悪を演じるなら、思い込むしかないよ。照美は彼にそう言った。今でもそ れが間違ってると思わない。かつての己の教訓だったし、それ以外に手段も ない。彼は自分よりずっと不器用で、優しすぎる。十年前。照美は自らを神と自称して、破壊の限りを尽くした。あの頃の自 分を傲慢だったと皆言うだろうし、それは誤りではないが−−彼らが知らな い事実もまた、そこにはあるのである。照美は自らが傲慢だと知っていた。自らに不快感さえ抱いていた。しかし、 勝負の世界では相手に威圧感を与えた時点で、勝敗の半分が決まるのであ る。敵に恐怖を。敵に絶望を。その為に照美は傲慢な道化を演じ、自らを神 だと“思い込んだ”。そうすることで、相手に黒い魔法をかけるのである。 負けをイメージさせたら、ほぼ勝ったも同然なのだ。彼もそうすべきだった。だから照美は、出来る限りのアドバイスと指導を してみせたのである。事実彼は優秀だった。照美が考えていた以上に強く、 愚かで、滑稽で、美しい男を演じてみせた。ハリウッドスターも真っ青な演 技力だろう。「豪炎寺君」二人だけになった部屋で、照美は彼を呼ぶ。防犯カメラだらけのフィフス セクター本部も、この場所だけはカメラがない。聖帝は畏怖の存在であり、 絶対。構成員の中にはまるで教祖を崇めるがごとく信望する奴もいる。その 絶対的存在のプライバシーは、何者にも不可侵だった。たとえその背中には、人形師の糸が張り巡らされていようとも。その糸は 殆どの者に見えないし、気付く気配すらないのが実情だ。「やめろ」 椅子に腰掛けたまま、イシドシュウジは照美を睨む。「その名前で呼ぶなと、何度言えば分かる」豪炎寺修也とイシドシュウジを結びつける者がいないでもない。その中で 聖帝の正体を知り、真意を勘ぐろうとする者は、少なくない。だがその全てに、彼は以下二つのどちらかの言葉を言った。私は豪炎寺で はない、か。その名前で呼ぶな、だ。照美は後者だった。確信を得て、さら には真意を探る必要さえない相手に、前者の否定は無意味だからである。「…いいじゃないか。此処には僕と君以外はいないし」ちらり、と入口の扉を見やる。今は人払いをしてあるから、並大抵の人間 は近寄れない。緊急時にでさえ、立ち入りを許可されているのは、ただ一人 だけだった。そしてそのただ一人は。フィフスセクターで数少ない、イシドが本当の意 味で信頼を置いている人物である。「虎丸君になら、何かを聴かれても問題ない筈だ」元々頭は良かったのだろう。子供のような純粋さを失わない虎丸は、どん な知識も容易く吸収してみせた。今ではイシドの補佐官にして、懐刀に等し い存在。そんな彼も、最初から全てを理解し合えていたわけではない。十年前の栄光を知る者は、多かれ少なかれ縋りつく。十年前のサッカーを 覚えている以上、現実を受け入れるのは極めて困難だ。イシドにしたって照 美にしたってそれは例外ではない。虎丸も当然、そうだった。彼は単身イシ ドの元へ殴り込んできたのだから。管理サッカーを否定するのは容易い。しかし、管理サッカーが何故生まれ てしまったかをまず考えて欲しい。ただ奇麗事だけを語るドリーマーに用は 無い。欲しいのは現実を認め、真実を受け入れて尚、前に進もうとする強い 意志だけ。フィフスセクターを倒すことしか考えず、世界の仕組みを正す手 段を提示できないなら、それはただの理想論に終わる。乗り込んできた虎丸に、イシドは容赦無かった。照美もすぐ側で見ていた から知っている。彼は遠慮の欠片もなく虎丸を叩きのめした。虎丸は叩きの めされたのだ。イシドの力と、放つ言葉に。「君の言葉には、力がある。容易く誰かに聴かせていいものでもない。危険 すぎるからねぇ」照美はにっこりと笑う。誇張でも冗談でもないのだ。円堂守は、力ある言 葉を巧みに操り相手の心を染め上げる最強の“浄罪の魔術師”だった。その 一番近くにいた豪炎寺や鬼道は、彼の力の影響を最も受けたと言っていい。円堂の“魔力”は、イシドも立派に引き継いでいる。事実彼は反乱の多く を、その言葉だけで鎮めてきた。まるで楽団を導く指揮者のよう。彼が言葉 のタクトを振れば誰もが従わずにはいられない。元よりフィフスセクター は、イシドの魔法がなければ創造出来なかった組織だろう。たとえこの戦いの先、イシドが選挙に敗北しても。残念だが響木にそこま での力はない。正直、何故円堂を候補者にしなかったのか今でも疑問である。 雷門連勝の立役者は彼ではないか。「ま。力があるから聞かせたい言葉もあるんだってことさ。……いいじゃな い。偶には本当の君に戻っても」豪炎寺はちらりと照美を見て、今度は何も言わなかった。無言の否定。あ るいは拒絶。そこまで頑なにならなくてもいいのに、と思う。彼は確かに昔 から無口だったが、思ったことは結構顔に出てしまうタイプで。それを隠す にはかなりの労力を必要とした事だろうが−−。照美は最近、心配になっていた。どんどんどんどん、彼の中から大切な何 かが抜け落ちていってる気がするのである。彼に“演技”のやり方を教えた 事に後悔はない。だが最初は自分の前で怒りや悲しみを露わにした彼が、今 では殆ど表情を変えなくなってしまった。偶にその瞳に怒りや悲しみらしき陰がよぎる事はある。演説時やカメラも 前では、薄くとも笑みを浮かべたりもする。だが、それだけだ。演説の笑顔 など特に、貼り付けた仮面でしかない事は明白である。「…“自分を神だと思い込め。自分自身を洗脳しろ”。…それは僕が言った ことではあるけどね」まるで砂時計のよう。さらさらと砂は流れて、どんどん流れ落ちていって しまう。彼という存在が、全て零れてしまうようで怖いのだ。無の中に人が押し込めるキャパシティなど、たかが知れたものだというの に。「僕は君に…人である事を捨てろとまで言った覚えはないよ」イシドに−−豪炎寺には。あくまで人として神を演じて欲しかった。十年 前の自分より、エイリアより、あるいは影山より。彼の心は取り返しのつく 場所にある筈だ。フィフスセクターは巨大化した。革命はもう止められない ほど大きなうねりになりつつある。だが、自分に言わせれば“それだけ”な のだ。影山やエイリアの子供達には、最初から帰る場所も戻る道も無かった。だ が豪炎寺は違うのだ。彼には待っていてくれる家族も、彼を分かってくれる 仲間もいる。無理矢理、奈落の底まで魂を突き落とす必要はない筈なのだ。「…戻ったら、多分……戻れなくなる」 イシドは俯き−−そう言った。「私は豪炎寺修也であってはならない。…豪炎寺修也なら、耐えられない事 だらけなんだ」耐えられない。その意味を、照美は分かったつもりでいた。だからただそ の時は、そっか、と相槌を打つに留めた。演技で誤魔化すのが辛いのだろう。 その気持ちは自分にも覚えがある。しかし。本当の心は、時として本人でさえ把握しきれていなかったりする。 甘くみていたのはお互い様だった。どれだけ危うい均衡に、自分たちが立っ ていたかも分からないままに。その事件がイシドの耳に入った時、照美はすぐ隣にいた。いずれ自分もフ ィフスセクターの手管の者として、いずれかの学校に派遣される。その相談 をしていた時だ。「聖帝…報告、いたします」 真っ青な顔で、虎丸は告げた。その事件が起きてしまったことを。フィフスセクターは、各学校に監視役のシードを送り込む。シード達は自 らの学校を見張る役目を担うと同時に、刃向かう敵チームに“潰し”をかけ るのを仕事としている。任務の放棄は赦されない。不要とされたシードは懲 罰を受け、最終的には“処理”されてしまう。その実態はイシドでさえ把握 していない筈だ。あるシードの少年が、反抗的な他校の選手を潰しにかかった。試合の最中 の出来事である。思惑通り、少年は相手選手を再起不能に追いこんだが−− 彼は少々、やりすぎてしまった。相手選手は、脚に大怪我を負い−−選手生命を絶たれてしまったのであ る。その選手はサッカーが大好きで大好きで−−自分達のよく知る彼のよう な少年だった。彼は絶望し−−今朝、入院先の病室で首を吊って自殺してい るのが見つかったそうだ。そして結果として相手を自殺に追い込んでしまったシードの少年も。罪悪 感から錯乱し、手がつけられない状態だという。このままでは処分対象にな るのも時間の問題だろう。「…そうか」報告を聞いた時、イシドの表情に変化は無かった。いつも通り薄く笑って いた。少なくとも、表向きは。だが、何か纏う空気が歪んだ事に、照美は気 付いていた。聖帝は言った。暫く誰も部屋に入るな、と。緩慢な動作で彼の姿が奥の部 屋に消える。嫌な予感がした。照美は慌てて室内は無論近くの部屋からも人 払いをした。 何かを壊す音と、叫び声が聞こえてきたのはその直後である。「……豪炎寺君っ!」多分。彼は彼が思っていた以上に、限界だった。守る為の支配。腐敗した サッカーを壊す為の秩序。始まりは彼が決めた事だし、たとえ望まれないシ ナリオを含んでいたとしても、既に後戻りは出来ない段階だったに違いな い。けれど。自分のした事が結果として将来有望な少年達からサッカーを奪 い、未来さえ破壊してしまった。現実を目の前に突きつけられ、彼の中で何 かが壊れてしまったのだ。誰かがしなければならない事だった。誰かがやらなければ、サッカーは永 遠に失われていた。 だけど感情はいとも容易く理性を裏切るのだ。「−−ッ!−−−ッ!!」 照美が部屋に飛び込むと。耳に飛び込んできたのは、声にならぬ絶叫。嵐 でも吹き荒れたかのように破壊され尽くした室内。そして中央、炎のオーラ を纏って立つイシドの姿。肩で息をするイシドの眼は見開かれ、まるで血のように涙がいくえにも頬 を伝っていた。瞳は濁り、何も映してはいない。破壊の際破片か何かで傷つ けたのか、手首からは血がだらだらと伝っていた。「−−−!!」 ボロボロになりながら、それでも彼はまだ何かを壊そうとしていた。彼が 本当に壊したいのは、部屋の調度品などではないのだろうに。叫び、喚きながら暴れる豪炎寺を、照美はとっさに抱きしめていた。まる で幼子にそうするかのように。「ごめん…ごめんね…」腕の中で豪炎寺が暴れる。耐えられない。耐えられない。絶望に、恐怖に、 怒りにただ泣き叫ぶ。聖帝の仮面を外してしまった彼はあまりに、弱々しい イキモノだった。 彼をこんなにまで追い詰めてしまったのは、自分達。「……君は、悪くないよ」どれだけ傷ついても。きっと彼はまた、朝には何も無かったように笑う。 だから今だけはどうか許して、神様。自分達が、自分達である事を。 さよなら ジャッカル 誰が、駒鳥を殺したの。 |
そしてどうか、これで終わりに。
イナGO。聖帝ふつくしすぎて辛い。十年後の照美ちゃんといい虎丸君といい美味しすぎるです。
物語は雷門側のものとして描かれてきましたが、豪炎寺には豪炎寺の戦いがあったと思います。
ちなみにこれ描いた時まだイナゴプレイ前でしたので砂木沼さんが出ること知りませんでした。美味しすぎてつら…い…!
アニメではどんな決着を見ることになるのか。気になって仕方ありません。