空へと伸ばし、宙を掻く手。 溺れ死ぬ絶望の中、救いを求めた手。 引き戻された生の中、限られた時間の中。 選び取ったのは、幸せになる決意。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 0-21:舞い降りた、光の翼。
何故こんな展開に。 土門は現在、絶賛混乱中だった(ああ、日本語がおかしいのは分かっているが それ以外にどう説明しろと言うのだ)。 目の前にいるのは“あの”、アフロディこと亜風炉照美。フットボールフロン ティア決勝では影山の指揮の下、散々自分達をいびりぬいてくれた残酷天使だ。 世宇子が雷門に負けて。その後彼らがどうなったかは知らない。ただ影山が逮 捕されて指導者を失った事だけが分かっている。 それが今になって、世宇子キャプテンの彼が自分達の前に現れるなんて。それ も−−彼を地に墜とした自分達の、仲間になりたいと申し出てくるとは。影山の 報復に来たと言われた方がまだ驚かなかったに違いない。
「ま、待てよ!」
また何か企んでるんじゃないか。騙そうとしてるんじゃないのか。何よりまず そう思ってしまった自分は、ひねくれているのだろうか。
「いきなり何言ってんだよ。訳分かんねぇよ!俺達と共に戦いたいって…どうし てそんな話になるんだ!」
俄かに信じがたい。隣を見れば一之瀬も似たような顔だ。吹雪や塔子は知らな いだろうが、フットボールフロンティアを戦った自分達は知っている。 彼があの“狡猾非道”の代名詞たる影山の下についていた事も、神のアクアな んてドラッグで卑怯な勝ち方をしようとしたチームの主将である事も。
「信じられないのも無理はない。それだけ…卑怯な事をした自覚は、あるから。 それにフットボールフロンティアで戦うまで私は君達を一方的に見下してた。神 なんて妄想を気取ってね」
その言葉に、はっとする。鬼道が少しだけ眉を寄せて苦い表情をした。土門も 、また。 自分と鬼道は元々帝国学園にいたし、影山にも従っていた。それが正しい事だ と信じていた。騙される弱者が悪いのだと。 雷門に対しても例外ではない。どうせフットボールフロンティアに出れもしな い弱小校だと見下していたのだ。だから初めて雷門と戦った時、鬼道は容赦なく 円堂達を痛めつけた。自分は平気でスパイなんてものに名乗り出た。 同じだ。世宇子をどれだけ悪者扱いしようと自分達は紛れもなく彼らと同じ事 をしていたのではないか。
「だけど…君達と戦って、君達の戦いを見て気付いたんだ。本当の強さは負けな い事じゃなく、負けて絶望を知って尚立ち上がる強さなのだと。私も総帥も間違 ってた。人は、倒れるたびに強くなる。誰かに与えられた強さなんて本当の強さ じゃ、ない」
土門達と照美の違い。それは神のアクアという薬物を使ったという、たった一 点に尽きるのではないか? そして神のアクアにしたって−−彼らはただ心酔していた影山の指示に従った だけ。最初は脱法ドラッグだとも知らなかったかもしれない。 かつて神を名乗り、光の翼を背負って自分達の前に立ちふさがった少年は。真 っ直ぐな眼で自分達を、円堂を見た。
「…私は一度、絶望に負けた。でも…そのまま過去にすがりついて地面に伏せて いても…虚しいだけで」
土門は初めて、彼がこんなに綺麗な眼をしていた事に気付いた。そこにいるの が誰かの作品や兵器ではなく、自分達と同じ十四歳の子供である事を知った。 本当は何一つ、自分達と変わりなかった事を、理解した。
「私は私の誇りを取り戻したい。償いだけじゃない…気付かせてくれた君達に恩 を返したい。君達の強さが、私を悪夢から目覚めさせてくれたのだから」
照美が嘘を言っていない保証なんて、ない。 だけど土門は思った。 信じてみたい、と。 土門が自分の意見を言おうとした、その時だ。
「円堂」
先に鬼道が口を開いていた。
「俺は、いいと思う。こいつを信じてみたい」
照美は目を見開いて彼を見る。まさか鬼道からフォローが入るとは思わなかっ たのだろう。そもそも鬼道が雷門に来たきっかけは、照美率いる世宇子に帝国が 惨敗し、痛めつけられた彼のチームメイト達が病院送りになったせいだったのだ から。 だが土門には分かる気がする。彼が一番最初に照美を理解した訳が。 円堂は頷き、真正面から照美を見た。
「アフロディ…本気なんだな?」
その瞳の前で、嘘をつける人間はいないと知っている。円堂には、人の心を洗 う“何か”がある。 その円堂の前で、彼は確かに頷いてみせた。
「ああ」
あの眼で見られて尚偽り続けられるのは、よほどの悪魔か詐欺師だろう。 だが目の前の彼はそのどちらでもない。明らかに自分達と同じ人間だから。 「…分かった。その眼に嘘は無い。みんなもいいよな?」 「強いんだろ、そいつ」 塔子が無邪気に笑う。 「フットボールフロンティアの一件はよく知らないけどさ。悪い奴かどうかは見 りゃ分かるもん。あたしは大歓迎だぜ?」 「彼にはもう影山のような後ろ盾は無いわ」 そう言ったのは、瞳子監督を呼んで来たらしい夏未だった。その隣には春奈と 秋、何故か木暮の姿もある。 「拒絶されるのも、糾弾されるのもわかっていた筈よ。その上で私達の前に現れ たのは…よほどの覚悟だったんじゃないかしら」 「ま、戦力になんのは間違いねぇ…か」 意外なのは、吹雪の時はあれだけ頑なに拒絶した染岡が、随分あっさりと認め た事だ。初期メンバーの彼は、世宇子への恨み辛みもそれなりだろうに。 彼もまた、変わったのかもしれない。どんな風に、とはうまく言えないけれど 。
「その子は影山に利用されてただけじゃないかな」
その空気に、聖也が追い風を吹かす。 「神のアクアはともかく、なんだかんだでその子はただ試合をしただけ。多少や り方が荒っぽかっただけ。…鬼道だって、雷門のサッカーに惹かれてこっち来た んじゃん?昨日の敵は今日の味方ってゆーし」 「そっか。…そうだよな」 染岡も聖也も塔子も鬼道も−−何より円堂が信じると言った。その様子を見て 、後輩達や風丸達も頷く。 過去は紛れもなく事実だけど。事実はまた過去に出来る。新たな今に塗り替え られる。 新しいものを受け入れて、人は進化していく。
「ありがとう、みんな」
受け入れて貰えたと知り、花が咲いたように微笑む照美。向こうでは、あれで 男なんて詐欺です…!と影田がオドロ線を背負っているが見なかった事にする。 「監督、構いませんか?」 「許可をとるタイミングが間違ってると思うけど」 瞳子は若干呆れたように前髪を掻き上げた。 「いいでしょう。戦力が増えるのは歓迎だわ。…ディフェンスの方も新しく人員 が増えそうだし」 「え?」 「何、まだ話してなかったの?」 ディフェンス人員?何の話だろう。キョトン、と顔を見合わせる一同。さらに 呆れる瞳子。 そして何故か過剰反応する木暮。
「音無さんと鬼道君から直々に推薦があってね。木暮君を、今度のイプシロン戦 に使わせて欲しいという要望があったのよ」
数瞬の間。
「「え、ええええーッ!?」」
雷門イレブン大多数の叫び声が、見事にユニゾンを奏でたのだった。
その部屋に呼び出されたガゼルは、ガッカリした様子を隠しもせず溜め息をつ いた。 私室でなく実験室、という時点で粗方予想はついていたけど。どうせ同じ任務 を告げられるなら、大好きな父からが良かったのに。
−−お父様を誑かす魔女め。
ガゼルは、目の前の女が嫌いだった。 顔は確かに美人の域に入るかもしれない。が、いつも喜悦と狂気に歪んでいる その眼が気持ち悪くて仕方ない。本能的な何かが彼女を拒絶する。 何処で学んだかも分からない科学技術と頭脳、不可思議な体術で父の信頼を得 た女、二ノ宮蘭子。 どうせ偽名に決まってる。そもそも日本人かどうかも怪しい女を何故父は雇っ たりしたのだろう。 こんな魔女が何故いつも父の隣に控えるのか。彼女に比べれば、あの爬虫類の ような眼をした研崎の方がよほど好感が持てるというもの。
−−私の方がずっと長く父さんの側にいるのに。どうしていつも私以外の奴ばっ かり…!
一瞬。赤い髪の彼の事を思い出しかけてやめる。完全に思い出してしまえばま すます不愉快になるのが分かっていた。 実はバーンよりよほど激情家だと自覚しているガゼルである。
「そんなに嫌な顔しないで頂戴。あたし、これでも貴方の事気に入ってるのよ? 」
不快感を露わにすりガゼルに気分を害した様子もなく、白衣姿の二ノ宮は笑う 。
「安心なさい。あたしの任務に従ってくれれば、それがちゃぁんと“お父様”の 役に立つ。結局はあたしも、旦那様の為に働いてるわけだもの。ねぇ?」
嘘吐け、とは心の中だけで。 自分達の敬愛する父の為に、と二ノ宮は言うが。この女はそんな甘っちょろい 感情なんかで動くような奴じゃない。 実験時の、狂ったような笑みを貼り付けた顔を思い出すとゾッとする。この女 は自分の理論を実証するのが楽しいだけだ。どうせ自分達の事も、体のいいモル モットにしか思っていまい。
「…ご用件は?こちらも忙しいので手短にお願いしますが」
イライラと言い放つと、それなんだけどね、と彼女は手術台の上で足を組み直 した。 「イプシロンの監視をして欲しいの。マスターランクチーム・ダイヤモンドダス トのキャプテンとして」 「…監視?」 あまり穏やかでない言葉に、眉を顰めるガゼル。
「ああ、裏切り者が出たとか、そういうのじゃないわよ?」
ひらひらと手を振る二ノ宮。
「彼らに盗聴器と発信機をつけてるのは知ってるでしょ?この間の漫遊寺との一 戦も全てモニターしてたわ。そしたら…雷門との間に気になる会話を拾ってね。 イプシロンのメンバーの中には相当動揺してる子がいるのよ」
赤いネイルが毒々しい、彼女の指がカルテを捲る。研究という名の人体実験が 本領だとしても−−仮にも医療に携わる人間の手じゃないだろう。 どうせ彼女は自分達に何があっても精々“作品が一つダメになった”くらいに しか思わないのだろうが。 「そう、この子…鬼道クンって言ったかしら。随分賢いのね。私達の事を独自の ルートで探り回ってるみたい…。デザームに言ったのよ、“お前達は本当に宇宙 人なのか”って」 「!!」 さしものガゼルも、驚愕に目を見開いた。 ジェミニからの報告は全て聞いている。エイリア学園=宇宙人。その等式を、 今まで出逢った人間達は誰一人疑わなかったというのに−−一体何故。
「あなた達マスターランクはともかく。万が一イプシロンのメンバーが記憶を取 り戻す事態になったら困るのよね。また最初からやり直しなんて面倒な事御免だ わ」
最初から。即ち−−いざとなったら何度でも書き換えるつもりという事だ。た とえ子ども達の心が壊れたとしても。 ガゼルは悔しさに唇を噛み締める。
「そうならない為の、監視。面倒になる前に止めるのよ。…貴方がね」
魔女は薄い笑みを浮かべて、ガゼルの肩を叩き、部屋を出て行く。後に残され たのは、凍てつく闇を背負いし少年。
「くそっ…」
呪詛の言葉は、虚空に消えた。
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いつだったろう、僕等の心が死んだのは。