私はけして忘れないでしょう。
さながら故郷を焼かれた子が、父の無念を焼き付けるように。
 私にとって、それは世界の全てだった。
記されるばかりの歴史にはない、ただ、私達だけの歌。
 
 
 
 
 
る世界の 一つの結末
<前編>
 
 
 
 
 
 世界が変わる瞬間を見た。それは同時に一つの終わりでもあり、始まりで
もあると知っていた。
 ホーリーロード決勝。勝ち上がってきた雷門が優勝を決めた時、聖帝・イ
シドシュウジが思ったのは“やはり”という感情だけだった。確信にも近く、
こうなる事が分かっていた気がする。円堂が雷門の監督になり、自分がそれ
を見逃す決断をした時には既に。
 ホーリーロードは、次期聖帝を決める選挙演説の役目も兼ね備えている。
今回票を争っているのは自分と響木。当初はイシドに集中していた票も、今
は五分と五分に近い。そしてフィフスセクターに堂々と反抗した雷門が優勝
した結果、さらに多くの票が響木に流れるのは目に見えていた。
 それならばむしろ、それでいい。動き出している時代に逆らう気など毛頭
ない。そもそも自分がフィフスセクターを立ち上げた最大の理由は、サッカ
ーで価値観を決める時勢を覆す為だ。一時的処置として作り出した管理サッ
カー組織。その枠を−−最終的に打ち破ってくれる外側の人間達が、必要だ
った。組織が大きくなりすぎた今、内側にいる自分にはけして出来ない事だ
ったから。
 問題は。こうなった今でも、自分を盲目的に崇拝する信者が山のようにい
るという事である。雷門が優勝したからといって、確実に響木が勝つ保証は
ないのだ。もしまかり間違ってまたイシドが聖帝に選ばれてしまえば、全て
は振り出しに戻る。それだけは避けなければならない。
 この選挙に、確実に敗北すること。その為に自分には、最期の仕事が残っ
ている。
 
「せ、聖帝…」
 
 まだ雷門の優勝を受け入れられずにいるのか、青い顔をした黒木がそこに
いた。彼は真面目で、実に気配りの出来る男だった。剣城京介を半ば脅迫し
てシードに縛りつけたことも、シードの子供達を駒のように扱う事も−−望
んでした事ではないと知っている。
 それでも尚自分のやり方についてきてくれた。その忠誠心には感謝しなけ
ればならない。同時に、その上でこんな結末しか迎えられなかった事を−−
詫びなければならないだろう。
 
「ありがとう。今日までよく仕えてくれた」
 
 彼からマイクを受け取り、イシドは心からの言葉を告げた。
 
「あとは……私の仕事だ」
 
 最後のスピーチの為に、イシドは壇上に上がった。今まで何度この高い場
所から聴衆を見下ろし、演説してきた事だろう。それも今日で、終わりにな
る。少しだけ、ほんの少しだけ感慨深かった。
 
「雷門イレブンの諸君」
 
 崇拝され、熱狂される聖帝の登場に沸き立つスタジアム。まるで道化だと
思った。否、望んでその役目を負った訳だが。
 
「優勝おめでとう。諸君らの健闘を、栄誉を心から讃える」
 
 フィールドの上。こちらを見上げている円堂と眼があった。彼の言いたい
事も考えも手に取るように分かる。円堂の唇が動いた。
 見たか。これが俺達のサッカーだ。
 お前の眼にはどんな風に映ったんだ?と。
 
「…十年前。フットボールインターナショナルで、イナズマジャパンは優勝
した。思えばあれが、全ての始まりだった」
 
 突然語りだしたイシドを、困惑気味に見る側近達。彼らをちらりと振り向
き、眼で黙らせる。邪魔されるわけにはいかない。道化なりに精一杯飾った、
最後の晴れ舞台なのだから。
 
「サッカーは、国境を越えて人を幸せにする魔法だと…私はある男に教わっ
た。あの頃私達は誰もが願っていた。サッカーが広まり、サッカーで笑顔に
なれる人が一人でも増えたら…そんな未来が来ればいい、と。断じて、サッ
カーで価値観が決まるような時代を望んでいたわけじゃあ、無かった。そん
な事の為に優勝したつもりなんか無かった」
 
 困惑のざわめきが広がる。イシドがかつてイナズマジャパンの一員であっ
た事を知る人間は、ごく僅かだ。十年前の栄光をまるで我が事のように語る
イシドを不思議がるのも無理からぬ事だろう。
 
「だが…世界は残酷で。誰も望んでいないのに…サッカーが全てを決める絶
対的な定義として、定着してしまった。幸せの魔法だった筈のサッカーは、
暴力と恐怖の手段に成り下がった」
 
 かつて−−エイリアが襲来してきた時。サッカーは破壊の道具ではない
と、それを証明する為に戦った雷門イレブン。しかし雷門が守った筈のサッ
カーが、誰の手によってかも分からぬまま再び凶器として認識されつつあっ
た。想定していた中でも最悪に近い事態だ。このままでは、誰もがサッカー
を楽しむ事など忘れてしまう、そんな国になるのも時間の問題。
 だから、自分は決意した。己の全てを犠牲にしてもいい。テロリストだと
いつか撃ち殺されるならそれも本望だ。護る為にいくらでも悪魔になってや
る。
 
「私は決意した。サッカーを支配する、と」
 
 サッカーが完全な恐怖になってしまう前に。一度統制し、価値観から変え
ていくしかない。凶器になってしまうよりは、退屈な競技である方がまだ救
いは残るのだから。
 
「サッカーを安全に、平等に分け与える。そうする事で人と社会の格差を無
くす。…応急処置だと分かっていたけれど、それ以外に術は無い」
 
 反発する者をわざと生かした事もあったが、彼らには悉く失望させられて
きた。ただ管理体制に逆らうだけでは未来はない。フィフスセクターを倒し
た後の事まで考えず、喚くだけの輩に用はないのだ。
 仮に壮大な未来予想図を持っていたとしても。反逆し続け、逆境であれば
あるほど刃向かってくるような強き意志がなければそれもやはり無意味な
訳で。そんな人間は、なかなか現れてはくれなかった。その間にフィフスセ
クターはどんどん巨大な組織と化していった。イシドが望む望まずに関わら
ず。
 
「だから…私はずっと待っていた。そのプレイで、サッカーは絶対の価値観
ではなく…気づけば人を笑顔にしているものだと…そう訴えかけてくれる
者達を。そして」
 
 雷門イレブンがどよめく。イシドが微笑んだのがそんなに意外だったのだ
ろうか。
 
 
 
「全ての悲しい事を。悪い夢を。…誰かが終わらせてくれる日を」
 
 
 
 我ながら他力本願だ。けれど結果的に、自分の判断は間違ってなかったの
だと知る。雷門イレブンがこうして優勝し、人々に“本当のサッカー”を見
せてくれた今だからこそ。
 
「心して聴いてくれたまえ。…私は、管理サッカーが正しくない事を知って
いた。その上で貫き通してきた。どんな糾弾を受けても仕方ない。私も自ら
の行いを、反省する事はあっても後悔する事はない」
 
 全ての咎は、犠牲は。今日この日の為にあった。
 
「どうか忘れないで欲しい。今日君達が見た試合こそが真実だ。そして思い
出して欲しい。サッカーは人の価値を決める絶対の物差しでも、管理され奪
われるものでもなく…皆を幸せにする唯一無二の魔法である事を」
 
 もう悲しい夜はない。自分達の夜はたった今明けたのだから。
 雷門の試合を見ていた者達は思い出す事が出来た筈だ。すがりついていた
十年前の栄光を、ではない。もっと原始の魔法。純粋にサッカーを楽しむ心
を。サッカーは楽しいものであるという事実を。
 
「私に票を入れてくれた者には申し訳なく思う。だが聖帝選挙…私は立候補
を取り下げたいと思う」
 
 大きなざわめきが起こった。同時に、ダンッと何かを叩く鋭い音がした。
振り向けば側近の一人が、憤怒の形相で立っている。彼が壁を殴ったのだと
すぐに分かった。
 
「何故…ですか、聖帝っ!私は…私は今日まで貴方を信じてついてきた…。
貴方に全てを捧げてきた!それなのにっ…」
 
 彼は、側近達の中でも一際忠誠心−−否、信仰心の強い男だった。イシド
が全てを覆せば計り知れないショックを受けるだろうと分かっていた。その
反応は当然だろう。
 だからイシドは何も言わない。本当の意味で自分が間違っていたとは思わ
ないから。同時に、彼らを騙し続けてきた自分には、償いさえ口にする権利
はないと知っているから。
 
「よりにもよってその貴方自身が全てを否定するなんて…っ!ふざけるの
も大概にしろ!!
 
 悲鳴が上がった男が銃を抜いたからだ。日本で銃の所持は禁止されている
が、フィフスセクターの幹部達は時に聖帝の護衛も兼ねる。SPと同じ権限
で、それを持つ事を法的に赦されていた−−発砲できるかは、別としても。
 今。聖帝を護る筈の銃で、彼はイシドの心臓を真っ直ぐ狙っていた。銃口
は怒りでわなわなと震えていたが、この距離なら体のどこかしらには当たる
だろうなと思う。
 動揺は無かった。ただ思い出していた。十年前。ジェネシスの決戦を終え、
自らの計画を撤廃した吉良星二郎に怒りをぶつけたウルビダ。恐ろしいまで
によく似た状況だ。違いがあるとすれば自分は最初からこの状況を想定して
いた事か。
 今ならあの時のウルビダの気持ちも、吉良の気持ちも分かる気がする。理
解できるだなとど言いはしないが、それでも分かる気はするのだ。
 
「聖帝…っ」
 
 フィールドの上。真っ青な顔をした剣城と目が合った。彼には本当に申し
訳ない事をしたと思う。彼は兄の手術費用の為に望んでシードになったと思
われがちだが、実際は人質をとられていたようなもの。家族の絆の貴さは自
分が誰より分かっていたのに−−それを利用して、まだ幼い彼を追い詰め続
けた。
 赦される事ではない。赦されようとは思わない。それでも本当は−−ずっ
と謝りたかったと言ったら、彼はどんな顔をするだろうか。
 心の中で呟く。ごめんなさい。君のサッカーを汚し、理想のヒーローだっ
た豪炎寺修也を汚し、その想いを汚したこと。本当に、ごめんなさい。
 そして取り戻してくれて−−ありがとう。
 
「撃っていい。君にはその資格がある」
 
 両手を広げ、イシドは微笑む。自分に憎しみの銃を向ける男に向かって。
 
「そしてそれで…終わりにしてくれ」
 
−−どうか憎むのは私だけで。サッカーを、この世界をどうか恨まないで。
 
 本当は。演説が終わったらこの壇上から飛び降りる気でいた。運命は自ら
の手で幕を降ろす事を赦さなかった。ただそれだけの事。
 ならば−−それでいい。
「よせっ…やめろ!」
「お願い、やめて!!
 鬼道が、春奈が悲鳴を上げる。イシドは笑みを浮かべて彼らを見た。優し
い子達。大人になってもそれは変わっていない。出来る事ならばまた彼らと
サッカーがしたかった。あの頃のように−−もう一度だけ。
 目を見開いた円堂の顔を視界に入れた。彼の唇が何かを紡ごうと動いた瞬
間、時間は動き出した。
 
「うわああああっ!」
 
 男の放った凶弾が、真っ直ぐイシドの胸の中心を貫いた。ぐらり、と傾ぐ
身体。そのままイシドは壇上からフィールドへと落下していく。
 落ちていく中。蒼白な顔の円堂に向けて、イシドは−−否。これでやっと、
かつての炎のストライカーとしての本音を口にできる。
 
 
 
「ありがとう、円堂。迎えにきてくれて」
 
 
 
 生まれ変わったらまた、サッカーをしよう。
 
 
 
「豪炎寺ぃぃぃぃ!」
 
 
 
 円堂の絶叫が聞こえた気がした。豪炎寺は微笑み、静かに瞳を閉じた。
 
 
 
NEXT
 

 

奪われるだけの者はもう、いない。

 

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 正直、聖帝さんがラストで死にそうで怖かったんですよ…イナゴに限ってないとは思ってましたが。

それで“こうなりませんように”と思いをこめて書いたのがコレ。ならなくて本当に良かったです(笑)

しかしこういう発覚の仕方したら、天馬も剣城も死にそうになるんじゃねぇのかこれ…(滝汗)

すみません、もう一話続きます。後編は円堂視点ですが。