埋もれた記憶の中に見た光。 枯れ落ちた感情の奥に潜む闇。 耳の奥で鳴り続ける君の声。 焼きついて離れぬ、貴方の涙。 この背中に、白い翼は 無いとしても。0-3:未来予知の、得手不得手。 そこは暗い暗い、奈落のような道だった。 これはきっと、夢。夢なんだ。それが分かっていながら、風丸一郎太は恐怖を拭い去れないでいる。 今が夢だとしても−−ただの夢では無い気がしている。同じ事が前にもあったのではないか?その時の結末を知るからこそ、自分はこんなにも怯えているのではないか?−−逃げなきゃ。早く、逃げなきゃ…っ! ゼイゼイと息を切らし、走る。ああ自分の脚はこんなに遅かっただろうか。これでは雷門一の疾風ディフェンダーなんて呼べやしない。笑い出そうとしたが、喉から漏れたのは悲鳴のような喘ぎだけ。 脚が恐ろしいほど重い。体力を消耗しているから?それもある。でも、それだけじゃない。こんな時にこそ火事場の馬鹿力とやらが発揮されればいいものを。 足の裏に伝わる、冷え切った堅いアスファルト。その感触だけが教える。自分はまだ走れている、と。 追ってくる足音と気配。その相手の姿は見えない。見えないが確実にそこにいると知っている。 捕まったら。捕まったら恐ろしい目に遭う。とんでもない地獄が待っている。具体的な内容は何一つ分からないが、それでも風丸は確信していた。 逃げ延びなければ。 だが−−いつまで?相手が諦めてくれるまで?それとも自分が諦めるまで?「つかまえた」 がしり、と。着ていたパーカーのフードを捕まれた。愉しげな笑い声が反響する。 嫌だ。 嫌だ。 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! 怖い!!「いやだぁぁぁぁ−−ッ!!」 地面に押し倒され、馬乗りになられる。相手の耳障りな笑い声。それに混じって遠くから別の声が聞こえた。 それは−−泣き声。 誰かが嗚咽している。一体誰だろう。とても聞き覚えのある、懐かしい声のような。『…ま……か…っ…かぜ…る…っ!!』 途切れ途切れだが、自分の名前を必死に呼び続けているのが分かった。 ああそうだ、この声は−−円堂。 どうして彼が泣いているのだろう。束の間、風丸は恐怖を忘れる。それを上回る、悲しみによって。−−なかないで。 泣かないで。 君は自分達にとって太陽だから。光そのものの存在だから。誰より君には笑顔が似合うから。 どうして泣いているの。 何が君を悲しませているの。−−ああ。 駄目だ。伸ばした手は宙を掻くばかり。大切な親友の姿にも存在にも届かない。目の前に在る筈の現実にすら。 自分を押さえ込んでいる人影がニヤリと笑うのが分かった。振り上げられる手、その先に光る銀色。風を斬る音。鋭い刃物の切っ先が振り下ろされて−−。−−だれか、たすけて。 でも一体何から?誰から?自分は助けて欲しいのだろう。「風丸!風丸、おい!!」 体を揺さぶられる。先ほどまで響いていた泣き声が、怒鳴るように叫ぶ声に変わる。 急速に浮上する意識。戻って来る現実感に、風丸はぼんやりと瞼を持ち上げる。 最初に飛び込んできたのは円堂の顔。ドアップ、っていうか顔近すぎだ。最初に浮かんだのは、そんなある意味どうでもいいこと。「円、堂…」 「良かったぁ。目、覚めたんだな」 我らがサッカーバカのキャプテンは、心底ほっとしたように笑った。「大丈夫か?なんかすっごい魘されてたぞ」 外はまだ薄暗い。どうやら派手に魘されていた自分を、円堂が起こしてくれたらしい。もしや起こしてしまったのだろうか。だとしたら非常に申し訳ないのだが。「…ごめん。ちょっと嫌な夢、見てた」 嫌な夢。ああ、思い出したくないのに、何でこんなにハッキリ覚えてるんだろう。 何かから追われて、逃げて。挙げ句自分が殺される夢−−なんて。「嫌な夢?どんな?」「大した事じゃないさ。所詮夢だし」 そうだ。所詮は夢。現実なんかじゃない。 なのにどうしてこんなにも不安になるのだろう。 もしかしたら、それは。「…なぁ、円堂」 夢の中で聞こえた、彼の声が。「お前、泣いてたか?」 途端に。へっ?という顔になる円堂。分かりやすいまでのキョトン顔。こういう時の彼は本当に幼い。サッカーをやっている時はあんなに男らしいのに。「俺がー?そんなわけないじゃん」「…だよな。ごめん、忘れてくれ」 「何だよ、気になるなー」 夢の中でお前が泣いてたんだよ、と。言いかけてやめる。口に出してしまえば現実になってしまう気がした。 彼の涙なんて、見たい筈がない。 彼をあんな風に泣かせるほど悲しい未来なんて、誰が望むというのか。 はぐらかす風丸の言葉は円堂の好奇心に火をつけてしまったようで、なぁなぁ何の話だよー?と食い下がられる。 実に面倒だ。他に話題は無いものか−−と車内を見回していた風丸は、自分の隣が空席になっている事に気付く。 キャラバンの中の座席は毎回ランダムという名のいい加減ぷりだ。昨晩自分の隣に座っていたのは誰だっただろう。 そうだ。あのトラブルメーカー野郎だ。「そういえば聖也は?いないみたいだけど」 確か昨夜は、彼と円堂と塔子、鬼道は仲良く(?)夜更かしをしていた筈だ。風丸はいい子に寝てた一人なわけだが、隣が騒がしくなれば目も覚める。また聖也の阿呆が何かをやらかしたらしく、塔子の手で座席の上に投げ飛ばされていたのである。 あいつがどーなろうが知ったこっちゃないが、眠りを妨げるのはやめて欲しかったところだ。二度寝した結果があの悪夢。あの馬鹿のせいだ、と半ば八つ当たり気味に思う。「聖也?ああ、なんか急に仕事入って本社に戻る羽目になったって飛び出してったけど。部下がミスして尻拭いめんどくせーとか愚痴ってた」 うまく誤魔化されてくれたらしい。円堂が思い出す仕草をして説明する。「無理矢理にでも何でも、今日中に仕事終わらせて戻るって喚いてた。別ルートで白恋中に向かうからそっちで落ち合う事になってる」「なるほど」 聖也が学生と社会人の両立に奔走してるのは有名な話だった。親がいなくて自分の食い扶持は自分で稼がなくてはならないらしい。また、誰かに仕送りをして養っているせいで金がいるのだという噂もある。詳しい事は誰も知らない。 仕事についてもよく分からない。普通の会社員やアルバイトでないのは確かだった。たまに妙な生傷をたくさん作って帰って来たり、そこそこ地位が高いのか携帯で部下に怒鳴る姿も稀に見る。また、授業中にこっそり書類仕事を片付けている姿も目撃されている。 鬼道曰く、海外の軍事に関わる仕事ではないかとの話だった。携帯で彼が話す内容に、某国の軍事用語が混じっているという。少なくとも、あまり安全な仕事で無いのは確かである。 それでも複雑な事情が垣間見える事から、誰もが深く突っ込んで聞けないのが現状だった。それとも瞳子監督だけはある程度把握しているのだろうか。「今何時だ?ってか今場所はどのへんだ」「青函トンネルを通過中よ」 声は意外なところから聞こえた。風丸と円堂がいる座席は前から二番目である。一番前に座る瞳子に、話し声が聞こえてもおかしくはない。「雪原を抜けるのにどれくらいかかるか分からないけど。その前に一度市街地寄って買い出しするから、そろそろ起きて貰ってた方が助かるわ」 相変わらず淡々とした口調で言う監督。ポーカーフェイスのその顔は、暗さもあって感情が読めない。「もしかして…煩かったですか、俺達」 「多少は。…でも、私はあなた達より早く起きてたから関係ないわ。気にしない で」 気にしないで、というならもう少し口調だけでも優しく言ってくれればいいのに。そのまま前を向いて沈黙してしまう瞳子。風丸は彼女のことがあまり得意ではなかった。SPフィクサーズ戦での采配と観 察力から、実力があるのは確かだ。しかし豪炎寺の一件といい、完全に信頼を寄せるには彼女はあまりに物を語らなすぎた。 響木監督や理事長がチームを任せたくらいだ。そういう意味では自分達も彼女を信じるべきだとは思うのだけど。 今はまだ、考える事も問題も多すぎる。ただでさえ豪炎寺が抜けてギクシャクしがちなチーム。このままでは実力以外の意味でも、エイリアとまともに戦えるか怪しい。「白恋中のストライカー…吹雪士郎って言ったっけ。どんな奴だろうな」 「さあなー」 どんな奴なのか。円堂はむしろ会うのを楽しみにしているようだ。ワクワクが顔に出ている。自分もいつもなら、もっと純粋な受け止め方ができた筈だ。 でも、今は。 瞳子監督が、彼の名前を出したタイミングが最悪だった。いや正確には、吹雪を仲間にしようと提案したのは響木監督だったわけだが。 まるで自分が追い出した豪炎寺の穴埋めをするかのように、アッサリと代わりのストライカーを探すと言い出した瞳子。そりゃ周りの不興を買うのも致し方ない。特に、染岡の反発が凄かった。彼は自分の実力への自信や、雷門のFWとしての プライドの高い選手だ。 そんな彼が、豪炎寺のことだけは唯一無二のライバルとして認めていた。その代わりのストライカーなど、簡単に受け入れられる筈もないのである。−−俺だって豪炎寺のこと、悔しくなかったわけじゃない。だけど。 いつまでもその場所に立ち止まっているわけにはいかない。自分達はもはや、楽しいだけのサッカーをやって赦される立場にはないのたから。 自分達はフットボールフロンティアで優勝した。数多の参加校の、数多の選手達の夢を踏み台にしてその高見に立った。 そして今度は日本の中学生達だけでなく。世界の未来をも背負って立とうとしている。大袈裟だけど、冗談でもない言葉。自分達はもはや、自分達の意志だけで折れる事は赦されない。 そして強くなる為には、あらゆる努力を怠ってはならないのだ。強くなる努力を、そして新しく生まれ変わる努力を。 技術的にも精神的にも、豪炎寺に依存したままのイレブンでいい筈はない。染岡にだってそれは理解している筈なのだ。 理性と感情。そのどちらを優先すべきか、時に応じて変えられないほど自分達は子供じゃない。−−力が欲しい…強くなる為には、もっと力が。 世宇子中との試合。アフロディ達の姿が脳裏をよぎる。神のアクアという名のドラッグで強くなった戦士達−−あれが結局どんな薬だったかはよく分からないけれど。ただ服用するだけで圧倒的な力を得る事の出来る魔法の水。 サッカーを愛する者にとってのタブーであると知っている。それでも、風丸の胸の奥で、もう一人の自分が囁くのだ。 御覧。あんなに魅力的な物があるかい?−−と。−−世界を救う為にタブーを犯すのは…本当に罪なのか?なあ円堂…。 尋ねかけた声は音にならないまま、霧散する。隣に座った円堂は楽しげに未来を語っていた。 幸福の訪れを、まるで疑う事など知らないと言うように。NEXT |
闇は未だ芽吹かずとも。