そんなの僕じゃないよ。そんなの君じゃないよ。 縫い目がちぎれて、中身が零れる。 どうして僕がいないよ。どうして君がいないよ。 代わりなんて、在る筈がないのに。 或る世界の 一つの結末 <後編>
誰か正しく誰が間違いだったのかなど、今となっては分からない。 確かなのは彼が、心からサッカーを愛していたこと。そして、本当の彼は、 自分の知る彼と何一つ変わっていなかった事だ。 銃声が、空間を切り裂き、自分達を隔てていた最後の壁に罅を入れた。ガ ラガラと崩れ落ちる世界。壇上の身体がぐらりと傾いだ瞬間、円堂は全てを 振り切って走り出していた。 落ちてくるイシドと、一瞬目があった。
「ありがとう、円堂」
そんな声が聴こえたのは、空耳だろうか。
「迎えにきてくれて」
イシドシュウジは−−否、聖帝を演じ続けてきた親友は。最期の瞬間、微 笑んでいた。
「豪炎寺ぃぃぃぃ!」
円堂はただ必死で、ほぼ無意識のまま技を繰り出していた。この高さから 落ちたら助からない。受け止める為に、手段は選んでいられなかった。
「真…ゴッドハンドぉぉっ!」
黄金の手が、青年の身体を受け止めていた。あの試練ばかりだった日々。 身につけた力は、子供の身に余るほど強大で。さらに十年の年月をえて、円 堂の身体はあの時よりずっと大きく、強靭なものとなっていた。人一人受け 止めるのをなんの苦にもしないほどに。 ゴッドハンドを消して、愛しい親友の身体を抱き止める。胸元に真っ赤な 華。瞳を閉じたその顔は、驚くほど穏やかなものだった−−まるでただ眠っ ているだけのように。
「おいっ…豪炎寺!豪炎寺ィ!!目を開けろよ…おいっ!!」
揺さぶったが、彼が返事をする事はない。もう息をしていない事には気付 いていたが、それでも頭の中が真っ白だった。
−−こんなのって、ない。
撃たれた箇所が悪すぎる。お前はもう大人で、雷門の監督なんだ。冷静で あれ。頭の隅の冷えた部分が言う。しかし。
−−こんなのってないよ、豪炎寺。
この時になって初めて円堂は、自分がずっと無理をしていた事を理解し た。豪炎寺が聖帝だと知ったその時から。自分が最後まで立っていなければ ならない、サッカー部の子供達を護らなければならないと自覚した時から。 久遠が追放された時も、神童が倒れた時も、その意識が円堂に折れる事を赦 さなかった。端から見れば冷徹でさえあったかもしれない。しかし、感情を 露わにして取り乱す事などあってはならないと、ずっとそう言い聞かせてき たのだ。 悪い事ではない。必要な事だったかもしれない。しかし気付くべきだった。 ただ一人で背負い込むだけでは、十年前と何も変わりはしないという事を。 今自分の隣には鬼道も春奈もいる。夏未もいる。彼らに頼っても良かった 筈だ。恐らくは彼らもそれを望んでいた筈だ。それなのに自分は。
「何でこんな…こんな結末しか無かったんだよ…!」
また無理をして。無茶をして。そのツケが回り、こうして崩れ落ちている。 愛する友の死。泣き縋っていけない事はないだろうけど。でも、今自分は豪 炎寺の死という事実以外何も見えなくなっている。 願っていた未来も。築き上げた理想も。その全てが音を立てて砕け散った。 こんな筈ではなかった。こんな結果を望んでいたわけではなかった。なのに 今−−現実は、あまりに残酷だ。
「か、監督…」
天馬が、真っ青な顔で立っていた。いつの間に傍まで来ていたのか。それ が分からないほど冷静さを欠いていた己を知る。
「…豪炎寺さん、って。聖帝が豪炎寺さんだって…それ、本当なんですか…」
ああ、そうか。今の雷門イレブンは誰一人知らされていなかったのだ。否、 自分達が意識して隠していたのだから当然と言えば当然か。 十年前の伝説を築いた、イナズマジャパン。その中でも炎のエースストラ イカー・豪炎寺修也の名前は有名だ。下手をすればキャプテンの自分よりも 名前が売れていたかもしれない。数年前行方を眩ますまでは、プロとしても 活躍していたのだから余計にそうだ。
「…そうだ」
円堂は頷く。うなだれたと言うべきか。
「聖帝、イシドシュウジの正体は……俺の一番の親友。豪炎寺修也だ」
息を呑む気配。特に剣城の顔色は青いを通り越して紙のように真っ白だ。 彼は幼い頃からずっと豪炎寺のようなストライカーに憧れていたと言って いた。美化された理想にして目標。彼がサッカーを始めたきっかけの一つで もあったのだろう。 そして自分は、もう一つ知っている事がある。 「天馬。お前がサッカーを始めたきっかけも、豪炎寺だと思う」 「!」 「十年前。豪炎寺は沖縄に潜伏していた。妹を人質にとられて、エイリア学 園に脅迫されていた時期だ。…なるべくサッカーから離れようとしていたみ たいだけどな。放っておけなくて…子供を一人、助けたって、言ってた」 まるで昨日の事のように思い出せる。あの時も確かに大変で、試練と悲劇 と葛藤の連続だった筈なのだけど。思い出されるのはサッカーをやったりは しゃいだり、あまり笑わない彼が笑顔を見せてくれた瞬間だったり−−幸せ だと思えた、その時間ばかりで。
「皮肉だよな。お前達の目標だったヒーローが、お前達からサッカーを取り 上げてたんだから」
豪炎寺にどんな意図があったとしても、事実は事実だ。彼らはショックだ っただろう。なんと慰めていいかも分からない。情けないほど今は自分の感 情でいっぱいいっぱいだ。 抱きしめた身体は、まだ温かいのに。
「…恨んだり、しませんよ」
聞こえた呟きに、円堂ははっとして顔を上げる。天馬だった。
「俺…何も知りませんでした。何も知らないでただ、聖帝はサッカーが嫌い だから管理するんだって…思い込んでました。本当は、全部全部…護る為だ ったのに」
ポロポロと、少年の頬を涙が伝う。あまりにもたくさんの想いが込められ た、とても綺麗な涙だった。
「恨むわけ、ない…。この人がいなかったら、俺達のサッカーは…永遠に失 われてたんだから」
天馬が、横たわる豪炎寺のすぐ傍に膝をつく。その涙が、彼の頬に落ちる。
「本当にありがとうございました…豪炎寺さん。生きてるうちに言えなくて 本当に…ごめんなさい」
泣き声がした。三国も、マサキも、ヒカルも、信助も、みんなみんな泣い ていた。どうしようもない現実に。ここにいる全員が、知らず知らず護られ ていた事実に。
「…顔を上げろ、円堂」
鬼道だった。彼はサングラスを外している。真っ赤な瞳は泣き出しそうに 歪んでいたが、まだ涙は無かった。今泣く事はしない。そう決めたのかもし れない。
「こいつは馬鹿だ。大馬鹿者だ。たった一人で全てを決めて、全てを終わら せやがった。…でもそんな馬鹿の為にやるべき事があるだろう」
馬鹿。そうだ、確かに馬鹿だった。無口で言葉が足りなくて、肝心な事は 何一つ語れないサッカー馬鹿。お互い雰囲気も変わったし随分駆け足で大人 になってしまったけれど。根っこのところは、ずっと同じ。 穏やかに瞼を閉じた豪炎寺の頬に触れる。ありがとう。ごめんなさい。君 はいつでも、君だった。未来の何処かでまた会えたなら、その時はまたサッ カーが出来たらいい。君が命懸けで護った未来が。幸せなものであればいい。 いや−−それは、自分達の仕事だ。
「……そうだな」
何もかも救われたわけではないけれど。本当は、分かってる。
「全部こっから。此処がスタートラインなんだ」
涙を拭い、円堂は決意する。此処にいる全ての者達に伝えたい事がある。 駆け抜けるように生きた自分達の月日。立ち上がった一人の勇者と、運命に 抗ったイナズマイレブンの物語を。 ただ今は。祈りたい。それくらいは許されてもいい筈だ。
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さようなら。また巡り会う日まで。
BGM 『It’s a wonderful world』
by Hajime Sumeragi