綺麗な夢を知ってるかい。 淀んだ空を語れるかい。 沈んだ闇を見つけたかい。 壊れた今を歌えるかい。 この背中に、白い翼は 無いとしても。0-7:思惑錯綜、盤上の駒。 その場所の名を、『お日さま園』という。 親に捨てられたり、親と死別したり−−そんな見寄りの無い子供達を引き取って育てる孤児院だった。オーナー、吉良星二郎が慈善事業として始めたものの一つである。 戦争が終わって随分と月日が経過したが、引き取り手の無い子供達は後を絶たない。大人の事情で盥回しにされる子供、不可避の事故にみまわれた子供、そして駅やロッカーに置き去りにされた子供−−。 吉良はそんな子供達を引き取って、我が子のごとく可愛がって育ててきた。子供達も吉良を父と呼び、慕ってくれた。妻を亡くしている吉良にとって、その笑顔がどれだけ心の支えになった事だろう。 だが今。この場所に、子供の姿は見当たらない。彼らの部屋に、私物が大量に置き去りにされたまま。 不在の理由を、知る者は少ない。秘書の研崎。自分の信頼のおける部下達。そして、実の娘である彼女。世間一般の多くの者達は、このお日さま園が長らくもぬけの殻であった事すら気付いていまい。自分が気付かせないように手回ししてきたのだから。「私はきっと地獄に落ちるのでしょうね」 園の一室。妙に広く感じる和室で、吉良は呟きを漏らす。「あの子と同じ場所には逝けそうにない」 座布団に座り、研崎が入れてくれた茶を啜る。その研崎は向かいあわせた場所に座り、相槌を打つ事も否定する事もなく、ただじっとこちらを見ている。 自分の言葉に反応せずとも。彼は恐らく、山ほどの事を心の中で語っているのだろう。吉良への不満もある筈だ。そもそも計画が始まって一番最初に、自分は彼を巻き込んだ。その人生の逃げ道を封じた。 恨まれていても仕方ない。それなのについて来てくれるのは、愚かな年寄りへの同情か、それとも秘めた野望あっての事か。「旦那様は、何も間違ってはおりませんわ」 襖が開き、一人の女が姿を現した。その無礼な態度に、研崎が咎めるような眼をするが彼女は気にする様子も無い。 吉良はといえばすっかり慣れた事だったので特に何も言わなかった。立場上彼女の主人は自分だが、彼女に恩があるのも確かなのだ。何よりこの、“もう一人の秘書”にして“護衛頭”と言うべき女性は優秀だっ た。その頭脳も、体術も、知識も。「わたくしは、何処までも旦那様についていきますわ。そう、地獄にだって」 旦那様は正しい事をなさってるんですもの、と紅い眼を細めて彼女は笑う。茶色いショートカットが揺れる。 いつだったか、研崎が彼女を喩えた事がある。あの女は得体の知れない、魔女のようだ、と。あんた身元もよく分からない女を信用していいのかと。 なるほど、彼女−−二ノ宮蘭子は確かに、魔女という名が相応しい。どんな残酷な実験も物怖じしないどころか自ら先導して進め、その度に結果を残してきた。 美しく若い女である筈なのに、その内面は狡猾な老婆のようである。吉良自身、そんな二ノ宮に恐れを抱かなかったわけではない。 しかし−−彼女が自分の前に現れなければ。恐らく吉良の時間は、十年前で止まったままになっていただろう。あの子を失った、あの日のままで。「私は正しい事をしてる…か。どうですかねぇ」 何処か苦笑混じりに言えば、彼女は吉良の耳元で妖艶に囁く。 旦那様は間違ってはおりません、と。「だって憎いのでしょう?この世界が。あなた様の大切な人を奪った全てが」 二ノ宮の言葉が、麻薬のように全身に染み渡っていく。妖しい魔法に魅入られるかのように理性を溶かして、ドス黒い感情に染め上げていく。 そうだ。憎い。自分はこの世界の全てを憎悪している。 こんな世界でなければ喪わずに済んだ。あの子に何の罪があったのだろう。何故あの子があんな死に方をしなければならなかったのだろう。にも関わらず罪人は何故野放しにされたか。 赦さない。許せる筈が無い。 仇ヲ、討ツ。復讐ヲ。 ソノ為ナラバ私ハ、修羅ニモナロウ。「…今更ですよ、そんな事は」 自分は死ぬまで、否死んでも永遠にこの世界を憎悪し続ける。永久の挽歌を歌い続ける。その為ならばどんな事でもすると決めた。 後戻り?それこそ今更だろう。「…報告に来たのではないのですか、二ノ宮」 研崎が溜め息をついて、先を促す。二ノ宮はそうでしたわ、と言って吉良から離れた。ややキツめの香水の匂いが離れていく。 あてられたのだろうか。少しだけ目眩がした。「作戦は第二段階へ。…新たな一手として、あの少年を派遣しました。あの坊や には“人間”として、雷門と闘って貰う手筈よ」 あの少年。特攻役でも構わないから、自分を是非作戦に使って欲しい。そう直訴してきた、あの子。 強がりだけど本当はとても甘えん坊で、自分が誉めると嬉しそうに眼を細めた。闘争心が強さは、自己犠牲の精神に繋がる。 創世の名を与えた彼らと同じく。吉良を本当の父として心から慕ってくれた、少年。「不動明王、か」 ちり、と罪悪感が胸を焦がした。自分のした実験のせいで、少年がどのように歪んでしまったか知っている。 本当は、とても優しい子だったのに。「ターゲットの奪還には既に成功したと報告が来ていますわ。“第一の駒”を雷 門に当てている間に、あの男の元で調整するとのこと。素材は届けてありますから、戦力が整うのはすぐでしょう」「頼もしい限りです」 第一の駒。二ノ宮が誰を指してそう言ったかは知っている。同時に、その言葉で納得してしまった自分がいることを。 たとえ自分が正しかったとしても、やはり逝く先は地獄に違いないのだ。 愛した者達を、いとも容易く駒として捨てられるようになってしまった、そんな自分は。 エイリア学園に勝つ為にはスピード向上が不可欠だ。吹雪と戦ってよりそれを実感した雷門イレブンは、彼を仲間に加えて特訓を始めていた。スピードを鍛えるには、身体と同じくくらい動体視力が必要となる。吹雪の勧 めで、スノーボードで身体を慣らすことから始めた面々。だが、なかなかその輪に加わろうとしない者もいた。 その代表たる人物、染岡を探しながら、鬼道は先ほどまでの聖也との会話を思い出していた。そして彼から聞き出した。自分が危惧した通り、吹雪がPTSDと解離性同一障害 を患っている事。その原因たる事故の話を。『あの子は本当に強くて、優しい子。だから現実から逃げられなくて、自分を追い詰めて、心を病んでしまった』 あの事故は、あの子のせいなんかじゃないのにね。聖也は彼らしからぬ、寂しそうな笑みを浮かべて言った。『だけどね。心がどんなに壊れても、あの子は家族の分まで生きる事を選んだんだよ。自分の中にアツヤの幻を作ってまで、生きようと頑張ってるんだ。…あん なに強い子を、俺は他に知らない』 雪崩という天災。目の前で、両親と弟が死ぬのを見てしまい、自身も死の淵をさ迷った少年。その傷の深さは本人にしか分かるまい。それでも立ち上がった事が、どれほどの覚悟であったのかも。 フットボールフロンティアに白恋が出場しなかったのは、単に白恋ができたばっかりの弱小チームだったから−−だけではあるまい。 過酷な戦いに臨むには、エースである吹雪の精神に問題が多すぎる。例えば雪崩を連想する揺れや振動だけで、恐慌状態になるとしたら。地震も多く、電車のような周りを揺らす乗り物も多い東京でどれだけやっていけるのか。『瞳子監督の決断は残酷かもしれない。でも、俺はそれを承知で、あの子と一緒に戦ってみたい。このまま現状維持しても、あの子はきっと救われないから』 そう語る聖也の眼。多分それは、自分が春奈に向けているものと同じなのだろう。母親が我が子を心から想う眼。聖也と吹雪はきっとそれでも構わないのだろうが。 実の妹を、娘を見るような眼で見ている自分はきっと異常なのだ。分かっていなから、鬼道はどうする事も出来ずにいた。自分は兄としてというより、親として春奈を愛している。他の愛し方など、知らない。『壁が必要なんだ。あの子を救う為に、あの子がゆっくりと乗り越える為の壁が。…鬼道。君みたいに、誰より痛みを理解している子と一緒なら…きっとできる 。どうか協力してくれないか』 人の気配。鬼道は目を凝らして、その場所に近付いていく。 杉の木の陰に、見慣れたピンク頭が覗いていた。背の高い彼は森の中でも見つけやすい。これが小林などだったら、茂みに完全に埋もれてしまっていただろう。「染岡」 声をかけると、彼は仏頂面のまま振り返った。相変わらずの不機嫌顔だが、さっきまでのくすぶるような怒りはもう無いようだった。 焦燥。悔恨。苦痛。それらがない交ぜになった顔で、じっとこちらを見つめて来る。「…さっき、木野が来たんだ。多分お前と同じ用件でな」 苦虫を噛み潰したような声で言う染岡。「分かってんだ…八つ当たりなのは。吹雪が悪いわけじゃねぇ…俺の気持ちの問 題だって事はよ。だけど…ふとした瞬間に比較しちまう。こいつは豪炎寺じゃね ぇっんだって。…吹雪の荒探しばっかして、いちゃもんつけたくなっちまう」 あまりにも正直な、染岡の本音。いや、彼の事だ。ここまで至るまでにも随分な葛藤があった筈。染岡の意志は強い。裏を返せば、意地っぱりだ。 だが、彼には自分の弱さを認められる強さがある。それを他人に、素直に語る覚悟も。 元々帝国にいた自分は、けして染岡と付き合いが長いわけではない。それでも鬼道は彼の本質を確かに見抜いていた。「豪炎寺はいつも真剣にサッカーと向き合ってた。なのにあいつと来たら、楽しませてくれだと…?ふざけやがって!」 「…あいつは、ふざけている訳じゃないと思う」 「あ?」 吹雪の弁護をした鬼道に、染岡は眉をハネ上げる。彼は知らない。吹雪が心を病んでいる事も、彼の身に何があったのかも。「吹雪にとってサッカーは意識的に取り組むものですらない。あいつの存在理由にして、存在証明だ。呼吸をするのと同じ事なんだ、きっと」 サッカーを取り上げられたら、きっと吹雪は生きていく事ができなくなるだろう。サッカーをする事で、どうにか生きている意味を繋いでいる彼は。 自分も、そうだったから。「随分吹雪の事、よく知ってんだな。聖也あたりから聞いたのか?」「まあな」 今はまだ詳細を語るつもりはない。自分が語らずして仲間達がどこまで気付けるか。知ろうと努力するか。それもまた一つの課題だから。「吹雪を認めたら、豪炎寺の居場所がなくなる。そう思ってるんだろうが」 ドキリ、とした顔で目を見開く染岡。詭弁を承知で鬼道は語る。自らの願いを込めて。「誰にも代役なんていない。吹雪と豪炎寺は違う人間だ。皆それを分かっている。お前は違うのか?」 優しい彼に、辛い選択を強いたのかもしれない。でも、自分達は受け入れて進むしかないのだ。 今此処にある、現実を。NEXT |
未来は望む限り、可能性を作る。