『残念ながら、意思が相容れないのも一つの必然。
誰が正義かなど、結局のところ興味は無い。
 枷を負う覚悟があるなら好きにすれば善い。私はただ、殉ずるだけだ』
 
 
 
 
 
カルマ
踊る
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 天秤の兄弟。剣城兄弟を端的に表すとしたら、まさしくそれだ。
 彼らはけして不幸な生まれではない。確かに経済的にはそこまで恵まれて
いた訳ではないが、温かい両親がいてそれなりの生活がある、ごく普通の家
庭だったと言っていい。
 ただ、両親がちょっと忙しくて。兄弟が人よりほんの少し、寂しい思いを
する事が多かっただけで。何でもソツなくこなす優秀な兄に対し、両親が弟
よりも期待をかけ、目にかけることが多かっただけで。
 一つ一つはありがちで些細な事象だ。しかし積み重ねた結果、思いもよら
ぬ事態を招く事もある。フェイもそれらはデータ上では知っていた。知って
いた、つもりだった。
 
「…君達兄弟は。君達自身が思っていた以上に、互いに依存してた」
 
 両親と一緒にいる時間より、兄弟で一緒にいる時間が長くて。寂しい時間
を共有し、楽しい時間に変えていたのだろう。また、兄は両親に“優等生で
あれ”とプレッシャーをかけられるのを、やや苦痛に思っていて。弟はなか
なか両親の視界に貰えない事実を悲しく思っていた。理由や意味こそ違え
ど、互いだけが抱えた孤独を唯一分かち合える存在だったに違いない。
 だから。歴史を書き換えられた瞬間、天秤に乗せられ釣り合っていた兄弟
は。弟という駒がとられた瞬間、目もあてられないほど派手にひっくり返っ
てしまったのだ。
 弟が木に登った瞬間。帰ってきた母親が兄の名前を呼び、兄が振り返って
答えた。それだけだ。たったそれだけの変化が兄弟の未来を大きく変えてし
まった。
 
「京介君が木から落ちた瞬間を、偶々優一さんは見ていなかった。気付いた
のは落下の音と悲鳴を聴いてからだ。だから…優一さんが京介君を庇う事は
なくて…頭を打った京介君はそのまま、命を落とした。それが一番最初の世
界」
 
 フェイは語りながら、天馬と優一の様子を窺った。二人ともやや青ざめて
はいたが、平静さは失っていない。ここまでは彼らとしても予想の範疇だっ
たのだろう。
「責任を感じた優一さんは一度はサッカーを離れた。でも…サッカーが大好
きで大好きでたまらなかった人間が、そう簡単にサッカーを捨てられる筈な
い。…プロで活躍するたくさんの選手を見て…そして両親の説得もあって。
中学校に入って、優一さんはもう一度サッカーを始めた。そして名実とも雷
門のエースになり、高校へ行っても大活躍する選手になったんだ」
「大活躍…かどうかはわからないけど。今俺が辿ってる歴史と、そんなに変
わらないように見えるね」
「そう。実はこの世界の歴史は、“剣城京介が死亡した”事実以外は、今と
殆ど変わってないんだ。…途中まではね」
 弟の死に負い目を感じつつも、優秀なサッカー選手として成長していった
優一。そんな彼の前に、未来からの使者が現れたらしい。らしい、というの
もフェイもまだその事実確認がとれていない為だ。恐らく今目の前にいる優
一に、タイムブレスレットを渡したのと同じ人物だろう。彼(名前も性別も
分からないが、とりあえずそう呼ぶ)は優一に真実を教えた。彼の今の歴史
が、未来人によって導かれた結果であること。本来の歴史が、いかようなも
のであったかを。
 
「優一さんにタイムブレスレットを渡したその人は、多分僕らと同じ目的で
動いている。君なら本来の歴史を取り戻す手伝いが出来ると信じて、僕達の
ところに送り込んだんだろうね」
 
 そこに他意があろう筈もない。実際、その世界でも優一は今回と同じタイ
ミングで現れ、試合に参加し自分達を助けてくれた。そこまではこの世界と
同じルートだ。
 問題は、その先。
 この世界でもプロトコルオメガは自発的に撤退していったが−−あの世
界とこの世界では、彼らの撤退理由は違う。あの世界で彼らは“生命の危険
を感じて”、文字通り逃げるように撤退していったのだ。勝てたかもしれな
い試合を、途中で放り出して。
 
「事故の結果が変わるように手を下した実行犯は、アルファだった。優一さ
んはそれを知り、きっとその時点で決めたんだろうね。ただ歴史を修正する
だけでは飽き足らない。弟を死へ追いやった奴を、殺してやらなきゃ気が済
まないって」
 
 二点目を追加した、次の瞬間。優一は動いていた。ペンタドラゴンの剣で、
アルファの腹を刺したのだ。それも一度ではなく、何度も何度も。
 まるで拷問。
 激痛で意識を失う事もままならないアルファの体を、優一は力任せに蹴り
飛ばした。サッカー選手の本気の蹴りだ。肋は砕け、もしかしたら臓器の一
部は一撃で破裂したかもしれない。アルファに抵抗の隙さえ与えなかった
(思えばアルファの方も、やけに大人しかった気はするが)。手首を踏みつ
け、踏み砕き。そしたら今度は足をずらして、二の腕を叩き折る。腕が折れ
たら次は肘。その次は肩。
 アルファの左腕を端から端まで粉々にしたら、次は足を切り刻む。ペンタ
ドラゴンの鎧を纏った優一の蹴りの風圧は、刃にも等しかった。一撃ごとに
肉が裂け、骨が露出する。それでも優一が攻撃をやめる事は無くて−−。
 
「…今から思えば僕も最低だよ。いくら敵とはいえ、人がなぶり殺しにされ
るのを黙って見てたんだから。優一さんの復讐を肯定したから傍観したわけ
じゃない。…怖くて見てるしか出来なかったんだ。あの場にいた全員が、完
全に気圧されてた」
 
 ボロ雑巾のようになったアルファの華奢な身体が、グラウンドに転がっ
て。思えば彼は、断末魔さえ上げなかった。剣が心臓を貫いて、血飛沫が上
がって、体が痙攣して−−彼の眼から、光が消えた。それでもまだその身を
優一が引き裂こうとするのを見てようやく、フェイの身体は動いたのだ。
 デプリの力を総動員して、優一を止めた。怒りが、恐怖を上回った一瞬に。
 
「アルファをなぶり殺しにしながら。優一さん、貴方は…嗤っていた」
 
 何故ここまでやるんだ。何故ここまでする必要があったんだ。フェイは泣
き叫びながら問いかけた。優一の胸倉を掴み、何度も何度も。
 アルファは敵だ。だけどフェイにとっては本当の意味での敵ではない。フ
ェイは知っているから。彼もまたエルドラドの傀儡にすぎない。大人達に玩
具よろしく使われるだけの、被害者に過ぎないということを。彼に初めて逢
った瞬間から決めていたのだ。アルファの事も必ず救う。彼らにもサッカー
の楽しさを教えてやるのだと。
 なのに。優一はその未来を、一瞬にして叩き壊してしまった。
 
「アルファが憎いのはわかる。でも本当に憎むべきはアルファじゃない。何
よりアルファを殺したって、京介君が帰って来る訳じゃないんだ。…そう叫
んだ僕に、優一さんは言った」
 
『綺麗な言葉なんて聴きたくない。…京介が帰ってこないなんて事、分かっ
てても…それでも復讐するしかない気持ち。君に分かるわけがない』
 
「…事故の日に死んだのは、京介君だけじゃない。優一さんも同じ日に死ん
じゃってたんだって…僕は気付かされたよ」
 
『本来の歴史で生きてサッカーができた筈の京介がいない。なら此処にいる
偽物の俺が生きてサッカーを赦されたのは…今日の日の為に違いないんだ。
君は俺に死ねって言うのかい?』
 
「復讐しなければ、生きてる価値もない。優一さんはそう嗤うんだ」
 
『ああ。違うか。…もうとっくに死んでるんだっけ。俺も』
 
「……アルファを殺しても、優一さんの狂気は止まらなかった。僕はそこで
観測をやめてしまったけど…どうやら一番最初のセカンドステージとして
覚醒し、後の戦争の引き金を引く存在になってしまったらしい。…エルドラ
ドにとっては踏んだり蹴ったりの結果だ。いくら使い捨てとはいえ、貴重な
験体には違いないアルファをこんな形で失ったのも痛かったんだろう。奴ら
は自分達の手で、歴史を再修正したんだ」
 
 ふう、とフェイは息を吐いた。あの時のことは、今でも夢に見る。サッカ
ーの為に戦う決意をしたとはいえ、元々そんな精神力の強いタイプじゃない
のだ。今此処に立っているのが不思議に思えるほど−−あの光景はフェイに
とってトラウマになってしまった。
 
「…でも、それで終わりじゃなかったんだよね?」
 
 天馬が、青、を通り越して紙のように白くなった顔で言った。
「エルドラドは今度は、剣城が死ぬんじゃなくて…優一さんの代わりに怪我
をするように歴史を修正した。違う?」
「そうだよ。…でも、その“二度目”と“三度目”の世界も失敗だったんだ」
 今度は面白いほど、剣城兄弟の立場が逆転した。弟の足を治す為に、剣城
優一の方がフィフスセクターのシードになったのだ。
 そして最終的な結末は同じ。その歴史は正しくないと知らされた優一は、
時を超えてフェイと天馬の助太刀に現れる。そしてまた、そっくり同じ方法
でアルファを殺してしまった。微調整をかけた“三度目の世界”も同じ。そ
こで漸くエルドラドは、事故を利用した修正を諦めたのだ。
 弟が身体的な傷を負わず、自分からサッカーを捨てれば。優一の恨みや憎
しみがアルファに向く結果にはならないから、と。
 
「これが…僕が知る歴史の全てだ。君達はきっと何も覚えてないのだろうけ
ど」
 
 沈黙が落ちる。消えた世界の優一が“具体的に”何をやったかは流石に伏
せたが。それでも伝わった筈だ。フェイの意図することも、フェイの見た闇
の深さも。
 
「…本来の歴史で」
 
 やがて優一が口を開く。
「俺はサッカーが出来なくなって…その治療費を払う為に、京介はシードに
なって…サッカーを汚した。そうだったね?」
「……はい」
「実はね。その世界を…俺は夢で見た気がするんだ」
「え?」
 天馬が声を上げ、フェイは目を見開く。
 
「鏡面夢現象か…!」
 
 稀にあることなのだ。別の並行世界の出来事を夢を見るというのは。
「世界はけして交わらないけど、常に隣に存在する。偶に他の並行世界の影
響が出る事があるんだ」
「そうなんだ?…その夢の中で俺は京介に怒ったんだよ。“足を治してくれ
なんてお前に頼んでない。お前はただサッカーを汚してるだけだ”って。…
京介には、幸せにサッカーをやってて欲しかったから、それがショックだっ
たんだと思う。でも…」
 優一は俯き、苦い笑みを浮かべた。
 
「これじゃあ俺…京介を叱れないな。逆の立場なら同じ事をしてたわけで…
別の世界の俺と、同じ痛みを背負わせてたんじゃね」
 
 フェイは何も言えなくなった。正直なところ、誰かが間違っていた訳じゃ
ないのだ。無論エルドラドのやろうとしている事は否定したい。しかしそれ
はあくまでフェイ個人の感情であって、正義ではないのだ。
 誰一人、正義や悪だなんて断じる事はできない。憎悪のままアルファを殺
したあの世界の優一でさえ。
「…俺はきっと…京介の為に誰かを殺せる。…殺人を犯した過去は消えて
も、その根本の狂気は同じままだ」
「優一さん…」
「困ったな。…どうしたら本当の意味で京介を救えるんだろう」
 過去を修正したらまた、剣城京介に苦痛は返る。優一のサッカーは破滅す
る。理解した面々は一様に唇を噛み締めた。
 それでも答えは出すしかないのだ。
 その為に今、此処にいる以上は。
 
 
 
FIN.
 

 

「多分どの選択も最善であり、同時に最低なのだろう」