――そして全ては、未来へと。
鬼の子達は挽歌を謳う。 <後編>
綺麗、と。最初に思ってしまった己を人として、軍人として恥じるべきだ ろうか。エスカバはしばしその場に立ち尽くした。真っ赤な景色の中に立つ バダップの姿は美しく、幻想的ですらあったから。 司令室は血の海だった。筋骨隆々とした二の腕が机の下から突き出してい る。その横には髭面の大男の醜悪な死に顔があった。目玉をひっくり返し、 舌を突き出し、泡を吹き。割れた頭から脳味噌がはみ出している。 床に“転がって”いるのは見知った顔ばかりだ。一つ二つ三つ四つ−−死 体の数を数えているうちに気付く。殆どが司令官、もしくはその取り巻きば かりだという事に。 中にはあのダイル中将の遺体もあった。生前と違わず、でっぷりした腹の 中身をぶちまけた醜悪な死に様を晒している。 死体はどれも血と汚物にまみれた汚らしい有様であったが、だからこそバ ダップの姿に美を感じたのかもしれなかった。髪に、肌に、軍服に。血を浴 びた彼はただ呆然と、悄然とその場に立ち続けていた。 その手には彼の愛銃−−ヘル・ブレイズX型が。
「バダップ…何が、何があった?」
ここは自分が落ち着かなければ。そう思って尋ねたものの、声は情けない ほど震えていた。 この状況。どう見てもそうとしか思えないこの有様。もし本当に見たまま が真実ならば−−軍法会議、では済まされないのではないか。 だが動機が分からない。自分がバダップを見送ってから数時間−−その間 に一体何があった。
「…上官の」
バダップはどこかぼんやりとした口調で、それを口にした。
「上官の戦場における死亡原因の半分は…部下に殺されたもの、らしいな」
それは。それはつまり。 エスカバが糾弾するより前に、バダップが何かを投げてよこした。反射的 にキャッチして目を見開く。それは旧型のレコーダーだった。
「こうなる可能性が予想できなかったわけじゃない。だから万が一の時の為 に…ポケットに入れておいたんだ。聞けば、分かる」
その中に証拠がある。そういう事だろう。 遺体をさりげなく検分していたミストレが小さく悲鳴を上げて名を呼ん だ。ジョーンズ、と。
「まさか…!?」
司令官達の遺体に混じって−−ジョーンズ=ブラック曹長の遺体があっ た。心臓に一発の銃痕。即死だったろう。他のひひじじい共と比べればまだ 綺麗な死体だったが。
「ジョーンズが」
自分達の疑問に答えようとするかのようにバダップが告げる。
「ジョーンズ曹長が俺を嫌っているのは知っていた。何故嫌われているかは 分からなかったが。…俺の方は…彼の能力は高く評価していたつもりだっ た。銃火器と無線機の扱いに優れ、人望もある男だ…と」
だが、と彼は続けた。
「こればかりは…予想出来なかった」
エスカバは気付く。バダップの軍服の胸ボタンの上幾つかが弾け飛び、な くなっている事に。布地も破れかけている。そのせいでやや胸元をはだける 形となり、いつもかっちりと着込む彼らしからぬだらしない様となってしま っている。 まるで無理矢理服を破られたみたいだ−−と、そこで漸く思い至った。変 態で有名だったダイル中将。その取り巻き。そしてバダップを心底嫌ってい たジョーンズ−−。
「…嘘、だよな?」
思わず口をついて出た言葉に、エスカバは自ら失望した。 何を否定しようというのか。確かに、ダイル達だけが死んでいたのならこ んなに動揺する事も無かった。事実を受け入れる事は難しく無かっただろ う。ただ。ジョーンズがそこにいさえしなければ。 彼がまさか−−いくらバダップを憎んでいるからといって、そこまでする のだろうか。あの気さくで仲間思いの男が。確かに彼はダイルの部下であり、 権力に逆らえなかった可能性はあるにしても−−。 いや。分かっているのだ、本当は。 もし彼の罪を認めなければ、バダップは罪もない彼らを大量虐殺したおぞ ましい悪魔である事になってしまう。地獄の射手と恐れられるバダップは、 本来ならば他者を傷つける行為を良しとしない、物静かで心優しい青年だ。 ただ不器用なだけなのだ。彼を隊長と仰ぎ、間近で見てきた自分達が誰より それを知っているというのに。
「…昨日。バダップが司令部に呼び出されたのは…こういう目的だったって こと?」
ミストレがぽつり、と呟く。握りしめたその手が震えている。
「確かに…うちの軍に慰安婦なんかいないしさ。こんな状況で…ストレス貯 めて暴走寸前な輩はいっぱいいただろうけど」
激しい声ではない。小さく、儚いその声には、飽和しそうなほどの感情が 溢れている。悲しみ。やりきれなさ。怒り。苦しみ。 「だからって…バダップが邪魔だからって。この人数でよってたかって…バ ダップに酷い真似、しようとしたってこと…?」 「どうだろうな」 そこで漸く、黙っていたバダップが口を開いた。 「俺はそう判断したが…違ったかもしれないな。殴られたわけじゃない。押 さえつけられて服を破られた時点で銃を抜いてしまったから」 「…間違ってないと思うよ、それ」 多分。バダップが認識できない分まで、ミストレは傷ついたのだろう。 その実彼はバダップ以上に似たような目に遭ってきた人間だ。先のダイル 中将に襲われかけた件も然り。 だがミストレは自らへの暴力を怒りと感じても、傷つく事はない人間だっ た。腹が立つものは全部殴って黙らせればいい。それができないなら別の方 法で報復してやればいい。それくらい彼の気性は荒く、見た目に反し男らし く勇ましかったのである。 だが。ミストレは自ら以外への暴力を−−怒りだけで受け流す術を知らな い。それが出来ない。まるで自らが受けたかのように傷つき、痛みを受け取 ってしまう。 彼の毒舌は自らを守る盾だった。要らない人間が安易に近寄って来れない ように防ぐ為のものだった。近付く事を許してしまえば、その存在の数だけ 痛みを受け取ってしまう自らの甘さを−−優しさを知っていたからだ。 自分はバダップが大好きだ。同じようにミストレの事も大好きだ。彼らを 同じチームの仲間として、親友として心から愛している。その気持ちに嘘偽 りはない。 でも。こんな時、自分は絶望的な無力感と疎外感に苛まれるのである。 怖かった筈だ。悲しかった筈だ。にも関わらず自らの痛みにさえ気付く事 ができないほど、心を凍り付かせてしまっているバダップと。それを理解し て、彼を想うがあまりに自らの胸に深い深い傷を刻んでしまうミストレ。 自分は彼らに対して、何もできやしない。ただ一つ出来ることがあるとす れば−−ただ傍にいることだけ。
「…辛かったな」
左手にバダップを、右手にミストレを引き寄せ、二人の肩を抱いて言う。
「…バダップ、ありがとうね」
エスカバに抱き寄せられたまま、俯いたミストレが言う。
「怖くて、嫌なの。我慢しないでくれて、ありがとう。ジョーンズには悪い けど自業自得だ。辛いのに…殺してくれて、ありがとう」
これ以上傷つかないでくれて、ありがとう。そう告げるミストレの言葉は 重く、血塗れた室内を満たした。それはある者が聞けば憤慨する言葉だった に違いない。しかし今の自分達には、それが全てだった。
「無事で……良かった」
室内に転がる死体の数は、八人。全員が何らかの武器を携帯している。状 況が状況なのだから当然だ。 それをバダップは一丁の銃だけで、無傷で纖滅してみせた。ヘル・ガンナ ーと呼ばれるほどのバダップの実力。普通の人間として生きていたならば必 要なく、身につく事もなかっただろう人殺しの技術が彼を救ったのである。 変えなければ。 エスカバは今、強く思っていた。 変えなければならない。まだ幼い者達が手に手に銃を握り、人を殺す為に 戦場へ踊り出すようなこんな世界を。バダップに、ミストレに、こんな想い をさせるような残酷な世界を。
『血で血を洗い流し、誰かの正義を踏みにじり、偽善を貫き通すのだ。…い つかこんな事をしなくても済む日が来るように』
「バダップ。ミストレ」
エスカバは呼ぶ。抱き寄せた二人の仲間を。
「サンダユウ。ジニスキー」
全てのなりゆきを見ていた二人の同胞を。
「変えようぜ…世界を。俺達の手で、必ず」
もう誰も傷つかなくてすむように。 涙にならない涙を枯らす日々が、終わるように。 幸せに、なれるように。
「無論、だ」
バダップが顔を上げる。醜い者達の血に濡れているというのに、凛とした その顔は美しかった。 「だから俺達は、此処にいる」 「…そうだな」 もう大丈夫だ。そう判断して、エスカバは二人から身体を離した。 まだ事態に気付いているのは自分達だけ。だが、全てを正直に離す他ない だろう。幸い物理的証拠がある。過剰防衛とされる可能性はあるが、軍法会 議にかけられてもそう重い罪にはならないだろう。 エスカバは退出する前に、一度だけジョーンズの遺体を振り返った。
−−残念だぜ…ジョーンズ。
オーガの皆ほどではないけれど。それなりに好きだった青年に、小さく別 れを告げる。
−−バダップに…あんた自身の感情に。もうちょい真正面から向き合ってり ゃ、こんな事にはならなかっただろうに。
ほんの小さな黒い感情が。きっかけが。全てを奪い、そして根こそぎ壊し ていく。
「本当の仲間になれたのかもな。あんたにも…戦う勇気があったなら」
全てはもう、何もかも遅い仮定。 だからこそ自分達は前に進み続けなければならないのだ。 失われた全てを、無駄にしない為にも。
これは、チーム・オーガが、オペレーション・サンダーブレイクに参加す る少し前の物語。 暴行されされそうになり、やむなく殺害したという事で、バダップの罪は 殆ど問われなかった。そういう場所だった。誰が死に誰が殺され、それが無 視される事も厭わない場所に彼らはいた。 その任務において。司令部が壊滅し。ダイル中将が殉職し。残った数名の 上官が指揮を引き継いだが、実質的に軍を動かして作戦を立てたのはバダッ プとオーガ小隊の者達だった。 彼らは明らかに不利だった戦局をあっという間に覆し、テロリスト達を掃 討してみせた。後に国の歴史に残るほどの大勝利であったという。
世界を、変えたい。
少年達は強く願い、傷つきながら戦い続けた。そして方向性は違えど同じ 願いを持っていたヒビキ提督に見初められ、あのオペレーション・サンダー ブレイクの主軸に任命されるのである。 その先に待つものが悲劇か喜劇か。ハッピーエンドかバッドエンドかは誰 にも分からない。無論、彼らが幸せであったかどうかなど彼ら自身以外に分 かろう筈もない。 だが結果として鬼の子達は巡り合い、気付くのである。自分達は挽歌ばか りなく、希望の歌を謡う事もまた出来るのだと。
『サッカー、やろうぜ!』
世界は動く。願いの導く方向へと変わっていく。 戦う勇気を知った者達の手によって。
FIN.
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葬送、開始。
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思いつきで書いてしまった中編でしたが、いかがでしたでしょうか。
再三言うようですが煌、軍知識皆無であります。「絶対ありえねぇ」と思った方すみません。
あくまでフィクションであり、オーガ三人の心情メインという事でご容赦くださいませ…!
(それにしてもサンダユウとジニスキーが空気すぎる。喋らせる隙がなかった…ごめんよ!)
哀しく、地獄のような世界を生きてきたからこそ。彼らにしか見えない未来があり、現実がある。
少しでもそんな彼らの決意を伝え…たかったんだけど文章力不足が致命的ですぜ煌さんよ。