生きてる事の痛み。 私が私である事の苦しみ。 それすらも幸せなのだと、貴方は言うけれど。 それでも望んでしまうのは、罪なのでしょうか。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 0-9:追憶はただ、麗しく。
自分達は、どうなるのだろう。振り切った感情の中で、レーゼはぼんやりと思 った。 自分達は負けてしまった。地上のどんな人間達より優れたエイリアの戦士であ る筈の自分達が。勝ち続ける事が誇りであり力の証明である筈のジェミニストー ムが。 闇色の光の向こう。雄々しく立つデザームを呆然と見る。イプシロンは自分達 にとって憧れの存在だった。けして叶わない力の差が、恥ずかしいと思わない存 在だった。 特にリーダーのデザームを敬愛する者は多い。それは彼が実力のみならず、絶 大なカリスマをも誇り、また目立たないながらも同士達をとても大切にする事で 知られていたからだ。 いつかデザーム様のようになりたい。それが叶わずとも隣で戦える戦士になり たい。そう願っていたのは自分だけではあるまい。 しかし今。その憧れの彼から告げられた言葉がこれだ。
“用済み。”
“追放。”
“この地で死に絶えろ。”
絶望を通り越して笑いすら浮かんで来る。彼は不器用ながら優しい人だった。 だがそれ以上に、エイリアの星に誇り高かった。誇りを汚した自分達に、情けな ど与える筈がない。 陛下、ごめんなさい。仲間の誰かが呟いた。パンドラの嗚咽が聞こえる。ちく り、とレーゼの胸が痛んだ。
−−私達は、あなたの役に立てればそれで良かった。
けれどもうそれも、必要ないのですね。
−−私達は少しでも、貴方の力になる事が出来たでしょうか。
愛する方の顔が浮かび、霧散していく。デザームがその手を翳した。あの光に 貫かれた後、自分達がどうなるかは知らない。もしかしたらデザーム本人にも分 からないのかもしれない。 遠い遠い地に置き去りにされるのか。そのまま光に飲まれて死を迎えるのか。 どちらでも同じだ。自分達の存在理由は既に死んでしまったのだから。 仲間達に申し訳なく思う。勝利だけを追い求めるが為に酷い事も言った。酷い 事もしてきた。心を鬼にして非情な事も強いた。そんな自分達の道も今此処で途 切れる。 自分などがリーダーでなければ、こんな結末にはならなかったかもしれないの に。彼らを道連れにせずに済んだかもしれないのに。 黒いサッカーボールが放たれる。光に貫かれる瞬間、レーゼは叫んでいた。そ の心だけは偽りたくなかったから。
「エイリア皇帝陛下、万歳…っ!」
そしてレーゼの世界は、光の中で弛緩して、消滅した。
最初、自分は天国にいるのかと思った。地獄がこんなに明るい筈がない。それ は思い込みにすぎないかもしれないけれど、ただ漠然とそう思った。 少しだけ意外だ。自分は絶対地獄行きだと思っていたのに。無自覚とはいえそ れだけの罪を犯した筈だ。かの人に、望んでついて行ったというその時点で。
「気がついたかい、嬢ちゃん」
視界に入る、知らない男の声。髭の生えた初老の男だ。誰だろう、と思うより 先に別の言葉が出た。なんせ男は思いっきり自分のコンプレックスをついてくれ たので。 「私…男なんだけど」 「おっと。そうだったな。あんま綺麗な顔してるもんだからつい」 まあ憎まれ口叩くくらいだから、目は覚めてるか。彼は一人納得したように椅 子にかけ直した。 どうやら、自分は生きているらしい。腕に繋がる点滴と、薬くさい白い部屋。 此処は病室らしい、と漸く理解した。 同時にそれが、何を意味するのかも。
「私は…生きてるの?」
自殺した筈だった。最後、僅かに残る理性の中でそれを覚えている。薬の副作 用で、かなり正気が飛んでいた。自分達の背中に翼が生えているなどという、幻 想すら抱いた。 それは自分一人ではなくて。 だから皆で、手を繋いで空を飛んだのだ。本気で飛べる気がしていたのだから お笑い草だ。だけど自分達はやはりただの人間で、天使にはなれなくて−−。 墜落する瞬間、少しだけ戻った正気の中で思ったのだ。 これで良かったのかもしれない。どうせ自分達にはもはや帰る場所など無いの だから−−と。
「…自己紹介が遅れたな。目覚めて最初に見るのが知らないオッサンの顔じゃ驚 いたろ。俺ぁこういうもんだ」
男は、コートのポケットからそれを取り出して一ページ目を開いた。警察手帳 。初めて見たな、とどこか他人事のように思う。 「鬼瓦…警部補?」 「おう」 「何で…刑事さんがここに…?」 鬼瓦は一つため息をついた。何か、覚悟を決めた顔だ。
「落ち着いて聞いてくれないか。君の…友達について」
落ち着いて。そんな言葉が出た時点で、充分に予測は立った。だけど耳が、音 を拾う事を拒んだ。 聞かなければならない。でも。 嫌だ。聴きたくない。
「君の友達は…全員、遺体で見つかった。君だけが奇跡的に助かったんだ」
衝撃が、じわじわと全身に広がっていく。声は確かに耳に届いた筈なのに、脳 が受け取る事を拒否している感じだ。 仲間達の顔が浮かんでは、消えていく。 嘘だ。彼らが死んだ?みんな?自分一人が生き残った? どうして?
「亜風炉照美君」
言葉が出ず、凍り付いたままの照美に、鬼瓦は静かに告げた。苦痛に満ちた顔 で。
「辛いだろうが教えて欲しい。君は…君達は本当に自殺だったのか?それとも… 何者かに殺されたのかを」
何かを尋ねられたのは分かったが、声は出ないまま。そして涙も、堅く捻られ た水道の蛇口のように、凍ったまま。 霞む脳内で、ただ一つの事実だけがハッキリしていた。 自分はまた、置いて行かれたのだと。
急展開に次ぐ急展開!新たな刺客、現る! 新聞の見出し風に書くならばこんな感じだろうか。自分が当事者でなければ、 スクープだと盛り上がったかもしれない。音無春奈は書いていたブログを投稿し 、ケータイを閉じた。 あのイプシロン襲撃から一週間。ジェミニストームに勝った時のお祭りモード はとうに消失している。彼らの実力や思想は依然不明であるものの、まだ敵がい ると分かったのだ。気を引き締めるには充分だったろう。 春奈にとって特に気がかりなのは兄の様子だ。彼が塔子と一緒に何かを調べて いるらしい事は知っている。エイリア学園という組織に対し、疑問を抱いている らしい事も。 ジェミニストームとの試合後も。皆が浮かれる中、鬼道は険しい顔で塔子と話 をしていた。そしてレーゼが追放される時に叫んだ言葉−−その後からより一層 一人で考えこんだり、パソコンに向かう時間が増えた。 兄は、何かを掴みかけている。だがそれが何かは妹の自分にも教えてくれない 。確証が持てるまで待ってくれ、とかわされてしまう。それが何だか切なかった 。 自分が、男の子だったら。そして自分もマネージャーではなくサッカープレイ ヤーだったら、もっと兄の支えになれたのだろうか。
−−私、お兄ちゃんの足、引っ張ってばっかりだな。
自分は何も知らなかった。ずっと何も知らずに兄に護られて、再会した兄を身 勝手に責め立てた。あの時の言葉は後悔してもしきれない。
『あなたはもう優しかったあのお兄ちゃんじゃない…他人よ!』
−−最低だ、私。
鬼道はけして自分を責めなかった。あんなに酷い言葉を浴びせたのに。何も知 らずのうのうと、音無の家で幸せに暮らしていた自分なのに。 結局。あの時の言葉を、春奈は謝れないままでいる。受け入れてくれる兄の優 しさに甘えているのは分かっているけれど。それではいけないのは知っているけ れど。
−−駄目だな。全然駄目。…あの頃から、何も変われてない。
悩んだ時は、円堂君に相談してみたら?と秋が言っていた。夜、キャラバンの 上で円堂に話を聞いて貰うのが定番化しているという。別名、キャプテン相談室 。本人が知っているかは微妙だが。 皆が精神的にも、キャプテンに依存しているのは知っている。自分まで彼に負 担をかけるのは少々気が引けるのだが。秋は笑って言った−−それでも、円堂君 はいろんな人の話を聞いて、少しでも多くみんなの事を知りたがってるんだよ、 と。 果たしてその円堂は既にキャラバンの上にいた。特徴的なシルエットが星空に 浮かび上がる。北海道の夜は寒いが、本当に星が綺麗だ。天然のプラネタリウム に、ついつい見とれてしまう。 「音無か?珍しいな」 「!よく分かりましたね…!」 梯子を登っている途中で声をかけられた。本当に、一人一人の事をよく知って いるのだ、彼は。恋愛方面にはあれだけ疎いというのに。
「…お兄ちゃんが、心配なんです」
キャプテンの隣に座り、話し始める春奈。
「何か、私達の知らない情報を掴んでいるみたいなんですけど。全然、話してく れなくて。私じゃ…お兄ちゃんの力になれないのが悔しくて」
塔子が、羨ましい。彼女の事は自分も好きだ。それでも時折嫉妬してしまう。 塔子は自分と同じ女の子なのに、サッカー選手としても人間としても、強い。 鬼道が彼女に隣に在る事を許しているのが見てとれる。自分はその背中を、見て いる事しかできないのに。 兄と対等の存在になりたくて、なれなくて。自分はいつまでも護られてばかり なのが辛い。きっと彼は、自分が兄なんだから当然だと笑うのだろうけど。
「護られてばっかりじゃ、嫌なのに。私もお兄ちゃんを護りたいのに」
離れている時間すら、自分は兄に護られていた。それを後から、塔子の口から 聞かされたのだ。鬼道には口止めされたけど、あんたは知っていなくちゃいけな いから、と。 「お兄ちゃん…影山に、虐待されてたんです。八年間、ずっと」 「え…?」 黙って話を聞いていた円堂が、驚いたように顔を上げる。
「その内容は…目を覆いたくなるほど酷いもので。それが原因で、何度も体調、 崩していたみたいです。それでもあの男に従っていたのは…冷徹なフリをして我 慢してきたのは。私とまた…暮らす為だったのに」
既に口にしてしまった言葉は取り消しようがない。どれほど辛かっただろう。 どれほど苦しかっただろう。どれほど傷つけた事だろう。
「私にもっと力があれば…!」
サッカーがしたい。兄と並べるくらいの力が欲しい。今の自分には何もできな い、なんて。
「俺は詳しい事、何にも知らない。だけどさ、音無」
ポン、と肩に温もり。振り向けば笑顔があった。円堂の、背負う重さを知る者 の笑顔が。
「どれだけボロボロになっても、傷ついても。あいつがピッチに立ち続けられた のは、お前がいたからだと思う」
俺にもこれだけは分かるよ、て円堂は言う。
「鬼道は音無の事が、ダイスキだってこと!…それが一番大事な事だろ」
そう思っても、いいのだろうか。 自分は兄にとって必要な存在であると。邪魔なんかじゃないと。 此処にいて、いいのだと。
「…うん」
間違い無く、これだけはハッキリしている。だからこそ自分は此処にいる。
「私も…お兄ちゃんの事、大好き」
俺も!と円堂が笑うので。つられたように、春奈も笑った。
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やり直しがきいたなら、貴方を傷付けずに救える未来もありましたか。