『恨めども、血に飢えること久しく、嗚呼』
 
 
 
 
 
 
 
クダリテ・クダリヤ
 
 
 
 
 
 
 
 それは帝国学園が地区大会決勝で雷門と再戦する少し前。
 お前になんとなく似てるから買ってみたんだ。祖父はそう言って、その人
形を佐久間に渡した。眼帯をつけた、銀色の長い髪の和服を着た小さな人形。
確かに佐久間に似ているといえば似ている。しかし、佐久間はそれがどうし
ても好きにはなれなかった。
 強いて言うなら−−気味が悪かったのである。最初に見た瞬間から何だか
気持ちが悪かった。血のにおいがする気さえした。こんな事を言ったら買っ
てくれた祖父に悪いとは思うのだけど。
 帝国学園の寮。人形は結局、一度見ただけで箱に仕舞われ、引き出しの中
に入れられた。仲間達に見せたいものでもない。女の子趣味だとからかわれ
るのも、呪いでもかかってるんじゃねぇのと笑われるのもごめんだ。殊に仲
間達の多くが怪談好きと来ている。
 しかし。まだ皆に認知させておけば、怖い思いをせずに済んだのかもしれ
なかった。佐久間はその晩酷い夢を見る羽目になる。しかも、単なる夢では
終わらなかったのだ。
 
 
 
 ***
 
 
 
 最初。そこが夢の世界だとは分からなかった。それくらいリアリティがあ
ったのである。夕方だ。田舎の農村、だろうか。神社のような古い縁側に、
佐久間は友人と並んで座っていた。友人の顔は源田にそっくりで、最初は彼
本人かと思ったものである。しかしどこか、違和感があった。それはすぐに
知れる。
 
「具合はどうだ?」
 
 尋ねてくる『源田』は、煌びやかな着物を着た−−少女だった。つまりは
恐ろしいほどよく似た別人だ。着物のあわせめから豊満な胸の谷間が覗くの
で、少々目のやり場に困る。
 そして『佐久間』も。別人の姿になっていた。自分もどうやら女の子にな
っているらしい。『源田』とは色が違うがやはり豪華な着物を身に纏ってい
る。どうやらかなりのお金持ち設定と見た。
「悪くないな。まあ、悪阻は個人差があるって聖母様も仰ってたし」
「それはそうだけど。万が一にも流れてしまったら大変だ。気をつけないと
な」
「まあね」
 佐久間の意志とは関係なく、『佐久間』は勝手に喋る。二人とも若い娘−
−十四かそこらに見えるが、結婚しているのだろうか。これがいつの時代設
定かも分からないが、どうやら二人とも妊娠しているらしい。よく見れば『源
田』も『佐久間』もお腹が少し膨らんでいる。現実では男である身としては、
なんだか不思議な気分だ。
 
「神降ろしの本領はこれからだ。最初の儀式は終わってちゃんと妊娠できた
けど…子供が生まれるまで安心出来ないんだから」
 
 よいしょ、と『源田』が立ち上がる。
 
「二人とも、ちゃんと『御子』を産めるといいな。そうしたら聖母様も宮司
の皆様も喜んで下さる筈だ」
 
 彼女は笑顔だったが−−何やら話の内容が怪しい。儀式で妊娠するとか。
御子だとか聖母だとか宮司だとか。無宗教の身からすればどうしても胡散臭
いようにしか聞こえない。新手の新興宗教か何かだろうか。
 しかし彼女も『佐久間』も、それを当たり前のように信じているらしかっ
た。佐久間の意志に反して『佐久間』が喋る。
 
「そうだな。『御子』として生まれ事が幸せなんだ。ちゃんとご飯も食べれ
て、あったかい布団で寝れるんだもんな」
 
 お腹を庇いながら、二人の少女達は手を繋いで歩いていく。かなり仲が良
いらしい。木立の向こうから、子供達の声がした。
 
「おーい!×××!お前らも来いよー!」
 
 
 
 ***
 
 
 
 突然、場面が切り替わった。夜。あたりは暗く、あちこちに松明の火が燃
えている。どこかの広場だろうか。たくさんの人が集まっていた。
 そして佐久間は。
 
−−な…何だこれ…!?
 
 佐久間−−否、佐久間が成り代わっている少女は。体を拘束され、十字架
に貼り付けられていた。身動きがまったくとれない−−だけではない。手が、
足が、物凄く痛い。辛うじて動く首で確認して、愕然とさせられた。掌に、
腕に、足首に、太ももに、大きな杭を打たれている。肉を裂き、骨を砕く凶
器が。だらだらと流れるのは、生ぬるい血。
 どうやら前の場面よりかなり時が経っているらしい。『佐久間』の腹は大
きく膨れ上がっていた。よくは知らないが臨月が近いのではないだろうか。
その腹の重さに引っ張られ、杭を打たれた手にさらに負担がかかる。傷が広
がり、さらなる苦痛に呻く。夢だと分かっているのに−−この痛みは一体何
なのか。
 
「静まれ、皆の衆!」
 
 張り付けにされた自分のすぐ隣。白装束の男が叫び、鐘を叩いた。
「今よりこの者の神裁きを行う!この者は神継教の掟を破り、聖母様への謀
反を企てた大罪人である!」
「違うっ!」
 『佐久間』は悲痛な声を上げた。
 
「謀反だなんてとんでもない…っ掟破りなんかしてない!お願い、助けて
っ!」
 
 しかし、民衆も白装束の男もそれに答えることはなかった。『佐久間』は
民衆の中に、見知った顔を見つける。あの『源田』によく似た少女だ。大き
くなったお腹を抱え、彼女は真っ青な顔で張り付けられた『佐久間』を見上
げていた。
 
「ひっ…!」
 
 ぎしり、と床が鳴った。別の男が近付いてくる。その手には大きな肉切り
包丁が。『佐久間』の頬を冷たい汗が流れる。手足を襲う激痛を忘れかける
ほどの、恐怖。
 
「や…やめて…それだけは…それだけはぁっ!」
 
 男が包丁を、『佐久間』の膨れ上がった腹の下に当てた。何をする気か、
分かってしまった。まさかこいつらは、このまま。
 
 
 
「裁かれよ」
 
 
 
 刃が、下腹部に食い込み−−そのまま上の方まで駆け上がった。
 
 
 
「ぎゃああああああああっ!」
 
 
 
 絶叫。大きく切り裂かれた腹から吹き上がる鮮血。想像を絶する痛み。し
かし男は容赦なく、少女の切り裂かれた腹に手を突っ込んだ。ぶちぶちぶち、
と音がする。ごぽごぽと唇から血泡が零れた。男は胎児と一緒に、『佐久間』
の腸の一部まで引き抜いていった。
 
「い、や…いやぁ…」
 
 こんなに痛いのに、まだ意識がある。だらりと垂れ下がった内臓、ぼとぼ
とと落ちた肉片。その向こうで、男が未成熟な胎児を乱雑に握りしめている。
 
「かえ、して…その子を…」
 
 息も絶え絶えに言う。しかし男は無情にその胎児を床に叩きつけ−−踏み
つけた。ぶちゅり、と。命が潰れる音が、聴覚に。
 
「あ…ぁぁ…」
 
 目の前が真っ暗になる刹那。目に入った『源田』の姿に、言い知れぬ怒り
がこみ上げた。
 
 お前は何故そこにいる。何故私を助けない。
 私の子は殺された。産まれる前に腹から引きずり出されて潰された。なの
に何故お前は子を産み育てることが赦されるのか。
 
 ナゼ ワレダケガ コンナメニ。
 
「あああああっ…!」
 
 ぐしゃりと音がして、視界が塗りつぶされた。それは、文字通り『佐久間』
の眼が杭で潰された音だった。
 
 
 
 ***
 
 
 
 声にならない声を上げて眼を開ける佐久間。今は夢か、現実か。体中にび
っしょり汗をかいている。自分が寝ているのは見慣れた寮の部屋。見慣れた
ベッドの上。体はちゃんと、男である自分の体だ。しかし、佐久間は思った。
自分はまだ悪夢の中にいる、そうに違いない−−と。
 何故ならば。
 佐久間の顔をじっ−−と髪の長い女が覗きこんでいたのだから。女は着物
姿で、佐久間によく似た容姿をしていた。二段ベットの枕元に立ってるのが
まず有り得ないのに、その姿はグロテスク極まりない有様だった。
 片目は潰され、顔の半分は血にまみれ。両手両足には杭を打たれ、腹は割
れたトマトのようにパックリと切り裂かれ−−はみ出した臓物が、揺れてい
た。
 
「−−−ッ!」
 
 絶叫が、声にならない。吐き気がしそうなほどの血と腐臭。女が口を開く。
 
『ナゼ 我ダケが、こノようナ目ニ』
 
 ひび割れた声が、恐怖と共に佐久間の脳に響く。
 
『嫌ダ。赦さレるモのか』
 
 ぼたぼたと血が滴る。佐久間は完全に金縛りに遭っていた。怖い、という
言葉さえ浮かんでこない。ただただ逃げ出したくて仕方ない。
 コイツは、ヤバい。
 
『お前ラも、同ジ目ニ…』
 
 そして、佐久間は。
 
 
 
 ***
 
 
 
 翌日。帝国の宿舎は大騒ぎになった。寮生達は幾度となく同じ話題を繰り
返したことだろう。サッカー部二年の佐久間と源田の部屋を見たか?凄いこ
とになってるぞ−−と。
 結果を言えば、とりあえず佐久間は助かったのである。ただし、悪夢が終
わったわけではない。翌朝真っ青な顔の源田に叩き起こされた佐久間が見た
のは、天井も壁も血まみれになった部屋の惨状だったのだ。
 一体誰の血かは分からないが。何処から来たかはすぐ分かった。引き出し
の中にしまっておいた筈の人形が、箪笥の上に座っていて。その片目は抉ら
れ、腹が大きく切り裂かれ−−血で真っ赤に染まっていたのだ。
 
「佐久間。お前、何かに取り憑かれてないか」
 
 騒ぎを耳にするより先に。佐久間の顔を見た鬼道が真っ先に言った。
 
「血の臭いと…あと錆びた杭か…ハンマーか…とにかく鉄の臭いが酷いぞ」
 
 鬼道には魔術の才があった。あの当時は全く気がついていなかったが、彼
には元々呪術や魔術の匂いを本能的に嗅ぎとる力があったのだろう。あるい
は人ならざるモノが見えたのかもしれない。
 そして魔術師と言えば、もう一人。
 
「何処でそんな曰く付きの代物を拾ったか知らんが…傍迷惑な話だ」
 
 人形を見た影山は不快そうに眉をひそめ、自分達に指示を出した。
 
「人形の腹に杭を打って燃やせ。ただし、佐久間と源田。お前達二人だけで
やれ」
 
 元々素質があった上、アルルネシアの助言を得て絶望の魔術師として覚醒
していた影山。彼自身の肉体は人間でもその力は本物だったのだろう。きっ
と自分達には見えない、何かが見えたのだ。
 佐久間と源田は言われた通りにした。するとその途端、部屋にブチまけら
れていた血が跡形もなく消えたのである。匂いさえ残らなかった。
 祖父に確認したところ。人間が売られていたのは骨董店。店の主人いわく、
かつて日本領にあったライオコット島に住んでいたある若い娘の遺品だそ
うだ。娘が若くして死んだこと、島には当時天使と悪魔にまつわる不思議な
宗教があったことが分かっている。
 しかし、そこまでだ。娘が死んだ昭和五十八年当時、島は閉塞的で本国と
交流は殆どなかった。島の農村から人が消えた原因も分からずじまいだとい
う。だが独特の文化から数多くの名品が残されており、その一部が件の人形
のように世に出回っているのだそうだ。
 調査したところ、数年前同じ人形を手にした女子高生が変死していた。も
し人形を焼かなければ佐久間も同じ運命を辿っていたかもしれない。
 島に伝わっていたとんでもない教えの片鱗。持ち主の彼女は、自らの死を
佐久間に疑似体験させることで、理不尽さを訴えようとしかたのか。だがそ
れだけならば何故、彼女達の容姿が佐久間と源田に似ていたのだろう。
 それは自分達がまだ地獄も魔女の存在も知らなかった頃の話。
 真実を知るのは、もう少し後のことである。
 
 
 
FIN.
 

 

「いとかなし、いとうらめし」