「貴方、面白いモノを持ってるのね」
 
 剣城京介は立ち止まった。声をかけてきた立っていたのは、上等な紫色の
洋服に身を包んだ見知らぬ老婆である。顔に刻まれた皺は多く、深い。もし
かしたら日本人ではないかもしれないが、髪が完璧なほど真っ白である為判
別はつきにくい。
 相当な年であることは間違いなさそうだ。八十か、下手をしたら九十を超
えるだろう。彼女はニコニコしながら京介の学ランの裾を引っ張るので、正
直困ってしまった。何か勘違いされているのかもしれない。
「あの…すみませんけど、俺急いでるので…」
「あらやだ、いけないわ嘘なんて。お見舞いは終わった筈よ、剣城京介君。
お家帰っても貴方今殆ど一人暮らしじゃないの」
!?
 やんわり断ろうとして、帰ってきた言葉にぎょっとする。なんだ、何故彼
女は自分の名前や用事、生活環境まで知っている?
 
「わたしはねぇ、魔女なの。具現の魔女って呼ばれているわ。だから見える
し、見せることが出来るの。わたし、貴方が気に入ったのよ」
 
 老婆はぐいっと顔を近付けてくる。腰は曲がっていたが、元の身長が高め
なのだろう、京介とさほど変わらない背丈だ。
 
「聞こえるわ…貴方の、命の音色。とっても綺麗ね…」
 
 彼女はうっとりしながら、人差し指でトンと京介の胸を突いた。つ、とそ
の指が移動し、心臓の真上で止まる。
 
「ねぇ貴方…心臓に何を飼ってるの?早く産まれたがってるみたい…気を
つけた方がいいわね」
 
 その途端。まるで呼応するように、どくんと一つ心臓が鳴った。嫌な汗が
吹き出し、京介は反射的に一歩後退していた。老婆の指が胸から離れる。そ
の瞬間に、嫌な悪寒は消えたが。
 何だったんだろう。今の不快感は。
「…貴方の中の胎児…餌はズバリ“罪悪感”だわ。その姿は素敵な白百合の
華ね。餌をあげたらどんどん育って、最期は貴方の胸を食い破って咲くでし
ょう。きっとそれは素敵で美しい光景ね」
「…何の話ですか」
「不機嫌になっちゃ嫌ぁよ?わたし、美しいモノは好き。綺麗な貴方が欲し
いだけなの…本当よ?」
 だからね、あまり種に水をあげないようにね。老婆が最後にそう言ったと
ころまでは覚えている。しかし、記憶にとどめられたのはそこまでだった。
 トントン、と魔女が杖で地面を叩く。次の瞬間、京介の意識は墜落した。
体が倒れたことすら分からないまま。あまりにも不自然な形で、ブラックア
ウトしたのである。
 
 
 
 
 
 
 
 夢を、見ていた。いつも通りの悪夢。京介にとってはあまりに都合の良い
悪夢だ。
 木から落ちる京介。受け止めてくれた兄。自分のせいで、下半身の自由を
失った大切な家族。
 夢の中で自分はあの頃のまま、幼い姿でひたすら泣いている。闇の中、い
つまでも泣き続け、壊れた人形のように謝罪を繰り返すのだ。そんな自分の
前には、鬼のような形相をした兄がいる。彼は言う。
 
『お前のせいだ』
 
 言いながら、幼い京介の腹を蹴る。
 
『お前なんかいなければ良かった』
 
 今度は腰を蹴られた。京介の体が転がる。倒れたまま京介は誤り続ける。
ごめんなさい。生きていてごめんなさい。その言葉を聞くたびに兄は激昂し、
殴る蹴るを繰り返す。分かっていた。それは全てイメージ。これはあくまで
京介の願望だ。無論マゾヒストの気なんてないけれど。
 実際の兄はあまりに優しくて。京介を責めてはくれなくて、それがあまり
に辛いから。
 せめて夢の中だけでも償いができたなら。そんな祈りが、悪魔のような兄
になぶり殺されるという作られた設定を自分に見せる。
 全ては兄への、罪悪感ゆえに。
 
『返せ。俺の足を、俺の人生を、俺のサッカーを』
 
 サッカーを、俺達を裏切ったんだ、お前は。
 夢と現実の言葉が重なった時、京介は一瞬理性を取り戻す。そうだ。忘れ
てはならない。その言葉だけは夢ではないこと。優しい兄にまたしても涙を
流させた咎を。
 
『死ね。死んでしまえ』
 
 そこにいたのは、兄の姿を借りた自分自身。剣城京介を誰より殺したがっ
ているのは、優一ではない。他ならぬ、京介自身だ。
 
「…そうだね」
 
 倒れたまま、京介は微笑む。ずぶり、と半身が真っ黒な闇に沈んだ。
 
「死んじゃえば良かったね。…俺なんて」
 
 何かが口を開けて京介を待っていた。京介が与える罪悪感という感情を、
嬉しそうに咀嚼する音が聞こえる。もっと闇を頂戴。何かが歓喜の声を上げ
て京介にまとわりつく。魂にかじりつく。
 もう、どうにでもなればいい。
 
 
 
 
 
 
 
「剣城!」
 
 強く体を揺さぶられ、名前を呼ばれ。京介ははっとして眼を開いた。目の
前に天馬の顔がある。天馬だけではない、信介と葵もいる。
 心臓が早鐘のように打ち、全身にびっしょりと汗をかいていた。いつも以
上に最悪の夢だった。動揺がまだ胸の奥に残っていて、思考がうまくまとま
らない。
 此処は何処だ。何で天馬達がいるんだ。
 
「良かったぁ…もう眼、覚まさないんじゃないかと思って心配したよ。すっ
ごく魘されてたんだよ?」
 
 信介が心底心配したように言う。
「覚えてる?剣城、練習中にいきなり倒れたんだよ。びっくりしちゃった」
「練習中…?」
 体を起こし、頭を振る京介。練習中に倒れた?自分は?
 
−−待った…俺は確か、兄さんのお見舞いに行ったんじゃ…。
 
 記憶を辿る。いつものように兄の病院に行って、その帰り道。
 
−−変な老婆に会って…。
 
 どこからが夢だろう。彼女は名乗った−−自分は“具現の魔女”だと。魔
女なんて幻想を信じたわけではなかったが、妙な女性だと感じたのは確か
だ。狂人の戯言だろう。しかし、あの後の記憶がスッパリ切れているのがど
うにも気にかかる。
 それに−−そう、“具現の魔女”。そんな名前を、以前どこかで聞いたよ
うな気がするのだが、気のせいだろうか。
 
 
 
『ねぇねぇ知ってる?具現の魔女のウワサ…』
 
 
 
 ズキリ。
 
「ぐっ…」
「剣城?どうしたの?」
 胸に、突き刺すような痛みが走り、思わず呻く。もしかして転んだ時どこ
かぶつけたんだろうか。精神的なものではなく−−胸の奥が熱いような、喉
奥に何かが詰まったような違和感がある。
 強い痛みは一瞬だったが、まだズキズキする。顔に出さないよう気をつけ
ながら口を開いた。
 
「…何でもない。ちょっと目眩がしただけだ」
 
 心配そうな顔の天馬と葵に告げて、京介は立ち上がった。大丈夫。大した
痛みじゃない。シードをやってた時は毎日暴力的な訓練とお仕置きに耐えて
来たのだ。肋骨をバキバキに折られた事だってあるし、ひたすらリンチされ
続けた事もある。薬を打たれて暴力を受けたり、寝る間も与えられず使い走
りをやらされた事もある。
 それらに比べたら、大した事じゃあなない。何より、身体の痛みなんて、
心の痛みに比べたら苦痛と呼ぶのも生ぬるいではないか。
 兄が自由に駆ける足を失った時に比べたら。
 兄に罪を知られてしまった時に比べたら。
「サボってたら面倒くさい事になりそうだからな。鬼道監督の場合。…空野、
ドリンクだけ貰えるか?」
「あ。うん…いいけど」
 最初から渡すつもりで用意していたのだろう。葵がオレンジのペットボト
ルを渡してくる。
 
「無理…しないでね。剣城君の力は、雷門にとって絶対不可欠なんだから」
 
 初対面の時は、まったく気にも止めなかったが。いい女なんだろうな、と
思う。雷門に対しあれだけの事をしたというのに、自分を許し、気を使う事
もできる。優しい優しいお人好しだ。それは天馬にも言えることだけど。
 いいチームなのだろう、雷門は。個々のスキルは上がりつつあるし、とっ
さの連携ができるくらいにはチームワークもある。キャプテンの神童は人格
者で、同時に鋭い洞察力と作戦立案力を兼ね備えている。このチームなら、
革命を成功させられる。このチームなら、きっと出来る。誰もがそう思い始
めている。京介も例外ではない。
 自分は幸せ者だ。だからこそ。
 
『裏切り者…』
 
 それが時に−−酷く辛い。あの夢の中、呪詛に満ちた優一の顔を思い出し
てしまう。
 
『…お前だけ幸せになるなんて、赦さない』
 
 
 
 どくん。
 
 
 
「……あッ…」
 
 心臓が大きく一つ、鳴った。息が詰まる。京介は目を見開いた。
 左胸が、焼けるように熱い。否、これは痛みだ。特に何をしたわけでもな
い、動揺したわけでもないのに、動悸が、煩い。不規則に鳴る心音、その度
に激痛が脳天を突き上げる。
 グラウンドに一歩出たところで、膝をついた。手に持っていたドリンクが
落下してコロコロと転がる。地面が逆さまになった。全身を打ちつける衝撃。
倒れたのだと理解する。しかし衝撃が霞むほど心臓が痛い。
 胸をかきむしるように押さえる。膝を丸める。それでも痛みは引かない。
息がうまく出来ない。
「つ、剣城!?
「剣城っ…どうしたんだ!?
 やけに遠くから声が聞こえた。前者が天馬で、後者が神童なのだろう。だ
ろう、というのは確認する術がないからだ。身体が動かない。力が入らない。
起き上がってその顔を確認するどころか、声すら出ない始末だ。
 
「あ…ぁ…ぁあ……」
 
 喘ぎ、心臓の上を服の上から強く握り−−違和感の正体に気づく。何かが
皮膚の下を這い回っているような不快感。胸の中で何かが蠢いている。心臓
の内側から噛みちぎっているような、恐ろしいまでの痛みと嫌悪感。
 何だこれ。
 何だこれ。
 何が、起こって。
 
 
 
『死ね。死んでしまえ…剣城京介』
 
 
 
 ぶちり。
 
「あ…ああああああっ!」
 
 絶叫。
 何かが破裂する音。胸元を食い破って、何かが飛び出してきた。視界に入
らないが、触れた感触は芽か葉か。何かの植物?そんな馬鹿な。
 そもそも、心臓を突き破ってこんなものが出てきたのに、何でまだ意識が
あるんだろう、自分。
 
『…貴方の中の胎児…餌はズバリ“罪悪感”だわ。その姿は素敵な白百合の
華ね。餌をあげたらどんどん育って、最期は貴方の胸を食い破って咲くでし
ょう。きっとそれは素敵で美しい光景ね』
 
『具現の魔女はね、言葉で人に種を植えるの。獣が出てくる人もいれば、植
物になる人もいるけど…植えられた人が“餌”を与え続けてしまったら…』
 
 魔女の言葉と、クラスメートの噂話を思い出していた。
 
『身体を食い破って産まれてしまう。その人は地獄の苦しみと共に、死んで
さまうそうよ』
 
 だから、魔女には気ヲツケテ。
 
「あ…」
 
 伸ばした手に、絡みつく蔓。剣城の罪悪感を餌に、胸の中で育った華が開
く。真っ白な百合の華は、剣城の血で斑尾に染まっていた。
 出逢ってはならない魔女に出逢った。結果罪が華を咲かせた。それらは必
然だったのかもしれない。
 誰に対してかは分からないのに。罪悪感を吸い上げられて尚、まだ謝りた
い自分がいる。
 京介は苦痛の中ゆっくりと瞼を閉じた。
 
 その日。グラウンドで一人の少年が変死んだ。
 その胸元からは巨大な百合が咲き乱れ、蔓が全身に絡みついていたとい
う。
 
 
 
血染めのラフレシア
 
 
 

 

罪悪の、花が咲く。

 

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ひたすら気持ち悪いホラーを書いてみようとした結果がコレだよー!酷くてすみません。

とりあえず京ちゃんはひらすらお兄さんに謝り続けてるんだと思う。本当は、今でもずっと。

そう考えると京介って豪炎寺といろいろ被りすぎてて怖いです。二期でまた人質になったりしないだろうな優一さん…。

まだ十三歳になったかならないかのボウヤなのに、重いものを背負い過ぎですよね。

こんなもん書いておいてアレですが、幸せになって欲しいです。

ちなみに魔女ネタは白翼から。この世界にもこっそりアルルネシア来てるんじゃね?と思ったり。