小さな迷いは、まるで黒いシミのように。 ぽつぽつと色と深め、侵食していく。 ああ今はもう、元の白すら分からない。 洗い流す涙も、涸れ果ててしまっては。 この背中に、白い翼は 無いとしても。0-22:脳裏過ぎる、君の名は。 自分達は確かに焦っていたかもしれない。あの人が−−鬼道がいなくても。大丈夫だという事を見せたかった。彼にこれ以上負担をかけるのは耐えられなかった。 自分達はずっと彼に護られていたのに、彼を護る事が何一つ出来ないのなら。それは対等な関係とは呼べない。本当の仲間とは言えない。 それはあくまで源田幸次郎という人間の個人的観念かもしれないが−−いつまでもその庇護下で甘えるのはプライドが赦さなかった。離れていてすら、自分達は鬼道に救われていたのだから。 その為に。鬼道をこれ以上、影山の鎖で縛り付けるような事があってはならない。やっと彼は支配から逃れ、自由になれたのだ。ならばその自由は自分達が護らなければなるまい。 それに。影山の存在に縛られていたのは−−鬼道だけではないと知っている。−−鬼道が影山から暴力を受けていた事は、少なくともレギュラーは全員知っていた。 影山は鬼道の顔には大した傷をつけなかったが。ロッカールームで一緒に着替えれば否が応でも目に付く。酷い時は刃物で切られたような跡すらあった。包帯に血がにじんでるなんてザラだ。 警察。教育委員会。大人の手を借りれば解決できたかもしれない。しかし影山の影響力の強さを考えれば、握りつぶされて終わるのは想像に容易い。たとえ鬼道が虐待死したとしても−−その死は事故死で片付けられるのが目に見えていた。 何より誰かに露見する事を畏れていた鬼道。もし握り潰される事態にならなかったとしても、警察は虐待の詳細を根掘り葉掘り聞くだろう。嫌な噂も立つかもしれない。それらに耐えるには、鬼道の精神は追い詰められすぎていた。 自分達にできたのは精々、一人で涙を流す姿を知らないフリをして。強がって背筋を伸ばす姿をどうにか支えて。傷だらけの体に応急手当するのが関の山だった。 守れない。救えない。その事実に誰もが絶望し嘆いていた。気付けば鬼道以外の帝国イレブンも皆失意の底に沈んでいた。 影山にとって自分達は哀れな小鳥に過ぎなかったのだろう。どれほど鳴き叫んでも外の世界には届かない。鳥籠に羽根を打ちつけても傷が増えるだけ。誰もが影山を畏れ、怯えていたのだ。 他ならぬ鬼道が道を開いてくれるまで。「俺達はもう籠の鳥じゃない…!」 自分達を連れ出してくれた鬼道に恩を返したい。世宇子にボロボロに負けても自分達を見捨てなかった彼を、戻ってくると約束してくれた彼を裏切りたくない。 影山脱走がまだニュースになっていないなら好都合だ。鬼道の耳に入る前に自分達でケリをつける。佐久間の提案は源田にも願ったり叶ったりだった。 鬼道が知る時には。今度こそ影山は刑務所の中だ。自分達で捕まえてやる。あの鬼瓦という刑事なら喜んで動いてくれるだろう−−なんだかんだで警部補と地位は高いようだし。 そう思って。数少ない情報を手がかりに、調査を始めた。咲山の親が警察関係者だったのが有り難い。そうでなければ自分達は何一つ分からないままだっただろう。 まあ、警察の家の息子が元暴走族(サッカーを始めるまで、咲山はとんでもない不良だったのだ。鉄パイプ振り回してるのを見た、とは洞面の話だが)だったのはさぞかし頭が痛かったに違いない。 とにかく。本当はそんな捜査情報、家族にもらしちゃダメだろ、というのも含めてよそに置いとくとして−−。 最初のニュースが入ってから数日後。どうやら影山は愛媛にいるらしいとの情報が飛び込んできた。その愛媛で奇妙な失踪事件が頻発しているらしいという事も。 実際に現地に飛んで確かめるのが早いという事で。 調査隊に名乗りを上げたのが源田と佐久間だった。現在帝国の部長代理を務める二人が同時に抜けるのは良い事ではないが、元々偵察は自分達の得意分野である。鬼道がいた頃、彼と共に情報収集に駆け回るのは自分達の役目だったのだから。 影山に勘づかれてはマズい。ゆえに短期間での集中捜査になる筈だった。短い時間で手がかりを掴もうと躍起になった−−そう、否定しようがない。自分達は焦りすぎていたのだ。 今のこの事態は、自分達の油断と慢心が招いてしまったこと。「源田!こっちだ!!」 佐久間が手招きする方へ走る。素早く壁の裏側に回り、乱れた息を整える。すぐに幾つもの足音が通り過ぎていった。黒服の大人達と−−深緑の制服を来た少年少女達の集団が。「くそっ…あいつら一体何なんだよ!」 悪態をつく佐久間。しかし源田にも答えられる筈がない。 大人達の事は分かっている。影山の配下のエージェント達だ。中には見覚えのある顔も混じっている。 自分達の疑問は子供達の方だ。彼らの事などまったく知らない。なのに大人達と一緒になって追いかけてくるのは何故だ。しかも気味の悪い事に、どいつもこいつも無口で、死んだように感情のない眼をしているのだ。「…まさか…失踪した子供達か?だが一体何故…?あれじゃあまるで…」 源田の呟きは中途半端に途切れた。佐久間の顔を見る。彼は凍りつき真っ青になった顔で−−自分達の頭上を見ている。 まさか。源田はゆっくりと首を動かす。首筋を嫌な汗が伝う。見るのが怖い。そう思うのに、その原因を探らんと顔を上げてしまう。 屋根の上から、子供の顔が覗いていた。 モヒカン頭にフェイスペイント。そう書けば不良チックだが、その顔立ちは幼い。可愛らしいと言ってもいいかもしれない。 それが逆に、恐怖を煽った。 少年は笑う。無邪気に笑う。そして。「見ィつけた♪」 カッと目を見開き、飛び降り−−源田が気付いた時既にその手は眼前に迫っていて。 悲鳴を上げる暇すら、無かった。木暮をDF、照美をMFに迎えての練習が始まった。その様子を見守る漫遊寺イレ ブン。木暮が何をしでかすかと気が気でない模様だ。 確かに、初日の暴れっぷりを考えれば、彼の普段の素行も見て取れる。悪戯三昧で試合を邪魔しまくってレギュラー落ちしたのは本当だろう。−−うまくやっていけるのかしら、ほんと。 夏未は不安げに練習風景を見る。不安要素は木暮だけではない。あの世宇子中キャプテンだった照美と、うまく連携がとれるかどうか。 戦力になるのは間違いない。だがあのフットボールフロンティアでのわだかまりがそう簡単に解消されるとは思えない。 影山の存在はそれだけ自分達に重い影を残している。帝国の一戦で雷門イレブンは影山に殺されかけた。なのに、明らかな殺人未遂にも関わらず逮捕後すぐ釈放された。再逮捕された今も安心出来ないのが現状だ。 そしてその影山に最後まで心酔していたであろう照美。今も影山に通じていないとは限らないわけで。−−信用できるの?本当に? そんな夏未の心配をよそに練習は続く。 今日はキック力強化とロングシュート会得を中心に練習する事になっている。まずチームを、円堂を除いてAとBの二つに分けて順番を決める。 初めはAチームがフィールドに出てBチームが下がる。Aの1に当たる人物がキッカーだ。まずはセンター付近からその人物がロングシュートを蹴る。 そのボールを円堂がキャッチ。キャッチできなくても拾って、今度は2に当たる人物にパス。その間に最初にキッカーを務めた1の人物は最後尾に回る。そうやってポジションをローテーションしていくのである。 その間にBチームはAチームの様子を観察して、フォームや弱点をチェック。同時にゴールから程遠い場所に飛んでいってしまったボールを拾うのもBチームメンバーの仕事だ。 制限時間は五分。その間に何本シュートを決めたかゴールを割ったかも数える。五分したら休憩の後Bチームと交代。BチームはAチームに成果や気付いた事を報告するという寸法だ。 この練習で試されるのは、いかに素早くローテーションを回すか。またいかに正確なシュートが決められるか。円堂のGKとしての基礎的能力も求められる。 もしGKが次のシューター以外にボールをパスしてしまった場合、もう一度ボー ルを戻してパスのし直しになる。大幅なロスだ。円堂のパスのコントロールも鍛えられるのである。−−一見地味だけど、かなりキツい練習なのよね…。 一人キックするたびに素早く動き回らなければならず、またシュートを正確に狙うには集中力が要り、指定エリア外からシュートしたりGKがパスミスすればや り直し。体力とコントロールとキック力、集中力が要求される。 メンバーのシュートを五分間キャッチ&パスし続けなければならない円堂も相当大変だ。今回のゲーム、勝った方はおにぎり増量、負けたら罰走が決まっているので、みんな余計に気合いが入っている。「そこまで!Aチームは上がってくれ!」 ピィィ、と古株がホイッスルを鳴らした。途端倒れ込むAチームのメンバー−−一ノ瀬、塔子、土門、栗松。それに円堂もヘトヘトだ。倒れないだけ大したものだが。「ちくしょぉっ全部外したぁ!」「安心しなよ、聖也には最初から誰も期待してないから☆」 「一ノ瀬あーた…時々さらっと酷い」 落ち込む聖也。彼は殆ど疲れていないようだが(馬鹿力かつ体力馬鹿だと名高い)シュートは見事外しまくった。夏未も呆れるしかない。あのコントロールの酷さをどうやって直せばいいのか。じゃなきゃいつまでたっても戦力にならないではないか。 聖也と同様に、大して疲れていないようなのが木暮。なるほど、あのスタミナは見上げたものだ。漫遊寺の雑用で足腰を鍛えられたのかもしれない。初見ながらシュートも一本決めている。聖也より遥かにマシだろう。 ここでBチームのメンバー−−鬼道、吹雪、照美、壁山、目金が観察結果を報告する事になっている。「塔子ってディフェンス担当なのに成績いいね。ロングシュート向いてると思う…パワーもあるし。ただ動作にあちこちタメが多すぎて、時間をロスしてるかな 」「げっ…ほんとだ。よく見てるアフロディ」 さっきまで戸惑いもあったが、どうやら照美は皆に溶け込みつつあるようだ。完全な信頼を得るにはまだ時間がかかるとしても、良い兆候には違いない。「…一番意外だったのは、鬼道君があっさり受け入れた事だったんだけどね?」 「そうか?」 近くに来た鬼道にペットボトルを手渡しながら言う夏未。「世宇子の事、憎んでたんじゃないの?」 彼の愛した帝国が世宇子にボロボロに傷つけられた。それが彼が雷門に来るきっかけだったのに。「…俺達はあの時、絶望に負けた。アフロディ達を恨みもしたさ。だが…」 鬼道はドリンクを飲みながら、静かに言う。「あいつらはあくまで影山に従って俺達に試合で勝っただけだ。…俺達が恨むべ きは己の無力さであって、あいつらじゃない。誰かを憎む為のサッカーでは救われないと、円堂が教えてくれた」 その眼に嘘は、ない。けれど思う「…そう」 誰もがそうやって生きられたらどれほど良いか、と。NEXT |
一歩一歩、少しずつ前へ。