――終わりはハジマリ、始まりはオワリ。 鬼の子達は挽歌を謳う。 <中編> 呼び出しを受けて、バダップはまたテントを出ていった。去り際の背中にさりげなくミストレは眼を向けて、小さな罪悪感に見舞わ れる。 自分達は、本来ならばまだ充分子供と呼べる年だ。バダップを呼びに来た大人の兵士と比べれば一目瞭然である。兵士の巨躯 と厚い胸板、鍛え抜かれた二の腕に比べて、バダップの身体のなんと華奢な 事だろう。自分やエスカバを並べても同じ事が言えるだろうが。 小さな背丈。 細い肩。 折れそうな首に手足。 けして広いとは言えない、痩せた背中。にも関わらず、強烈な生と死の狭間に放り出されている自分達。特に小隊 長として、バダップの負担は計り知れない。無論自分達も支えているつもり だが、フォローには限界があるのだ。いつか潰れてしまうかもしれない。それなのに、凛と背筋を伸ばして戦い 続けるその理由。 彼はそれを、世界を変える為だと言い切った。なんて強いのだろう。一瞬強烈な嫉妬を抱き、それはすぐに眩しいばかり の羨望に塗りつぶされ、やがて誇らしさへと変わる。ミストレにとってバダ ップはそんな存在だった。その才能と強さは妬ましいけれど、それ以上に惹 きつけられて離れない。そんな彼が隊長である事に優越感さえ抱くのだ。−−今はまだ…二番でいいよ。一番でありたい。バダップを追い越したい。その願望はありながらも、ミ ストレは思うのである。−−君に続く二番なら…悪くない。エスカバはどうなのかな、と思って彼を見る。自分とエスカバがバダップ に向ける感情は、同じ尊敬でもきっと違う。少なくとも彼はバダップに対し、劣等感の類は抱いていない筈だ。彼はも はやバダップを自らに対する比較対象から完全に外しているようだから。「よぉ、お前ら」「あ」バダップと半ば入れ違いにテントに入ってきたのは、ジョーンズ=ブラッ ク曹長。健康的に焼けた肌と細身ながら鍛え抜かれた筋肉、見上げる長身に、 スポーツマンのような爽やかな顔立ち。自分達より七つばかり年上の兵士だ った。彼は長年、ダイル中将の下につきながらも生き残ってきたツワモノであ り。気さくで年下や後輩にも偉ぶらないところから、皆の兄貴分として人気 のある人物だった。「今日も今日とて散々だったよなーごくろーさん。仮眠とれって言われてね ぇの?」「残念だがジョーンズ、俺達にはまだ書類という名の敵が残ってるんだ」「わお、掃討作戦中だったか。こりゃ失敬」明るい笑顔で軽口を飛ばすジョーンズ。しかし頭と腕には生々しく包帯が 巻かれている。彼は今日罠にかけられたB小隊メンバーの一人だった。地雷を踏んだ兵士 からは離れた場所にいたため、爆風に飛ばされただけで済んだのである。小 隊がほぼ壊滅した中、この程度の傷で済んだのは奇跡だっただろう。だが−−重要なのは身体の傷では無い筈だ。彼もまた歴戦の兵士。何度も 戦場を生き抜いてきているに違いないが、それでも。「…大丈夫?」仲間が目の前で血と肉の塊になった。内臓を撒き散らしながら吹っ飛ん だ。その光景を間近で見て、トラウマにならない筈がない−−恐怖でなかっ た筈がない。 それがどれだけ珍しくない光景だとしても。「何、ミストレちゃん心配してくれんの?やっさしー!」 ニッカリとジョーンズは笑う。「ダイジョーブダイジョーブ!ジョーンズさんってば頑丈と絶倫がトリエ なんです。オッケィ?」「十四歳相手に自主規制単語使うなってば」「あれまごめん遊ばせ、君たちがまだお子様だってこと、お兄さん忘れてた わー」「こっちこそ、ジョーンズさんがいい年の大人だって忘れかけてたよーあは は」「ミストレちゃん、笑顔が眩しすぎてこぁいよーう」大丈夫って尋ねた本当の意味が、分からなかったわけではなかっただろう に。きっと本当は−−大丈夫などでは無かったのだろう。それでも笑っている のだ。絶望を、吹き飛ばそうとするかのように。「そーいや司令部、すんげー揉めてたのね。ダイル中将マジギレしてたし」ジョーンズが妙に早口でハイテンションなのもそのせいだろう。スラング で怒鳴りまくってたぜ、と身振り手振りで力説する。「うわ、立ち聞きしたのかジョーンズ」「違うわよ!…あんなに騒いでちゃ通りかかっただけで丸聞こえだっつの」「そのままドアの前で話聞いてたんなら充分に立ち聞きだと思うよ?」しかしそんな修羅場だったのか。ミストレは、バダップの疲れきった顔を 思い出す。「確かにダイル中将の作戦は無茶だったけどよ。バダップの奴も流し方ヘッ タクソだよなぁ〜。会議長引かせたの、半分はあいつのせいじゃね?」 ミストレは思わず顔をしかめる。ジョーンズの事は嫌いじゃない。寧ろオーガ以外の兵の中では好きに分類 される、数少ない人間だ。 だが一つだけ不愉快な事があった。 彼はバダップを嫌っていた。それも、もの凄く。「やめてよ、そういう言い方。一応オレ達の隊長なんだから」「一応、だろ。…能力からすればミストレ、お前のがよっぽど器だと思うぜ。 ヒビキ提督もなんであんな奴を過大評価すんだか」 言葉の端々から滲み出す毒。一体何が理由なのだろう。「何でそんなにバダップを嫌うんだよ、ジョーンズは」見かねてエスカバが尋ねる。図らずもミストレの意を代弁するかのよう に。「だって、ムカつくじゃねぇか。てめぇが一番で当たり前、贔屓されて当た り前って顔しやがって」本気で嫌いなのだろう。さっきまでの明朗さから一転、唾を吐かんばかり に罵倒するジョーンズ。「特にあのすましたお綺麗なツラ!滅茶苦茶にしてやりたくなるな。あいつ を跪かせて泣きわめかせたら、どんだけスカッとするかって思うぜ!」「だから!やめてってば!!」 「おーおーやめるやめる。奴の話なんかしてたら益々気分悪くなるだけだも んなぁ」バダップの悪口を言った事に対し、謝りもしない。ミストレは頭が痛くな ってため息をついた。これさえなければ、人当たりの良い好青年で通るとい うのに。「俺ぁそろそろ寝るわ。聞いた話じゃ、明日朝一で前線に放り出される事は なさそーだしな。ぶっちゃけ疲れた。マジ疲れた」やや不機嫌そうにがしがし頭を掻くジョーンズ。機嫌が悪くさせられたの はこっちだと言いたいが、前線帰りで負傷している彼にそう言うほど鬼では ない。お疲れ様、と声をかければ、彼は手を上げてテントを出て行った。愚痴と ほんの少し気を紛らわせたい、ただそれだけの用件だったのだろう。常にストレスが溜まっていて、はけ口を探している。それは此処にいる全 員が同じだった。中には既にセルショックから始まるPTSDで錯乱状態になる負傷兵もいる。彼らに比べれば自分達はマシなのだ。そう思うしかない。「荒れてんな、ジョーンズも」「うん」 残った珈琲を飲み干して言うエスカバに、ミストレも同意する。ジョーンズは確かにバダップを嫌っている。だがオーガ小隊に属する自分 達の前で、長々と愚痴を言う事は滅多にない。それぐらいの配慮はできる男 だ。 それが−−あんな言い方しか出来ないとなれば。「何にも起きなきゃいいけど…な」エスカバの呟きに、ミストレは何も言えなかった。彼が何を危惧している かは明白だったから。高ストレス状態の集団は、ちょっとしたきっかけで瓦解しやすい。戦場な ら尚更で、それが仲間内の暴動や暴力に繋がる事もある。そんな場合でない と誰もが分かっていながら、感情が理性を超越してしまう瞬間もあるのだ。「杞憂であれと、願うよ」いつまでも、どうにもならない悩みで立ち止まっている訳にはいかなかっ た。今前線は安定しているが、それでもいつ何が起こるか分からないのが戦 場だ。夜中にベースに奇襲をかけられて壊滅した話など腐るほどある。そして自分達は悲しいかな、まだまだ裏方仕事も残っている訳で。ある程 度の緊張感を保ちながら、そちらを片付けなければならない。既に正式なフォーマットになってない紙面に目を通し、ミストレは深くた め息をついた。「あと五日…か」補給が滞っている。陸路を完全に抑えられてしまったのが最大の原因だ。 食糧はまだなんとかなるが(皮肉にも大量に死者が出て必要量が激減した結 果だった)、薬はそうもいかない。このままの状態が続くと、早ければ最悪 あと五日で尽きるとの予想だ。そしてそれもこの戦闘の前の見解である。地雷で手足を吹っ飛ばされた兵 士達に、殊に鎮痛剤を大量に使ってしまっている。もう一度在庫整理をしな ければなるまい。「…救護所、行ってくる。エスカバは無線の方見てきてよ」「りょーかい」お互い大変だねぇ、とエスカバが笑う。明らかに疲れを隠そうとして失敗 した笑み。自分もきっと似たような顔をしている事だろう。「本当に、ね」 何も起こらなければ、いい。否、頼むからこれ以上何も起こらないでくれ。ミストレはそう願っていた。残念ながらその危惧はあっさり的中する事に なるのだけれど。書類やらなんやらを片付け、ミストレが漸くベッドに入れてから三時間 後。知らせを受けたサンダユウが血相を変えて自分を叩き起こしに来た。「ミストレ!ミストレーネ!起きてくれ、大変だ!!」 「んー…」敵襲があれば自力で跳ね起きる自信がある。だが、私生活においてミスト レの寝起きは最悪であり、朝は壊滅的に弱かった。いつも本来の起床時間の 三十分前から、五分刻みでアラームを鳴らし続けるほどには。戦場ではさすがにそこまでヒドくはないが−−不機嫌である事に違いは ない。それをよく知るサンダユウは一瞬怯んで、しかしすぐ体制を立て直し た。「眠いのは分かる!非常によく分かる。だがしかし起きてくれ頼むから!」「うん、分かった。…とりあえず落ち着いて話そうか」女性だったなら金切り声になっていただろうサンダユウの有様に、煩い黙 れと怒鳴る気も失せる。それに本当に異常事態なら此処で彼と揉めているだ け命取りであり時間の無駄なのだ。何があったというのか。前線の音はしない。となればとりあえず敵襲では なさそうだが−−。「バダップが昨日出てってからいつまでも戻って来ないからよ…司令室に 様子見に行ったんだ。そしたら…」ミストレの眼は完全に覚めた。ベッドから飛び降り、サンダユウを押しの けんばかりの勢いで外に飛び出す。すぐそこで、ジニスキーに連れられたエ スカバとぶつかりそうになった。誰の顔も真っ青だ。『何にも起きなきゃいいけど…な』昨夜のエスカバの声が蘇る。それは恐れていた事の前兆だったのかもしれ ない。異変に気付いたのはまだ自分達だけだ。だから激しく足音を立てる訳には いかない。静かに走り、司令部に近づく。匂いがした。強烈な鉄−−生と死 の狭間にいる者ならば誰もが悲しいほど慣れ親しんだ匂いが。「バダップ!」 その名を呼びながら飛び込んだ。真っ赤に染まった景色の中へ。 NEXT |
飛べない、カナリア。