叶わない約束をしたつもりじゃなかった。 叶えられる約束をしたつもりだった。 だけど結局それは、叶わない約束になってしまった。 叶えられた筈の約束は、綺麗なままの幻で、消えた。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 0-0:Message from Toko Zaizen
あたしは過去二回、あいつに逢った事がある。 一回目の時、あいつの名前はまだ“鬼道”じゃなかった。親を亡くして、孤児 院に入って少ししたくらい…だったと思う。 こういっちゃ何だが、あたしの家はデカい。財前財閥と言ったら、雷門財閥に も並んでその筋じゃ有名だ。お金に不自由した事なんかないし、パパはあの性格 だから、慈善事業への投資も厭わなかったわけで。 で。何を思ってか、自分が援助してる孤児院に、まだガキんちょ(って今でも あたしゃガキだけど)だったあたしを連れていった。そう、そこが当時、鬼道と 春奈がいた孤児院だったのさ。 あの二人は、二人して当時からサッカーが大好きだった。まあ妹の方は単に、 兄貴と遊びたくて一緒にサッカーやってただけっぽいけどな。時折転びながら、 必死でサッカーボールを追いかけてた。可愛いもんさ。 春奈は昔いじめられっ子だったらしい。というのは、後になって聞いた情報だ けど。あの時感じた違和感の理由が、今なら分かる。 妹は兄貴に依存しきっていた。常に常に、兄貴に守られて、庇われなきゃ自分 の足でも立てないような子供だったんだろう。 二人と施設の連中が不仲だったわけじゃない。春奈を苛めてた子供ばっかりじ ゃないからね。だけど、二人と他の奴らとの間には常に壁があった。二人と一緒 にサッカーをやってても、その壁を越えられる妙な距離感を保ってやがった。小 さなガキどもがだぜ? いや、ガキどもだからこそ、二人の間にある歪な愛情に気付いてたのかもしれ ない。 あいつらは、その当時から歪んでいた。妹にとって兄貴は世界の全てで、兄貴 にとって妹は命より大切なものだった。 小さい頃に親を亡くしたせいなのは分かる。それにしたってあの関係はマズか った筈だ。もしかしたら本人達も薄々気付いてたかもな。
二人の愛は、兄妹の愛じゃなかった。 たった一つ違いの筈なのに、殆ど親子の愛に近かったんだ。 それが異常でなくてなんだというのだろう!
『サッカー、好きなの?』
そんな二人の間に−−あたしは割り込んでいったわけだ。 たまたま施設を訪れた財閥のご令嬢、いやはや図々しいったらないね。 でも昔からあたしゃこんな性格なわけで。良くも悪くも、他人の領域に踏み込 むのに躊躇なんかしない性分だったんだ。それが余計、男にばっかり間違えられ る原因を作ってたんだろーけど。 うん。今はさすがに無いけど当時のあたしってば、男に間違えられてばっかり だったんだよね。ショートカットで、女の子らしいヒラヒラした服なんて嫌いだ ったし、お絵描きやママごとより鬼ごっこや木登りの方が好きだったから。 あいつらにも、当時は男の子と勘違いされてたみたいでさあ。初めて見る人間 に、二人はガチガチに緊張してた。というより警戒、だな。お前も春奈を苛める のか、って目で鬼道はあたしを見た。本人はもう、覚えちゃいないんだろうなぁ 。
『サッカー好きなのかって聞いてるんだ。ずっとボールを蹴ってるじゃないか』
もう一度尋ねると、二人はおずおずと頷いた。だったら何だ、という顔をした ので−−あたしは拾ったボールを差し出して、言ったのさ。
『教えてよ、サッカー。やってみたいんだ』
サッカーの存在自体は知ってたけど、ルールもまだ危うかったその頃。その場 所であたしは初めてボールを蹴った。生まれて初めて、拙いながらサッカーをし た。鬼道と、春奈と一緒に。 ルールが微妙だったのはお互い様だろう。そもそも人数が足りてないんだから 、ミニゲームくらいしかできないし。それでも楽しくて、時間が許す限りボール を追いかけた。あたしが本気になればなるほど二人も本気になって−−やがて笑 ってくれるようになって。 その笑顔が嬉しかったよ。二人だけの世界に、短い時間ながらあたしも入る事 ができたんだから。
『またいつか、逢える?』
帰り際に、寂しそうな顔でこっちを見る二人に、あたしも笑ってみせた。最高 の時間をありがとう、って。
『おう!またな!』
無責任な約束だった。だけどあたしは勝手に決めたんだ。またあいつらと逢う って。逢ってサッカーするんだって。 実は、あたしがサッカーをきっちり始めた理由は、あの二人にあるのさ。 あいつらに次に逢った時には、うんとうまくなっていて−−思いっきりビック リさせてやるんだって。パパは反対しないでくれた。女の子なのにサッカーなん て、とは言わないでいてくれた。そういう意味でもあたしは恵まれていたと思う 。
それから月日は流れて。
あたしは小学生になってた。あいつらにもう一度逢う機会を得られないまま、 だけどサッカーの練習だけは怠らなかった。なんていうか、思い出が美化されて いったせいかもしれない。 彼らに逢うまで、一生懸命打ち込むものもなく、退屈していた自分。あの兄妹 はあたしにとって救世主にも近い存在だった。あいつらと逢わなければあたしは 多分、サッカーにも出逢わなかったし−−こうしてイナズマキャラバンにも乗っ てなかっただろうし。 チャンスは唐突に巡ってきた。それはそれはショッキングなニュースと一緒に 。
『あの二人が、別々の家に引き取られたって…!?』
あたしが何故そこまで驚いたか。きっとパパには分からなかっただろうな。あ の二人の間にどんな聖域が張り巡らせられていたかなんて。 あの、親子のように依存し合っていた兄妹を引き離す?運命はなんて残酷なこ とをするんだろう。 それとも−−あの二人の歪みを修正する為には、必要な事だったのだろうか。 彼らの道が、分かたれることが。 鬼道は、その名の通り鬼道財閥の元に引き取られた。そこで影山という教師の 元、学問とサッカーの英才教育を受けているという。あいつがサッカーをやめて なかった事だけが、唯一の救いだった。 あたしはあいつに再会した。これが二度目の出逢いだ。だけどその時、鬼道は サッカーの才能と技術と引き換えに、大切な何かを毎日失い続けていたんだ。
『久しぶり。…お前、女だったんだな』
開口一番それかいな。あたしは思い切りどついてやった。確かにあの頃互いの 名前も聞き忘れたまま別れたから、それも一因なんだろうが。あたしもあたしで ここでやっと、あいつの名前が“有人”であると思い出した。 随分時間は経った筈だけど、あいつは相変わらずチビのまんまだった。むしろ あの頃より、同年代より小さいと感じる。あの頃はもっと小さな春奈が隣にいた せいかもしれない。 あいつはサッカーが本当にうまくなっていた。あたしも自信があったのに、簡 単に抜き去られるわボールは取られるわで。 でも。 僅かに捲れたシャツの下は、傷だらけで。時折顔をしかめて、鬼道は痛みに耐 えていた。 それだけじゃない。 あたしが脅かそうとして後ろから抱きついたら、怯えた声で悲鳴を上げた。す ぐに相手があたしと分かって落ち着いたけど、その反応は明らかに変で。
『何があったんだよ』
あいつはサッカーの練習で怪我しただけだと言った。だけど流石のあたしも、 そこでごまかされる程馬鹿じゃない。 嘘だ、と。お義父さんは知ってるのかと尋ねると、あいつは弱々しい声で言っ た。
『義父さんは何も知らない。だから…言わないでくれ、何も』
あいつが多分、ずっと隠し続けて来たであろう秘密。それを、あたしだけが知 った。言わせるべきで無かったのかもしれない。だけどあたしは知りたがった。 あいつが、好きだったから。 淡い淡い気持ちだとしても。まだ自分でも境界線の見えない想いでも。それは 確かに初恋で−−あいつを護りたいと、強く強く願うようになっていたんだ。 だってそうだろう。 あいつは、今まで誰にも護って貰えなかったんだ。あたしには護ってくれる人 がたくさんいた。だけど鬼道は、妹を護ろうとするばかりで、愛するばかりで、 自分自身は誰にも護られずにそこにいて。 どんどん擦り切れていくばかりのあいつに、その現実に、あたしは無力でしか ないのかもしれない。だけど。
『あんたの事は、あたしが護る。その為にあたし、強くなるから』
妹と引き離されて。 義父の重圧に晒され続けて。 妹ともう一度生きる為には、影山の虐待に耐えなければならなくて。 その苦しみを、誰にも打ち明けられなかった少年を。
『擦り切れて擦り切れて、どうしようもなくなったらあたしを呼んで。絶対に、 助けに行くから』
男が女に護られるなんて変だ、と。鬼道は苦笑いしたけど言ってくれた。あり がとう、と。
指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。 指切った。
『俺も、約束する。塔子。俺も強くなる。今よりもっとサッカーうまくなって、 フットボールフロンティアで優勝する。そして、また三人でサッカーしよう』
これ以上あんたは強くなる必要、ないよ。これ以上強くなったら、いつかポッ キリ折れてしまうよ。 そう言いたかったけど、言えなかった。自分が何を言っても、鬼道は自らの弱 さを徹底的に封じ込めて生きていくと知っていたから。
まあそれでさ、今に至るわけだよ。
あたしとあいつと春奈。めでたく再会してキャラバンに乗ったわけ。 相変わらずチビだなーって言ったら怒られた。なんだか可愛いと思っちゃった 。久々に逢った春奈は、長い時間経っているせいもあってずっと大人っぽくなっ てた。 羨ましいなあ、女の子らしくて美人って。憧れちゃうよ。 あの二人の歪みは、一見なりを潜めてたけど。消えたわけじゃないのはすぐ分 かったよ。 二人はまだ“兄妹”になれちゃいなかった。まだ“親子”のままだった。離れ ていたのは逆効果だったのだろうか。確かに春奈は前よりずっと自力で立ち上が れるようになっていたけど、いつも視界で兄の姿を探してる。親を探す子供の眼 で。 何がいいのか、何が悪いのかなんてサッパリだけど。このままじゃマズい気は 、してる。もしこのまま兄か妹の身にもしもの事があったら−−遺された片方は どうなっちゃうんだろう。
派手に傾いた天秤は、ひっくり変えるしかないだろうに。
約束は、忘れてない。 たとえ鬼道が忘れてたとしても、あたしが忘れない限り約束はそこにある。 鬼道はあたしが護る。鬼道が望むなら、春奈のことだって。 約束した。約束したんだ。大好きなひとを、救う。その為にサッカーも格闘技 も強くなったし、腕っ節も鍛えた。パパの反対を押し切って、SPフィクサーズ にも入ったんだから。
なのに、ね。
どうしてこんな事になっちまうんだろう。
護りたい。助けにいく。 そう誓ったのに−−あたしは。
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さよなら、大好きな人。