彼は己の役目を信じたがった。 彼は己を死者へと見立てた。 彼は己の道を突き進んだ。 彼は己の過ちを捜し続けた。 この背中に、白い翼は 無いとしても。0-6:雪原と、永久の雪嵐。 染岡がドリブルで次々と白恋イレブンをかわしていくのを、鬼道は見ていた。元々熱くなりやすい染岡だが、今日はいつもにも増してプレイが強引だ。 そこはパスすべきだろうに。DF二人に囲まれて尚力任せに突破していく彼に、鬼道はさらに頭が痛くなった 。確かに今の染岡の実力なら、力技でも並大抵の敵ならば蹴散らす事ができるだろうが−−。 並大抵、ではない相手が此処には居るのだ。その相手こそこの度の染岡の一方的な怒りの原因にして、潰したい標的ではあるのだが。 そんなに冷静さを欠いていては、勝てる勝負にも勝てやしないだろうに。 そんな鬼道の予感はあっさり的中した。ペナルティエリアの手前。ついに吹雪が動いたのである。 少年はまるで滑るように大地を蹴り、冷気を振りまきながらその脚を大地に叩きつけた。「アイスグランド!」 凄まじい勢いで次々上がる氷柱。染岡は逃げる間もなく氷漬けにされてしまった。その横を華麗に滑っていく吹雪の身体。胸元には、染岡から奪ったボールが。 なんて技だ。先ほど、片足で軽々彗星シュートを止めてみせた事といい、とんでもないディフェンス能力だ。「そうか!吹雪はストライカーじゃなくて、凄いディフェンダーだったんだな!」 合点がいった、というように円堂が叫ぶ。どうやら敵である事も忘れて、すっかりワクワクスイッチが入ってしまったらしい。それが彼の長所でもあるのだが。「さて、反撃といこうか」 相変わらず、声だけはおっとりした調子の吹雪。スッとその手が自身の首元−−どこか古びた白いマフラーに伸びる。 鬼道にその呟く声が聞こえたのは、果たして偶然か必然か。「出番だよ、アツヤ」 瞬間。優しげだった少年の口元が、ニィッとつり上がった。挑発的に−−否、挑戦的に。−−なんだ?雰囲気が、変わった? それに彼は今なんと言った?アツヤ?そういえば彼のチームメイトの荒谷紺子も同じ事を−−。−−まさか? ギラリ、と。殺気にも似た強い威圧感。吹雪の眼に、先ほどまでの彼とは間逆の光が宿った。笑い声が上がる。同一人物とは思えない−−愉快で愉快でたまらないといった風情の声が。「ははははっ!いっくぜぇ!今日もバンバン点をとってやっからよぉ!!」 挑発的に叫び、凄まじい勢いで上がっていく吹雪。あまりの彼の変貌ぶりに、唖然とする雷門イレブン。その為反応が遅れた。まずい、カウンターアタックだ。 戻れ−!という円堂の声に我に返る面々。氷漬けから染岡がやっと解放された頃には、吹雪は自陣の奥深くにまで切り込んでいた。「させない!」 鬼道が風丸と二人がかりで止めにいく。両側からのスライディング−−普通のプレイヤーならひとたまりもない。だが。「邪魔すんじゃねぇ!」 悲鳴を上げて吹っ飛ばされる二人。地面に叩きつけられ、鬼道は呻く。恐ろしい。自分と同じ程度の体格しかないのに。見かけによらない、なんてレベルではない。あの華奢な身体のどこにそんなパワーが眠っていたのやら。 ゴール前。ボールを軽く打ち上げ、くるくると回る吹雪。みるみる氷の塊と化していくボール。 必殺技が来る。それもとんでもないのが。「吹き荒れろ…!」 彼の名前のごとく。ボールに吸い寄せられるように、凍てついた風がフィールドを切り裂いて。「エターナルブリザード!!」 高く空を舞う氷塊を、吹雪はゴールに向けて撃ち込んだ。雪嵐の尾を引いて、絶対零度の一撃が円堂に襲いかかる。 パワーだけではない。そのスピードを前に、マジン・ザ・ハンドでは間に合わないと悟ったのだろう。円堂は神の手の迎撃体制を取る。「ゴッドハンド!」 黄金に輝く巨大な手が、凍てついたボールを受け止めた−−かに見えた。しかし。 吹雪がニヤリと笑う。 ボールを受け止めた筈のゴッドハンドがみるみる青く凍てついていき、まるでガラスを割るような音と共に砕け散った。円堂の眼が驚愕に見開かれ、そのまま彼の身体ごとシュートは雷門ゴールに突き刺さった。「ゴッドハンドが、こんなに簡単に破られるなんて…!」 秋が驚きの声を上げる。誰の目から見ても明らか。円堂のゴッドハンドが、吹雪のエターナルブリザードに力負けした事は。 これで一対一。圧勝できるだろうと高をくくっていた一部のメンバーは動揺を隠せないようだ。「ショボイ奴らだな」 そんな雷門イレブンを、鼻で笑う吹雪。「いいか。よく聞け。この俺がエースストライカー、吹雪士郎だ!」 高らかな宣言。さっきまでの穏やかな面影は微塵も感じられない。そこには自信に満ち溢れた、闘争本能の塊のような男がいた。「こんなんじゃ満足できねぇ!もっともっと楽しませろ!!」 まるで飢えた狼のように吼える。楽しませろ。その言葉に、染岡が憎々しげに顔を歪めるのが見えた。 彼の悔しさが、分からないわけではない。だが、今は申し訳ないながら、染岡の意地よりも別の事が気になっていた。 アツヤ、という別人の名前を呟いた吹雪。慣れた様子で戸惑う事もない白恋メンバー。何よりあの豹変ぶりは。−−まさか…解離性同一障害? 解離。それは思考や感情や行動が変容してしまい、一定の情報がある期間他の情報から統合されなくなってしまう状態を言う。それはかつて酷いトラウマを負った人間が、心理的外傷体験を消す為に発現させてしまうもの。 離人性障害や解離性健忘。解離性の障害には何種類かあるが。解離性同一障害の場合特徴的なのは、いくつかの異なった人格が出てくることだ。 昔は多重人格、と呼ばれていたので、そちらの方が想像しやすいだろう。本来の主人格の他に心の中に現れる、まったく別の存在。主人格とは別の名前がついているケースが殆どだった筈だ。 素人調べなので自分も詳しい症状は知らない。確か主人格が、別人格の存在を認識しているのは珍しかった気がするが。−−あいつがPTSD持ちだとしたら、解離性同一障害を併発していてもおかしくな い…か。 瞳子監督は、どこまで知っているのか。いや、それとも吹雪の世話をしているらしい聖也に詳細を聞くのが先か。 鬼道はぎゅっと拳を握りしめる。小さく震えた右手首を、左手で押さえ込む事で鎮めようとした。離人性障害だ、と診断された事のある鬼道。自分もどうやらPTSDを患っている らしいというのは、周りの反応で薄々気付いている。そのたびに、大した事はない、と言い続けて来たけれど。−−俺にしか出来ない事が、あるのかもしれない。 傲慢と知りつつ。そんな考えが頭の隅を掠めた。自分をじっと見る、塔子の視線を感じながら。 一体何が間違っていたのか? 一体誰が最たる悪だったのか? そんな事、分かる筈も無い。だが分からないなりに佐久間次郎は考える。あまりにも噛み合っていない、この世界の原因を。そして今の現状が誰のせいで起こり得たのかを。−−分かってる。そんなの、俺自身の力不足のせいだって。 一瞬頭をよぎったかの人の顔を、無理矢理思考から追い出す。 世宇子中に大敗を喫して。挙げ句レギュラーの大半が病院送りになったあの日。プライドをズタズタに切り裂かれた自分達には絶望しか無かった。屈辱、悲壮、憤怒、憎悪。幾多もの負の感情がない交ぜになった絶望しか。 何より佐久間にとって、怪我の大事をとってベンチに入っていたかの人−−鬼道の目の前で醜態を晒した事が何より赦せなかった。彼に繋げたところで結末は同じだったかもしれない。でも自分達は結局、繋ぐ事すら出来なかったのだ。 そんな彼のその後の行動は。自分達にとって唯一無二の希望であり、同時に絶望の続きだった。−−すまない、と鬼道は言った。そしてどうか待っていてくれないか、と。 世宇子を倒して来ると彼は言った。その為に雷門に転校する。必ず世宇子を倒して帝国に戻るから待っていて欲しい、と。 傲慢にして独善的な行為である事は、彼自身が一番分かっていた筈だ。何より敵を討ちたいと願った仲間達に、憎まれて終わるかもしれないという事も。 だが彼は何一つ嘘をついていない。今までついた事などない。本人が善意などという甘ったるい感情で道を選んだわけではないという事も、憎まれる覚悟をしてまで自分達を仲間として愛してくれている事も。 それが分かっていたから、帝国イレブンは誰一人鬼道を責めなかった。自分とて例外ではない。むしろ喜んで送り出した。彼の強さが、彼が雪辱を果たしてくれるその日が、自分達にとって最大の光明である事に違いは無かったから。−−鬼道は言った。俺に、留守の間帝国を任せたい、と。だから俺達も言った。俺達の分まで頼む、と。 だが現実は思った以上に過酷だった。自分と源田の二人。鬼道がいないサッカー部をまとめようと必死になった。レギュラー陣はついて来てくれた。しかし、他のメンバーはそうもいかない。 元々、二年生の鬼道がキャプテンである事に、三年生の多くが不満を持っていた。それでも彼らが逆らわなかったのはひとえに彼がキャプテンに相応しい実力の持ち主であった事。そして彼の人徳とカリスマゆえである。 無論そこまで至るにはかなりの努力があっただろう。反面、自分や源田には鬼道のように積み上げてきたものが無い。鬼道不在を良いことに好き勝手する連中が出るのは必然だった。ましてや今は自分達を管理するあの総帥もいないのだ。−−鬼道は、部で起こる諍いをみんな把握して、自ら出向いて解決していった。それなのに俺と来たら、部員全員の顔と名前すら覚えちゃいない。 帝国サッカー部員の人数は軽く三桁に及ぶ。多分把握していたのも鬼道と影山の二人だけだろう。だがそんな事は言い訳にならないのだ。自分は鬼道に、部長代理を任されたのだから。 うまく行かないイライラが、他の部員達にも伝染する。 三年生が、レギュラーのメンバーを殴った。一部が部の備品を壊した。二年の一人が万引きに手を出そうとしたのをすんでのところで止めた。一年の何人かが退部届けを出した。無茶な練習で身体を壊す部員が出た−−。 噛み合わない歯車が、うまく廻る筈もない。さらにはエイリアの強襲で、鬼道の帰りが遅れる事になったとあっては。 元々世宇子に負けた事で部員達のモチベーションは下がっていた。そこに加え、一時的にとはいえ、昔は弱小と蔑んでいた雷門に自分達のカリスマが行ってしまう事になったとあっては−−。−−それでも鬼道には言うしか無いじゃないか。大丈夫、俺達はうまくやってるよ…って。 練習を続ける仲間達を見る。レギュラーの皆は優しかった。その優しさが時に辛かったけれど。 まるでバラバラになった硝子の欠片を、傷だらけになりながらかき集めるような日々。終わりを告げたのは、一つのニュースだった。 護送中の影山零治が行方不明になった、という。NEXT |
欠片のように、運命は重なり合う。