ずきり。ずきり。ずきり。 歩く度に体中が軋みを上げる。左腕が上がらない。左胸のあたりが時折刺 すように痛む。肋骨に罅でも入っているのかもしれない。いっそ心臓まで 粉々にしてくれれば良かったのに−−剣城京介はそう思い、自嘲の笑みを浮 かべた。 フィフスセクターに逆らい、雷門を勝利させてしまったその晩。京介は黒 木に呼び出され−−罰を受けた。冷たい牢に閉じ込められ、暴行され、折檻 された。 昔、訓練に耐えきれず脱走したシード候補生が同じ目に遭わされていたの を思い出す。その時漠然と思ったものだ−−自分もきっと最期はああなるん だろうな、と。地獄に墜ちるのは最初から分かっている。本当ならとっくの 昔に、自分は死んでいた筈なのだから。
−−まあ…今回はまだ生きてますよっ…と。
脚に傷をつけられなかった。そして翌日夕方の今、解放されてすぐ雷門の 様子を見に行けと放り出されたという事は、自分はまだ見放されていないの だろう。聖帝の考えなのか、黒木達の考えなのか。いずれにせよ京介が知る 由もない事だ。 ろくな応急処置もされていない体を、学ランでどうにか隠しながら敷地を 歩く。放り出されたのは雷門のすぐ側だったが、今の京介は部室棟の場所に 行くだけでも至難の業だった。目眩が酷い。水やら考えたくもない液体やら を飲まされ続けたせいで吐き気と寒気も酷い。傷はあちこち血が滲んで熱を 持っている。こんな状態でも生き長らえるとは、つくづく自分は悪運が強い。 万能坂中のサッカーを潰した事に、後悔はない。だが、これから先を考え ると怖くて仕方がなかった。自分の事はどうでもいい。しかしこれで兄の体 が一生治らなくなってしまったら。兄に危害が及ぶような事になってしまっ たら。 耐えられる筈が、ない。あの日から自分はその為だけに生きていると言っ ても過言ではないのに。
「くっ…ぁ…」
ついに身体が悲鳴を上げ、京介は膝をついた。一度止まってしまったら身 体はもう動かない。雷門のグラウンドは目の前なのに−−あと少しの距離だ というのに。
−−ああ、そういうこと?
唐突に理解が追いついた。何故フィフスセクターの大人達が罰という名目 で自分を暴行し、雷門のすぐ傍に放り出したか。偵察と言われても、この身 体じゃ満足な成果を得られる筈もない事は分かっていた筈。ではどうして? 答えは単純明快。見せしめ、だ。ボロボロにされた京介の姿を雷門の連中 に見せて、絶望させ、その心を叩き折る為。フィフスセクターに逆らえばど んな目に遭うか。京介は都合のいい生贄羊というわけだ。
−−なんか、奴らの思惑通りになんのも癪だな…。
直前で気付けてラッキーだった。このまま隠れていれば、雷門の奴らには 見つからない。自分が我慢して、息を殺して、誰にも助けを求めなければそ れでいい。 なんだ簡単な事じゃないか。今までと何も変わらない。ほんの少し痛いの に耐えればそれでいい。フィフスセクターは“様子を見てこい”と言っただ けで、“雷門の前に姿を晒せ”とは言っていないから、命令違反にもならな い。その真意が、どこにあるにせよ。
−−って…何あいつらの心配なんかしてんだ俺は。別にどうでもいいだろ が。
雷門なんかどうなっても構わない。潰してやると言ったのはフィフスセク ターの指示であると同時に京介自身の意志だった。のうのうと健康体でサッ カーをやって、それでいて“自分達は不幸です”といった顔をしてる奴らが 恨めしくて仕方がなかった。 本当の地獄など、何も知らないくせに。奇麗事ばかり並べて、自分達は正 しいですと主張する。実に苛つかせてくれるじゃないか。どうぞ御勝手に。 お好きなように滅んで下さいな。そう高見の見物を決め込んでいた−−その 筈だったのに。 定められていた筈の何かが狂い始めていた。松風天馬と円堂守。あの二人 のせいで。 「…最悪だ」 「何が最悪なんだ?」 「!?」 南校舎の陰に座り込み、毒づいたなら思わぬ反応。京介はぎょっとして振 り向き、直後盛大に舌打ちをした。 何であんたがこんな場所にいる、円堂守。
「心配したんだぞ?部活どころか学校にも来てないって言うから」
そして京介の姿を上から下まで見て、やや顔を強ばらせる。 「随分派手にやられたな」 「…うるせぇ。アンタに関係ないだろ」 伝説の二代目イナズマイレブンのキャプテン。十年前少年サッカーで世界 一になったチームの守護神。そして−−その言葉とプレイで見る者を次々虜 にしていった“浄罪の魔術師”。 フィフスセクターでも要注意人物として名前が挙がっていたし、情報も叩 き込まれている。正直、第一印象からして悪かった。円堂と同じチームにい た“豪炎寺”には憧れていたというのにおかしな話だが−−彼の眼も言葉も 恐ろしく純粋で、ゆえに嘘くさく思えたのだ。 奇麗な夢だけ信じて大人になれる人間などいない。そう見える人間がいる ならそれは余程の馬鹿かとんでもないペテン師のどちらかだろう。コイツは 後者に違いない。宗教めいた言葉で雷門を洗脳し、一体何を企んでいるとい うのやら。 それとも本気で十年前のサッカーを取り戻せると信じてるドリーマーな のか?いずれにせよ京介にとって不愉快である事に違いは無かった。
「関係ないわけないだろう?俺はこれでもお前らのカントクなんだから」
はぁ、とため息をつく円堂。お節介なこの男のこと、手でも差し伸べられ るのかと思った。そうしたら思い切り払ってやる、とも。こんな無様な姿を 見られただけで腹が立つのに、お情けまでかけられたら屈辱なんてものじゃ ない。 だが円堂の行動は京介の予想を超えた。なんとそのまま“ひょい”っと言 わんばかりに京介の身体を抱えあげてしまったのである。 「ちょっ…何すんだ!降ろせ!!」 「はいはいイイ子だから静かにな〜」 大人といえど、そうガタイがあるわけでもない。寧ろ細身にさえ見えると いうのに、かつて世界制覇を成し遂げたキーパーの腕力は伊達じゃなかっ た。 もう恥ずかしいなんてものではない。ジタバタ暴れるも力で叶う筈もな く、そもそも重傷の身で出来る抵抗などたかが知れている。
「暴れるなよ。治療するだけだ。いくらなんでもその怪我ほっといたらヤバ いだろ」
グラウンドを通られたら、とヒヤヒヤしたが。円堂はまるで京介の危惧を 読み取ったかのように、人目につかない裏口から校舎の中へ入っていった。 向かった先は保健室。
「今保健の先生いないんだ。見られる心配ないぞ」
誰も何も訊いてないのに、そんな事まで言ってくる。京介は混乱した。な んなんだコイツは。その名の通り本当に魔術師だとでも言うつもりか。
「お前を見てるといろんな奴を思い出す」
京介をベッドに下ろし、薬品棚を漁る円堂。もうどうにでもなれ、と京介 はベッドに身体を預けた。抵抗する気力体力が物理的に無かった、が正しい かもしれない。
「昔話をしてやる。…十年前の事だ」
化膿止めを片手に、唐突に円堂は話し始めた。
「ある少年には、両親がいなかった。いたのは妹が一人だけ。少年にとって 妹を守る事が世界の全てだった。やがて別々の里親に引き取られた後も、少 年は妹と共に暮らす為なんでも耐えた。教育係の指示のまま妹と連絡を絶 ち、虐待まがいの教育に耐え、サッカーを勝利の為の道具にして」
でも少年は、再会した妹に拒絶されたんだ。円堂の言葉に、京介は目を見 開く。
「何故ならば妹の願いはただ一つ。離れ離れでも昔のように…笑顔の絶えな い家族でいる事だったから。妹を守る為に本当の笑顔を失くしかけていた兄 が、妹はショックで堪らなかったんだろうな」
円堂の手が、京介の動かない左手に触れる。ズタズタになった白い腕にそ の手が触れた瞬間、走った痛みは。傷のせいだけでは、無かったかもしれな い。
「また別の少年。…彼も両親がいなくて、義理の父の元で育てられた。義理 の父に愛される為に、父が望むままサッカーを破壊の道具にし、過酷な生体 実験に耐え、人形として生きようとした」
人形。その言葉が胸にずしりとのしかかる。自分も−−フィフスセクター の人形?いや、違う。京介は一瞬よぎった考えを否定しようと首を振った。 自分は自分の意志でフィフスセクターに従う事を選んだ。人形なんかじゃな い。だって自分が望んでいるのは−−。
「少年はやがて気づいた。自分はただ、誰かの身代わりとしてじゃなく…自 分の望むままのサッカーがしたかった事に」
がんっ、と。頭を殴られた、気がした。身体が震えるのは何故だろう。円 堂はそんな京介をちらりと見て、しかし何事もなかったように手当を続け た。 腕に、首に、胸に。包帯を巻く、その手が−−痛い。
「三人目。…その少年には、自分にそっくりな弟がいた」
弟。きょうだい。 やめろ、と言いかけた喉が乾き、掠れる。やめてくれ、もう。 昔話にかこつけてこれ以上自分を追い詰めるな。剣城京介を暴こうとする な。
「少年の弟と両親は目の前で死んだ。それは不可避の災害のせいだったけれ ど、生き残った少年は自分を責め続けた。“どうして自分が生き残った?”」
『どうして僕が無事だったの』
「“どうして自分よりずっとサッカーが上手くて、強かった弟が死ななくち ゃならなかった?”」
『どうして、僕よりずっとサッカーが上手い兄ちゃんの足が、動かなくなら なきゃならなかったの?』
「“自分さえいなければ良かったのに”」
『僕さえいなければ良かったのに』
「少年はその果てに心を病み、自分の中に弟の人格を作り出した。自分が弟 になろうとしたんだ。でも…生きた人間が死者になれる筈はない。…何より 少年は他の誰の代わりでもない」
お前は、優一の代わりにはなれない。そう断言された気がして、目の前が 真っ暗になった。違う。自分はそんな、そんなつもりでは。
「…何が言いたいんだよ、アンタ」
頭が痛い。心臓が痛い。気がつけば、京介は怒鳴っていた。
「そうやって人揺さぶって追い詰めて!一体何のつもりだ、何がしたいん だ!!」
兄との事は円堂も知らない筈だ。なのに、さっきから不愉快でたまらない。 まるで当てつけだ。お前なんぞそいつらに比べたら幸せなんだとでも言いた いのか。
「…剣城」
やがて円堂は口を開く。
「俺はお前が、何故そこまで苦しんでるか分からない。俺の仲間達がそうだ ったように、お前も地獄を見たんだろう」
でもな、と彼は微笑んだ。 「これだけは知ってる。あいつらが自分のサッカーを取り戻せて笑えるよう になった事。…お前にだってそれが出来るって事」 「……!」 「忘れるな」 円堂はぽん、と京介の頭を撫で、保健室を出て行った。
「助けてって、言っていいんだ。お前にも幸せになる資格はあるんだから」
呆然と。京介はその背中を見送った。どうして視界が滲むのだろう。 助けてやる。もしかしたら生まれて初めて、誰かにそう言われたのかもし れなかった。
なかない君と 嘆きの幻想。
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どうすれば、上手に泣けるの。
イナGO。剣城が可愛すぎてつい書いてしまいました。
イナGOがこども向けアニメでなかったらきっと剣城は制裁食らってボロボロになってたでしょう。
剣城を最終的に救い出すのは、円堂だったらいいなと思ってたんですよね。天馬はちょっと綺麗すぎて難しい気がする…。
稲妻は上手に泣けない子が多すぎて切ないです。円堂の例に出た鬼道、ヒロト、吹雪もそうですしね。