緑川リュウジという人間のキオク。傷だらけで、壊れかけた歴史。
 何の為に生まれてきたのか。何の為に今生きているのか。ずっと考え続け
てきた。答えが見つからないままに。
 お日様園にいる子供達は皆訳ありだが、中でも緑川は面倒なケースだった
だろう。親に虐待されて保護された子供。警察が来なければ自分は恐らくと
うにこの世にいなかっただろう。殴られ、突き飛ばされ、肋骨と頭蓋骨を砕
かれて生死の境をさ迷ったあの日。病院で目覚めたリュウジはひたすら絶望
したものだ。
 また死ねなかった。まだ痛い思いをしなくちゃいけないんだ、と。
 でも一番痛かったのは両親のあの眼だ。酒と煙草だけじゃない、クスリま
で手を出していた二人はいつも眼を血走らせていた。自分を憎悪の眼でしか
見なかった。自分が悪い子だから蔑まれる。でもどうすればいいか分からな
い。幼い緑川にできたのは、ただ謝り続けることだけだった。
 
 生まれてきてごめんなさい。
 役立たずでごめんなさい。
 要らない子でごめんなさい。
 生きていて、ごめんなさい。
 
 一万回謝って駄目なら百万回。そうすればきっと届くと信じていた。信じ
ていながらめ疲れきっていた。自分が死んで両親が笑ってくれるなら、それ
でもいいと思っていた。
 結局その願いは叶わないまま。両親は傷害と覚醒剤取締法違反で逮捕され
た。ああ、最終的には傷害じゃなくて殺人未遂に切り替わったのだったか。
もはや両親は世間にも悪意を隠しはしなかった。彼らはとうに、緑川の存在
も現実の世界も見えてはいなかったのだ。
 お日様園に来て。毎日見えない何かに怯えていた自分を救ってくれたの
は、血の繋がらない父と、同じように身よりのない仲間達だった。特に治と
ヒロトには本当に世話になった。自分の今の人格は彼らが形成してくれたよ
うなものだ。
 幸せは長くは続かない。お日様園はエイリア学園になり、まるで誘われる
ように父はエイリア石の魔力に溺れていった。自分達は使い捨ての駒。愛し
てると伝えたのは、飼い慣らす為の餌。それは分かっていても、緑川はもう
自分を不幸だとは思わなかった。実の両親に人間扱いされなかった頃よりは
ずっとマシだと。一人じゃなくなるなら、何だってしてみせると。罪を犯す
事さえ、抵抗は無かったのだ。
 偽りでも愛されるなら本望。きっと父が死ねと命じたなら、あの頃の盲目
だった自分達は世喜んで首を掻き切ってみせただろう。
 エイリア石から解放された時、漸く目が覚めたのだ。自分達がしてきた事
がフラッシュバックのように蘇り、半乱狂になった。取り返しのつかない事
をしたと、気付いた時には全てが遅かった。
 自分は結局、誰かを傷つける事しか出来ないのだ。
 こんなに汚れた自分を愛してくれる人なんていない。実の両親にさえ見限
られたのだ。ああ、最初から分かっていたではないか。
 日本代表に選ばれて。風丸から罵声を浴びせられた時、思い知った。そし
て理解させられた。こんな自分が果たせる最期の役目が何なのかを。
 サンドバックだっていい。風丸は悪くなんかない。悪いのは全て、弱かっ
た自分。自分を殴る事で風丸の気が晴れるならそれだけで意味がある筈だ。
意味がある事以上の意味なんてない。いつか風丸に殺されるならそれが自分
の運命で役目だった。それだけの事ではないか。
 後悔なんてしてもどうしようもない。
 未練なんて持っていい筈がない。これで終わり。全部終わり。そう思って
意識が途絶えた−−その筈だったのに。
 
「気付いたか、緑川」
 
 どうしてまだ生きているのか。ベッドの上で緑川は愕然とさせられた。鬼
道が側にいなければ、声をかけて来なければ。ここは地獄だと錯覚する事も
出来たかもしれないのに。
 
「鬼道…」
 
 首だけ動かしてそちらを見る。それだけで全身に痛みが走った。もはやど
こが痛いのかも分からない。
「君が…俺を助けたの?」
「……」
「…どうして?」
 鬼道は答えなかったが、その沈黙は肯定に等しいと緑川は解釈した。本来
なら助けて貰った事を感謝すべきなのだろう。それが分からないほど混乱し
ている訳じゃぁない。
 しかし。どうしても責めるような口調になってしまう。風丸に出逢ってや
っと、自分は自分の罪を償う方法を見つけられたと思ったのに。
 今度こそ、生まれた意味が分かるかと思ったのに。
 
「…俺はエイリア学園の生徒じゃない。誰かの道具にされた事もない」
 
 やがて、鬼道が口を開く。
 
「…影山は歪んでいたが、それでも俺を愛してくれていたと知っている。だ
から、お前達ほど愛情に餓えた事はない。お前達の気持ちが分かるなんて言
う資格はないだろう」
 
 そういえば、と緑川は彼の境遇を思い出す。両親が飛行機事故で亡くなり、
一時期施設にいたこと。サッカーで復讐を目論む男に引き取られ、歪んだ愛
情と教育を受けていたことを。
 彼はきっと、お前達より自分は幸せだったと言うのだろう。しかし孤独を
知っているのは彼も同じだ。そしてその“幸せ”の一言には、言葉では著し
がたい複雑な意味があるに違いない。
 
「それでも…緑川。お前が間違っている事は、分かるんだ」
 
 間違っている。ハッキリそう言ってくれた彼に、緑川は皮肉な笑みを浮か
べた。間違ってるだって?そんな事、自分が一番よく分かっている。
 
「君が間違ってるっていうのは…周りに迷惑かけた事?」
 
 不動と騒ぎを起こした直後にまたコレなのだ。ただでさえピリピリしてい
るチームの雰囲気を、さらに悪化させた事は間違いないだろう。
 それ以上に、鬼道は風丸と同じ雷門のチームメイト。その実風丸が緑川に
いいように踊らされていた事も分かっているだろう。不愉快でない筈がな
い。
「それとも自分の自己満足に風丸君を利用した事かな?」
「違う」
「……え?」
「お前は根本的に勘違いしている。お前の傷の深さを見誤った事は、俺達チ
ーム全体に責任がある。そしてお前が本当にそうすべきと思ったなら、他人
がお前の償い方にとやかく言う権利なんかないだろう」
 その否定が、意外で。思わず目を見開く緑川。鬼道は言った。
 
「俺が間違っているというのは…認めない事だ」
 
 ゴーグルごしの赤い瞳が、じっとこちらを見据えていた。
 
「どうしてお前は…お前自身を認めてやらない?お前が頑張ってる事、俺も
円堂もヒロトもみんな知ってるのに…お前自身が何故否定するんだ」
 
 一瞬。
 何を言われたか、分からなかった。
 
「お前は自分を認めない。許さない。愛するなんて考えもしない。それが何
より間違いだって、そう言ってるんだ」
 
 言葉も、無かった。なんで。そう呟いたつもりだったのに、音が出なかっ
た。どうして鬼道が自分の心を知っている?彼に超能力があるなんて思って
はいない。だけど、何故分かったのか。
 緑川が、自分自身を憎んでいると。
 
「お前は気付くべきだ。お前を愛してくれる人間がいる事を。お前が…お前
自身の愛される価値を否定したら。それはお前の傍にいてくれる人達を否定
する事になる。…ヒロトが手首を切り刻んだ理由は、エイリアの事件の罪悪
感があったからだけじゃない。分かってるだろう、本当は」
 
 目の前が、真っ暗になった思いだった。たった今、気付いた。否。気付い
ていないフリをしていた事を、目の前に突きつけられた思いだった。
 優しい優しいヒロト。引っ込み思案で体が弱かったけど、でも本当は誰よ
り仲間を大切にしていた、ヒロト。エイリアの一件では自分以上に責任を感
じていた筈だ。その責任は、単に事件そのものだけではなくて。
 
「お前が傷ついているのを見て、ヒロトも傷ついたんだ。ヒロトだけじゃな
い。お前の姿を見ていたお前の仲間だってそう。…風丸だって」
 
 風丸。今更ながら彼には申し訳ない事をした。よくよく考えてみればあれ
で自分が死んでいたら、風丸は犯罪者になってしまったかもしれない。そう
なったらその先は−−何故そこまでの事を考えなかったのか。
「風丸だって。あいつはお前を傷つけながら自分も傷ついていた。こんな形
で鬱憤を晴らそうとして失敗して…お前の怪我が増えるほどそれを見せつ
けられる思いだったんだろうな。…自分が一番最低な人間なんだ、って。そ
う分かってるのに止められなかったって…あいつはそう言っていたよ」
「風丸君が…」
「そもそも風丸がお前に怒鳴ったのは…お前の姿が自分に重なったせいも
あるんじゃないか?それを吹っ切る為に…前に進もうとしてぶつかってき
たんだと思う。少々、言葉を誤ったみたいだがな」
 そうだったのか。緑川はぎゅっと唇を噛み締め、俯く。償おうとした気持
ちに嘘はないし、痛い思いでもしなければ償えないと感じたのは確かだ。し
かし、自分以外の誰かまで痛い思いをさせたいわけではなかった。
 何より鬼道の言葉が正しいのなら。前を向こうとした風丸の気持ちを挫い
てしまったのは、他ならない緑川自身という事になる。
 
「お前がどうしても自分の為に動けないというなら…それでもいい」
 
 フッと。鬼道は笑みを浮かべて、緑川を見た。
 
「お前を好きな俺達の為に。…自分自身を認めてやってくれないか。そうし
たらきっともう、これ以上悲しい事は起こらないから」
 
 鬼道の声は優しかった。でもその優しさが辛い。そんな風に優しくされる
資格などないのに。そんな思考を彼は望まないかもしれないが、願えば願う
ほど想いは募るものなのだ。
 
「…お前なんか要らないって言われたんだ」
 
 俯いたまま、緑川は言う。
 
「父さんも母さんも、お前なんか要らないって…だから必要とされる人間に
なりたくて」
 
 頑張った。頑張ったんだ。
 吉良は自分を殴らなかった。押し入れに閉じ込めたり、熱湯をかけたり、
ベランダに締め出したりしなかった。必要だと言ってくれた。嘘かもしれな
いと薄々気付きつつ、疑いたくなくて−−彼が望む事をし、望む冷酷な宇宙
人を演じた。泣き叫ぶ子供達の声に耳を塞いだ。でも。
 
「エイリア学園でも…結局俺は必要なかったんだ。追放された時思い知っ
た。俺なんかが誰かに愛されたいと思うのが間違いだったんだって…」
 
 そして愛されたいが為だけに罪を繰り返した醜い自分。どうあったって救
われる筈がないではないか。
 
「お前は、頑張ったよ。愛されたいと願う事が、罪な筈がないじゃないか」
 
 鬼道の言葉が、胸に落ちる。落ちて、溶けていく。頑張ったね、なんて。
そんな風に誰かに誉めて貰ったのは初めてだった。気付いた瞬間、瞳から涙
が零れ落ちていた。
「俺達に力を貸してくれ。俺達がお前と一瞬に戦うから…お前は俺達と一緒
に立ち向かってくれないか。お前の力が、必要なんだ」
「鬼道…く…」
「ありがとう。…生きていてくれて」
 欲しい言葉の全てがあった。緑川は泣いた。声を上げて、泣いた。彼の言
葉の全てが免罪符だったと知った。
 生きていく限り、罪滅ぼしは終わらないだろう。でも今確かな事が一つあ
る。
 
 
 
 
 
 
 
ぼし
免罪符
 
〜〜肆〜〜
 
 
 
 
 求めていた居場所は、此処にあったのだ。
 
 
FIN.
 

 

もう、悲しい夢は見ない。

 

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 風雅クウ様本当にすみません…!遅くなってしまいましたが、これにて免罪符、完結です。

 三期冒頭のイメージを引きずりに引きずった話なので、公式と大きくかけ離れてしまったのですががが。

 イナズマイレブンがこども向けでなかったら、これくらいドロドロ悩む描写もありえたかなと。

 自分の悲劇に半ば酔ってしまっている形になってる不動にヒロトに緑川。実は誰も正しくもないし間違いでもない。

 ただ、幸せを祈ってくれる人がいることを忘れてはならないのだと思います。

 どうかみんなが幸せになれる世界でありますように。