう、奪われる事のないように。
 
「サッカー、やろうぜ。みんなで」
 
 サッカーがいつまでも、幸せの魔法であり続けるように。
 
 
 
NEXT
 

 

透明な、ココロ。