掴め、そして。 踏みしめろ。 【キセキファン】彼らが魔女に浚われた・最終夜・21【力を貸して】 魔女の手が火神の手首を掴む。あの火神がそれを振り払うことさえ出来ない でもがいている。みしり、と骨が鳴った。このままでは砕かれる。やめろ!と 赤司は何度叫んだかしれない言葉を口にした。自分は火神より腕力はないが、魔法は使える。この場にいれば何かは出来た かもしれないのに、などと思っても詮無きことだ。これはあくまで過去のビジ ョンでしかないのだから。「火神君を離せっ!」 動いたのは黒子だった。彼の唇がスペルを紡ぐ。「“Blizzard”ッ!」 鋭い氷の矢がアルルネシアに向けて飛んでいった。下級魔法なのは火神を巻 き込まない為だろう。アルルネシアは火神から離れて魔法を回避した。矢に貫 かれた壁がパキリと音を立てて凍りつく。 勢いあまって尻餅をついた火神は、驚きを隠しもせず相棒を見つめた。「く、黒子?今のって…」「すみません。…隠してたつもりではなかったんですけど」黒子が魔術師であることを、火神は知らなかったのだろう。それもそうだ。 彼は日常生活で魔法を殆ど使わない。律儀すぎるほど自分の中でルールを定め て守っている。それは他人に迷惑をかけない為であると同時に、いざ力を解放 した時より威力を発揮する為でもあるだろう。 制約と誓約はいつも人を強くするもの。魔法においてもそれは変わらない。「…火神君は死なせません。火神君だけじゃない。あなたの身勝手極まりない お遊び、ここで終わらせて戴きます」黒子は強い眼差しをアルルネシアに向けた。怒りや憎悪は無論ある筈だ。し かしそれ以上に強く輝くのは、守りたいという強い意志。そして同じ魔術に関わる者として。理を外れた者を粛清すべしという、誇り 高い使命感だ。「災禍の魔女アルルネシア。消失の魔術師、黒子テツヤがお相手致します!」“ある人物”から“ある力”を受け継いだ者の共通項。それは武器の形状と 本数にある。黒子が両手に現した二対の鍵型の剣は、彼の後見人が“あいつ”であること の証明に他ならない。それを見て、アルルネシアはますます笑みを深くした。「やっぱりそうね。あいつの匂いがすると思っていたら…あなたも“継承者” の一人だったってことね。その剣を二刀流で使う人間って本当に限られてるも の。まあ」 パチン、とアルルネシアが指を鳴らした。「それならあたしも遠慮なくいかせて貰うわよぉっ!」途端濃くなる闇の気配。黒子がはっとしたように辺りを見回した。薄暗い廊 下を、ますます暗い色に染めるソレは−−うぞうぞと、床の中から這い出して きた。真っ黒な、ドロドロとしたものが固まり、小さな手足とぎょろりとした丸い 目玉が現れる。状況が状況でなければ可愛らしいと言えたかもしれない丸いフ ォルム。それはまさしく文字通り“影”だった。「火神君っ!逃げて下さい!」影達は、抵抗する術のない火神を真っ先に狙ってきた。黒子が素早く駆け寄 り両の剣で影達を切る。だが、それらはあまりに、数が多すぎた。狭い廊下で 火神を守りながらでは本来の力を出し切ることも叶わない。「がっ!」「黒子っ!」“影”の鋭い爪が、黒子の脇腹を貫いていた。膝を折った彼に容赦なく追撃 は襲う。絹を裂くような悲鳴とともに血飛沫が上がった。黒子が左目を押さえ てうずくまる。「やめろおおおっ!!!」群がる影達を力業で押しのけ、火神が黒子を抱き上げた。ぐったりとした黒 子の顔が露わになる。赤司は喉の奥からひきつった声を漏らした。黒子の左顔 面は血だらけだった。綺麗な水色の眼を、影は容赦なく切り裂いていったのだ。「僕を、置いて…逃げて……“Blizzara”」 息も絶え絶えに、黒子が魔法を詠唱する。再び襲いかかろうとしていた影達 は一瞬で凍りつき、粉々になった。氷系魔法の中級、さっきのそれより一段上 だ。これほどの傷を負っていながら、意志を曲げない。黒子の強さを垣間見た瞬 間だった。「馬鹿野郎!お前を置いて逃げるとかありえねぇんだよ!絶対死ぬな、俺が必 ず助けてやる!」黒子を抱えて駆け出す火神。その背中をニヤニヤしながら見つめていたアル ルネシアは、徐に右手を持ち上げ、指差した。すると途端、魔女の意志を汲ん だ影達が一斉に火神の後を追い始める。 いやだ。もうやめてくれ。 赤司は叫ぶ。誰にも届かないと知りながらも、叫ぶ。もう嫌だ。もう嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌 だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!「ぐああっ!」追いついた影が火神の背中を切り裂いていた。火神はつんのめり、転びそう になる。しかし彼はけして抱きかかえた黒子を離そうとはしなかった。痛みに 歯を食いしばりながらも、再び走り出そうとする。彼が駆ける道に血がぼたぼ たと標を作った。影に情けというものはない。そんな健気な背中に再び爪を振り下ろし、脹ら 脛に噛みつき、足首を切り裂き、肩を貫く。「ぐぅっ…ああっ!」その度に火神は躓く。時には転ぶ。それでも再び黒子を抱えて立ち上がろう とする。さながらそれは、子を守ろうと命をかける母親のようですらあった。「きゃははははっ!いつまで保つかしら!?いつまで保つかしらぁ!?きゃはははは!」 アルルネシアが嗤う。嗤う。嗤う。やがて火神は立ち上がれなくなった。それでも彼はその大柄な身体で黒子に 覆い被さり、ひたすら護ることに徹する。もうやめて、と小さな声が聞こえた。黒子だった。虫の息で、それでもまだ 無事な右目から涙を流しながら、彼は言う。 やめて。 やめて。 かがみくんを ころさないで。「アルルネシアぁぁぁっ!」赤司はついに絶叫していた。ギシギシと心が軋み、罅が入る音がする。赤司 は非情な男だった。勝利に執着し、ただ一つを貫く為に全てを切り捨てること の出来る男だった。守る為に壊すことさえ厭わぬ孤高の王だった。そしてこんな状況にあっても。アルルネシアが何を異図してこんなものを自 分に見せているか、赤司に何をさせたいのか、冷静に理解できる程度の頭脳を 持っていた。 けれど。理性とは裏腹に。心には限界が忍び寄っていた。「殺したいなら僕を殺せ!僕を直接拷問でも尋問でもなんでもすればいいだろ うっ!?こいつらはあくまで駒だ、お前の直接の対戦相手はこの僕だ!これ以上こいつらを貶めるな、汚すなっ!」 幻想もまたある世界の現実だ。真実の裏側にあるもう一つの現実なのだ。もしかしたら。今無残に殺された仲間達の中に、魔女が取り憑いた犯人もい たかもしれない。本来彼らは殺されていない、それが盤の上では真相かもしれ ない。しかし犯人であろうとなかろうと。今こうして辱められ壊されている彼らも またまごうことなき彼らであると、大切な仲間達であると赤司は知っていた。 魔術師であるがゆえて、知ってしまっていた。伊月の、青峰の、火神の、そして黒子の嘆きが。悲鳴が。涙が。赤司の心を 抉り、追い詰めてゆく。『ええ、いいわ。終わらせてあげる』 黒子を抱きしめたまま、火神が動かなくなる。黒子の泣き声が大きくなる。『あなたが、負けを認めれば、それでおしまいになるわ』背をズタズタに切り裂かれ、天性の才を誇った脚を無残に噛み切られ、首や 肩からは骨をも覗かせて−−それでも親友を守りろうとした青年の身体の下か ら、引きずり出される黒子。血と涙でぐしゃぐしゃの顔で、相棒の名を呼ぶ。伸ばした左腕が影に掴まれ、 パキリとあらぬ方向に曲がった。悲鳴。しかし泣き濡れた片目がせせら笑うア ルルネシアを捉えた時、そこには憎悪が蘇る。『でもあなたが諦めない限り、続く』黒子の唇がスペルを吐き出した。“Dark−Blizzaga”。Blizzaraの二段上に あたる上級魔法だ。こんな狭い廊下で本来発動すべき魔法ではない。影も、廊 下も、黒子本人でさえも一瞬にして凍てついてゆく。しかしアルルネシアが杖を振った瞬間、全ての魔法の威力は掻き消されてし まった。ぐったりと力を失って、息絶える寸前の黒子に、復活した影達が次々 群がってゆく。『次は誰がいい?紫原君が呪いで悶え死ぬところを見せてあげましょうか?そ れとも緑間君が生きたままバラバラになっちゃうのも壮観よね?ああ、あとは 高尾君も。伊月君と同じように犯して身体中から宝玉を抉り出してあげたんだ っけ。そうそう、黄瀬君も可愛かったのよ、だって』「やめろ!やめろ!僕はもう見たくない…見たくない見たくない見たくない!」『じゃあリザインしちゃいなさい?諦めてしまいなさい?そうしたら…壊すの も犯すのも可愛がるのも食べるのもみんなあなただけにしてあげるわ、赤司君』アルルネシアの声が反響する。甘い甘い罠。ここで赤司が屈してしまえば、 アルルネシアに身体と魂を捧げてしまえば終わる。少なくとも仲間達は解放さ れる。だけど。だけどそれはこの腐りきった女に敗北するということ。それは。それが意味 することは。『さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさ ぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさ ぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさ ぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさ ぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさ ぁさぁさぁさぁさぁさぁ』 抗わなければ、でも。 トリックが解けない。赤き真実の檻から出られない。 出られなければこの地獄は、終わらない。 ああ、もうつかれた。「駄目だ、!赤司!」 その瞬間。 光が。「え?」あれほど煩く聞こえていたアルルネシアの声が消えている。いや、それだけ ではない。血に染まった廊下も火神の遺体も食い散らかされる黒子も嗤う魔女 も。いつの間にかみんないなくなっている。 代わりに届いたのは、光だ。「諦めちゃ駄目です」「お前はこんなとこで負ける奴じゃねぇだろ!」「円堂監督の言葉、思い出すッスよ」「赤司ちん、本当にそれでいいの?」「まだ人事を尽くしきれていないのだよ」「終わりにするのはまだ早いですよ!」「赤司!」「赤司さん!」「赤司君っ!」 いくつもの声が、諦めかけた魂を揺らした。赤司は顔を上げる。 いつの間にかそこには、差し出される手が。彼は力強い声で言う。「赤司。勝ちに行こうぜ…一緒に!」 微笑み、立っていたのは。浄罪の魔術師・円堂守、その人だった。NEXT |
立って、立って。