舞え、乙女。 抗え、戦士。 謡え、少年。 従え、勇者。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 0-19:跳躍の、戦乙女
自分なんかじゃ力不足だと春奈は言ったが。鬼道は首を縦には振らなかった。 本人は謙遜しているが、実のところ鬼道は妹の実力を、贔屓目なしでも高く買っ ていたのである。 実は春奈は相当サッカーができる。幼い頃施設で、彼女は唯一鬼道のペースに ついて来れた人間である。そこには少しでも兄から離れたくないという、依存し た気持ちがあったのも確かだろう。だが彼女には才能があった。その努力も含め て。 あの後、春奈が音無家でどんな生活をしていたかは分からない。だが彼女は今 の両親のことをいつも幸せそうに語る。その笑顔が全てを物語っていると言って いい。きっといい人に拾われたのだろう。 雷門に女子サッカー部はない。むしろ女の子がサッカーをやるというのを良い 顔しない親も多い。危険度の問題では他スポーツと大差ないのだが、未だに“サ ッカーは男子がやるもの”というイメージが根強いのだろう。 しかし、春奈は逆境にもめげず、サッカーを諦めなかった。自分自身がプレイ ヤーとして表舞台に立つことを考えているわけではないようだが、マネージャー としてサッカー部を支える為の努力は怠っていない。 彼女が密かに、リカや塔子に付き合って貰って練習しているのを知っている。 そのレベルがけして低くないことも。また自分達が試合をしている時、皆の動き や行動を逐一観察して勉強していることも。 塔子いわく。春奈は言っていたそうだ−−自分は皆と一緒に戦えるほど実力は ないけど、少しでも皆と同じ世界を見たい。少しでも皆の辛さや楽しさが理解で きるようになりたい、と。 ずっと思っていたのだ。春奈がどれだけの実力を持っているか見てみたい。彼 女が試合に出たくないというなら無理強いするつもりはないが−−女性だからと か、兄の自分がいるからという理由で遠慮しているならそれは違う。 木暮と春奈。その両方の実力を見るいい機会ではないか。
「…あんな風に啖呵切っちゃったら、後に引けないじゃない…。お兄ちゃんの意 地悪」
引くに引けなくなったのは木暮も春奈も同じ。兄を恨めしく見ながらも、渋々 腹を括ったらしい春奈は−−やがてキッと木暮を見据えた。 「仕方ない…来な!木暮君っ!!」 「見てろよっ!!」 グラウンドの中央に立つ春奈。その右足の下にはボール。木暮は猛然と彼女に 向かってダッシュしていく。 が、その動きはがむしゃらに突っ込んでいくばかりで隙だらけ。長いこと試合 に出して貰えてないというのは本当だろう。
「甘い!」
素早く身を翻すと同時に、ボールを右足から左足の下へ渡す春奈。木暮の身体 は宙を切り、勢い余って地面に激突した。 あれは痛そうだ。もろに顔面から落っこちたように見えたが大丈夫だろうか。 しかしそんな鬼道の心配も杞憂に終わる。木暮はすぐに立ち上がり、雄叫びを 上げながら走り出そうとする。が、春奈も馬鹿じゃない。木暮が転んでいる間に 距離をとって体制を整えている。 対し木暮の行動はワンパターンだ。猪突猛進と言わんばかりに同じ突進。あん なタックル、試合じゃ間違いなくファールだろうに、と呆れる。 それで結局同じようにかわされていては世話ない。 二度目の失敗にで少しは学んだのか。鼻の頭を擦りむきながらも立ち上がった 木暮、今度は近距離から春奈をピッタリマークして隙を見る作戦に出る。
「今だ!」
今だ、と彼は叫んだが残念、我慢が足りていない。少女がニヤリと笑う。木暮 の体当たりをリフティングでかわす。 触れる事すらできず抜かれて、地団太を踏んで悔しがる木暮。
−−確かに忍耐力が足りないが…今の木暮のタイミングは悪くなかった。
鬼道は冷静に分析する。今のは木暮が素人なだけでなく、春奈が上手かった。 つい笑みが零れる。思っていた以上に、春奈のボール捌きには磨きがかかって いる。小さな頃、何度やってもリフティングが続かず、泣きじゃくっていた少女 とはとても思えない。
「まだまだぁ!」
テクニックの差を見せつけられても木暮は怯まない。
「そうだ…あいつらはこうやってボールを奪ってた!」
漫遊寺の彼らの練習風景を思い出したのだろう。見よう見まねで少年はスライ ディングを繰り出す。素人技だが、鬼道を驚かせるには充分だった。 速い。思っていたよりスピードがある。
「やらせない!」
春奈も驚いたようだが、彼女が一枚上手だった。木暮のスライディングをジャ ンプでかわす。 だが木暮はただ滑り込んできただけではなかった。かわされたのを確認するよ り先に停止して身を翻し、回し蹴りの要領で脚を振り上げる。完全な不意打ち。 脚をひっかけられて春奈はつんのめる。 決まったかに思われた。しかし、彼女は寸前でボールを高く打ち上げ、また無 様に転ぶ事もしなかった。ボールを蹴ったその脚で踏みとどまり、ひっかけられ た脚で逆襲する。 ひっくり返ったのは木暮の方。力負けして、少年は吹っ飛ばされる。驚いた。 春奈は意外とパワーがある。確かに木暮相手なら、春奈の方が体格で上回るだろ うが−−。 そして木暮が呻いている間に、打ち上げたボールを胸でトラップしていた。こ れでマネージャー専任とはあまりに勿体無い。 「二人とも、化ける。そうは思わないか、円堂」 「ありゃ、気づいてたんだ」 振り返りもせず名前を呼ばれて、我らが熱血キャプテンが苦笑するのが分かっ た。円堂がこちらに歩いて来ているのは気付いていた。またこっそり特訓するつ もりだったのだろう。 まあ、昨晩のように真夜中にやられて寝坊されるより、この時間で我慢してく れた方が余程いい。
「びっくりした。木暮も春奈も凄いじゃん!あれで補欠とマネージャーなんて信 じられないよな…!!」
当の二人は、円堂がやって来た事に気付いてないようで、ボールの奪い合いを 続けている。軽い勝負のつもりがうっかり熱中してしまい、周りが見えなくなっ ている様子だ。 再び木暮が勢いよく突進していく。今度は春奈もドリブルしたまま木暮に突っ 込んでいく。何をする気なのやら。
「行くよっ…イリュージョンボール!!」
目を見張った。あれは鬼道が得意とするドリブル技ではないか。ボールの動き に緩急をつける事で残像を生みだし、相手を幻惑する。向こうが迷っているうち にこちらは抜き去ってしまうという寸法だ。 春奈の必殺技は見事に決まった。分裂する幾つものサッカーボールに木暮が目 を白黒させている間に、春奈は遥か彼方に抜き去っている。勿論、ボールは奪わ れていない。
「まさか必殺技までマスターしてるなんて…音無すっげぇ!」
円堂が興奮した声を上げる。まるで試合中のように目を輝かせている円堂に、 見事期待に答えてくれた春奈と木暮。なんだか嬉しくなってしまう。 彼らになら、雷門を任せられる。 例え−−自分がいなくなる日が来ても。
−−俺はひょっとしたら、とんでもない事を知ってしまったのかもしれない。
聖也の会社の化学部門で調べて貰った、エイリアの子ども達のDNA鑑定結果が来 た。それは鬼道が危惧していた通りの事実を示すもので。 加えて。鬼瓦と義父の方からも連絡が来ている。孤児院、と言った時点で、リ ストアップされた人数はそう多くはない。そもそも日本にある孤児院の数自体に 限りがあるのだ。その中で見事に、最近子供の姿を見かけなくなった不審な施設 が一カ所あって。 驚くべき事にそこのオーナーは、鬼道も顔を合わせた事がある人物だった。当 然と言えば当然か。自分は鬼道財閥跡取りであり、パーティーでは義父に代わっ て挨拶にも回っているのだから。 その男には。サッカーに因縁を持つ理由が確かにあり、莫大な研究費を投じる のも可能な金があった。恐ろしいほど条件が一致する。
−−気になる事は他にもある。
聖也は言っていた。彼に解析を依頼したのは僅かな髪や血といった素材ではあ るが−−彼の会社は相当優秀な設備を持っているらしい。そこからDNA以外にも分 かった事があるという。それは神のアクアに含まれていたのと同じ成分が、僅か ながら彼らの血液から検出された事。 その神のアクアの解析も任せてある。警察がいくら調べても結果が得られなか ったのは、影山が妨害していたせいもあると考えられるからだ。 神のアクアに含まれていた謎の鉱物。なんと聖也の会社はその正体にも目星を つけて、データを送ってくれたのだという。
『五年前にな、富士山に隕石が落下してニュースになったろ。覚えてるか?』
彼に見せて貰った文書と画像を思い出す。
『ところが奇妙な事に、隕石が落下した形跡はあるのに…隕石そのものが見つか らなかったんだ。見つかったのは僅かな破片だけ。…うちの化学部門も回収回し てたから助かったよ。本体は何者かが運び去った可能性が高いってハナシ』
その隕石に含まれていた成分と、神のアクアの成分が一致するのだという。そ の隕石には人の潜在能力を限界まで引き出す、恐ろしい力が眠っている事も。 鬼道の中で全てが一本に繋がる。 隕石が落ちたのが五年前なら、研究が始まったのもそれ以降だろう。義父いわ く、例の男はその前後から様子がおかしくなっており、殆ど表舞台に出て来なく なったのだという。
−−だが、本当の元凶があの男と決めつけるのは早い。確かに奴には世界に復讐 する理由もその手段にサッカーを使う理由もあるが…。
彼の復讐心を利用して煽った人間がいないとは限らない。実は彼のごく近い場 所に、不審な人物の陰がチラつくのである。 五年前、隕石衝突直後に彼に雇われ、しかし身元が一切不明の女。表向きは秘 書とSPを兼ねているようだが、それだけではなさそうである。 施設にバイトに入っていた人間によると。最初彼女を医者だと思ったそうなの だ。子供達の健康診断を実施したのが彼女だった。そして−−彼女の健康診断を 受けた次の日に、施設から子供達の姿が消えたのだという。 レーゼやデサームと名乗った彼らを含めて。
−−二ノ宮蘭子…。一体何者なんだ。
まだ証拠は不十分。しかし、二ノ宮の雇い主がクロなのは間違いない。彼の施 設にレーゼ達と思しき子供達がいたのは裏がとれている。あとは真の黒幕が彼か 二ノ宮のどちらかという事だけ。 二ノ宮蘭子という名前が偽名であるのはハッキリしている。ただその正体に皆 目見当がつかない。そもそも戸籍も無い女を何故、いかようにしてあの男が雇っ たかも気になる。
−−…あの男は確かに食えない人物だったが…子供達を人体実験に使うような真 似のできる人間じゃなかった。
どうやら最後のアテに賭けるしかないらしい。鬼道はチラリとキャラバンを振 り返る。
−−あとは瞳子監督とイプシロンの連中、財前総理が、何処まで知っているか、 だ。
このままでは誰も救われない。エイリアの子供達はそのまま、生きた兵器とし て政財界の玩具にされてしまう。 自分が何とかしなければ。 いや−−何とかしてみせる。
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垂れ込める暗雲は、すぐ傍まで。