本当は誰だって 笑ってた方が似合ってるんだ。
【キセキファン】 彼らが魔女に浚われた ・最終夜・37 【力を貸して】
“I didn’t know where to go. I didn’t know what to do….
I didn’t know where to go. I didn’t know what to do….”
ああ、嫌だな出張。 そう思いながら溜息を吐いた男は、スーツ姿で一人寂しく雑誌を立ち読みし ていた。東京駅の駅中。平日の真っ昼間だが、それなりに混んでいる。重たそ うなスーツケースを引きずる人は主に二種類で、旅行前のやや緊張しつつも楽 しげな顔か、仕事でやむなくといったくたびれた顔のいずれかだ。男は当然、 後者に分類される。 会社での仕事が好きな訳ではない。しかし、就職難からやむなくやりたくも ない営業職を選んだ身からすれば、大きな商談を目的とした出張などこの上な く気が重いものである。最近成績が伸び悩んでいる事を、遠まわしになじられ てばかりだから尚更だ。今度失敗したらきっとまた休みがなくなる。最近、た だでさえサービス残業だらけで気が滅入っているというのに。 大阪行きの新幹線を待つ僅かな時間。暇つぶしにと立ち寄った本屋は有線を 流していた。耳に入ってきたのは、最近売り出し中の男の子と女の子の双子の ユニットの新曲である。
“僕等が出逢った瞬間に 始まっただろう物語は 必ずページの終わりが来ると 知っていた筈なのに”
鼻にかかったようなボーイソプラノが、切ないバラードを歌い上げる。出会 いと別れは表裏一体。本も読み始めがあるなら読み終わりが必ずある、という わけか。まあ真理だろう。現実逃避もかねてそんなことをグダグダと考える。 不意に、本屋の前の休憩スペースが騒がしくなった。ドタバタと複数の人間 の足音が響く。何かあったのだろうか。男は雑誌を棚に戻して振り返った。 「さすがバスケ部、逃げ足早ぇなおい!」 「あ、あたしあっちから来たけど全然見てない…」 「トイレは覗いたか?」 「それは大丈夫、全箇所に二人ずつ張って貰ってるから!な!」 「うん!」 誰かを追っているのか。随分物騒な会話だ。しかし話している人間達は、そ んなヤバげな世界とかまるで無縁の人種に見える。眼鏡をかけた大学生くらい の青年、女子高生、灰色のスーツの会社員に小学生くらいの双子の男の子。年 齢も性別も、てんでバラバラだ。 しかも、バスケ部。その人間が何かをやったのだろうか。自分も高校までバ スケをやってたなぁと思い出す。そういえば今高校バスケには凄い子達がいる と専ら噂になっていなかったっけ。 アレだ、キセキの世代とかいう奴ら。
“打ち捨てられた人形が 哀しい眼で世界を観てた 「拾って下さい 愛して下さい」 あの頃の僕と同じように”
「東京駅で降りたのは確かです。出入り口はみんな先輩達に張って貰ってます から、まだこの駅の何処かにいるのは間違いありません」
その男女バラバラな集団に歩み寄っていったのは、眼の大きな茶髪の男の子 だ。高校生くらいだろうか、可愛らしい顔立ちをしているがちょっと痩せすぎ ているかもしれない。しかし、その眼は凛と前を見据えており、不思議な威圧 感を醸し出していた。 「つかバスケ部人数多いのな…お陰で助かったよ、桜」 「いえ、お礼を言いたいのは僕の方です。皆さんが協力して下さらなければと ても手が足りませんでした」 「桜さん、次はどうしましょう?」 「作戦はこのまま行きます。…パターンBのまま変更なし、何かあれば即連絡 して下さい。いいですね」 「了解した!」 驚いたことに、あの茶髪の少年が皆のリーダーらしい。明らかに年上と思し き会社員も大人しく指示に従っている。桜、というのは名字かアダ名か何かな のだろうか。 すると、不意に休憩所にいた男女のカップルが立ち上がった。二人はおずお ずとした様子で少年に、あなたが桜さんですか、と尋ねる。
「あの…あの!私達も掲示板見たんです。此処の近所に住んでて、それで!」
若い女性が、携帯画面を桜に見せながら言った。
「協力させて下さいっ…私達も緑間さんや皆さんを助けたいんです!」
ん?緑間? 男はあ、と小さく声を上げた。緑間。あのキセキの世代の一人ではないか。 195cmの長身に眼鏡、その名の通り緑髪のSG。自分も高校時代のポジション はSGだったから余計覚えていた。緑間の能力、確か有り得ないぐらい神がか ってやしなかっただろうか。 そうだ思い出した。コートの何処からでも3Pが撃てるというアレ。なんじ ゃそりゃとしか言いようがない。物理的に不可能だろと思っていたが自分もテ レビで実際に見てしまっている。チートが服を着ているようなスーパー高校生 だ。自分のような凡人とは一生縁がないだろう、文字通りの天才。 だがなぜ今ここでその名前が出てくるのだろう。助ける?助けるってどうい う事だ?
「あ、今吉さん!?…ありがとうございます、スイマセン!大丈夫です、絶対に 逃がしません!」
唐突に鳴った電話。着信を受けた桜は矢継ぎ早にそう言うと、鋭くその場に いた仲間達に叫んだ。
「僕らのキャプテンが武蔵野線ホームで緑間君を発見!今こちらに向かって追 い込んでくれてるそうです!戦闘準備ですよ、皆さん!」
事情を判らない人間達の多くが、ざわめいている。何なんだろうこいつら。 一体何が始まるんだろう。そんな様子だ。中には緑間の名前を知っていたのか、 緑間がどうしたんだ?助けるってなんだ?と呟く声も聞こえてくる。 男にも、何も分からない。ただ、桜や桜とともに動く者達の眼が、至極真剣 なことだけは伝わってくる。彼らは、ただ誰かを必死で助けようとしている。 ただそれだけを、願って戦っている。 ほんの少し胸が痛くなった。あんな風に何かに真っ直ぐ向き合ったのは−− そんな直向きさを、自分はいつから忘れてしまっていたのだろう。
「緑間君!」
桜が呼ぶ。通路の向こうから走ってくる、緑髪の青年の姿が見えた。
“訳もなく アテすらなく 彷徨い それでも 未来を求めて 奇跡は起こせると 信じて歩いた 光と闇の狭間で”
「もう逃がさねーぞ」
大宮駅東口前。駅前通りに逃げようとしていた日向の前に青峰は立ちふさが り、道を塞いだ。 「つか逃げてどうしようってんだ。何から逃げる気だ。どこから逃げる気だ。 …逃げられるとでも思ってんのかよ」 「…いい加減年上に敬語くらい使え、ダァホ」 青ざめた、どこか諦めたような顔で日向は溜息を吐く。青峰の苛々は募るば かりだった。彼の行動が、というより。その諦めきった顔が誰かさんと重なる のが、嫌で嫌で堪らない。
『大輝ごめんな。…ごめんなぁ…っ!』
そんな罪悪感バリバリの顔をするくらいなら何で。 何でそうまでして、眼を背けようとする?
「…逃げられねぇんだよ、誰も」
あの時。自分を殺そうとした父は、それで結局一人で死ぬ羽目になった愚か な男は。自分の一番怖いものから、逃げられたのだろうか。 否。もし青峰の考えた通りであったならむしろ−−永遠に逃げられなくなっ た筈だ。死んでしまったから、結果として。しかしそれも報いなのかもしれな いと思ってしまうのは。
「一度背負っちまったもんから逃げるのは無理なんだよ。…傷も、記憶も、過 去も消せやしない。どんなに頭掻き毟って否定したってついて回るんだ。絶対 …絶対に」
“君が立ち上がった瞬間に 気付かずに選んでいた道 その背が教えてくれたのです 先にある光を
出口の無い迷路の中で 何度諦めに嗤っただろう 「救われる明日を創ればいいよ」 君の言葉が鍵だった“
分かるんだ。分かる。 青峰自身が、そうだったから。
「でもその背負い方を間違えちゃいけねぇ。だって日向サン、“あんたは何も 悪くないだろが”」
日向の眼が見開かれ、すぐに俯く。聞きたくないのか。分かりきっているこ とを言うな、なのか。言いたい事があるならハッキリ言って欲しい。ウダウダ と黙って落ち込まれ続けて、挙げ句一番最悪な結末を選ばれるのが何よりどう しようもない。 周りも本人も、誰一人救われない。分かっていない筈がないのだ、日向だっ て。
「俺達があんたを赦さないとしたらそれは、あんたが俺らをマジで裏切った時 だ。誠凛の奴らだってそう言う筈だぜ」
かつて殆ど同じ台詞を、チームメイトの彼に言った。そして同じことをさら に昔幼なじみの彼女に言われた。 裏切るな。そう言うのはつまり、相手が今裏切ってないと思っているからこ そ。彼がしたことを裏切りと思ってないからこその言葉だ。 かつてドン底にいた自分はそうして、たくさんの事を彼に、彼女に学んだ。
「あんたは誠凛の主将だろ。そのあんたがチームメイトを裏切るのかよ?」
“何処へ行けばいい? 何をすればいい? 彷徨い それでも 必死で生きて 本当の答えは きっと傍に在る 僕等はずっと抱いてた”
「俺達にも、答えなんか出ないんだ」
日向は絞り出すような声で告げた。
「お前には分からないだろうよ。みんなが赦してる人間を…俺だけは赦せない でいる気持ちなんて。憎いのになんで、憎いって言わせてくれないんだ!?殺し ちまえよそうさせろよダァホ!」
それは紛れもなく彼自身の事だろう。罪の記憶が精神を削り取る。自分は生 きていてはいけないのだとそう思わせる。否、思わせたままならそれでも良か ったのに、皆が必死で拒絶しにかかるから上手く溺れ死ぬ事も出来やしない。 青峰に、その気持ちが分かるとは言えなかった。言う権利があるとも思えな い。こうして義務感と切迫感から彼を止めてはいるけれど、日向とはそんなに 親交があるわけでもないのだ。 でも。
「そういうアンタにだって分からねぇだろが」
自分は、“知っている”から。 絶望の乗り越え方を知っている人間だから。 「俺はもうとっくに赦してる人間を、誰かは赦せないって言うんだ。そんな気 持ちは、あんたにゃわからねぇんだろう」 「……っ!」 「何で無理矢理今すぐ割り切ろうとする。何で無理矢理今すぐ強引に答え出そ うとする。…んなの後回しだっていいじゃねぇか。生きてるうちにみっともな く長々考えて、そしたらそのうちどーにかなるようになるんじゃねぇの」 青峰だって本当はまだ乗り越えきれていないけど。だからこそ、今自分にし か言えない言葉があるんじゃないかとそう思う。 「死ぬのはいつだって出来るが、生きる方は今しか出来ねぇ。あんたの大好き なバスケだってそうだろが」
自分一人の言葉で何処まで届くかは分からないが。後悔しないうちに、出来 る事をしたいと願う。 緑間ではないが。人事を尽くすとは多分、そういう事だ。
“誰かが呼んでいる 君を待っている 世界でたった一人 君という人を ほら耳すませて その胸で聴いて 何度でも心でこの手は繋げる
何処までも走って 何度も巡り逢おう 誰もが同じ 還る場所がある 本当の答えは ずっと傍にあった 光と闇の狭間で
本当の愛 見つけよう”
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何度も道に迷って、それでもきっと。